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人権に関するデータベース

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研修講義資料

福岡会場 講義4 平成25年11月20日(水)

「HIV陽性者と人権 ~HIVと共に生きること~」

著者
池上 千寿子
寄稿日(掲載日)
2014/02/04

今日はHIVというテーマを取り上げていただきました。皆さん12月1日はご存じでしょうか? 知っていますね。12月1日は世界エイズデーです。HIVの新規感染が減っていないということが今世界的に問題になっています。よく日本だけが増えているといいますがそんなことはありません。性感染による疾病というのは、抑え込むことはできてもなくすことはなかなかできないのです。ただし、特に先進国ではエイズで亡くなる方は減っています。なぜかというとHIVに感染しても、薬を飲めばウィルスが増えるのを抑え、免疫力が下がるのを食い止める、つまりエイズを発症せずに済むことができるからです。HIVに感染してもエイズにならないで済むようになって15年経ちます。ですから医学的には、「HIVは普通の慢性疾患になった」という言い方をするのですが、実際のところどうなのかという話を中心に、今日は進めたいと思います。

 最初に、今現にHIVを持って暮らしている青年の経験談を映像(DVD)で見ていただきます。HIVを持っていると宣言している人の話を聞いたことがある方はいらっしゃいますか? 圧倒的多数の方はないですね。HIVを持っていても言わないし見た目では分かりません。ですからこうやって映像で顔を出してくれるというのは大変貴重です。

<映像上映>

 

このDVDは、ぷれいす東京が厚生労働省の研究事業として、HIV陽性の人の就労を促進するための企業等研修用に作りました。全部で2時間ぐらいあります。ドクターによる現在のHIV治療の現状の話、ソーシャルワーカーや看護師さんの話、ゲイであろうがなかろうがHIVは関係なく感染するわけですが、その辺の誤解がないようにするための、性の多様性についての話とか、全部ひっくるめて作ったDVDです。
日本でHIVあるいはエイズだと自分で分かっている人は2万人を超えていると報告されています。
DVDに出演してくれた青年は保健所でHIV陽性と分かりました。保健所で、自分でHIV検査を受けたわけです。ここを覚えておいてください。日本の保健所では匿名・無料でHIV抗体検査をしてくれます。場所によってはクラミジアとかB型肝炎とか他の性感染症も一緒に検査してくれます。保健所に行くということは、自分で感染を疑って検査に行くわけです。彼が25歳の時でそのときはサラリーマンでした。
彼は自分の感染を上司に告知をしました。これも覚えておいてください。上司に告知している人は少ないのです。今日本でHIVを持っていて薬を飲んで通院しながら元気で働いている人はたくさんいますが、そのうち自分が働いている職場のだれか1人にでも、自分がHIVを持っていることを言っている人は4人に1人です。それ以外の人は言ってない。言ってないというか言えない。
彼は若くて映像でもお分かりのように大変イケメンです。今は30代ですが、感染が分かったときは20代でした。でも日本のHIV陽性者はほとんど男性でしかも30代、40代、50代が大変多いんです。だからどちらかというとおじさんの問題(問題と言うと変ですが)になってきます。HIVは若者の問題というイメージがあると思いますが実際にはそうではないのです。11月29日(2013年)の9時のNHKニュースで、初めて40代のHIV陽性者の話が放映されますが、これからはHIVと高齢化が大きな課題になっていくでしょう。

