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人権に関するデータベース

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研修講義資料

名古屋会場 講義6 平成23年10月20日(木)

「刑を終えて出所した人の人権」

著者
炭谷 茂
寄稿日(掲載日)
2012/03/28



 本日、刑を終えて出所した人の人権、どういうふうに考えたらいいか、このことについては特に関心を持っていらっしゃるのではないかと思いますが、一般的には私とは関係ないよという人が多いのではないかと思います。
 しかし、これが非常に人権問題として、私は一番深刻な問題の一つだと思っています。このような問題をどのように考えるか、それによって人権問題の考えが深まっていくというふうに考えているわけです。
 また、今日お話しようと思っているのはそんなに難しいことではなくて、私は国家公務員を長くやっていました。約37年2カ月間、公務員をやっていました。60過ぎまで勤めていましたから、長かったかなと思います。決して波乱万丈というような人生でもなければ、平凡な人生だったのではないかなと思いますが、ただ、いろいろな種類の仕事をすることができました。
 そこで、今日は、後からお配りしました資料(PDF)に基づいてお話をしたいと思います。重要なポイントについてはすべてここに落としましたので、これを見ながら聞いていただければわかりやすいのではないかと思います。
 自分は皆さん方と同じで、公務員を37年やりましたが、公務員でやっていたときの仕事をずっと生涯を通じて、私一人の個人として自分の時間と自分のお金でやっていこうと心に決めました。
 こういうふうに決めた理由というのは単純でして、私自身厚生省に入り、福祉行政が長かったわけです。そう考えると、福祉行政の相手の人というのは、いろいろな障害のある人だったり、被爆者だったり、ホームレスの人だったり、そういう人たちでした。
 そうすると、大体国家公務員の場合は2年から3年でかわります。若かったから非常に元気よく、そういう人たちに対して、ああ、これもやろう、あれもやろうといって約束をしました。これも予算要求するので頑張ろうとか、いや、こういう制度が必要だ、それじゃそれ法律改正とか言っていたわけです。
 でも、役人というのは2年から3年でかわる。そうすると、そのうちできるのは半分もいかない。それで、異動のあいさつをしに行くと、相手の人は、ああ、やっぱりそうだったのか、ああ、口だけだったのかというような形で、役人というのは気楽でいいなというふうな目で見ているという感じが痛いほどわかってまいりました。それは40代の半ばごろから、それではやはり自分が携わった仕事は、生涯一人の人間としてそれを追求していこうと心に決めたわけです。
 でも、だんだんと、一人の人間では、土曜日、日曜日を使っても時間が足りませんし、またお金の面でも全国回ると、1回行くのに五、六万円はかかります。なかなかそれは制約がある。そこで、私は、現在は人が余りやらない仕事、そういうものを重点的に今やっているわけです。
 ただ、お配りしたレジュメのほうに書きましたが、重症心身障害児の問題、精神障害の問題、心身障害、知的障害の問題、ホームレスの問題、スラム街の問題、今日お話する刑余者の問題、被差別部落の問題、そういう問題を考えていくと、その中核に、今回皆さん方が勉強されている人権の問題がどうしても中核にあるということがだんだんわかってまいったわけです。
 レジュメ2に書きましたが、日本において解決されていない人権問題、たくさんあると思っていると思います。私は、どうも日本の社会というのはここ数年、社会の底が割れているというふうに思っています。日本がだんだん衰退し始めているということは、直感的に感じます。
 昔は、何かやっぱり日本というのは底がしっかりしていると、どんなに落ちても、必ずまたもとに戻る、そういう社会だったのではないかなと思うのですが、それが今どこかぽつぽつと穴があいていると、そういう状態ではないでしょうか。それは多分皆さん方もいろんなところで実感されているのではないでしょうか。 私は、ホームレスやスラム街というのは高齢者の集団だという意識があります。それが去年の5月の連休のときに、非常に妙なことに気がつきました。これは何かと言うと、20歳前後の若い人がいるのですね。これはびっくりしました。今までスラム街に入って40年たちますが、こんな状態というのはありませんでした。20歳の若い人がスラム街で生活をしている。
