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研修講義資料

東京会場 講義2 平成26年10月23日(木)

「高齢者の人権~認知症をめぐる現状と課題~」

著者
上野 秀樹
寄稿日(掲載日)
2015/03/17

 皆様おはようございます。上野と申します。本日の講義はこちらのスライド資料を基に行いたいと思いますので、よろしくお願いします。
 私は現在、福井県の敦賀温泉病院という民間精神科病院に勤務していますが、千葉県にある海上寮療養所という民間精神科病院でも働いています。1992(平成4)年に大学を卒業してからずっと精神科医をしています。2004(平成16)年から東京都の巨大な公立の精神科病院である都立松沢病院で認知症精神専門病棟を担当して、それから認知症の方の精神科医療に携わるようになりました。本日の高齢者の人権、特に認知症をめぐる現状と課題については、世間であまり認知されていませんが、私が重要な人権問題と考えていることに関してお話しさせていただきたいと思います。


【認知症とは】
 まずはじめに、認知症とはどのようなものかをお話しします。
                                    (上野作成)
 私たちは生まれたときは知的な能力は低いのですが、生まれてから家庭生活を送り、さらに学校教育を受け、社会生活をしていく中で知的能力が発達します。中には知的能力が十分発達しない方もいて、そういう方は精神発達遅滞、または行政用語で知的障害などと呼ばれます。認知症というのは、一旦正常に発達した知的機能が持続的に低下し、複数の認知機能障害があるために日常生活、社会生活に支障を来している状態のことを言います。知的能力の低下とは今までできていたことができなくなること、例えば、物忘れが目立ってきたとか、周囲の状況が分からなくなったり、理解力や判断力が低下するといったことで明らかになります。認知症の予備軍である軽度認知機能障害(MCI Mild Cognitive Impairment)というのは、「認知機能は低下しているが、日常生活・社会生活に支障を来たしていない状態」のことをいいます。こういう方のうち、毎年だいたい1割ぐらいが認知症の状態になると言われていますが、単なる老化に伴う正常な物忘れの状態でずっと経過する方もいます。ですから予備軍と言われていても、全員が認知症になるというわけではありません。

 認知症の中には若年性認知症の人もいらっしゃいますが、圧倒的に高齢者が多いです。高齢により身体機能が低下すると、いわゆる身体障害のような状態になります。認知機能が低下すると、いわゆる物忘れが目立ち判断力が低下し、知的障害とほぼ同じ状態を呈します。また、一部の認知症の人の中には行動・心理症状と言われる精神症状が認められるようになる方もいます。行動・心理症状というのは、不安や抑うつ状態、実際にはそんなことはないのに物を盗られたと訴える物盗られ妄想や、誰もいないのに子どもが遊んでいると訴えるなどの幻視、何か聞こえてくるという幻聴、行きたい場所に行くことができずに迷ってしまう徘徊などの精神症状です。この症状は精神障害の人の症状とほぼ同じです。このように、認知症になると身体障害、知的障害、精神障害の従来の分類による三障害すべてが出現する可能性があります。

 認知症の最大の危険因子は、私たち人間が高齢化することです。ということは誰でも高齢になれば認知症になる可能性があるということです。年齢が上がれば上がるほど認知症になる可能性がどんどん上がっていきます。残念ながら、現在の医療には認知症の完全な予防法や、完全な治療法は存在していません。
 これまでの私たち人類の歴史は、暮らしやすい社会を求めて試行錯誤してきた歴史ではないかと思います。先祖の大変な努力の中で、特に衛生環境が改善して私たちは高齢になっても生きられるようになりました。人口の高齢化が進んだことによって、認知症という避けられない問題が生じてきたのです。私たちは今、「認知症の人が暮らしやすい社会をつくる」という課題を突きつけられているのではないかと思います。

 認知症の人が、例えばどこかへ行きたいと思って、行き方が分からないために迷っていると徘回と言われてしまいます。しかし、普通の人でも道に迷って目的地に行き着けないことは珍しいことではありません。また、認知症の人が心ない人にだまされて大切な財産を奪われてしまうこともあります。しかし、ときどき報道されることがありますが、普通の人でも巧妙な詐欺に引っ掛かってしまい大切な財産を失うこともあります。
 このように考えると、認知症の人が感じている社会の中での暮らしにくさというのは、普通の人の暮らしにくさと連続していると言えるのです。そして、障害のある人の暮らしにくさも、障害のない人の暮らしにくさと連続しています。つまり、認知症の人や障害のある人が暮らしやすい社会をつくることは、結果として誰もが暮らしやすい社会をつくることにつながるのです。

 私たちが、いま行うべきことは、万が一認知症になってしまっても、社会側の要因を変えることによって、誰もがこれまでと同じように、生き生きと生活ができる社会をつくることではないでしょうか。私たちが工夫すれば、認知症の人が、普通に日常生活・社会生活を送れる社会をつくることは可能なことだと思います。

【日本における認知症の現状】
 2013(平成25)年6月に筑波大学の朝田先生を班長とした厚生労働省の研究班が、日本には認知症の方が462万人、その予備軍である軽度認知障害(Mild Cognitive Impairment)の人が400万人いると発表しました。これは現在の日本の人口からすると65歳以上の4人に1人が認知症もしくはその予備軍という数字になります。認知症の462万人という数字は、65歳以上で15%ぐらいになります。この有病率は他のOECD諸外国に比較してかなり高いのです。他の国は7~10%ですが日本は15%ですから非常に高いのです。

