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人権に関するデータベース

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研修講義資料

京都会場 講義4 平成26年11月11日(火)

「ホームレス、刑務所出所者等社会的排除をされる人々の人権 ~ソーシャル・インクルージョンによる取り組み~」

著者
炭谷 茂
寄稿日(掲載日)
2015/03/25

 皆さまこんにちは。現在、恩賜財団済生会理事長を務めております炭谷と申します。今日は皆さまと一緒に主にホームレスの人々や刑務所出所者など、社会から排除される人々の人権について考えてみたいと思っています。副題にはソーシャル・インクルージョンによる取り組みと付けてみました。

1.日本の人権問題の認識
 まず初めに、皆さまは日本の人権問題をどう捉えていらっしゃるでしょうか。それぞれの都道府県、市町村の第一線で活動されている皆さまには、ひしひしと感じられることがあるのではないかと思います。先日、福岡県にある被差別部落に行って来ました。昔、総務庁の地域改善対策室長をやっていたときに福岡にある被差別部落によく行きましたが、それ以来2度目の訪問です。環境はずいぶん良くなったとはいえ、まだまだ問題があると思います。私は地方に行く機会が大変多いのですが、日本の人権問題は全国各地にたくさんあると思います。日本の社会はこれまで割合底辺のしっかりとした社会でしたが、最近、方々に穴が空いているような気がしてなりません。ちょっと立場の弱い人たちはそこから落ちてしまう。表題に書いたホームレスや刑務所出所者の方々はまさにそういう人たちです。皆さまも日々の仕事でそれを感じているのではないでしょうか。
 私は、人権問題を考える場合は、まずどのような人権問題があるのか、その認識からスタートしなければいけないと思っています。そして、常に現場で考えることです。いくら書斎で本を読んでも、現在、進行している問題をしっかりとつかみ取ることはできません。その点、常に第一線にいらっしゃる皆さま方は、現場で何が起きているのか知るには恵まれています。ぜひ、その利点を大いに活かしていただきたいと思います。2番目に重要なのは感性です。単に見ているだけでは問題は見つかりません。問題を見つけてやろう、それを解決してやろうという気持ちがないと人権問題は見えてこないと思っています。3番目には専門的知識が必要です。そのような3つの手段で人権問題をしっかり認識することが必要だと思います。

2.古くからある問題は解決せず、むしろ深刻化
 それでは、どのような人権問題があるのか、私なりに考えていることをお話しします。
 まず古くからある人権問題、これがなかなか解決しません。今日表題に掲げた刑務所出所者の問題です。この問題に携わっている地方自治体の方は割合少ないのではないでしょうか。現在、刑務所から出所する人がどれだけいるかというと、平成24年の数字ですが、満期を終えて出所する方が1万2,700人です。このうち刑務所での行動が良好で仮釈放される方が1万4,700人。だいたい毎年2万7,000人余りが刑務所から出所されます。しかし最近の特色として再犯を侵してしまう人が多い。今日はここに注目したいと思います。2012(平成24)年は45.3%の人が再犯です。つまり約半分の人は罪を繰り返しているということです。これが現在の状況です。
 実は、去年の6月に横浜刑務所に行きました。初めての経験なので大変緊張しました。今の刑務所はカギでガチャガチャと鍵を開けるのではなく、ボタンをピピッと押して入ります。入った瞬間にホッと安心するのもがありました。それは何故かというと、私がいつも接している福祉施設と同じだと思ったからです。まず高齢者が多い、障害者、車いすの方がいらっしゃる。そしてやっている仕事も障害者の作業所とほとんど変わりません。ですから、すっかり刑務所に入るときの緊張感からは解放されました。高齢者が多いのです。横浜刑務所の場合は65歳以上の高齢者が1割以上です。なぜ高齢者が多いか、これが先ほどの再犯率5割ということに関係します。つまり刑務所から出ても地域社会の中で働く場所がない、住む場所がない、そのために毎日の食事に困ってしまうのです。