平成27年度人権啓発指導者養成研修会 採録コラム

広島会場 講義3 平成27年10月21日(水)

  「加害者・被害者の対立を超えて(少年事件を中心に)」

著者 弁護士/特定非営利活動法人全国不登校新聞社 代表理事
多田 元
寄稿日(掲載日) 2016/03/09


 おはようございます。ご紹介いただきました多田元です。

 私は、1989(平成1)年に名古屋で弁護士を開業し今年で26年になります。その前は裁判官を19年あまりしておりました。裁判官になって4年目の新米の時に名古屋家庭裁判所で少年事件を担当し、子どもの問題に出会ったことがきっかけで、その後は、転勤先でも自分から希望して少年事件を担当させてもらい、通算すると10年間少年事件を担当してきました。
 その延長で、もっと子どもの問題に関わりたいと考えるようになって、1989(平成1)年、ちょうど国連で子どもの権利条約が採択された年ですけれども、弁護士を開業する事になりました。開業してみたら、少年事件の弁護だけではなくて、子どもの虐待という問題にたちまちぶつかりまして、それから子どもの虐待防止活動や虐待を受けている子どもの支援が始まったわけです。
 『子どもの虐待防止ネットワークあいち』というNPOの立ち上げに関わったり、数人の弁護士で子どもセンター「パオ」というNPOを作ったり、様々なことをして来ました。
 子どもセンター「パオ」では、虐待を受けた子どもたちのシェルターや「ぴあ・かもみーる」という名前の女の子限定の自立援助ホームを開いています。この自立援助ホームの一つの特徴は、ここにたどり着く利用者の子ども一人ひとりに弁護士が必ず付くということです。『パートナー弁護士』と呼んでいるのですけれども、子どものパートナーになって、ここを巣立った後もずっと支援をするという形をとっています。最近、「ぴあ・かもみーる」では、女子少年院を出所しても事情があって帰る場所がない少女を引き受けるというケース出てきています。
 いま、このように弁護士が関わって、子どものシェルターや自立援助ホームを作ろうという運動が拡がっていて、全国に12か所できているのですが、開設準備中の所もあるので、来年には北海道から沖縄まで14か所になる見込みです。
 今の私は、パートナー弁護士として子どもの世話をしたり、親との関係調整や就職の援助をしたり、子どもの自立を目指す支援を毎日やっているという生活です。このように、子どもの人権に関わる活動を中心にやって来ましたが、いつも子どもの視点から物事を考えて活動したいと、そんなふうに思って来ました。
 こんな活動をしていると、前にちょっとお付き合いした子どもが私のことを友達に紹介して、子ども同志で相談にやって来ることもあります。友だちが保護監察中に何かやってしまって本当に逮捕されるのではないかというような相談を、親に相談する前に来るのですね。どうやら、「費用の掛からない弁護士がいるから」といって友だちに紹介しているようです。まあ、事務所の看板も『“タダ”法律事務所』ですからね。実際のところ、子ども本人の相談があれば無料にしているのですけれど、そんなこともたまにあります。
 今日の私の話は、現場からの話として聞いていただければと思っています。では、レジュメに沿っていきたいと思います。

1 少年事件の特性
 少年もまた非行に至る前に「被害者」の側面を背負っている。

 私が裁判官になって4年目のとき、家庭裁判所で少年事件というものに出会いました。少年法の理念というのは、少年の非行をただ非難して罰して済ませるのではなくて、非行の原因・背景を科学的に理解することから始まります。私は、一人ひとりの少年の非行の問題を解決するために、科学的・合理的な根拠のある個別的な処遇を選択していくという家庭裁判所の仕事を、非常に面白いと感じたわけですね。それからずっと、少年事件にこだわって、他の刑事裁判・民事裁判もやりましたけれども、兼任で少年事件をやらせてもらい、通算すれば10年間担当した事になります。
 私が若い頃に、このような非行のある少年たちと出会ってまず気が付いたことがあります。それは、少年たちは非行の場面では確かに加害者ではあっても、成育過程で大人たちから様々な不適切な扱いをされたり、虐待を受けたり、いじめを受けたりして傷ついているということです。彼らは、そのような被害者の側面を背負ってきているのです。
 わずか10数年の短い人生で、自分の存在価値を否定されて、傷ついている子どもがとても多いという事が分かってきたのです。

(1)非行 少年法1条「健全育成」 :児童福祉法1条、2条
     成長発達の権利の主体としての「少年観」
     子どもの育ちの過程の問題とみる「非行観」

        