 私は日本の福祉政策の誤りが日本の認知症有病率の高さに関係しているのではないかと考えています。何十年も前のことですが、「障害のある人は、地域の中で暮らすより、特別なケアができる施設で一生涯生活した方がいい」という考え方が一般的であった時代がありました。その頃、身体障害・知的障害のある人が生活する施設や精神障害のある人が入院する精神科病院を民間にたくさんつくらせたのです。このために、現在の日本には極めてたくさんの民間精神科病床があります。それを裏付ける「2つの2割」という話があります。その1つは、全世界にある精神科の病床175万床のうちの2割にあたる34万床が日本にあるというものです。もう1つは、日本におけるすべての病院の病床170万床のうちの2割が精神科病床だというものです。それほど日本にはたくさんの精神科病床があるのです。しかし、入院が必要な精神障害者が日本にだけたくさんいるというわけではありません。実際は、入院の必要のない人を病院に入院させているのです。病院を民間事業者につくらせてしまったので、精神科病床の必要性が失われているにもかかわらず、閉鎖することができないからです。民間の事業者は保有する設備を最大限に利用しなければ事業の継続ができません。私の勤務する民間精神科病院もそうですが、病床をほぼ満床の状態にしていないと赤字に転落してしまうのです。現在、精神障害に関しては治療技術の進歩や社会の変化により、長期入院や入院が必要な人が減っていますので、その分、当然ベッドに空きが出てきます。そこで、多くの精神科病院ではその空きベッドに認知症の方を入院させています。それが極めて問題であるということをこれからお話しようと思います。

【精神科への入院問題】
認知症の人の精神科への入院問題です。

        病院に入院中の    精神科病床に入院中
        認知症の人の数    の認知症の人の数
平成11年     54,000人         36,700人
平成14年     71,000人         44,200人
平成17年     81,000人         52,100人
平成20年     75,000人         51,500人
平成23年     80,000人         53,400人

 厚生労働省の患者調査によると、1999(平成11)年には内科、外科を含んだすべての病院に認知症の人が5万4,000人入院していました。そのうち精神科の病床には3万6,700人が入院していました。それが2011(平成23)年にはすべての病院で8万人、精神科病床では5万3,000人と、精神科病床に入院する認知症の人の数が1.4倍に増加しています。
 現在の日本では、社会の認知症に関する理解と認知症の人に対する支援が不十分なために精神症状を生じてしまう認知症の人たくさんいます。精神症状がある認知症の人を支援する社会制度も不十分なので、認知症の人の精神科入院ニーズが高い状態が続いているのです。この認知症の人の高い精神科入院ニーズと入院する人を集めたい精神科病院のニーズがぴたりと一致して、認知症の人の精神科入院が増えているのです。

 ここで、認知症の人が精神科病院に入院したケースを見ていただきたいと思います。

<DVD映写>
関東地方に住む55歳の男性の話。15年前に母親を亡くして以来、設備関係の仕事をしながら父親と二人暮らしをしていた。父親は昨年秋にけがで入院したことをきっかけに、夜間に大声を出すなどの認知症に伴う夜間せん妄の症状が認められるようになった。男性は仕事を休んで父親の介護をしたが、一人では限界だったという。特に目を離すことができず、一晩で20回以上トイレに行ったりして、夜間に眠れなかったことが大変だったという。
 介護施設やデイサービスを試したが、父親は「家に帰りたい」と言っては職員に暴力を振るうようになった。施設からは、対応が難しいと言われて、今年の2月にやむを得ず父親を精神科病院に入院させたという。症状が落ち着けば、自宅で又一緒に暮らしたいと考えていたのである。しかし、男性はすぐに後悔したという。面会に行くと、父親は両手両足を縛られ、ベッドに拘束されていたのである。「帰りたい」と言って介護に抵抗するためと病院側は説明した。
<コメント>
 認知症の人が気に入らない介護施設やデイサービスから「家に帰りたい」というのは当然のことです。同じく精神科病院に不本意に入院させられたら、「帰りたい」というのは当然です。「当然のことを主張している認知症の人」を静かにさせるためには物理的に拘束するしかないわけです。
<DVD映写>
 男性の父親はベッドに拘束されていて、目は開いていたのですが、涙を出していました。男性が看護師に頼んで、拘束をほどいてもらうと、なんと父親は立ち上がって、ナース・ステーションの方を向いて「どうもすみませんでした」と謝ったという。これを聞いて、男性はすぐに退院させようと思ったという。
<コメント>
 拘束されていた父親が拘束を解いてもらって、ナース・ステーションの方を向いて謝ったという出来事に、現在の日本の精神科医療の問題点が凝縮されています。精神科医療は精神保健福祉法で規定されています。1900(明治33)年に日本で精神障害に関する法律である精神病者監護法が成立しました。この法律は、社会に問題を起こす可能性がある精神障害の人の社会からの隔離と管理を目的とした法律でした。法律の名前は変わりましたが、精神保健福祉法もその立法趣旨に同じ思想が流れています。そして精神保健福祉法に基づいて医療を提供していると知らず知らずのうちに、上から目線の管理的な医療を提供するようになってしまうのです。隔離や拘束などの行動制限も、「指示に従えない患者に行動制限するのは当然」「暴れる患者の安全のためにやっている」という意識になってしまうのです。

<DVD映写>
 男性はすぐに受け入れ先を探したが、なかなか見つからなかった。その間も父親は「転倒防止」などの理由で車いすに拘束され続けた。自分でトイレに行けるにもかかわらず、オムツを着けられた。さらに薬の副作用で寝ている時間が長くなり、日に日に衰えていったのである。
<コメント>
 あくまでも私の経験上ですが、精神科病棟は「自らの意思で生きることをあきらめさせる場」となってしまっていることがあります。物理的な拘束、精神科薬物療法による化学的な拘束を利用して、例えばこのケースであれば「家に帰りたい」と言ったり、介護に抵抗しなくなること、人としての当然の思いをあきらめさせることを目指している場合があります。「自分でトイレに行けるにもかかわらず、オムツを着けられてしまう」、人間にとってこれ以上の屈辱があるでしょうか。まさに、ありとあらゆる方法を利用して、「自らの意思で生きることをあきらめ」させているのです。
 現在、精神科病棟にたくさんの人が長期入院していることが問題になっています。精神科への入院には、医療保護入院、措置入院などの自らの意思によらない非自発的入院(現在約13万人)と自らの意思による入院である任意入院(現在約17万人)の2種類の入院があります。問題は自発的な入院であるはずの任意入院の方にあります。実は、任意入院には入院の自由はありますが、退院の自由はないのです。「退院したい」と言った途端に退院制限をかけられて、すぐに非自発的入院に変更されてしまうからです。というわけで任意入院を継続している人は、「退院したいと言わなくなった人」なのです。その証拠に、非自発的入院より任意入院の方が長期入院者の割合が高いのです。1)