腹が空く、そこでコンビニに行っておにぎり2個程度を盗んでしまう。するとコンビニの店長がお巡りさんを呼ぶ、お巡りさんが来て「おまえ、70歳も過ぎて、そんなことをしてはいけないよ」と言って始末書を書く。値段にすればおにぎり2個ですから240円です。「こんなことしないで、しっかりとまじめにやるんだよ」と言って釈放するかというと、そうではありません。現在の司法実務は、再犯の場合は必ず送検します。送検してすぐに結審します。懲役刑が出され、再び刑務所に戻る、この繰り返しです。これは現在の法務省の統計ですが、65歳以上の高齢者が5年以内に刑務所に戻る割合は70%です。結局、高齢者は住むところがない、働く場所がない、それでこのようなことを繰り返しているのが日本の実情です。
 また障害者も非常に多い。知的障害者、もしくは知的障害の恐れのある人はだいたい1/7という数字が出ていますが、もっと多いのではないかという人もいます。知的障害の受刑者を調べると、だいたい7回くらい刑務所に入っています。出たり入ったりしている。なぜそうなるのかというと、これも高齢者と同じです。昔であればちょっと刑を犯しても帰るべき家があった。今は刑務所から出所しくると近所から何を言われるか分からないから、「もう帰ってくるな」と言われて突き放される。それが今の実情です。そして働く場所がない。実際に刑務所を出た後働いている人と、働かない人との再犯率の違いを数字で見てみると、働かない人の再犯率は36.3%、それに対して働いている人の再犯率は7.4%です。ですから働けるか働けないかにより、再犯率がずいぶん違うということが分かるかと思います。
 これに対する取り組み状況はどうかというと、法務省が中心に進めています。皆さまも地方自治体で仕事をされていると、元受刑者の仕事はすべて司法行政、法務省の仕事だという意識があるのでしょう。事実、更正保護法(刑を侵した人に対する社会復帰を推進するための法律)第2条第2項には、「地方自治体はこのような更正保護に対して協力することができる」となっています。「しなければならない」ではなく「できる」です。「協力をすることができる」という位置付けですからほとんどの地方自治体はこのことについて関心がないのが実情です。もちろん、地方自治体の中には東京大田区の区長さんのように大変熱心に取り組んでおられるところもありますが、そういうところはむしろ例外です。
 私は法務省の保護司に関する検討会の委員にさせていただいたことがあります。そのときに担当局長にこの更生保護法の規定を変えて、「地方自治体は協力をしなければならない」とした方が良いのではないかと言って、「総務省と折衝した方がいい」と報告書の中に入れていただきましたが、まだ実現しておりません。刑務所出所者も地方自治体の一員であることには変わりはないのですから、ぜひ皆さまも関心を持っていただきたいと思います。
 先ほど受刑者の1/7の方が知的障害を持っていると言いました。知的障害を持っていると療育手帳というものが交付されます。しかし、現在、受刑者の中で知的障害を有している、もしくはその可能性のある人で療育手帳を持っている人はわずか6.3%にしか過ぎません。本来は知的障害ですから、福祉行政の対象として福祉事務所などが支援をするべきだと思いますが、それがなされていないのが実情です。
 その中にあって保護司さんはボランティアの精神でやっていらっしゃいますが、保護司さんの力だけではまだまだ足りないところがあって、なかなかうまくいきません。
 済生会というのは、1911(明治44)年に明治天皇によってつくられました。当時社会の中で困窮状態にある人たち、例えば被差別部落、ホームレス、そのような人たちの支援のためにつくられた病院です。全国で600以上の事業を行い、5万6,000人の職員が働いています。世界で一番大きい医療と福祉を行っている団体です。2010(平成22)年から「なでしこプラン」というものをつくって、この中で刑務所から出て来た人の支援をしようと一丸となって進めています。このような全国的組織の活動は歴史上初めてですが、かなりの効果が上がっています。