 加害者である少年の成育過程を見ると、被害者の側面を持っているのですから、少年は、まずはその被害者の側面を理解され受け入れられることが必要だと思います。家庭裁判所のケースワーク的な援助を受け、安心できる生活を確保することによって、初めて大人に対する不信感がなくなり、閉ざしている心を徐々に開くことができるようになるのだと思うのです。
 彼らは、自分の存在価値を大切にされるという体験をするなかで自己肯定感を回復し、非行という過ちが、他者に対してだけではなく、自分自身にとって有害なのだということを本当に理解できるようになっていくのではないでしょうか。それが本当の意味での「反省」という事です。自分の責任を自覚してはじめて、被害者への償いを実践できるまでに成長していく、そういう事でないかと思います。
 そのような少年の変化を、教科書には「少年の可塑性」と書かれていますけれども、そのように変化していく少年の姿というものを、私は、家庭裁判所で実際にたくさん経験してきました。
 少年法第一条には、「少年の健全育成」が基本理念として書かれています。非行というものを少年の成育過程に生じている問題(育ちのプロセスの問題)だと捉える非行観に立っているのです。少年の非行は、必ずそれまでの成育過程の中に原因があるはずだということですね。
 ところがこのところ、非行の原因を考えないで、非行という結果だけを切り離して非難し、厳罰を加えて犯罪を防止しようとする、いわゆる「厳罰主義」の傾向が強くなってきています。私は、「厳罰主義」には何の科学的合理性もないのではないか、本当の意味での問題解決にはつながっていないのではないか、問題の本質を理解できないままに場当たり的に処分するだけで終わっているのではないか、そんな疑問を持っているのです。
 少年の成育過程において、適切な社会性を育てることを妨げるような障害や環境要因を科学的に調査し、教育や治療を行いながら環境を調整することによって、非行につながるような問題を解決していくことが大切です。その一方で、少年自身も成長し非行の問題を解決していかなければなりません。このような考えに立って、少年法というものはできているのです。つまり、子どもを成長発達の権利の主体であると見ているのです。それは国連の子どもの権利条約でも明記されていることです。
 少年法の理念を基本におけば、少年の非行には必ず少年なりのわけがあるということにも気付きます。そのような少年なりのわけというものを理解していくことが、ケースを理解していく上で非常に重要です。
 ですから、私はいつも若手の弁護士に、非行という結果から少年を見るのではなく、少年を理解するなかで非行の意味を考えることが必要だと言っています。

(2)処遇 非行の結果から少年をみるのではなく、少年を理解するなかで       
       非行の意味を理解し、科学的合理的な根拠のある処遇を行う(少年法9条)

 私は、家庭裁判所の少年審判というのは、非行という問題に直面している少年のために問題の解決を手伝ってあげる一種の司法的救済の手続きであって、子どもを裁く裁判ではないと思っています。
 ところが、2014(平成26)年4月に少年法が改正され、検察官が関与する範囲が拡大されました。これは、犯罪・非行の結果を非常に重視するものです。また、刑事裁判や民事裁判の手続きの構造が厳しくなり厳罰化しています。少年が刑事裁判に回された場合の不定期刑というのは、短期と長期に分けるのですが、従来は、「短期は5年を超えてはいけない、長期は10年を超えてはいけない、刑罰が必要な場合でもその範囲内で決める」となっていたのですけれども、これが改正されて、「短期は10年を超えない、長期は15年を超えない。短い方も懲役10年まで言い渡せる」ことになったわけです。
 人間としての成長途上の10代の子どもに対して、10年から15年という長期間の懲役を科すのは、教育や成長発達という側面から考えると、科学的・合理的な根拠はないと思います。
 日本の少年非行の経過を見ると、1961(昭和36)年がピークで、この年家庭裁判所に殺人罪で送られた少年は年間396人という記録が残っています。それと比較して、一番新しい司法統計では、2013(平成25)年に家庭裁判所に殺人罪で送られた少年は37人です。ピークの時の10%以下に減っているのですね。
 神戸の14歳の少年が「連続児童殺傷事件」を起こした1997(平成9)年、マスコミは、「少年非行が凶悪化している」と盛んに騒ぎましたが、その年に家庭裁判所に送られた殺人罪の件数も45人でした。少年保護事件も、1960年代までは100万件を超えていたのですけれども、2008年以降は10万人台になって毎年減り続け、2013(平成25)年は、12万1千人になっています。この勢いで行くと、間もなく10万人を切るかもしれません。
 子どもの人口の減少を考慮しても、子どもの人口に対する非行率も低下しているそうです。厳罰化した2014(平成26)年の少年法改正よりも10年以上前からこの減少傾向は続いているわけですから、厳罰化によって、非行が減っているとはいえません。
 いま、情報化社会で、事件が一つ起こると、「少年非行が凶悪化している」とマスコミが過剰な報道をするので、一般の人達の犯罪不安が大きくなっているということだと思います。
 今日のテーマの被害者・加害者の関係の問題というのは、基本的にはこのような数字の問題ではないと思いますが、少年事件の実態を冷静に知っておく必要があるのではないかと思ってご紹介させていただきました。