<DVD映写>
 1ヶ月半後、父親はようやく介護施設に移ることができたが、その直後に重症の肺炎を起こし、自宅に戻れないまま息を引き取ったという。精神科病院に入院してから5ヶ月後のことであった。男性は、「まさかこんなことになるとは。入院する前は夢にも思わなかった」と述べた。
<コメント>
 重症の肺炎、これは鎮静のために処方された抗精神病薬の副作用である嚥下障害により生じた誤嚥性肺炎です。

 これは2010(平成22)年頃の出来事です。この話の中に出て来た病院は精神科病院がつくった認知症専門病院でした。この方のお父様が入院されたのはその専門病院ができて1年たった頃ですからまだ新しい病院でした。ホームページには素敵なことが書いてあります。
 でも残念ながら、医療の内容は貧弱でした。病棟は閉鎖病棟で鍵がかかっていて外に自由に出られません。他の人が盗ってしまうトラブルを避けるために、私物などは全く置いてありません。ベッドやポータブルトイレ以外に何もないとても殺風景な病室です。多床室にはベッドの周囲にカーテンなどもないので、プライバシーも保たれません。こうした状況では、薬物療法が治療の要になります。しかし、こちらの病院では入院中にも関わらず、4週間処方がなされていました。治療の要のはずの処方内容を4週間も調整していないのです。
 恐ろしいことに、このようなケースは精神科病院では決して珍しくないのです。

 このように認知症の人が精神科に入院するデメリットは極めて大きいのですが、日本では認知症の方を精神科に入院させています。これは極めて異常な状況であるといえます。それでは、なぜこのようになってしまったのかということを説明しようと思います。

 日本の精神科医療には幾つかの特徴があります。まず1つ目は精神科の病床数が多いということ。先ほど「2つの2割」というお話しをしましたが、全世界の精神科病床175万床の2割の34万床が日本に集まっています。OECD加盟10カ国の精神科病床数の推移では、他の国々は1970年代にはどんどん減らしているのに日本だけ高止まりしています。1960年以降に急増し高止まりした状態です。

精神科病床数の推移
    (厚生労働省社会・援護局障害保健福祉部 精神・障害保健課
         医療計画(精神疾患)について 平成24年4月27日説明会資料)

 人口1万人あたりの精神科病床数は、イタリアなどは1万人あたり1床のところ日本は28床もあります。群を抜いて多いのです。

2011年 平均在院日数 
OECD HealthData Hospital average length of stay by diagnostic categories
Mental and behavioural disorders 2010
日本のデータは2010(平成22)年病院報告

 そして日本では、長期の在院者数が多いのです。OECDのデータをみると他の諸国に比較して日本は301日と入院日数が長いのです。20年、30年と入院している方も結構いて、私が勤務していた都立松沢病院は創立130年ぐらいになる巨大な精神科病院ですが、そこでは10代で入院されて80歳で亡くなるまでずっと入院していたというような人もいらっしゃいました。

精神科病院と一般病院の比較
(平成25年厚生労働省 医療施設(動態)調査・病院報告、社会医療診療行為別調査)
 精神科病院は、病棟の人員配置が少なく低コストで運営されています。2013(平成25)年の厚生労働省の報告書から精神科病院と一般の病院を比較すると、精神科病院においては、平均在院数が一般の病院は17.2日、精神科病院は284.7日です。100床あたりの医師の数と看護職員の数を見てみますと、精神科病院:医師3.5人、一般病院:医師15.0人。看護職員も精神科病院:32.7人、一般病院:61.0 人、という形で一般の病院に比べて医師の数は約1/4、看護職員の数は約1/2となります。
 日本は国民皆保険ですので入院中に掛かるコストはレセプト(医療報酬)の点数で分かります。1点が10円ですので、1日あたり精神科病院:1万2,649円、一般病院:4万4,046円ですから収入は一般病院の1/3ほどになります。そして精神科病院は民間病院の割合が高く87.9%です。
 ここでご理解いただきたいことは、精神科病院は単位ベッドあたりの医師の数が少なく、看護職員の数も一般病院の2/3、レセプト(医療報酬)の点数も1/3であること。そして民間病院が9割を占めるということです。
 さらに言えば、病床利用率が88.1%で高く、常にほぼ満床の状態で運営しています。そうしないと事業が維持できないという特徴があります。

このように、日本の精神科医療には、
・精神科病床数が多いこと
・長期在院患者さんが多いこと
・病棟の人員配置が少なく、低コストで運営されていること
という特徴があります。

 どうしてこんな特徴があるのでしょうか?それは、病棟に住んでいる患者さんがたくさんいるからなのです。
 病棟に住んでいる人がたくさんいるため、病床数はたくさん必要になります。住んでいるので長期在院の方が多くなります。さらに、住んでいるだけですので医師や看護職員の数もあまりいらないし、コストもあまり掛からないということになります。

 「これでもいいのではないか」という人もいます。しかし、必要の無い精神科入院はきわめて害悪が大きいのです。病院内では入院患者さんの残された能力を生かすような運営はほとんどできません。食事も上げ膳・据え膳で、清掃も病院側で行うため寝ているだけの生活になりがちです。病棟で生活していると社会生活能力が奪われていってしまうのです。
 私たちが回診をすると、患者さんからよく「私だけは退院させないでください」と頼んでくることがあります。これは、決して病院での生活が好きだから言っているのではありません。入院していることで社会生活能力が奪われてしまい、社会での生活することが不安でおそろしくなってしまうのです。