◆HIVと共に生きる人々

エイズが初めて正式に報告されたのは1981年ですから32年前です。まだまだ見つかって間もないですね。でも最初の15年と第2期目の15年は全然違います。最初の15年は1981年から96年までです。この時期は、HIVに感染すればいずれエイズが発症すると考えられていました。時間が経てばHIVがどんどん増えて免疫がどんどん下がる。免疫がゼロに近くなるとあらゆる病気に勝てない。だから色々な感染症やガン、あるいはエイズ脳症になってしまう。エイズという診断のための23の代表疾患というのがあり、その状態になるとエイズを発症したというわけです。そうなるともう手の施しようがなく、数年以内に亡くなるほかありませんでした。HIVに感染していると言われるたら人生は終わりで、あとはどう事態を受け入れて最期を迎えるか、という感じでした。
ところがHIVに対する医学的な対応は実に早いものでした。1981年に「現代の奇病」と言われていたのが、2年後にはHIVというウィルスが原因だと分かりました。さらにその2年後の1985年には、血液の中にHIVの抗体ができていることを確認することでHIVに感染しているかどうかを検査できるようになりました。HIVの感染経路はおもにセックスと血液ですので、原因が分かれば予防は実は簡単です。セックスだったらコンドームを使用する、血液だったら血液安全行政の徹底です。にもかかわらず感染は世界的に増加しました。なぜ予防がうまくいかなかったのでしょうか。
1987年、発見から6年後に最初の抗ウィルス剤ができました。AZTという薬です。HIVが増えるのを抑えることができます。ところがこの薬が数年たつと効かなくなりました。ウィルスも変異して薬に対抗するのです。1997年から多剤併用療法が行われるようになりました。抗ウィルス剤を複数種類組み合わせて使うことで、エイズの発症を防ぐことができるようになりました。AZTという単剤だとすぐ効かなくなりますが、HIVが細胞の中で増えていくプロセスをつきとめ、そのプロセスのそれぞれの地点で増殖を抑える薬を開発し、これを組み合わせて使用することで、今のところはHIVが増えるのを抑え、免疫を上げることに成功しています。
「今のところ」とわざわざ言うのはなぜでしょうか。多剤併用療法が始まったのはわずか15年前です。私たちは今のところ15年のデータしか持っていないのです。今までうまくいっていますので、今後もうまくいくのではないかとは言えます。しかしワクチンではありませんから決め手ではありません。ワクチンの開発については残念ながら見込みがありません。ウィルスの変異が早すぎるのです。
でも、HIVに感染してもエイズの発症を食い止めれば、HIVとうまく付き合いながら生きていくことができます。映像に登場した青年のように薬を飲みながら元気で仕事ができます。今はこういう状況になっているんですね。ただ、HIVの薬は副作用が大変強いのでそれが大変です。もうひとつ言うとHIVの薬は非常に高価です。多剤併用療法を自費でやろうとすると月20万かかります。しかもこれは1か月飲めばすむという薬ではありません。一生飲み続けることが前提です。ということは年間240万、10年で2,400万ですから自費では無理です。日本では幸い健康保険が使えますが、保険に入ってなければ大変です。
HIV・エイズというとアフリカ・アジアの問題だと思っている方がいると思います。確かにアフリカやアジアでものすごい勢いで増えています。なぜでしょうか。アフリカ・アジアは貧しいからほとんどの国がこの薬を買えないんです。特許料が高すぎるのです。AZTはやっとジェネリックが出ました。HIV対策には貧富の差が直接影響します。これは国際的には南北問題ですので、国連特別総会まで開催され、国際協力で治療をより平等に提供できるような対策がすすめられていますが簡単ではありません。日本だって、住民票がないとか保険料が払えないなどで国民健康保険に入れない人はこの薬は使えません。映像に登場した青年はサラリーマンだから健康保険がすぐ使えました。では、たとえば学生の場合どうでしょうか。まだ自分で働いてないから健康保険は親の保険でカバーしています。今日本では、保険証は各自がもらえますが、保険を使った記録については一家に1枚しか送られません。つまり、家族の誰がいつどの病院に行っていくら使ったか、世帯主には一目で分かるということです。そうすると学生さんで、親にそういう記録が届くのは困るという人は――しかも高いですから――自分が働くようになるまでは薬をあきらめる、という人もでてきます。
制度でも薬でも、上手に使えるかどうかというのは、どちらかというと環境の問題だったりします。いずれにせよ健康保険が使えるとしても限度額は払わなければいけませんからそれも大変です。しかも薬代だけでなく他にも検査等々の医療費もかかります。
それも大変だというわけで、実はHIV陽性の人は他の制度を使うことができます。何だかご存じでしょうか。障害者手帳をもらえるのです。見た目の障害はありませんが、内部障害ということで障害者手帳を申請できます。障害者手帳をもらうと医療費の負担を軽くすることができます。また、残念ながらHIV感染が分かった後会社を辞めざるを得なくなった人がいるのですが、再就職の際に「障害者枠」で就職できることから、障害者手帳を取得する人は年々ふえています。
ところが障害者枠雇用でも、なかなか受け入れ先が理解してくれないことがあります。つい最近のことですが、HIV陽性者が就職できたもののややこしいことになったケースがありました。その人は障害者枠で雇用され働き出したのですが、実は採用した責任者の人がHIV感染だということを知りませんでした。「内部障害、そうですか。能力もあるし元気だし、採用します」と言われました。本人は知った上で採用してくれたのだろうと思い、職場で「自分の障害はHIVです」と言ったところ、職場がパニックになってしまいました。「HIVに感染している人と一緒に働くのか」と。それで何が起きたかというと、雇用した直接の責任者が辞めてしまったのです。「お前は何という無責任な採用の仕方したんだ」と言われて居づらくなってしまいました。後任の人は何がなんだかよく分からず、雇用して働いている人をクビにするわけにはいかないし、なんとか混乱状態を治めてほしいということで私たちのところに相談に来ました。どうやって社内を説得すればいいのか、と。それで相談員がお話に行ったりもしたのですが、本人もとても働きにくいので他の職場を探し直したい、ということになってしまいました。
このように、薬や制度があるから解決、というふうにはなかなかいかない現状があるのです。そのため、このような企業やハローワークにむけた研修用のビデオ等を作っているのです。誰もが自分の能力を生かして働き生活していきたいということです。そうでなければ社会的な損失です。能力があるのに働けなければ生活保護しかありません。医療費だって高いのに、働かずに死ぬまで薬を飲み続けるというのはものすごい苦痛です。よほど精神力がしっかりしていないと鬱状態になります。社会参加するということが本人にとっても社会にとっても重要ですね。