 その1つが「地域生活定着支援センター」です。これは刑務所から出て来た人の中で、なかなか就職できない、帰ろうと思っても家から拒否をされてしまって帰れない、そういう人たちに対して特別に調整する国の制度です。それを積極的に引き受けようということで現在は熊本・大分・福井・富山の4つの県の済生会が行っています。
 また、「医療の支援」も行っています。刑務所から出て来た人の中には病気の人が結構います。糖尿病や高血圧、肝臓を患っている人が大変に多いです。そういった場合は医療を提供しています。また、就職するには健康診断書が必要ですが、検診を行い健康診断書を出したり、刑務所から出て来た人たちが福祉施設でボランティア活動を行うお世話をしています。

3.新しい問題が次々に発生する
 同和問題や障害者差別の問題など、古くからある問題もなかなか解決しないのですが、新しい問題も次々に起きています。その1つがホームレスの問題だと思います。「ホームレスの問題は昔からあるじゃないか」と言われれば、そのとおりです。しかし、その内容は今大きく変わろうとしています。私が役人としてホームレス問題をやっていた1998(平成10)年頃、ホームレスの人たちの数は全国で3万人程度でした。今年(2014年)1月の厚生労働省の調査では7,500人です。ずいぶん数が減りました。皆さまの地方でも、もう河川敷でブルーテントを作り、公園で寝ている、駅舎で寝ている、そういう人は少なくなったのではないでしょうか。なぜ少なくなったのか、これは2002(平成14)年にホームレス自立支援法という法律ができて、積極的に生活保護を適用していくことが決められたためです。
 昔は生活保護の適用はできるだけしない方針をとっていました。なぜかというと、美濃部都政時代、ホームレスの人たちにも生活保護を適用するという方針を出し、うまくいかなかったためです。その当時は住所がなくても生活保護が適用できたため、1日の間に生活保護をいくつかの役所で取る人が出てきてしまったのです。そこで、ホームレスの人たちについては住民登録をしている地方自治体でないと生活保護を適用しないという方針に変えました。しかしホームレスの人たちはなかなか住民登録ができませんので、2002(平成14)年のホームレス自立支援法では現在いるところで生活保護を適用しようという方針が取られ、これによりホームレスの人たちがアパートに住めるようになったわけです。しかし、今度はマグネット現象が起きています。これは、ある一定の地域にホームレスの人たちが集まってくる現象です。例えば東京23区・川崎市・横浜市・大阪市・福岡市などです。つまりそこは住みやすいところだということです。
 ホームレスの多くが中高年の人たちです。平均年齢が約60歳です。60歳以上で10年以上ホームレスをしている人が30%を占めています。ここからも、いったんホームレスになるとなかなか脱出できないということが分かるのではないでしょうか。
 彼らは働く意欲が高くて、例えば廃品回収をよくやっています。アルミニウムの空き缶が現在1つ50銭ですが、そういうものを集めて売る。ホームレスの人は怠け者だという先入観がありますけれども60%の人は何らかの形で働いています。また、最近は犯罪の被害に遭う人が多くなりました。若者に襲われるという被害も出て来ています。
 私は1965(昭和40)年頃からスラム街で支援活動をしていますから、50年近くホームレスの人たちと接していますが、1965(昭和40)年頃は30~40代の人が中心でした。それが今では50~60代の人が占めています。随分変わりましたが、その中にあって新しい問題が生じています。何かというと、最近、20歳前後の若い人がホームレスを始めるようになったことです。これが今の特色だと思います。
 実は、これはアメリカやヨーロッパと同じ状況です。アメリカやヨーロッパは若いホームレスが主ですから、ある意味では欧米化してきたともいえるわけです。もう1つの特色は、自分のことをホームレスだと自覚をしていないホームレスが増えていることです。ブルーテントで寝るということはなく、夜はインターネットカフェやファーストフード店で過ごす人たちです。ホームレスの定義は日本と欧米とでは大きく違っており、日本の場合は野宿者をホームレスといいますが、欧米の定義は安定した住居がない人を指します。先ほどのようにインターネットカフェやファストフード店で夜を過ごす人、これも欧米ではホームレスといわれています。その人数はなかなかつかめませんが、民間の推計ですと3~4万人は確実にいるだろうといわれています。先ほどホームレスは3万人から7,500人に減ったといいましたが、実質的なホームレスが増えているのではないでしょうか。これが日本の新しい問題だろうと思います。