2015(平成27)年1月30日朝日新聞に掲載された山本深雪さんの記事です。
<引用はじめ>
■20~30年、限度を超えている NPO大阪精神医療人権センターの山本深雪・事務局長
 私はうつ病で3回入院した。若いころ、閉鎖病棟に1カ月入ったことがあるが、3週間もたつと外を歩く自分が想像できなくなる。ベッド周辺の空間が安心で平和な世界になってしまう。
 3週間目にコーヒーを飲みたくなり、勇気を振り絞って医師にお願いして外出したが、10年以上入院していた同室の女性に「勇気がある」と声を掛けられた。「看護師がいる詰め所を通って外に出て、またそこを通って、身体・持ち物検査を受けて戻るなんて怖くてできない」と彼女は言った。
 詰め所は、患者にとっては恐怖の第一関門。生意気と見られると、薬の量が増えるのでは、保護室に入れられるのでは、などと考えてしまう。看護師ににらまれるのは怖い。だから、患者は自分を守るために思いを口にしなくなる。
 当初は朝目が覚めて、隣に同室の人の顔が見えてギョッとしていたのに、入院していると普通になる。私の感覚では、入院が1カ月を超えると生活力が落ちる。自分に自信がなくなり、「生きる力」を奪われる。治療に入院の必要のない人が7万人も入院しているという推計もあり、20~30年も入院させるというのは限度を超えているのではないか、と私は思う。
     ◇
 やまもと・みゆき 1985(昭和60)年設立の「NPO大阪精神医療人権センター」事務局長として、精神科病院を訪問して患者の声を聞いたり、入院患者から電話相談を受けたりして、病院に改善を申し入れるなどの活動を続けている。
<引用終わり>

【日本の精神科医療政策のあやまち】
 私は日本の精神科医療政策には、過去に幾つかのあやまちがあったのではないかと思っています。

・第一のあやまち 精神科特例による運営上のメリット(1958(昭和33)年)と医療金融公庫の創設(1960(昭和35)年)による民間精神科病院建設への低利融資により、隔離・収容型の精神科医療政策をとったこと
・第二のあやまち 診療報酬上の精神科療養病棟制度をつくり、(結果として)社会的入院患者の入院を維持するシステムを作ったこと
・第三のあやまち 精神科病院に認知症の人を入院させていること

 一つめは、昭和30年代に民間の精神科病院をたくさんつくり、収容型の精神科医療政策を取ったことです。
二つめのあやまちは、診療報酬上の精神科療養病棟という制度をつくったことです。これは将来の医療費の予測をしたかった旧厚生省が導入した包括払いの病棟です。「療養」を目的とした病棟なので、一般の精神科病床よりもマンパワーは少なく設定され、かわりに広めの廊下幅や広めの一人あたりの病床面積などの施設基準が定められています。精神科療養病棟では、マンパワーが少ないため、精神症状が激しい人は入院させることができません。そして、通常は出来高払いの医療費の支払いが、包括払いになっているため、手間がかからない人、医療の必要性が少ない人に入院してもらった方が利益が上がるような仕組みになってしまっています。いわゆる「社会的入院患者」、入院の必要性が低いのに入院を継続している患者を維持するような制度になってしまっているのです。
 精神科療養病棟から一人退院したとしましょう。空いたベッドに精神症状が激しい人を入院させることはできないので、同じように手間がかからない、医療の必要性が低い人を探し出して、入院してもらうことになります。精神科療養病棟がある限り、精神科の「社会的入院患者」は解消することはないのです。現在、精神科療養病棟は全国に約10万床あります。


        (厚生労働省 第2回精神科医療の機能分化と質の向上等に関する検討会資料)

 もうひとつのあやまちは、精神科病棟に認知症の人を入院させていることです。
 精神科病棟は生活の場ではありません。他の入院患者さんとのトラブルを避けるために、病室内には私物は何も置けず、私物庫に保管させています。何か音がしたときに、看護職員やスタッフが行って見渡せるように、プライバシーを守るためのカーテンもありません。基本的に日がな一日、ずっと座っているような生活です。そしてこの写真にあるように部屋の真ん中に普通にポータブルトイレがあって、他の人の面前で排せつをさせるということが行われます。このように病院の入院環境は、認知機能の低下した人の不安をかき立てたり、混乱を引き起こしかねないもので、認知症の人にとって「治療的」とは言えないのです。

【日本の精神科医療政策の問題点】
日本の精神科医療の問題点は、
・過剰な精神科病床が存在すること、その9割が民間病床であること
・精神保健福祉法の問題
の2点に集約されます。

 諸外国では、「精神障害のある人も地域で一緒に暮らすことができる社会をつくる」という考え方が生まれてきたときに、政策の変更で精神科病床を減らすことができました。これは、国公立の精神科病院が多かったからです。翻って日本では、9割が民間病床です。民間事業者は、その保有する設備を最大限活用しないと事業を継続することができません。日本の民間精神科病院の売り上げの大部分は、入院関連の収入です。日本では民間精神科病院が多く、政府がその経営に特別な配慮をしているために病床を減らすことができないのです。

 もう1つの問題点、精神保健福祉法に関して考えてみましょう。精神科医療は特別法である「精神保健福祉法(精神保健及び精神障害者福祉に関する法律)」で規律されています。
 精神保健福祉法は、決して精神障害のある人の自立支援、自己決定権行使のための法律ではなく、精神障害者の社会からの隔離・収容のための法律であり、深刻な問題点を内包しています。この法律に従って医療を提供していると、自然に上から目線で管理的な医療になってしまうのです。

 日本ではじめて精神障害に関する法律が出来たのは1900年(明治33年)の精神病者監護法でした。精神病者監護法の立法趣旨は、問題を起こす可能性のある精神障害者の社会からの隔離と管理でした。以下、精神病者監護法の審議が行われた第13回帝国議会の記録です。

第13回帝国議会貴族院第一読会記録(1899(明治32)年1月16日) 「精神病者について社会に乾咳を流しまするのは意想外に大なるものであります。民法上に於いて規定はありますけれどもこれが民法に規定するところは主に財産上のほどでございまして、此精神病者という者について社会に障害を及ぼすごときについての規定ではございません。依ってこの法律を制定して右等の者を能く保護して遂に社会に患害をなきように致したいという目的であります。」

 そして、精神病者監護法では、自宅に牢屋のような監置場所をつくって、そこに精神障害者を監置するという、世界に類のない私宅監置制度(座敷牢)が認められました。この私宅監置制度を管理したのは、内務省-警察です。私宅監置された精神障害者は、十分な医療やケアを受けることはなく、多くは悲惨な状況に置かれていました。そして、その実態を調査した東京帝国大学 呉秀三教授は、「わが国十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸のほかに、この国に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」という言葉を残しました。
 こうした悲惨な私宅監置制度の弊害を解消するため、公立の精神科病院の建設を目的として1919(大正8)年に精神病院法が制定されました。