◆HIV・エイズの現在

 日本の現状ですが、今、日本の1年間のHIV感染者・エイズ患者報告数は1,500人くらいです。横ばいですね。累積では2万人をこえます。今日本に住んでいて、生きていて、HIV陽性の人がエイズを発症した人も含めて最低2万人いるということです。まだHIVを持っているかどうか分かっていない方も入れると多分倍はいるでしょう。で注目していただきたいいのは報告される1,500人のうち、自分で感染の可能性があると思って保健所や検査所に行って検査を受けて分かった人は約3分の1にすぎません。これはずっと一貫して同様の比率で、最近でも過去でも同じ傾向です。では残りは何かというと、多数は医療機関等での検査です。どういうことかというと、多くの医療機関では例えば内視鏡検査や外科手術を行う時に「当院では内視鏡検査をする人に対しては○○○○の検査をしていただいております、サインしてください」などと言われます。それは検査や手術をしてもらいたいからサインしますよね。痛い時、苦しい時に病院に行って、さあ検査をしなければ、というときに、こうした同意書についていちいちじっくり読んで質問なんかできません。「この検査はどういう検査ですか」、「この検査結果はどうなるんですか」などと聞いていられません。「はいはい、お願いします」とサインするのが普通でしょう。その結果HIVだと分かる人がかなり多いということです。あとは妊婦さんです。日本の妊婦さんはほぼ100%検査しています。ですがHIVを検査されたと自覚している人はそんなにいないと思います。説明があまりありませんから。日本の病院は大変忙しいので説明まで至らないのだと思います。
問題は、それでは検査してくれた医療機関で、責任をもって診てくれるのかということですが、残念ながら診てくれません。検査の結果HIV陽性だと分かると、厚生労働省が指定した「拠点病院」というところを紹介されて終わりです。拠点病院でなければHIV陽性者を診療できないということではありません。日本ではあまりにも長い間HIV陽性者の診療拒否が続きました。その理由は、HIV陽性者が来ていると他の患者さんが怖がって来なくなってしまうから、あるいは医療者・看護師さんなどが嫌がるから、ということです。あまりにもそういうところが多かったので、厚労省が全国に呼び掛け、拠点病院になるところには援助をするということになりました。その拠点病院が全国に300以上あります。東京も30以上あります。ところが実際には東京でHIV陽性の人は4つの拠点病院に集中しています。名前は拠点病院だけれどもほとんど診療経験がないという病院が結構あります。そういうのを私たちは「名ばかり拠点病院」と呼んでいます。名ばかり拠点病院ではHIV陽性者を保健所から紹介されても他の拠点に回してしまったりします。
もうひとつ非常に困ったことは、この1,500人のうち、約400人はエイズが発症したことで初めて感染が分かった人だということです。
例えば急に呼吸困難になって病院に担ぎ込まれる。肺炎と診断され、肺炎の治療をするがどの薬も効かない、おかしい。「もしかしてこの人、免疫がない?」と改めてHIV検査をしたら陽性でエイズによる肺炎だった、というようなケースです。エイズを発症していても高価で副作用の強い薬を使えば発症前の状態に戻ることができます。ただしエイズ脳症の場合はできません。エイズになるまで分からないという人が多いことが先進国の中で日本が特徴的なことです。
薬を使える先進国では、エイズ発症で初めてHIV感染がわかる人は減っています。皆その前に自分で検査に行き、必要なら薬を飲んでいるからです。それが日本ではなかなかそうならない。HIV検査の結果を知るのが怖いとか、仕事を休んで保健所に行っていられないとか、いろんな理由はあると思います。
医療機関等での検査によってHIVに感染していることがわかることが多いので、その結果、本人に結果を受けとめる準備ができていない状況で感染を告知されるケースが多いのです。その場合困るのは、本人がパニック・混乱に陥り、判断力がゼロになってしまう場合です。一番まずいのはHIV陽性だからエイズになって死ぬと思い込んで会社を辞めてしまうことです。そうすると再就職が非常に難しくなります。
またこの病気は他の疾患と違って家族にとても相談しにくいのです。医療的には慢性疾患の一つになったとはいえ、なかなかそれだけでは済みません。HIV陽性であることを発見してから、HIV陽性であることを誰に伝えるか、誰に伝えないか、伝える不安と伝えないストレスがあります。、家族は、パートナーは、友人は、学校は、職場は、医療は、、、、だれに言えるのか、だれに言えないのか、全部1人で背負い込んでしまう人が多いです。HIVと共に生きるということにはそうした重い課題があるのです。
今、感染者・患者の方は皆高齢化しています。80代、70代の人がどんどん出てきました。HIV陽性で薬を飲んで抑えている人をそれで受け入れてくれる介護施設があるかというと大変難しい。また、介護職の中でHIVを持って働いている人もたくさんいます。その人たちは職場でそのことを言えているかどうか。これまた難しい。看護職も、医療職もHIVを持っている人はたくさんいます。高齢化してもHIVと共に生きることが可能になったということは、それぞれがかかえる問題がかなり複雑化してきたということです。