 2010(平成22)年から釜ヶ崎に1週間、大阪の8つの病院から100名の医師と看護師、MSW(医療ソーシャルワーカー)を派遣して約1,000人の検診を無料で始めることにしました。今年も9月に行いました。検診には8つの病院の病院長が自ら聴診器を取ったり血圧を測ったりしていることがホームレスの人たちにとってよい効果を与えていると思います。自分たちは決して見放されていない。この感覚が重要です。このような活動を現在進めています。

4.共通する原因
 ここで、「刑務所からの出所者やホームレス人たちがそういう状況にあるのは、自己責任ではないのか、なぜこの人たちの問題を人権問題として捉えなければならないのか」という疑問を持たれる方もいらっしゃるかと思います。しかし、彼らがそのような状態になったのには社会的背景があります。社会に入ろうと思っても住むところがない、社会から受け入れられない、就職するところがない。もちろん本人の責任もあります。しかし大きな社会的要因があるのです。このような理由から、私は彼らの問題を人権問題としてしっかりと正面から捉えていかなければいけないと思っています。
 それではこれらの問題をどのように解決したらよいか、ここがポイントです。そのためにはこれまでにない構造的な原因が背景にあるということをしっかり踏まえなければなりません。それは3つあると思います。第1は社会との関係性。つまり昔は家族や地域社会、企業が何らかの形で助けてくれた。しかし今はそういう機能が乏しくなりました。ちょっと異質な人たちは社会から排除されてしまう。このような社会になってしまったことが第1の原因だと思います。第2の原因は、貧困層がだんだん厚くなってきたことでしょう。それが人権問題と直結しています。高齢者も半分は貧困に近い状況だろうと思います。さらに悪いことに貧困家庭の子どもは、大人になっても貧困に陥りやすいということです。
 第3番目は、社会保障制度がうまく適応していないことが挙げられます。現在の社会保障制度は戦後つくられました。大変立派な制度だと思いますが、この制度はあくまで高度成長期、かつ人口がピラミッド型の状況を見込んでつくられています。今は高度成長期ではないので財政上の余裕がないし少子高齢化で逆ピラミッドになっているため社会保障が追い付いていない。そこに大きな問題があるのではないかと思います。
 この3つの状況が今日の人権問題の背景にあるのです。それではどのようにしたら良いのか、次に解決策を考えなければいけません。実はこの問題は欧米も全く同じです。アメリカもヨーロッパも悩んでいます。

5. 欧米の状況
 それでは、ヨーロッパはどのように取り組んできたのでしょうか。
 例えばフランスでは、ホームレスの人たち、障害者、外国人などが社会から排除されて人権問題になっています。そのために、1998(平成10)年に社会的排除防止法という法律をつくりました。今日副題に掲げたソーシャル・インクルージョンの理念を基にしてこの法律をつくっています。分かりやすく言えばホームレスの人々、障害者、外国人を現在の日本社会のように排除するのではなく、ソーシャル・インクルージョン、まさに社会の一員に迎え入れていこうという施策に変えたわけです。
 それに習ったのがイギリスです。イギリスは労働党のブレア政権のときにこれを大胆に取り入れました。共産主義や資本主義に代わる第3の道を行くべきだと考えたわけです。そのための法律はつくりませんでしたが、首相直轄の社会的排除対策室をつくりました。まさに若者の失業者がイギリスでもだんだん多くなってきた時期です。