内務省衛生局長の第41回帝国議会への提案理由の説明です。
「精神病者に関する唯一の現行法、精神病者監護法は公安上から単に監置患者の取締を主としており、名は監護であるものの、実は監置法であって救護法ではなく、監護する設備については何らの規定をもたない。(中略)その実態を視察した者の話では、これを口にするにも忍びなく、家畜を取り扱うよりももっと酷い扱いされているとのことで、国家の一大不祥事と考えている。又、監置を要しない患者の多くは、適当な保護治療を受けることができず、時に犯罪を犯し、その数は年々150名を下らず、公安上も放置しておけないのが実情である。これらの患者を収容する場を私人に任せている現状から脱して、国家と地方団体が協力して施設を造ることが必要なることは申すまでもない。」「道府県立の精神病院については、毎年、全国で2,3カ所を造らせる考えである。」

 残念ながら、第一次世界大戦後の経済事情の悪化で、公立病院の設置は進みませんでした。戦後になって、ついに私宅監置制度は廃止されることとなり、都道府県に公立精神科病院設置義務を課した精神衛生法がつくられました(1950(昭和25)年)。その後、1954年(昭和29年)の患者調査で全国に精神障害者が約130万人、うち要入院の状態の人が35万人存在していることが明らかになりました。このときの精神科病床数は約3万床です。何万人もの人が私宅監置に近い状態に置かれている可能性があったのです。
 入院設備の整備が急務とされましたが、このときも公的病院の整備は「財政難」を理由として遅々として進みませんでした。後回しにされたのです。その代わり、国では1958(昭和33)年に厚生省事務次官通知として精神科特例(精神科病棟においては一般科病棟に比較して、医師数は1/3、看護師数は2/3でいいとして、精神科病院に運営上のメリットを与えたもの)を出しました。さらに1960(昭和35)年に医療金融公庫が設立され、民間精神科病院の建設に低利融資が行われたことで、「民間精神科病院ブーム」といわれる状況が起きました。
 1964年(昭和39年)に精神障害の青年がアメリカの駐日大使を刺傷したライシャワー事件が起きました。この事件で、東京オリンピック開催を目前に控え、日米の政治問題化を避けるための政府による過剰ともいえる反応と「危険な精神障害者を野放しにするな」という世論の盛り上がりがもたらされました。こうして、旧厚生省は精神障害者の収容政策に大きく舵を切ったのです。
 その後、宇都宮病院事件などの精神科病院不祥事の多発をうけ、精神保健法(1987(昭和62)年)と名前が変わり、1995(平成7)年には精神保健福祉法となりました。
 法律の名前は変わりましたが、精神保健福祉法の立法趣旨は精神病者監護法の昔と変わらず、「社会にとって困った存在となりうる精神障害者に医療及び保護を与えるという名目で、社会から隔離・収容すること」です。

 私たち精神科医は、精神保健福祉法に則って医療を提供するように訓練されます。そして、精神保健指定医の資格を持つと強制的な入院の決定や入院中の行動制限の指示が出せるようになります。精神保健指定医は、5年間以上の臨床経験(うち3年以上の精神科臨床経験)を持つ医師が所定の講習を受講し、8例の症例レポートを提出し合格すると厚生労働大臣から与えられる資格です。
 8例の症例レポートの採点ポイントは、精神保健福祉法に定められた非自発的入院制度や行動制限の制度に関してきちんと理解しているかどうか、です。

精神保健福祉法
第一条(立法趣旨)  この法律は、精神障害者の医療及び保護を行い、障害者の日常生活及び社会生活を総合的に支援するための法律(平成十七年法律第百二十三号)と相まつてその社会復帰の促進及びその自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助を行い、並びにその発生の予防その他国民の精神的健康の保持及び増進に努めることによつて、精神障害者の福祉の増進及び国民の精神保健の向上を図ることを目的とする。

 この第一条の立法趣旨にあるように、精神障害者の自立や自己決定権の行使の支援がはじめに掲げられてはいません。まず、「精神障害者の医療および保護」が第一に掲げられています。また、「その社会復帰の促進及びその自立と社会経済活動への参加の促進のために必要な援助」と書かれているように、まず、精神障害者が社会から排除されていることを前提とした記載になっています。

 また、精神保健福祉法には行動制限に関する規定があります。隔離や身体拘束という行動制限は、極めて大きな人権制限であり、なるべくやってはいけないということで、介護保険施設等では原則禁止されています。しかし、精神科医療では行動制限は合法的に可能です。そして、精神保健福祉法に規定されている行動制限の手続きは、一人の精神保健指定医に権限が集中しており、本人の権利を守るための仕組みがありません。精神保健指定医の恣意的な判断による行動制限を防止することができない制度設計になっており、「個人の尊厳を尊重し、人権に配慮した適正手続き」とはいいがたいものです。改善のためには、本人の権利を守る仕組み、例えば、入院患者一人一人に権利擁護者をつけるなどの仕組みが必要です。
 行動制限の規定に象徴的にみられるように、精神保健福祉法は入院している人の権利を擁護する法律にはなっていないのです。

 2010(平成22)年、厚生労働省 社会援護局 障害保健福祉部が所管した審議会「新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム第2ラウンド」で、認知症と精神科医療に関して議論が行われました。その中で「精神病床における認知症入院患者に関する調査」が行われたのです。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000000vx12.html

 これは、精神科病院における認知症入院患者に対する医療の状況、患者の状態等に関して、既存の調査で把握されていない点を調査したものでした。その結果です。入院患者の平均年齢は78.3歳で女性が少し多く、調査した2010(平成22)年9月15日現在の平均在日数が944.3日でした。


        (厚生労働省 新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム第2R
              「精神病床における認知症入院患者に関する調査」)

 先ほど日本の精神科の入院日数がとても長いと紹介しましたが、それでも約300日です。認知症の人が入院すると何と900日を越えているのです。おそらく亡くなるまで入院することになるのでしょう。しかしそれでも治療の成果が上がっていれば、それでもいいかもしれません。