2 少年犯罪と被害者
1)長崎事件  長崎家裁平成16年9月 強制措置許可期間を1年間延長。

 私は、犯罪被害者側への社会の理解、その権利保障もまだまだ不十分だと思っています。
 レジュメには、いわゆる「長崎事件」と呼ばれている事件と「佐世保事件」を取り上げました。
 これらは、ご遺族がきちんとした手記を公表され、率直な被害者側のお気持ちを表明されていますので、とても参考になると思います。
 「長崎事件」は2003(15)年の7月に中学1年生の男の子が、4歳の男の子を誘拐して殺害したという事件です。少年は国立武蔵野学院という児童福祉法上の児童自立支援施設に送られました。この児童自立支援施設だけは、家庭裁判所から「強制措置許可」が出せることになっているのです。「強制措置許可」というのは、少年院と同じように鍵のかかる部屋に入れることができます。その強制措置許可が1年間出ている事件でした。
 この事件で、長崎家庭裁判所は2004(16)年に強制措置の許可期間を、さらに1年間延長する決定を出しました。この時に、被害者のお父さんが手記を出されました。
 その手記には、「加害者の少年とその親がこの世にいることを、認めたくないほどの憎しみの感情を今ももっている」と書かれていました。これは本当に被害者の重い悩みだと思います。「謝罪などは受け入れることはできない」とも書かれています。加害者の両親も転居をしているのですけれども、その移転先も連絡してこないと批判もしています。
 この世にいることを認めたくない気持ちと、転居先も連絡してこないじゃないか、逃げないでほしいという気持ちと、どこかこう矛盾した気持ちに悩んでいらっしゃる。これは、どのような犯罪の被害者に起こっても不思議ではない感情・葛藤だろうと思います。
 一方でこの手記には、弁護士や被害者支援センターで心のケアを受けたことに対して非常に感謝していると書かれています。このケースは、たまたまいい弁護士がついて、ラッキーだったのだろうなと思います。実際には、心のケアをする人材や機関が非常に乏しいため、公平な保障があるとはとても言えない現状があるからです。
 事件が起こると、被害者の側に立ったかのような、激しい報道や加害者を非難する声がごうごうと上がりますが、その時だけ騒いで、被害者の気持ちや悩みは相変わらず置き去りにされているのではないかと感じます。この手記には、「私たちには身体や心を癒すために静かな時間が必要です。それに対する理解と配慮をお願いします」と報道機関に対する要望も書かれていました。子どもを亡くしたばかりの人にマイクを突き付けて、「今の気持ちはどうですか?」と聞くマスコミ関係者もいるのですから、被害者の気持ちの理解だとか配慮が欠けているとしか言いようがありません。そろそろ本当の意味で被害者を守る社会的なシステムを考えなければいけないのではないかと思います。

2)佐世保事件 平成18年6月30日 1年の強制措置延長申請

        

 もう一つは佐世保の事件です。これは2004(平成16)年の6月に、小学校6年生の女の子が、同級生の女の子を殺害してしまったという事件でした。これも社会に大変な衝撃を与えました。加害者の女の子は小学校6年生で親から離され、栃木県にある女子専門の国立児童自立支援施設に送られました。
 この事件も強制措置の許可が出されています。さらに延長の申請が出されたということを、厚労省が被害者のお父さんに事前に開示したとき、その知らせを受けたお父さんは、「強制措置をもっと延長してくれという気持ちはない」と述べたと報道されました。そして、遺族の心情を彼女の更生に関わっている人たちにもっと知ってほしい、更生に関わっている人たちを通じて少女に遺族の心情が伝わればいいと思っていると言っています。それが十分になされていないという不満が裏にあるわけですね。それから、自立支援のプログラムを開示してほしいとも言っていました。世間的には、施設に送ったことでこの問題は済んでしまっているのですけれども、その施設の中で、過ちを犯した少女がどのような教育プログラム(自立支援プログラム)を受けているのか、そういったことは一切、被害者の家族には知らされていないということです。また、加害者の少女との面接の機会を作ってほしいとも言っています。「会いたい」ということですね。
 つまり、ご遺族は加害者の少女をもっと理解したい、自分たちの気持ちも少女に伝えて欲しい。そして、どのような自立支援の教育プログラムが実行されているのか、それを少女がどう受け止めて成長しているのか、そういったことをもっと知りたいし、本人と会いたいと言っているのです。少女との交流を求める気持ちもどこかにあるのではないかと思います。このように被害者によって感じ方は様々です。

 皮肉なことですけれども、この少女がこの施設にいた当時、ここの施設の職員が収容されている子どもたちに虐待を加えているという事実が明るみに出ました。少女は施設できちんと更生プログラムを受けているのかと思ったら、それどころか、施設内で虐待が行われているという実態があったのです。 
 少年非行に対して、単なる厳罰化で済ませようという風潮が強まる中で、少年の成長が奪われ、被害者の方も置き去りにされているという現状では、被害者の権利というのは、まだまだ中身が伴ってないのではないかと感じます。

3 被害者遺族と少年の関係形成(修復)ーひとつのケースから
●強盗殺人事件

  

 私が関わった強盗殺人の少年事件を具体的な例としてお話ししたいと思います。
 この事件は、もう10年以上になりますけれども、私が附添人という形で少年の弁護をして、今でもこのケースには関わり続けています。
 その少年は、非行事件当時は14歳でした。その成育歴を見ますと、幼いころから、母親の再婚した継父から身体的虐待や精神的虐待を受けていました。実の母親は、それを傍観しているばかりか、「お前が悪いんだ、お前が悪いんだ」と言っていたのです。
 彼が事件を起こす前の問題行動としては、家出の繰り返し、不登校がありました。家庭にも学校にも居場所がなくて辛かったのでしょう。非行としては自転車を盗むぐらいの軽微な非行しかありませんでした。
 私はこの少年と最初に会ったのは、警察の留置場で勾留の時です。
 いきなり事件の事実関係について、「間違いないか?」だとか、「なんでやったの?」とういうような質問をするのでは、警察官や家庭裁判所の調査官と同じようなことになってしまいますので、私はいつも少年と会う時には、まず自己紹介から始めます。
 最初に詳しく聞くのは健康状態。「体調は?困っていることはないかい?」といった話から質問を始めます。そして、できるだけぼんやりと、「君はどうしちゃったんだろう」といった質問をしてみる。するとこの少年は、「家出から自分は崩れました」という言い方をしたのです。これはちょっと意外な答えだったので、ほうっと思って、「家出って悪い事ですか?」と尋ねてみました。
 すると少年は、「みんな悪いって言うよ」と、不思議そうな顔をして、「変な弁護士がきちゃったな」と思ったかもしれませんが、「私は、家庭で虐待を受けている子どもの援助というのをやっていてね、そこでは家出の手伝いもずいぶんやったよ」という話をしてやったのです。
 実際にドメスティック・バイオレンスのケースで家出の手伝いもやっているのです。私の車で乗り付けて、家財道具や一切の物をそこに積み込んで、お母さんと子どもと一緒に暴力をふるうお父さんから逃げるのです。そんな話をちょっと面白く、簡単にしてやり、「だから、家出って別に、私は悪い事だとは思わないよ」というと、彼はそれをじっと聞いていて、ポツッと、「僕のうちもそうでした」と言ったのです。そこで、「ああ」っと思ったのですね。「どういうことがあったの?」と聞くと、本当に小さい頃から、継父からひどい暴力を受けてきたという話をたくさんしてくれました。「この弁護士はちょっと普通の大人とは違うなあ」だとか「ちょっと変わっているけれど自分の気持ちも分かってくれそうだなあ」と思ってくれると、少しずつ心を開くということもあります。