◆社会の中で生きること

ぷれいす東京の調査で、現に働いて通院して服薬している人たちに、職場での環境の問題を聞いてみました。会社にHIVのことを言っていないため、例えば通院がしにくいとか服薬がしにくいという回答が多数ありました。同僚に見られないように薬を飲むって結構難しい。分かると、「何の薬? どうしてそんなのを飲んでるの? 何のために病院に行くの?」と詮索されます。そうなるのが嫌なので隠れて通院するという人が5割近くいます。もっと問題なのは、「知らない間に病名が知られる不安」を感じている人が4分の3もいます。でも同時に病名を隠すことの精神的負担を感じている人も75%いるのです。病名を隠すことの精神的負担は、時期が長くなればなるほど深刻になります。本当は言った方が楽になるんだろうけど言ったらまずいかもしれないという不安の方が強い。隠さざるを得ない状況というのは本人の責任より環境の問題の方が大きいと思うのですが、実際には本人の負担になってしまいます。このストレスだけで結構免疫が下がってしまうのではないかと思います。
 HIVを持ちながら生活する上で、自分で制約したり、制約を受けていると感じたりすることはありますか、という調査もしました。性生活についてはやはり皆さんセーブしています。それで感染した人がほとんどですから。恋人との関係や出会いもそうです。出会いは素晴らしいけれども、HIVを持っていると分かって拒否されたら落ち込んで立ち上がれないかもしれない。結婚や子どもを持つことはどうでしょうか。HIVを持っていても結婚もできるし、子どもも産めます。子どもにはほとんど感染していないというデータはあります。日本ではHIV感染ベビーはほとんど生まれません。母子感染は1%以下です。とはいえ「データで言われたって、実際に相手が見つかるだろうか」ということになります。それから将来の働き方、賃金、職業選択でも悩むことになります。現在の働き方や学校はこのままで良いのだろうか、家族や親せきはどうだろう。いろんな意味で日常的に影響してきます。やはり人間の出会いとか関係性の中で制約を感じる。慢性疾患だから今までどおり、とはなかなか言えません。
こうした中で毎日服薬していかなければなりませんが、「飲み忘れたり、いい加減に飲んだりしていると、すぐ薬剤耐性ができますよ」ときつく言われます。HIVの薬は決められた時間に正しく飲まなければなりません。そうは言っても、毎日きちんと服薬するというのは大変なモチベーションが必要です。健康維持のためにちゃんと飲む、これは当然大きいですよね。でもやっぱり生きていくというのはそれだけではありません。仕事や学校が続けられる、友人との活動が続けられる、自分の経験が社会の役に立つ、こういった社会参加、自分も社会の一員としてちゃんといるんだということが、やはりきちんと服薬することのモチベーションになっています。それが閉ざされてしまうと服薬のモチベーションもかなり影響を受けるということです。