 次の調査結果を見てみましょう。入院している人に「退院してその後の居住先、生活の支援が整った場合の退院の可能性」について調査したものです。平均944.3日入院している状況で「支援が整えば退院が可能」という人はわずか2割でした。「状態の改善が見込まれるので居住先、支援など新たに用意しなくても近い将来6か月以内には退院が可能」という人は0.9%。「状態の改善が見込まれるので居住先、支援が整えば近い将来6か月以内には退院が可能」になる方が16.5%。ですから、約4割の方は退院が可能ということになります。しかし、「状態の改善の見込みがなく、また、居住先、支援が整ったとしても近い将来6か月以内の退院の可能性がない」という方が62.3%もいるのです。


          (厚生労働省 新たな地域精神保健医療体制の構築に向けた検討チーム第2R
              「精神病床における認知症入院患者に関する調査」)

 入院して2~3日とか1週間目の調査結果だったら分かりますが、そうではなく平均944.3日入院している状態で、退院の可能性がないという人が全体の62.3%にもなるのです。このように認知症の人は精神科病院に入院させられても、残念ながら十分な治療効果を期待できないのです。
 現在の日本では、認知症で精神症状が認められるようになった人を簡単に精神科病院に入院させたり、ご家族のレスパイト目的の精神科入院などもごく普通に行われています。しかし、これは諸外国ではあり得ないことです。そして、極めて大きな人権侵害の可能性があるということをぜひ理解してください。

【認知症になると】
 認知症は圧倒的に高齢者が多いのです。認知症になると高齢化による身体機能低下という身体障害、そして認知機能障害はほぼ知的障害と同じ障害です。さらに一部の認知症の人には行動・心理症状などの精神症状が生じてきます。つまり認知症になると従来の分類による三障害すべてが出現する可能性があるのです。

【医療モデルから社会モデルへの転換】
 最近、障害に関する考え方が大きく変わりました。医療モデルから社会モデルへの転換です。従来の医療モデルという考え方では、例えば目が見えない人、耳が聞こえない人、手足が動かない人がいるとすると、そうした障害問題の原因を機能しない体の部分の求める考え方が一般的でした。こう考えると、障害問題を解決するには、見えない目を見えるようにすること、聞こえない耳を聞こえるようにすること、動かない手足を動かせるようにすること、すなわち、治療やリハビリが重要になります。残念ながら、いくら治療をしてもリハビリをしてもこうした機能しない体の部分が回復しない人がいます。医療モデルにおいては、障害者は「克服がうまくいかなかった気の毒な人」として社会の同情や保護の対象とされることが多かったのです。

 今年(平成26年)1月、日本も障害者権利条約を批准しました。障害者権利条約で採用されたのは、障害に関する社会モデルの考え方です。社会モデルにおいては、障害者が日常生活または社会生活において受ける制限は、身体障害、知的障害、精神障害、その他心身の機能の障害のみに起因するものではなく、社会における様々な障壁と相対することによって生ずると考えます。
 例えば3階建ての建物で、上下の移動手段として階段しかないとします。この建物では両下肢が麻痺した車いすの方は上下階の移動が不可能なので生活に支障が生じることになります。しかし、もし上下の移動手段がロッククライミング用の壁しかない建物があったとしたらどうでしょう。五体満足の「普通の人」でも上下階の移動は不可能になりますね。ある社会の中で、誰が生活上の支障を感じるかというのは、本人の要因だけではなく、社会の側の要因でも決まってくるということなのです。
 同じように、すべての通路が段差なく平坦であれば、車いすの方も自由に通行できます。しかし、すべての通路に10センチ、20センチの段差があった場合、車いすの方はなかなか通行できません。さらに、もし、すべての通路に2メートルの段差があったとしたら、五体満足の「普通の人」も通行できないことでしょう。社会生活・日常生活上の支障の有無というのは、車いすを使っているなどの本人の要因と同時に社会の側の要因でも決まってくるということです。
 認知症においても、従来の三障害すべてが出現する可能性があります。障害の社会モデルの考え方を応用すれば、私たちの社会のあり方を変えることによって、認知症の人が生き生きと暮らせる社会をつくることができるのです。

【国の認知症施策の大転換】
2012(平成24)年6月18日、厚生労働省から国の認知症施策の基本方針が発表されました。とても重要な政策転換でした。発表された文書は「今後の認知症施策の方向性について」というものですが、インターネットでダウンロードができます。
http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/dementia/houkousei.html

 この文書を基に、3か月後の2012(平成24)年9月に認知症施策推進5カ年計画(通称オレンジプラン)が策定され2013(平成25)年度から開始されています。

 この文書が策定された背景をご紹介します。
 話は第2次世界大戦にさかのぼります。第2次世界大戦の反省から1945(昭和20)年に発足した国際連合では、1948(昭和23)年の世界人権宣言で「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利について平等である」とされるなど、一貫して人権保障が重要な課題とされてきました。世界の人口の約1割をしめると言われている障害者の人権に関する取り組みは、昭和40年代半ば頃から本格化しました。1975(昭和50)年に「障害者の権利宣言」が採択され、1976(昭和56)年には「障害者の完全参加と平等」を掲げて、「国際障害者年」が設定され、1978(昭和58)年から1992(平成4)年まで「国連障害者の十年」の取り組みがなされました。そして、平成10年代に入ると「障害者を含めたすべての人を包摂することが、すべての人にとって豊かな社会を作り出す方法である」という意味を込めた「万人のための社会(society for all)」という言葉が使われるようになりました。平成13年から検討が始まった障害者権利条約は、2006(平成18)年に国連総会で採択され、2008(平成20)年5月に発効したのです。
 日本は2007(平成19)年に署名しました。外務省はすぐに条約を国内法として有効にする手続きである「批准」をするつもりだったようですが、障害者権利条約に反するような差別的な法制度がたくさんある状態で批准すべきではないという障害者団体の強い反対があったのです。その後、内閣府 障がい者制度改革推進会議などで関連法制度の整備を積極的に行い、ました。特に問題が多い精神保健医療分野に関しては、厚労省社会援護局 障害保健福祉部 精神・障害保健課が担当した審議会「新たな地域精神保健医療体制を構築するための検討チーム」で検討が行われました。そして、この検討チームの第2ラウンドで「認知症と精神科医療」に関して議論が行われたのです。ちなみに、第1ラウンドでは「精神科のアウトリーチ医療」、第3ラウンドでは「保護者制度」に関して検討が加えられ、昨年(2013(平成25)年)の精神保健福祉法の改正につながっています。