 これは日本の社会の底が割れている状況です。理由はおわかりのとおりだと思うのです。理由は、高校は卒業した、大学は卒業したが、就職がない。今年の3月末の就職で言えば20%の大学生は就職できなかった、そういう状態ですね。
 私自身は大学の先生をやって25年たちます。そういう面で見てみると、だんだん学生の行動が違ってきたような気がするのです。就職というものを本当に真剣に考えるが、なかなか就職ができない。それであれば、昔であれば、自分の実家に戻って、それじゃ仕事が見つかるまで一緒に農業でもやる、親と一緒に商売でも手伝って、そして次の仕事を見つけるのですが、今は帰るべきところがない。そのためにこのようなスラム街やホームレスに入ってしまう。まさに日本の社会の底が割れていると、将来20代の人たちみんなが夢を持って、その夢を最初のスタートの時期にくじかれてしまっている。それが今の問題、僕はこれが最大の人権問題の一つだと思うのですね。それに気をつけなくちゃいけない。
 ホームレスは確かに減りました。でも、20歳代のホームレスは、逆にふえている。ここに日本社会の底が割れていると感じる。これをしっかりととらえなくてはいけないのではないかなと私は思います。
 それと、自殺者が3万人がずっと続いている。児童虐待がだんだん残酷になってきたのではないでしょうか、障害者の社会参加がなかなかできない。私は大変いら立ちを覚えます。古くからある問題、例えば今日お話する刑余者の問題、同和問題、また障害者の社会参加、なかなか進まない。一向に改善しない。
 一方、新しい問題として、今私はホームレスの若年化の問題や児童虐待、DVの問題、いっぱいあると思うのですね。
 でも、その人権問題というのは、実はこれまでと質が変わっている、構造が変わっている、これに着目しなければ本当の人権問題というのは解決しないのです。私がこういうことをほうぼうで言っていると、よく批判を受けます。いや、ホームレスなんていうのは弥生時代からだと、江戸時代もちゃんといたじゃないかと。児童虐待、戦前には児童虐待防止法があって、児童虐待というのは戦前からあった。
 それでは現在の人権問題、どういう点に着目しなくてはいけないか、私は2つあると思っています。
 それでは資料3-(1)、ちょっと難しい言葉になりますが、社会との関係性ということなのですね。これは既にお話をしましたが、日本の社会というのは、家族や親族、それから企業、地域社会、そういう助け合い社会なのですね。それが今はぶつぶつと切れてしまう。だから、1人になってしまう。
 そうすると、強い人間であれば1人で生きていける。しかし、弱い人間であれば、先ほど言った社会の底から落ちてしまう、それが今の状況だろうと思います。社会的な排除とか、社会的な孤立が起こっている、これが今の人権問題を難しくしている原因の一つだと思います。これが第1ですね。
 第2は、資料3-(2)に書きましたが、貧困ということです。
 日本人というのは、豊かでもなければ貧しくもない、そういう社会だったと思うのです。
 それが最近は、階層化が激しくなった。つまり下のほうの貧困層はどんどん増えて、そしてそれが増大、もしくはさらに深刻化して、それが今の状況だと思います。今日は時間の関係上、詳しくはお話しませんが、これを構成しているのは高齢者の方々、それから母子家庭やリストラをされた50代、ニートたち、それから非正規雇用の労働者たち、そういう人たちが集まっている。
 そして、単にその人たちだけではなくて、子どもまで貧困が承継されている。これが今の時代だと思うのです。
 そして、資料4に書きましたが、最近の人権問題には大きな変化が一つあります。
 資料4-(1)に書きましたが、私は、人権問題を表面的にとらえているのではないかなと思っています。形式的には基本的人権に対して、自分はちゃんと基本的人権なんて知っていると、憲法にちゃんと書いてあるから知っていると、すべての人は思います。内閣府は人権についての世論調査をやります。そうすると、70%から80%の人が自分は基本的人権とは何かというふうに知っていると答えます。