 家庭裁判所でこの少年の記録を弁護士は閲覧できるのですけれども、その記録の中に、少年が家出をして児童相談所が一時保護したときの児童相談所の記録があったのですね。
 一時保護所には一週間ほどいただけですが、とても安定しておとなしくしていたようです。たぶん一時保護所では彼は安心できたのだと思います。しかし、安定しているからと、たった一週間一時保護しただけで何の手当もしないで、この子を親に引き取らせてしまった、虐待の行われる家庭に帰してしまったのです。
 その時の記録を見ますと、児童相談所はこの少年に10項目の約束をさせています。
 その第1項に、「家出をしないこと」と書いてありました。もちろんこの子は家に帰されてすぐにまた家出をしています。
 これは、とても重要なポイントです。多くの大人が、家出というのは問題行動だと思っているのですね。しかし、子どもの視点に立つと、家出というのは子どもが虐待から自分を守る正当な行為とも見ることができるし、SOSのサインとして理解することもできるのです。
 ですから、私は家出を問題行動ではなくて、問題提起の行動だと思うのですね。同時に、子どもにとっては、家出こそが自分の命や存在を脅かす環境から自立するという、自立へのプロセスとも言えるのではないかと思います。子どもなりに、家出をするわけがあるのです。  
 まずは、この子どもはなんでこんなに家出を繰り返すのだろうと、家庭環境に目を向けてほしいのです。この家出の繰り返しは、彼なりのサインだと見ることができれば、いくらでも親からの虐待の事実を聞き取ることができたはずです。
 しかし、子どもの言葉を聞かないで指導をしてしまった。指導をして、10項目の約束をさせて、虐待のある家に帰してしまったのです。児童相談所の職員が子どもの言葉を聴くことができて、虐待から彼を守る援助をしていたら、この強盗殺人という重大事件を起こさずに済んだだろうという思いは今もあります。
 子どもの犯罪防止というのは、やはり、子どもが困っている時、援助を必要としている時に、周りの大人が適切に支援するということが重要なのであって、重大な事件が起こってしまってから厳罰に処するというのは、犯罪防止としてはあまり意味がないのではないかと思います。

 「川崎事件」と呼ばれていますけれども、2015(平成27)年2月に川崎で悲惨な子どもたちの事件がありました。被害を受けた子どもは、島根県の隠岐の島から家族で川崎に転居して、川崎では親子で孤立していたらしいということが分かっています。
 また、加害行為をしてしまった少年も、地域に居場所のない子だったという事がだんだん分かってきました。加害者も被害者もどちらも地域で孤立していたのですから、周りから何らかの手を差し伸べるということができていたら、この事件は防げたのではないかと悔やまれます。
 しかし、この事件が一つの教訓になって良い方向に進んだケースがあります。私が担当した小学校6年生の男子なのですが、自転車を1台盗んだことで、家庭裁判所から少年鑑別所に入れられた子がいました。
 この子の家は生活保護家庭で、お母さんと、男ばかりの8人兄弟です。それが狭いマンションの1室に暮らしていましたから、家の中はもうてんやわんやなのです。
 元々、その家庭には貧困問題があるのですけれども、上のお兄ちゃん3人はそれぞれ少年院に行って、戻ってきた子は今保護観察を受けているのですね。周囲の人達からは、「あそこの家の子どもたちは非行に走っている」と見られているような家の6男です。
 しかし、その子どもの話をよく聞いてみたら、下に知的障がいのある小さい弟がいて、その弟たちがオムツをしている時には、「オムツは僕が替えた」と言っていますし、「お母さんが朝ごはんを作らないときは、僕が作っている」という子なのですね。
 この子は、児童福祉法の施設ではなく、場合によっては少年院に入れたほうがいいのではないかという児童相談所の意見もあったのですが、そんなことをしたらこの家庭は本当にいつまでたっても立ち直ることができないと思いまして、児童相談所のケースワーカーにいろいろ働きかけたのですが、らちがあかないので地元の市役所に行きました。生活保護の係の人と相談したところ子ども支援、家庭支援も必要ではないかということになり、市役所の各福祉部署の方に出てきてもらって、そこに児童相談所の職員や弁護士、学校の先生、教育委員会も参加し、大きな支援のネットワーク会議を持つことになりました。
 その時に私は、「川崎事件」でも地域の支援が必要だったという大学の先生の意見があることを取り上げて、「この子を家庭からつまみ出して施設に送ったら、帰ってきた時にはもう中学生になっている。この子の将来はどうなりますか?」と疑問を投げかけ、地域でこの家庭を支援するという形を提起しました。すると、いろいろな知恵が出てくるのですね。
 お母さんには知らせず、定期的に会議を開く計画を立て、家庭裁判所には、「このような支援をするから施設に子どもを送るのはちょっと待って」と言って、在宅試験観察ということで家に戻してもらうことになりました。
 子どもが家に戻ってからすぐに、私たち弁護士3人も加わって家族会議を開いたのですが、とても面白かったですね。お母さんの他に、いま家にいるお兄ちゃんたちも含めて子どもたち6人そろったのですけれども、小さいのはチョロチョロしているのです。いま大学の先生でもと児童相談所の児童福祉司にも附添人に加わってもらっていたので、その人が議長になって、「これから家族で、どうやって生活していこうか話し合います」と切り出しました。
 その子は学校を休みがちだったので、大工のお兄ちゃんに、「兄ちゃん仕事に行くときに彼を起こしてってくれない?」と聞くと、「起こしていたら仕事に遅れる」と言うので、「そんなの丁寧に起こさなくてもいい、蹴って出ていけばいいんだよ」とか、そんなことを言って笑い合いながら、家族会議をやっていったのですね。
 すると家族もだんだんイキイキしてきましてね、水面下でいろいろやっていた福祉や生活保護の職員の方も配慮しながらお母さんに接してくださったので、お母さんも元気になってきました。そのため、在宅試験観察の期間は無事に何の非行もなくクリアして、少年はどんどん落ち着いていきました。そして、学校の先生たちともいい関係ができてきたというようなことがありました。こういうことは、やろうと思えばできるのではないかなと思っています。