◆HIVケアの流れ

HIVと共に生きるためには、HIVケアの一貫した流れがあり、そこに全ての陽性者が組み込まれることが理想的です。一貫した流れというのは、まず検査で見つかる、検査の結果感染が発見され陽性告知を受け、告知を受けたらケアにつながり、そのケアがつながる中で服薬の必要が出てきて服薬を開始し、服薬が継続されてウィルスが抑制される、そのままずっと高齢化していく。これが医療モデルです。
ところが実際にはどのプロセスの間にもすき間があり、ここから落ちこぼれてしまう人たちがいるのです。東京でHIV陽性者を多く診ている2大拠点病院があります。日本でもっともHIV陽性者を受け入れてきた病院です。その拠点病院のドクターがHIV陽性で薬を飲んでその病院に通院している人たちの死因(当然エイズ以外の原因でも人は亡くなりますので)を調べてみたところ、厳密な統計ではありませんが、どちらの病院も共に自殺が10%を超えたといいます。つまり、日本で最も経験豊富な病院に通院している、HIV診療の最もきちんとしたレールに乗っているHIV陽性者ですら10人に1人は自殺しているということです。これは他の慢性疾患と同様とは到底言えません。調べてはいませんがそんな慢性疾患はないのではないでしょうか。自殺する人がゼロということはないでしょうが、亡くなる人の10人に1人が自殺という慢性疾患は他にはないと言えるのではないでしょうか。しかも10人に1人というのは、警察から病院に届出があって確認された数だけですから、実際はもっと多いだろう、とドクターたちは言っています。HIV診療はおおいに進化し医療的にはコントロール可能と言える状況になってきているのに、HIVと共に生きていくことはいまだに大きな困難を伴うとも言えそうです。これは生きてく環境にいまだに大きな課題があることの反映ではないでしょうか。
つまり薬があるというだけでは済まないのがHIVなのです。HIV陽性者がケアの流れのどの場面で見失われ、どの場面に入ってこれないのか。これがちゃんと分かって、ケアができないと、治療があっても有効に働かないのです。
ぷれいす東京では、ケアの流れから漏れてしまう人が出ないように、HIV陽性者や家族などのための電話相談を行っています。0120―02-8341ですので遠くからかけても無料の電話番号です。厚労省の委託事業として2009年6月から始まりました。外国語での相談もやっています。ポルトガル語、英語、スペイン語、タイ語などは他のNPOと協働して実施しています。そのほかのケア活動としては面談サービス、バディ派遣活動、ピア支援活動などをやっています。
ケアの流れから落ちてしまう人がないように、まず私たちは、検査前の電話相談とHIV陽性者だと分かった人の相談番号を分けています。感染不安と、陽性と分かった人の相談窓口は全く違います。検査に行って、例えば判定保留になってしまった、不安でしょうがないというような相談から受け付けます。感染を発見したと分かったときから1対1の相談サービスによる面談が可能です。
次に新人PGM(ピアグループミーティング)というのをやっています。感染告知を受けて半年以内の人を「新人」と言っています。感染告知を受けて半年以内の人が6人くらい集まるとピアグループミーティングというのをやります。
HIV陽性者電話相談では、毎月30人ぐらいの新規相談者がいます、初めて相談してきた相談者の半分以上は検査や告知直後に不安や混乱があります。結果告知の時に十分な情報をもらっていない人が多いからです。そこで、この新人PGMをやります。これは6人集まったら、2週間に1回ずつ、計4回の連続講座をします。この6人は陽性という告知を受けてから初めて出会う6人です。まず、自分はひとりじゃないと感じることができます。告知を受けた直後は、孤立感を持つ人が多いのですが、ここで同じころに同じ告知をうけた人たちが6人もいる、しかも年齢も職業も悩みも様々だとなると少しほっとします。自分の悩みを相対化できる。そしてここで専門職からの、例えば今は薬がこうなっていますよ、制度やサービスはこうなっていますという最新の情報提供がある。つまり今後の見通しができます。。新人PGMは、電話相談をやっていて、こうしたケアに対する大きなニーズがあるということがわかり、なんとかしなければということで始まったんです。
仲間(ピア)と会いたいという希望はやはり多いです。同じような環境、問題、背景の仲間と会って、あなたはどうしてるの、自分はこうしている、という話をしたい。ピアプログラムというのは他にもいろいろとできています。介護職でHIVと共に生きる人の会、看護職でHIVと共に生きる人の会、40代以上のHIV陽性者の会、陰性と陽性のカップルの会等々たくさんあります。ユニークなのは、息子が陽性である母親の会というのもあります。これは以前からお母さんたちの希望が多かったのですが、一人「私がまとめます」という人が出てきてくれて実現しました。息子の感染を知ってから、自分が抱え込んで、こもってしまって息子が陽性だということを誰にも言えない。自分の責任もあるのではないかという気持ちもある。こうしたお母さんたちが電話をしてくると、いつも話が2時間、3時間になってしまいます。普段誰にも話せないから話が止まらないのです。それで、「仲間に会いたい」という希望からこのグループができました。もう何年も続いています。数か月にいっぺん会います。このような様々なピアプログラムを通じて、HIVと共に生きていくことを、生活や社会の面で支えていきます。
そしてバディ派遣というのがあります。残念ながらエイズが発症してしまう人が年間400人もいます。中にはエイズ脳症で体に障害が出て元に戻れない人たちもいます。そういう人たちは在宅だったり病院の中で暮らしていたりするのですが、HIVだと言うと訪問ヘルパーさんもなかなか見つかりません。話し相手が1人もいない人もいます。そういう人たちのために、スタッフを派遣して話し相手になったり、外出の付き添いをしたり、入院中にアパートの鍵を開けて空気を入れたりとか、そういうニーズに合わせたサービスをするのがバディです。ヘルパーさんだと仕事の領域や時間の制約がありますがバディはそれがありません。