 しかし、本当に知っているかといえば、私は違うのではないかなと、表面的にしか知らない。それが問題だろうというふうに思っています。特に若い人の人権意識は大変薄くなっている。これが問題だと思うのですね。
 人権というのは、所詮は人と人との関係なのですね。人に対してわかりやすく言えば、優しくする、思いやり、人間の尊厳性を重んじる、そういうことだと思うのですね。それが今欠けている。
 これは、理由としては、パソコンや携帯によって、直接、人と接することが少なくなった、ここに原因があるのではないかなと思います。
 それで、レジュメの5に入りたいと思うのですが、そこの今回のテーマである刑余者の問題、これをどう考えたらいいか。
 実は刑務所から出所した人、現在、特色があります。これは何かといえば、今私が人権の状況についてよくお話しましたが、そういう問題が凝縮してあらわれている、これが刑余者の問題だと思うのです。
 まず、皆さん方気づかれているかどうかわかりませんが、最近、刑務所から出所した人は、高齢者が大変増加をしているということが言えます。ここに書きましたが、全受刑者に占める65歳以上の割合、男性は7.2%、女性は10.0%となっています。刑務所にいる人の大体1割ぐらいは65歳以上。これは高齢化社会が日本にあらわれているだけではありません。この事実をしっかりと考えなくちゃいけないのですね。
 ちなみに、外国はどうなっているかなということで、外国の資料は60歳以上ですので、60歳以上において比較をしてみたのが次の表です。日本が12.8%、断トツして多いですね。ほかの国、日本と同じように高齢化の進んでいるドイツが3.0%、フランスでは4.0%。そしてアメリカでは7.1%、こういう状況なのですね。
 だから、高齢化したら高齢者の受刑者がふえるというのは誤りなのですね。日本特有の現象なのですね。なぜなのだろう、ここに大きな人権問題、刑余者の問題があるわけなのです。これをぜひ考えていただきたいと思います。
 それから次に、資料5-(1)-②受刑者の中にはたくさんの障害者が存在をするということです。新規受刑者のうち障害者の割合、これは知的障害者に該当しますが、その人たちが23.1%、つまり4分の1が知的障害者なのですね。 そして、その中で福祉のサービスを受けている人たちがどれだけいるかなということで調べたら、412名の知的障害の人で、療育手帳を持っていらっしゃる方は26名ということで、ほとんどは福祉サービスを受けていないという状況です。
 このように問題がまさに重複し、社会復帰が非常に困難になっているというのが刑余者の実情です。 家族や親族であれば温かく迎えてくれる、いや、そんなことはないです。これは、先ほど言った社会との関係性、つまり今の人権問題の背景にあるのは2つある。そのうちの一つは、社会との関係性、家族や親族との関係さえ切れてしまう。いや、そんな人が来ると、うちは迷惑するということで、なかなか受け入れてくれない。
 そして、刑務所から出てきた人は貧困、また働く場所もない。住まいもなかなか見つからない。
 そして、精神障害を持っている、たとえば糖尿病や高血圧のような健康の問題、アルコール依存症など、こんなにたくさんの人権問題なり、健康問題を抱えている、これが刑余者の一つの特色だと思います。
 そして、65歳以上で満期釈放者のうち、何と7割の人は5年以内に刑務所に戻ってくるのですね。なぜ戻ってくるか、地域社会でだれも受け入れてくれない。おなかがすく。そこで、ついコンビニでおにぎり2個を盗んでしまう。おにぎり2個を盗むと、また戻ってしまう。いわゆる回転ドアのようになってしまう。
 知的障害の人の、平均受刑回数は約7回という状態なのですね。そういうことが日本の現在の不幸なことだというふうに思います。このような現在の認識に立たなければいけないというふうに考えています。
 そこで、これをどうしたらいいのか、これが私の課題でして、ヒントになったのは、平成12年の1月にイギリス政府からお招きをいただきました。私自身は、イギリスで社会福祉を勉強しました。そのためにイギリス政府が呼んでくれたのだろうと思います。大変忙しい時期でしたが、正月休みのときに行きました。イギリス政府の招待ですから、向こうでは大臣や国会議員、ロンドン市の関係者、そういう人たちにお会いできました。