 さき程の強盗殺人の方に話しを戻します。
 強盗殺人の件では、マスコミから、「14歳で刑事処分に回されるのではないか!」というような、なんだか変な期待を込めたような報道が出されたのですけれども、家庭裁判所は、初等少年院送致・長期処遇の勧告という判断を下しました。
 少年は、深く傷つく体験を重ねてきたため、もうこれ以上深く傷つきたくはないと、自分自身の感受性を鈍麻させ、辛さ・悲しさ・苦しさという不快な感情を切り離して、感じないようにする心理機制を身に着けてしまっていました。親に殴られても辛さを感じなくなっている分、他者の痛みや悲しみに対する共感性も乏しくなっていると家庭裁判所は認定しました。まあ、ある意味必然的なことなのです。
 彼は、基本的には本当にいい子なのですよね。いい子になろうと頑張る「いい子モード」と、それからちょっとしたことでもすぐに投げ出してしまうという、「投げやりモード」、この二面性がありました。これは努力しても報われないという体験をたくさん重ねてきているからだと思います。情緒面の未熟さですとか、現実を検討する力の欠如というのは同年齢の少年に比べてみても極めて深刻でした。社会性が著しく未熟だということです。彼の強盗殺人の動機をみても、被害者に対する恨みなどの殺害の動機は何も持っていないのです。
 このようなことを総合して、少年院で、その少年の特質に応じた矯正教育を施すことが必要だと家庭裁判所は決定しました。被害者や遺族に対する謝罪の気持ちを育てるためにも、まず、未熟で歪んでしまった彼を育てることが必要であると判断したのです。 
 この時の調査官が非常に優れた人だったので、そこで示された5段階の長期処遇プログラムというものを裁判所が採用しました。
 第1段階は、「他者に受容され、他者との信頼関係を形成する段階」
自分のやったことに対する反省を求める以前に、まずは他者に受け容れられて、他者との信頼関係を作っていく段階が必要です。
 第2段階は、「信頼できる他者に受容、支持されながら自らの内面に目を向ける段階」
 第3段階は、「他者の気持ちを推測したり共感できる段階」
 第4段階は、「自責の念、適切な罪障感が生じる段階」
 最後の第5段階は、「適切な罪障感に基づいて自らとるべき行動を直視し、実行に移していく段階」。被害者のご遺族に謝罪したり償ったりするにはどうしていけば良いのかということを考える段階。こういう風にして進めて行かなければいけないとなっていました。

 

 ○加害者・被害者遺族関係形成(修復)への歩み

 附添人弁護士は、少年院送致の処分決定が出てしまったら、そこで法律上は仕事が終わってしまうわけです。その後は、事件で知り合ったお友達という関係になるだけなのですけれども、私は、加害者少年との関わりをその後も続けました。