 

 第2ラウンドでは、認知症と精神科医療、特に増え続けている「認知症の人の精神科入院の問題」に関して活発な議論が行われました。とりまとめの段階で、民間精神科病院の団体である日本精神科病院協会出身の構成員と事務局が進めようとした「入院期間を短くするだけの目標値」設定に一部委員が強く反対したのです。
http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r9852000001xah3.html

 日精協出身構成員と事務局が設定しようとした「退院に着目した目標値」(報告書15ページ以降)は、2020(平成32)年度までに、精神科病院に入院した認知症患者(認知症治療病棟に入院した患者)のうち、50% が退院できるまでの期間を2ヶ月以内とするというものでした。しかし、これはほとんど意味の無い目標設定です。
 たとえば、ご家族のレスパイト目的での短期間の精神科病棟入院を入れれば、この目標値は簡単にクリアできます。現状でも、本来レスパイトを受けるべき介護施設のショートステイは数週間前に予約しないといけない状況で、そのニーズに十分に対応できておらず、ご家族のレスパイト目的での認知症の人の精神科入院は多いのです。

 これに対して、一部委員が主張した「入院に着目した目標値」(報告書18ページ以降)は、認知症の人の精神科入院を減らすためには、入院自体を減らす目標値を設定する必要があるというものでした。至極当然の指摘であると思います。
 この2つの立場が激しく対立し、とりまとめの段階で審議会の意見の一致に至りませんでした。さらにこの問題を深く検討するために、藤田一枝厚労省政務次官(当時)を主査とした「認知症施策検討プロジェクトチーム」が設置されたのです。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001wddm.html
 外部の圧力をさけるため、チームは厚労省内のメンバーだけで組織され、2012(平成24)年6月18日に報告書「今後の認知症施策の方向性について」を発表しました。
http://www.mhlw.go.jp/topics/kaigo/dementia/houkousei.html

 この報告書の中では、これまでの日本の認知症施策の再検討をしています。
 「かつて、私たちは認知症を何も分からなくなる病気と考え、徘徊や大声を出すなどの症状だけに目を向け、認知症の人の訴えを理解しようとするどころか、多くの場合、認知症の人を疎んじたり、拘束するなど、不当な扱いをしてきた。今後の認知症施策を進めるに当たっては、常に、これまで認知症の人々が置かれてきた歴史を振り返り、認知症を正しく理解し、よりよいケアと医療が提供できるように努めなければならない。」
 そして、今後の目標を次のように設定しました。
 「このプロジェクトは、「認知症の人は、精神科病院や施設を利用せざるを得ない」という考え方を改め、「認知症になっても本人の意思が尊重され、できる限り住み慣れた地域のよい環境で暮らし続けることができる社会」の実現を目指している。」
 この「今後の認知症施策の方向性について」をうけて、同年9月に認知症施策推進5カ年計画(旧オレンジプラン)が策定され、2013(平成25)年から実施されていたのです。

【今後の認知症政策】
今後の認知症政策について少しお話をさせていただきます。
 日本でも、認知症になっても本人の意思が尊重されできる限り住み慣れた地域で、よい環境で暮らし続けることのできる社会の実現を目指すことになりました。
 今行われている施策の1つをご紹介しようと思います。それは認知症初期集中支援チームというものです。認知症の方がその地域の中でずっと生活ができるように、最初に集中的に支援をする、生活環境を整えるという施策です。
 認知症初期集中支援チームとは、地域包括支援センター、訪問看護ステーション、クリニック等に設置される認知症に関する専門家のチームです。

                             (厚生労働省)

 認知症初期集中支援チームの「初期」とは、認知症の初期の「初期」と認知症の人と支援者の最初の出会いの「初期」の二つの「初期」のことを指します。
 ここで支援チームによる支援の流れを見てみてみましょう。
 地域で認知症が疑われる人がいる場合に、適切なタイミングで支援チームが出向き、徹底的なアセスメントを行います。必ず複数で訪問し、本人からの話、家族や介護者からの話を別々に詳しく聞き取り、生活環境に関する評価も同時に行うのです。持ち帰った情報を元に、医師を交えたチーム員会議を行い、その結果を本人・家族に伝え、早期支援を開始することになります。ここで、注目すべきは医師の役割です。これまでの医療モデルに偏った認知症の支援のあり方への反省から、医師はチームの中心ではなく、チーム員会議に出席しアドバイスをする助言者の役割にとどまっています。

 支援チームの重要な役割は、認知症であっても地域での生活を最大限続けられるように物理的及び人的な環境を調整することと、家族や介護者に今後の経過やケアの選択肢に関する十分な説明を伝えることにあります。

 具体的には、以下のようになります。
A.混乱しない物理的な環境を整えること
 たとえば、はじめにバリアフリー化や火の元のIH化を行います。バリアフリー化は、段差で転倒・骨折したりして入院加療が必要になると認知症が急激に進行したり、行動・心理症状が認められるようになるのを防止するためです。
 火の元のIH化について考えてみましょう。現在は、認知症が進行してガス器具などが使えなくなった段階で、IHに変えたりしていることが多いと思います。しかし、この段階でIHに変えてももはや新しい器具の使い方をマスターすることはできず、在宅生活は不可能になってしまうのです。本人の能力がある程度残っている初期の段階でIHに変えることができれば、地域での生活を最大限に続けることが可能になるというわけです。

B.本人が混乱しない人的環境を整えること
 認知症に関する情報提供で、家族や介護者が本人の認知症を理解し、対応の仕方を工夫することができるようになります。こうして、不適切な対応で、行動・心理症状が生じるのを予防することが可能になると考えられます。