 最初に私がイギリスで福祉を勉強したのが1975(昭和50)年。そのときはイギリスの福祉をうらやましく思いました。教会を中心にみんなで助け合っています。高齢者も障害者もボランティア活動で助けられて皆幸せそうに暮らしている。やはりすごいな、日本と随分違うなと思いました。そういうイメージをずっと持っていましたが、そんな時代は過ぎ去ってしまったのです。今では、若者の失業者、障害者、外国人、ホームレスの人々、そういう人はみんな社会から追い出されている。これが20年ぐらい前からのイギリスの状況です。フランスも全く同じです。そこでブレア政権は社会的排除対策室という組織をつくって首相自ら陣頭指揮にたったわけです。この対策には福祉、教育、産業部門、場合によっては警察部門も重要です。いろいろなセクションが関係するので首相直轄の下でこのような組織をつくったわけです。
 また、EUではアムステルダム条約を1997(平成9)年に調印しました。その条約に、「社会的排除に対してEU諸国は戦おう」と明記し、社会的排除対策のために国内計画をEU各国がつくることを義務付けています。
 アメリカではレーガンの時代にたくさんのホームレスが生まれました。そのために「マッキーニ法」という法律が1987(昭和62)年につくられ、これに基づきホームレス対策を熱心に行っています。このようにアメリカやヨーロッパも日本と同じ問題に悩んでいます。若者の失業者、貧困者、障害者、ホームレス、外国人、このような人たちの人権問題が大変深刻になっているのです。

6.ソーシャル・インクルージョンの理念実現のために
 しかし、大きく違う点が1つあります。それは日本の場合、問題が放置されている点です。ヨーロッパの場合は国の重要課題として正面から取り組んでいる。このままでは国家が滅んでしまう、ヨーロッパ全体が滅んでしまうという危機感からやっている。ここが違うのだと思います。そのための政策がソーショーシャル・インクルージョンです。
 それではソーシャル・インクルージョンとは何でしょうか。ホームレスの人も、障害のある人も、誰もが一緒になって地域社会で暮らそう。これが、ソーシャル・インクルージョンの理念です。
 私は、日本では社会的な排除や孤立をしている人が、2,000万人以上、いや3,000万人近くいると思っています。政府の統計では、障害者は人口の6%、788万人ぐらいだといわれていますが、これは少なすぎます。世界の標準ではだいたい人口の10%が障害者だといわれているので、日本では1,000万人以上いると考えなければいけない。刑務所出所者は約3万人、これは毎年累積を出しています。難病患者は数百万人、65歳以上の高齢者が3,000万人、高齢者のすべての人が排除されているわけではありませんけれども、中には孤立死や無縁死をとげる人もいます。引きこもりの若者も200万人ぐらいはいる。重複を除いても、日本には3,000万人くらいの社会的排除や孤立をしている人がいると思われます。1億2,000万人のうちの3,000万人ですから、結構大きい数字ではないでしょうか。
 そして、その人たちは社会的な排除や孤立のために働くところがない、一緒に学び合うところ、一緒に遊ぶところがない。逆に働く場所がないために、社会から孤立をしてしまう、社会から排除されてしまう。この関係にメスを入れない限り人権問題は解決しません。もちろん啓発も大変重要、人権教育も重要です。しかし、それと同時に仕事を作り出さない限り人権問題は解決しないだろうと思います。
 それでは、仕事の現状ですが、まず障害者を例に取ります。障害者の働く場所として、現在2つの種類の職場あります。その一つは公的な職場です。授産施設や小規模作業所、これは大変重要だと思います。しかしそこで働いても月に1万円行くか行かないかというのが実情です。また仕事の種類が少なくて、どうも自分に合わない。自分はもっと高度なことをしたいのに、という人が多いのではないかと思います。これも重要なことだと思います。しかし予算の関係でなかなか一人ひとりの要望には応じきれないというのが現状です。
 第2の職場は一般企業です。一般企業は障害者を2%雇用しなければいけないと法律で決まっていますが、残念ながら今は1.7%しかいっていません。私は一般企業で働けるのが望ましいと思います。済生会は現在2.4%です。やればできるのです。要はトップの指示、意気込みだと思います。確かに企業でも障害者を雇おうとしていますが、なかなかうまくいかない。大企業では障害者雇用率を守っていないと世間や行政から批判されてしまうため、表向きだけ障害者を雇うといった形になっているからではないかと思います。