 まだ、少年の附添人だった頃のことです。私はご遺族に、少年がどうしてこのような事件を起こしたかということを、私から可能な限りでお話しすることもできますよという内容の手紙を書きました。しかし、それに対しての返事はいただけませんでした。
 まだこの時点では、少年自身は謝罪の手紙など、とても書ける状態ではありませんでしたし、下手なことを書かせても、被害者を傷つけるだけですから、あえてそういうことはしませんでした。
 被害者のご遺族は、審判前の段階では意見陳述という手続きを選択されました。これは裁判官が遺族の気持ちを聞き取るということです。この時は、厳罰を求めたと聞いています。
 意見陳述という手続きは、裁判官が被害者の思いのたけを、「どんなに辛いか」ということを、何のコメントもしないで、ただただ聞き取って記録するものです。遺族には、少年に関する情報は一切与えられていません。警察の記録は家庭裁判所に置かれているので、それは閲覧できますが、それはあくまで警察官が聞き取っただけで、彼の本心はそこにはないわけです。ですから、被害者には、彼がなぜこのような事件を起こしてしまったのかという情報は一切与えられていません。一切与えないで、「いいたいことがあれば聞きますから、言いなさい」というのが今の制度なのです。ここで、コーディネートする人は誰もいないということです。
 私の仕事は本来、審判後には終わっているのですけれども、少年の代理人ということで、ご遺族に2度目の手紙を出しました。「私は附添人ではなくなったけれども、今後もこの子のためにずっと関わっていく覚悟です。もし、私に会っていただけるのでしたら、その時々の少年の様子も報告したい」と書きました。
 ご遺族は、この手紙に対しては、どこまで信用していいのか、ものすごく悩まれたそうです。そこで、ご遺族が信頼している弁護士に相談されて、その弁護士の法律事務所で、やっと対面することができたのです。処分の決定が出てから3か月が過ぎていました。
 このご遺族は、被害者の奥さんと幼い子どもさん二人、それから高齢のお父さん、お母さんというご家族でしたが、奥さんが、「少年のやったことは絶対に許せない。許せないけれども、私は人を憎んで子ども達の子育てをしたくない。そんなことをしたら、子ども達がまた人を恨むような人間になる。そんな人間には育てたくない」と言われました。しかし、その一方で、「だけど、少年は許せないし、憎い」と、そういう悩みを率直に話してくださいました。そのことに、私も大変心が動かされ、これから少年の事は随時報告することを約束しました。

 私は、彼が少年院に入ってからも面接を続けましたが、保護処分が決定される審判までの間も、弁護士3人でチームを組み30回面接をしています。
 少年の年齢が低いと一回の面接の時間を長くとっても緊張が続かないため、自分の時間の許す限り、たとえ5分でも10分でも時間があれば少年鑑別所に寄って、会う回数を増やすようにしていました。会うたびに少年の変化を感じたり、何か新しい発見ができたりということを大事にしたいと思っているのですね。
 保護者の面会は彼が少年院に行ってからもほとんどありませんでした。行事があっても来ませんし、少年院から強く要請されると、ちょっと会いにくるのですが、これが3、4回かなと思います。
 彼は、家庭に戻ることは全く希望していなかったので、彼と相談しながら、社会に復帰したときに住む場所を一所懸命探し、どうにか私が長く付き合いのある電気工事をやっている親方に頼み込んで、従業員アパートに住み込みで仕事をさせてもらえることになりました。
 最近は、ようやく少年院にも社会福祉士という資格を持ったソーシャルワーカーが配置されるようになりましたが、この事件当時は少年院にソーシャルワーカーはいなかったので、もと附添人というだけの私がまったくのボランティアでやらざるを得ない状況でした。
 彼を雇ってくれることになった親方と奥さんは、彼が仮退院で社会に出る前に面会に来てくれたり、文通までやってくれました。
 仮退院の日は、私がこの親方の家に行き皆で少年の帰りを待っていたのですが、保護観察所の人が少年を連れて来たときに親方が言った言葉がすごく素敵でした。
 少年院では、部屋に入る時は軍隊調で、「入ります!」と声をかけて入る。出る時は「出ます!」と言って出る。その癖が抜けない彼が親方の家に行ったときに、「入ります!」と言いながら、ピッと前に出てきて、「よろしくお願いします!」と言ったのです。
 すると、親方がじっとそれを見ていて、「お前、それをこれからもやってたら、人が変に思うからもっと崩れろ」と言ったのですね。保護観察所の先生は、「これから先、生活を崩してはいけない」と言っているのに、いきなり親方は「もっと崩れろ」と言うのですから面白かったですね。
 長期受刑者というのは、社会に戻った時の落差がものすごく大きくて、精神的な変調を来す人が多いのですね。私はそれが心配でしたから、私が信頼できるクリニックの精神科医を紹介しました。社会の水に合わせるというか、いい形で崩れるようにするということですけれども、この辺が、成人の受刑者の社会復帰にも手当てが薄いところだと思います。「二度と過ちを犯すな」、「真面目に働け」と言ったとしても、働く場所がなかなか確保できないし、何よりも精神的に支えてくれるものが何もないということは、非常に不公平だと思うのです。本当に更生を望むのであれば、きちんと社会復帰につないでいくシステムが必要だと思います。

 