C.今後の認知症の経過に関して、おおよその予測と理解が可能になること
 認知症の二種類の症状、認知機能障害と精神症状・行動障害に分けて考えてみましょう。
 認知症では、もの忘れや判断力の低下などの認知機能障害が進行していきます。支援チームの介入によって、将来どのような状態になるのか、そのときに利用できるサービスにはなにがあるのかを事前に周囲の人が理解することができるようになります。すると、認知症が進行してしまっても周囲の人が混乱することなしに、最適なサービスを利用することが可能になるのです。
 認知症の人を介護した経験のある方に話を聴くと、初めての経験なのでどんなサービスがあるのかとか、本人のために何を利用すると良かったのかが、わからなくて大変だったという感想を聞くことがあります。初期集中支援チームの介入によって、ご本人の状態に応じて、最適な支援を受けることができるように環境を調整することができるのです。
 認知症の啓発には、認知症サポーターキャラバンのような国民全体に認知症に関する知識を啓発するマクロな啓発と、特定の認知症の人に関する情報を提供するミクロな啓発があります。認知症初期集中支援チームによる啓発はミクロな啓発ということになります。

 認知症の人はさまざまな状態になり得ます。支援チームによって、あらかじめどのような症状が出現する可能性があるのかがわかっていれば、びっくりしたり、混乱しないで対応することが可能になるのです。また、どこに相談すればいいか、どのように対応すればいいか、あらかじめわかっていれば、軽い段階で早期の対応が可能になります。
 現在、認知症の人の行動・心理症状に関しては、ご家族、介護者が驚き、当惑してしまい、どこに相談したらいいのかがわからずに時間を空費し、ひどい状態で事例化する場合がよくあります。精神症状も軽い状態であれば、ちょっとした介入、もしくは治療で改善する可能性が高いのです。

 そして、最も大切な支援チームの役割は、「支援者が認知症の人と早期に出会うこと」なのです。現在の医学では、認知症の発症を完全に予防することは出来ません。高齢化が一番の危険因子なので、だれでも高齢になれば認知症になる可能性があります。私たちがすべきことは、認知症を恐れることではなく、認知症になってもそれまでと同じように生きがいを持って、有意義な人生を送れるような社会を作ることなのです。そのためには、支援者が認知症の人と早い段階で出会って、本人の言葉で認知症を持ちながらもどのような人生を送りたいか、どういう生活をしたいかを記録する必要があります。
 進行性でいずれ死に至る病、例えば末期がんや神経難病でも自分の意思が表明できなくなった後でどのような医療を受けたいか、どのような生活をしたいのかを本人に確認して支援が行われます。認知症も進行性の病気だが、最も大きな問題は死が訪れる遙か以前に自分の意思を適切に表明できなくなってしまうことです。このため、支援者が早めに出会って本人自身の言葉で記録する必要があります。例えば、私たちには、生活する中で、他の人にはわからないが大切にしている価値、生き方があります。これをよく知らない他人から、ないがしろにされてしまい、精神的に不調をきたすことがあったりします。認知症の人でもこれはおなじで、行動・心理症状の原因となってしまったりするのです。本人の言葉で本人の人生、大切にしてきたこと、生き方などを記録し、それを支援者が理解することで認知症の人の生活の質が改善し、行動・心理症状の出現が防止できることになります。

 また、行動・心理症状は、認知機能障害のある認知症の人の周囲の環境による混乱や言葉で表現するのが苦手な認知症の人の言葉にならないメッセージの可能性があります。こうした「言葉にならないメッセージ」を読み取るためには、ご本人のことをとことん知ることが必要になります。本人の言葉によるその人の人生の記録があれば、よりケアや対応の工夫がうまくいくようになるのです。

 現在、残念ながら認知症の早期診断=早期絶望になってしまうことがよくあります。認知症の診断をいきなり伝えられ、抑うつ状態になってしまったというのも時に聞くことのある話です。支援チームでは、最初の診断結果を伝える場で、認知症の告知・説明と今後の人生の希望について十分に時間をかけて話し合いを行います。最初の喪失体験である、認知症の診断告知にしっかりと寄り添い、そして、その後の人生の希望を一緒に模索することで、認知症を持ちながらもその人が思い描く人生が実現できるように支援を行うのです。

 認知症の人にとって必要なのは、最適なタイミングでの診断と本人が必要と思ったときに支援を求めやすい環境を整えることです。その意味で安易な早期認知症スクリーニングには問題が多いと考えています。

 今、認知症の人を地域で支えよう、社会生活を支えようという取組がいろいろなところで行われています。これは単なる1つの在り方ですが、私たちの工夫でいくらでも可能だと思いますので、ぜひ関心を持っていただきたいと思います。

 過剰な精神科の病床があるということによって、他にも様々な社会的なマイナスが生じています。過剰な民間精神科病床は、「地域にとって困った存在」を強力に引き寄せ、入院させてしまうことでその存在を目の前から消し去ってしまうのです。問題がすぐに解決してしまうので、地域で対人的支援を行っている人にとっては大変に便利な施設です。しかし利用したことによる副作用はきわめて大きく、「工夫すれば地域で支えることが出来る人」がみな精神科病棟に吸い込まれてしまうことになってしまいます。地域で対人支援を行っている人々が支援方法を工夫する必要がなくなるので、多様な人を地域で支える仕組みが全く育たないのです。社会の成熟が妨げられ、真の共生社会の実現が遠ざかってしまうことになります。

 最後にもう1点だけお話しします。収容型の施設の問題です。今まで私たちは障害のある人が生活する施設、入院する病院を社会福祉法人や民間業者につくらせました。そして今は、高齢者、特に認知症の人が生活する施設をやはり民間につくらせています。そうした施設の多くは収容型の施設です。エレベーターなどはロックされていて番号を入れないと外に出られません。今、認知症の人は社会から排除されがちです。しかし、将来私たちの社会が成熟して、認知症の人も私たちと一緒に生活ができる社会状況になったときに、今、民間につくらせている収容型施設は、現在の精神科病院と同じことをやると思います。  
 それは、施設を利用してくれる入所者を経営のために集めるだろうということです。
 現在は、高齢者や認知症の人が入る施設へのニーズが高い状態が続いています。収容型の施設ではなくて、住まいに変えられるようなものをつくるべきだと思います。そうすれば、認知症の人も一緒に暮らせるように社会が成熟したときにもそれを利用し続けることができるからです。

ご静聴どうもありがとうございました。

参考文献
1)中根允文、半澤節子:日本国内における精神科病院在院患者統計調査結果の再点検-任意入院の現状-、平成23年度厚生労働科学研究費補助金 障害者対策総合研究事業(身体・知的障害分野) 精神障害者への国際比較に関する研究 分担研究報告書