 福祉行政をやっておられる方はご存じかと思いますが、障害者が働く企業として最もモデル的だと言われたのはイギリスのレンプロイ工場です。1945(昭和20)年に、特に戦争で負傷して戻ってきた兵士のために、障害者が働く場所をイギリス政府が肝入でつくったのです。最盛期は工場が1,000ぐらいありました。働いている人も1万人。このレンプロイ工場が大変素晴らしいということで、世界中から見学に来ました。私も見学しましたが、なぜこれが世界一なのだろうと不思議に思ったものでした。障害者は黙々とつまらなそうに仕事をしていたからです。思ったとおり、昨年の10月に工場はすべて廃止になりました。働いている人たちが「こんなところで働けない」ということで消えていったわけです。やはり仕事の質が問題だと思います。
 日本には、レンプロイ工場をモデルにしてつくった大分県の「太陽の家」という施設があります。ここは世界で一番よい障害者の働く場所だと思います。3年前に大分県の別府市にできた「太陽の家 オムロン工場」です。60名のうち半分が障害者、半分が健常者、そして所長さんは車いすです。そこの何が素晴らしいかと言えば、何をつくるか、どこに売るか、それはすべてそこで働く人たちが考える。オムロンは輸出産業ですから中央に売らなくてはいけないため、製品検査も大変厳しいです。そして競争に勝たなくてはならないので、その60名の方が真剣になって高く売れるもの、たくさん売れるものを開発しています。ですから、みんな生き生きと仕事をしている。そこを見学すると誰が障害者なのか、健常者なのか分からない。それほどみんな生き生きと仕事をしています。
 日本には障害者の働く場所として第1の職場である公的な職場、第2の職場である一般企業、この2つがあるわけでけれども、それだけでは不十分です。それぞれ重要なのですが、それぞれに問題を抱えています。そこで私は第3の職場づくりが重要ではないかと思っています。第3の職場というのは、社会的企業です。つまり第1の職場と同じように、障害者や刑務所から出所した人の仕事場づくりという社会的な目的を有していて、第2の職場と同じように、決して税金をあてにするのではなく、ビジネス的な手法で行う。第1と第2の間を取った混合体、こういうものをつくらないとうまくいかないのではないかと思うのです。2,000万人の中にはいろいろな人がいる。特に刑務所から出て来た人は第1の公的な職場はありません。第2の職場だけでは十分に対応できませんから、第3の職場というものが必要ではないかと思います。
 その1つとして、ソーシャルファームというものがあります。ソーシャルファームというのは社会的企業の1つです。社会的企業には、例えばコミニティビジネスやトラスト制度というものもありますが、ソーシャルファームは、1970(昭和45)年代の北イタリアで生まれました。トリエステという日本の京都のような古い町に精神病院がありました。そこのお医者さんが入院患者に対して「あなたはここの病院で生涯暮らすよりも、退院してどこかで働きながら、通院した方がいい。あなたの健康にもいいし生きがいにもなる」と言いましたが、その患者さんがトリエステで自分を雇ってくれるところを探しても見つかりませんでした。そこでお医者さんに相談すると、その医師は、病院のスタッフと患者さんが一緒になって働く、両者が対等の立場で働く場所をつくったのです。一般的に福祉施設には健常者もいますが、指導やケアのためにいることが多いわけです。それに対してソーシャルファームというのは障害者も健常者も分け隔てなく対等に一緒に働く。このソーシャルファームはイタリアで生まれ、イタリア全土に広がり、ドイツ、イギリス、北欧諸国、フランス、ギリシャ、ポーランド、リトアニアなどに広がり、今では1万社以上に増えています。私は、日本の人権問題を解決し、ソーシャル・インクルージョンを進めるためには、このソーシャルファームが最も有効な手段ではないかと思います。