(3) 遺族と少年の対面、謝罪

 この少年の場合は、非常に珍しいケースなのですけれども、少年院を出る前に、被害者のご遺族と少年との対面ができたのです。
 まず、少年自身が少年院から遺族宛てに手紙を書くことから始まりましたが、この段階では、将来対面までできるとは全く想像していませんでした。手紙を書くことが、少年にとっても適切な謝罪の表明になるだろうと、少年院の先生とも相談して書いてみるように勧めてみたのです。最初に彼が、一所懸命に考えて書いた手紙は、「本当にごめんなさい」だとか、「自分のやったことで、どんなに傷つかれたか」とか、そういうことを精一杯書いたものでした。ご家族の皆さんを悲しませて苦しめていると、繰り返し、繰り返し謝っているのですね。本当にまじめに書いた手紙でしたが、私は彼が最初に書いた手紙を不合格にしました。
 私は、彼のところに面会に行って、「僕はこの手紙では出せない」と言いました。彼はムッとして、「あれだけ一所懸命に書いて、少年院の先生もいいと言ったのに」と、不満そうな顔でした。そこで、「もし、いま私の虫の居所が悪くて、君の顔をパーンと理由もなしにぶん殴った。そして、殴ってから、あ、悪かったと思って、『痛かっただろう?ごめんね』と言ったら、君は許せるか?思いっきり殴ったんだよ?それで『痛かったでしょ?ごめんなさい』と言われて許せる?」と言ったのです。彼は、「許せない」と言いました。そこで、「そうでしょ。君の手紙は、理由もなしに思い切りぶん殴って『痛かったでしょ?』と言っているようなものだ」と。「君から『痛かったでしょ?』という言葉をもらっても、『痛かったに決まってるわい!』と誰でも言うでしょ」と。「ご遺族は、そんな言葉を期待しているのだろうか?これだけでは足りないんじゃないか?」と言いました。すると彼は、「何を書けばいいのかな」と言うので、「それを考えたら苦しいでしょ?」と聞くと、「苦しい」と答えたので、「それだよ。自分も苦しんでるっていう事を、素直に書けばいいんだ。今までも、手紙を書きたいと思ったけれども書けなくて、どういう言葉を書けばいいのかも分からなくて、『自分は何であんなことをしてしまったんだろうか?』という後悔の気持ちがいっぱい出てきて、それで自分は、どれだけ少年院の中で苦しんできたかということを書いたら、被害者も『苦しいのは自分たちだけじゃない、あなたも苦しんでるんだ』ということが理解できるし、君が反省していることも分かるからね。君の苦しみを僕が勝手に想像して書くわけにいかんから。苦しいのは君自身だから、君の言葉で自分の苦しんだことを書きなさい」と言ったら、たどたどしい文章だったけれど、一生懸命、自分の苦しみを書いてくれました。
 しかし、彼はその手紙を書きながらものすごく精神的に不安定になり、少年院の先生から、「幻聴と幻覚が出てきました」と連絡があったのです。「なにか声が聞こえる」とか、怖い夢を見るとか、ものすごく悩むようになりました。結果的には、乗り越えて行ったのですけれども、一時は、「精神的に壊れていくのではないか」という心配までしたほどでした。

 刑事事件でも、謝罪文をすぐ弁護士が書かせて、被害者に一方的に送り付けるケースがあります。ひどいケースになると、被害者が、「加害者の刑が軽くなるのはいやだから、示談金なんか受け取らない」と言っているのに、書留郵便等で送ってしまって、「示談金を強制した」と訴えられるケースもあります。
 このようなケースを見ると、被害者の気持ちを尊重しながら被害者との関係を模索していくということが必要であるのにも関わらず、現状はまだそこまでいっていないと思います。

 

 少年院に入ってからも、面会したときの様子などは、ご遺族に弁護士を通じて報告していましたが、今度はその遺族側の弁護士から、遺族が少年と会いたいと言っていますと連絡が入ったのです。そこで、遺族側の弁護士と相談して、少年院にいる間に会っておいた方が、お互いにとって安全だから良いのではないかということになり、まずは代理人の弁護士が私も同席するかたちで少年と会いました。これは、少年院に行ってから4年9か月目のことです。
 私から報告を受ける事で、ご遺族の心のなかに、「少年の顔を見てみたい」という気持ちが起こってきたようです。しかし、「実際に会ったら、自分はどんな気持ちになるのだろう?」と考えると、顔を見たいけれども、見るのも怖いということで、ご遺族は悩んでいらっしゃったようです。
 遺族側の弁護士が少年と面会してみると、まあいい雰囲気だったので、もう一度会って、いろいろ確認したいということで、二回目の面会をしました。
 その二回目の面会の時には、遺族も少年院まで一緒に来られて、少年とは会わないけれども、少年院の教官の話を聞いて行かれました。教官は、少年にどのような教育をしているのか、少年がどのように変わっていったのか、そんな説明してくださいました。
 この時、少年院の教官がとてもいい対応をされたので、遺族も感謝されていると言う事で、少年院でもあまり例がないと思いますけれども、今度はその教官が、ご遺族のご自宅を訪問してお線香をあげてくださいました。
 そのような経過を踏まえて、最終段階で少年と遺族の対面が実現したのです。
 遺族の弁護士と、もと附添人の私が立ち会いました。場所は少年院の質素な小さな会議室でした。ところが、部屋の真ん中のテーブルに、大きなお花が籠に盛ってあったのですね。それがとても見事なお花だったのです。後で聞いたら、少年院の教官が昔、生花会社に勤めていたそうで、転身して少年院の教官になったという方で、その人のプレゼントだったそうです。
 そのお花を挟んで、ご遺族(奥さんとお父さんお母さん)が席に着かれた後で、少年が教官二人に付き添われて入ってきました。
 ご遺族の前で、彼は起立した途端にガクッと膝を折りまして、床に両手をついて、「本当に申し訳ありませんでした」と言ったきり、あとの言葉が出ないのですね。彼の身体の前の床が涙でボトボトボトボトっと濡れ出して、たちまち小さな水たまりになるくらいでした。
 ご遺族の皆さんも黙ってそれを見ておられたのですけれども、被害者のお父さんが、少年に、「どうぞいすに座ってください」と言いました。
 両脇から教官が引きずり起こして、椅子にやっと支えられて座ったところで、被害者のお父さんが中心になって話し始めたのです。「息子は自分にとってどんなに大切な存在だったか」という話をされて、「あなたのしたことはこれからも絶対に、私は死んでも許せないと思う」とおっしゃった。そして、「しかし、あなたが社会に出た時は、亡くなった私の息子のこと、私たちのことを絶対に忘れないでほしい。そして、必ず真面目に働いて更生してほしい」と言いました。「それによって私たちも救われるんだ」と。
 そういった話を 非常に静かに語りかけるように言ってくださいました。
 本当に一言ひとことが重くて、みんな黙って聞いていたのですが、少年はただただ、泣き続けていました。それに付き添っている教官も目が真っ赤になって見ている。そんな面談がありました。