◆負のレッテルを越えて

こういう流れの中でHIVと共に生きる中で、ケアを受ける側から支える側へ、PGMの卒業生でPGMのファシリテーターになる人、ピアプログラムを自分で支えるコーディネーターになる人、スタッフになりたいといってトレーニングに入ってくる人等々がたくさん出てきました。ケアというのはされる一方ではないのです。支え合いです。HIVと共に生きるということは医療だけの話でなく、まずもって生活者としての在り方です。
ですがHIVを抱えながら生活していくということは多様なメンタルヘルスの課題を抱えます。それに大きく関係しているのがHIV・エイズ、性感染症に貼られた、「遊び人だからああなった」、「自業自得」といった負のレッテルです。色々な疾患がある中で、これほど強烈に「自業自得」と言われるのはまれです。例えば生活習慣病はみんな自業自得ですが、だからほっておけということにはなりません。
そして、そういう負の烙印は、残念なことに自分自身の中にもあるのです。HIVに感染していると気づく前に、社会が持っているレッテルがすでに内在化している場合があります。そうすると自分がHIVだと分かった時に、内在化したマイナス要因を克服するのには意外に時間がかかるのです。これは他の疾患にはあまり見られないことです。もちろん疾患というのはポジティブなイメージというよりネガティブなイメージがつきものですが、ここまで深くネガティブなイメージになってしまう疾患はほかにありません。自分ひとりだけで孤立したままで克服するのは困難だと感じます。
そういう意味で私たちのようなNGO活動があるわけです。ますます必要になってきたという感じです。私たちは、安心して病を発見し、安心して病と付き合える社会を目指し、医療と地域でケアの流れを作り出し、ケアの流れを支えて、当事者と寄り添い、病に貼り付いたスティグマを克服し、その結果医療の持つ素晴らしい成果が十分に個人と社会に還元されるようにしていかなければなりません。還元されなければこれは人権問題になります。医療機関の診療拒否、これは本当に人権問題です。HIV陽性による解雇や、就労拒否も人権問題です。 あなたがHIVに感染していることが分かったとしたら職場の人々に何と言いますか。また、職場の仲間の一人が、HIVに感染しているということをあなたに打ち明けたとしたら何と答えますか。
理想的には、「ああ、そうなんだ」程度の反応で収まるような環境になれば良いわけです。だけど現実はなかなかそうではありません。言ったらどうなるかという不安を抱えつつ、言ったら楽になるのに言えないという人たちがとても多いという現実の中で、とても長い間悩んで「あなたなら」と思ってぼそっと言ったのかもしれません。だとすれば信頼して打ち明けてくれたことに対して、信頼を裏切るようなことはしないから安心して、とまずは不安をとりのぞくべきでしょう。安心したらその後の話もできるでしょう。
本当に普通の、いわゆる他の慢性疾患と同じようにはHIVはまだなっていません。そういったなかで、安心して病を発見し、安心して病と付き合いながら暮らせる環境を作っていこうとするならば、やっぱり言ったことで「良かった」と思えるような社会を作り出していく努力が必要と思っております。
どうもありがとうございました。