 ヨーロッパで1万社なら、日本の人口はヨーロッパの1/5ですから、日本に2,000社のソーシャルファームをつくろうと呼び掛けたのが、今から5年前です。今では、これに応じてくれる人が次々に出てきています。例えば、北海道の新得町の共働学舎ではチーズづくりを始めました。そこで働いているのは、サリドマイドで両手がない、長い間引きこもりをしていた、刑務所に長くいたという方たちです。そういう人たち70名が共働学舎でチーズづくりを始め、今では日本でトップのブランドになっています。いろいろと工夫をして自然環境をうまく使い、チーズの上に桜の花びらを乗せた。ブランド名は「さくらチーズ」です。洞爺湖サミットでもこの「さくらチーズ」が使われ、JALの国際線のファーストクラスで出されるチーズはすべて「さくらチーズ」になりました。クロネコヤマトの創始者である小倉昌男さんが「小倉昌男賞」というものを出していますが、今年度の表彰者に共働学舎の宮嶋望代表が選ばれました。
 また、埼玉県の飯能市には、NPO「たんぽぽ」があります。もともとは介護施設を運営していたのですが、飯能市には引きこもりの若者や精神障害を持っている若者がたくさんいるため、こういう人たちに何かをしなければいけないということで、自然農法に基づく野菜づくりを始めました。しかし、農業というのは採算に合いません。そこでイタリアンレストランを開業し、そしてたんぽぽ(自然農法)でできた野菜をこのイタリアンレストランのサラダバーに置いたところ、自然農法でできた新鮮な野菜だということで大変人気を集めています。飯能市の駅前は中心市街地の空洞化で人通りがあまりありませんでしたが、だんだん人通りが戻ってきました。
 また、姫路市に「白鳥城」という城があります。姫路と言ったら「白鷺城」でしょう、となりますが、「白鷺城」に対抗して「白鳥城」という城をつくった人がいます。社会から排除されているホームレスの人や刑務所出所者、障害者が働く場所として、いわばテーマパークとして、できれば白鷺城を見た後に同じ市内にある白鳥城も見てくださいということでつくったわけです。
 また、東京豊島区の「豊芯会」は精神障害者が働く場所として弁当づくりをしています。民間の業者も高齢者の宅配弁当をやっていますから、それと競争して勝たなければいけない厳しい世界ですが、そこで働く精神障害者の人は、何度も確認をするという特性をもっています。「おじいちゃん、弁当届けましたよね」と、何回も確認してくれるので、独り暮らしの高齢者にとっては非常に評判がよく、豊芯会は高齢者の弁当の宅配で現在勝ち抜いています。
 次は、成功するためのポイントです。商品やサービスの質、これが重要です。社会的企業は、なかなか経営が苦しいので住民の方々にも様々な形で助けてほしいと思います。できれば資金的な援助もほしいところですが、お金も暇もないのが普通だろうと思いますので、このための国際協力をいま進めています。私は今年6月にベルリンに行って、ドイツのソーシャルファームの方と「これからお互いに協力し合っていきましょう」と協議をしてきました。また、フランスのジャルダンというソーシャルファームを北海道に招きました。ジャルダンでは3,000人の刑務所出所者が農業をしています。ジャルダンのヘンケルという方が、日本の農作物とジャルダンの農作物を箱詰めで交換したらどうだろうと提案し、その国際協力も現在進めています。そのために2008(平成20)年12月にソーシャルファームジャパンという組織をつくりました。社会から排除される人のための仕事場づくりをしていきたいと始めて現在ようやく100くらいのソーシャルファームが誕生しました。2,000社には道遠しですが、まだまだ頑張っていきたいと考えています。

7.結びとして
 教育の問題も重要です。特に刑務所から出て来た人、障害者、その方々に対しての職業教育、高齢者については生涯教育、若い方については貧困の連鎖を絶つための学校教育も重要だと思います。そして住まいの問題、食事や遊びの問題、このような問題が一緒になってソーシャル・インクルージョンというものが考えられるのではないかと思います。
 人権問題には教育、啓発も重要ですが、私は、具体的な活動により人権が本当に定着するのではないかと思っています。特に皆さま方は県・市町村の第一線で活躍されています。皆さま方の活動こそ心強いものはありません。そのような観点で今後ご活躍をしていただければありがたいと思います。