 

(4) 少年院在院中の事件現場の慰霊碑訪問と墓参 附添人立ち会い

 その後、ご遺族の要望で、まだ少年院にいる間に事件現場へ行くことになりました。まだ春の寒い頃でした。この事件現場には、本当に小さなものなのですけれど慰霊碑も立てられていますので、彼は教官と一緒に周りの草取りをやって、慰霊碑に水をかけて一生懸命に磨き上げて、目と手が真っ赤になっていたのを今でも覚えています。
 このときに、彼はとっても素敵な籠に花を盛り合わせて持ってきたのですね。これは教官に教えてもらいながら一生懸命に作ったお花だったそうです。それを供えて、その前にひざまずいて、ずっと手を合わせて長い時間おりました。その姿を見て、私が作った短歌です。『早春の 陽に包まれて 慰霊碑に 花を献げる 罪負いし子よ』
 これと平行して、遺族が少年と保護者に対し損害賠償請求の裁判を起こされまして、これも私たちが少年の代理人になって、裁判官の計らいで、裁判所の職権による調停が成立しました。被害弁償金の支払いは、少年が定期的な収入を得られるようになった翌々月から毎月、40年間の分割弁済をしていきます。私もずっとそれを見届ける役目になっているので、長生きしないといけないのです。
 被害者に対し誠心誠意の謝罪をもって償いと更生の努力を続けるために、自動引落や期限前の一括弁済は禁止となりました。また、毎年4回お墓参りに行くという、約束をしました。
 調停というのは裁判所の法廷でなくてもいいのですね、どこであってもいい。そこで、遺族のお宅に伺ってやろうと、裁判官が粋な計らいをしてくださいました。「現地調停」というのですが、最後の調印の時に、お仏壇の前に裁判官が来てくださって、お線香をあげてくれて、その上で、少年の保護者と私たちが出席し調停が成立しました。これも、ご遺族にとても感謝されました。
 少年は少年院を出た後、再非行もなく順調に働いています。私もお墓参りには同伴したりしています。しかし、少年院を出てきた後のサポートをしていて実感するのは、やはりこの事件がいろいろな形で重荷になっていて彼の生活に影響を及ぼしているということです。お墓参りもできないこともあるのですけれども、私の方は欠かさず、お彼岸・お盆・御命日の頃にはお墓参りをしています。その時は、「行きますよ」と、代理人の弁護士を通じてご遺族にお知らせするのですけれども、必ず奥さんとおじいさん、おばあさんと、それから当時は幼かった子どもも、立派に今は成長していて、その子どもたちまで出てきて、私たちのお墓参りを迎えてくださるのです。
 これは、私にとっても数の少ない貴重なケースですけれども、他にも、少年の様子をご遺族に毎年必ず、最低一回は手紙で知らせるというお付き合いを15年以上続けているケースもあります。

4 被害者・加害者の関係形成(修復)を援助するシステムのあり方

 このような経験から、被害者・加害者の関係形成(修復)を援助するシステムのあり方 についてお話ししたいと思います。
 犯罪の加害者に対して、「加害者はすぐに反省の態度を見せろ」、「謝罪しろ」と言われますが、それをもって問題を解決できるものではないという事です。加害者に対する憎しみ、例えば、「被害者である自分たちと同じ苦しみを味あわせたい」という気持ちや、「加害者は幸せになってはいけない。加害者の不幸を願う」というような気持ちは、人間として起こるのは、ある意味では自然なことですけれども、それだけでは不幸の再生産をするだけではないかと思うのです。
 やはり、問題解決には長い時間が必要なのだと思います。お酒が熟成していくように、長い時間をかけて、加害者・被害者それぞれに考えてもらって、少しずつ相互の理解を深めていく。そして関係が熟成されていく。
 例えば、「犯罪行為は絶対に許すことはできない」とう人がいたとします。それはそれでいいと思うのですね。私も許す必要はないと思うのですけども、それでも、お互いに同じ社会で共存して生きていくことが認められるように、関係の修復というのは、やはり社会が援助して作っていくべきではないだろうかと思っています。
 今ご紹介した強盗殺人の事例はまだ進行中ですので、どのような方向に行くのかまだ分かりませんし、どのような評価ができるのかという点もまだ何も言えないのですが、この事件に限らず、被害者も加害者もそれぞれが回復を必要としているということだけは言えると思います。
 それぞれが人間として自分を取り戻す、回復するためには、一貫した継続的な周りからの援助が必要ではないかと思うのです。社会的な援助ですね。これには、個人の力では限界があります。少年院や保護観察所、その他利用できる関係機関と連携しながら、加害者と被害者、あるいは地域との関係を適切に取り持つ、コーディネーターの役割を持つ人を育成する必要があると思います。このような役割を担う方法としては、専門的なトレーニングを受けた、「司法ソーシャルワーカー」という制度が考えられてもいいのではないでしょうか。
 被害者と加害者の関係は、ケースごとに違いますけれども、計画的に関係を修復して、時間をかけて関係を熟成させることのできる社会環境をまず作って行く必要があるのではないかと思います。
 そして、そのような社会環境を作ることが、厳罰主義よりも、もっと有効な犯罪防止力を持つものになっていくのではないだろうかと思います。