 そうすると、会う人が同じこと同じことを言うのですね。何を言うかといったら、今イギリスは大変なのだと、イギリスでは障害者の方々、それからホームレスの人たち、それから外国人、若者の失業者、それから薬物依存症の人、そのときは刑余者の話は例として上がりませんが、そのような人たちが社会から排除されていると、これが今イギリス社会の一番大きな問題なのだと言うのですね。
 イギリスというのは、皆さんよく聞いていらっしゃると思いますが、教会を中心にしてみんな仲よく暮らしていたはずなのですね。そして、助け合って、ボランティアも非常に盛んだというふうに聞いていたと思います。それが今のイギリス社会は、ちょっと異質な人、障害者の方々、若者の失業者、ホームレス、外国人、そういう人たちが地域社会から排除されている、そういう状態だというふうに言っています。
 そうすると、先ほど、私がいろいろと最初に申しましたが、その状態と日本の状態が全く同じなのですね。日本も全く同じ、つまり障害者の方々がなかなか社会参加できない。今日の話題である刑余者の人も社会から排除されている。また、若者の失業者も社会から孤立し始めている、そういう状況というのは、イギリスも日本も同じなのです。
 そして、原因も全く同じです。原因というのは、家族や地域社会や絆をなくして、原因も同じなのですね。違う点が一つあります。何が違うかといえば、日本の社会では、そういうものを重要な政策課題としてはとらえていない。これが重要なのですね。
 そして、それを正面から問題として、ただ、解決しようとはしない。これが大きな問題。それに対してイギリスの場合どうしているかといえば、それは一番重要な問題だと、政治の指導者が立って、国内では一番重要な問題としてやっている。国内政策でイの一番、最も重要な問題だとして総理自らがやっている。当時はブレア政権でしたが、ブレア総理がみずから自分の直轄の組織として社会的排除対策室という部屋を作ってやるようにしたのです。
 日本は同じ問題でありながら、何もしていない。これでいいのかなと、そしてそのためにとっている政策はソーシャルインクルージョン、社会的包摂という政策であります。
 つまり、そういう人たちを社会から排除するのではなくて、社会の中に包み込んでいこう、若者が昼間から酒を飲んでいる。あの酒が場合によっては生活保護から出ているかもしれない。あんな遊んでいるやつは、我々の仲間じゃないというように社会から排除する。これが今の状況ですけが、そうではなくて、そういう人たちを地域社会の中で一緒になって生活していこう、そういう政策をとっていることも知りました。これはイギリスだけではなくて、もともとフランス、さらにドイツやイタリアやEUなどヨーロッパ全体がそういう方向をとっているということを知ったわけです。
 私は、このソーシャルインクルージョン、最初はよく理解できませんでしたが、刑務所からの出所者の方々も、また障害者の方々も、若者の失業者などの日本の人権問題を解決するにはこれしかないんだというふうに思うようになりました。
 それでは、ソーシャルインクルージョンというのは、刑務所からの出所者を含めて人権の問題の解決に役立つのではないのかなというふうに思っています。
 それでは、具体的にどうしたらいいのか。刑務所から出所した人たち、障害者の人たち、そういう人たちを差別をして、あなたは怖い人だから、ちょっと外へ出てよということではなくて、みんな地域社会でみんな差別しないで、仲よく暮らそうということを言っているのかなというふうには何となく思われると思うのですが、実際はそういうことではありません。
 具体的にどうするのかと、ここが今日のポイントです。これは、資料7-(1)に書きましたが、具体的な事業が必要だと、さらに煮詰めて言えば、「仕事」と「教育」だろうと思います。これが二大分野です。仕事というのは言うまでもありませんが、働くことによって自立ができてくる。人間らしい正しい生活ができて、健康の維持に役立つ。人間としての尊厳性を守る。
 でも、一番重要なのは、この最後に書きました、人とのつながりだろうと思うのですね。
 しかし、今日働く場の状況、これについて考えてみたいと思います。資料7-(2)を見ますと、刑務所から出所者の状況、これは法務省のほうで大変努力をされまして、協力雇用主制度というのがあります。現在8,400人の方が、刑務所から出所者、なかなか仕事ができないだろうということで、それでは自分のところで雇うという活動をされています。
 しかし、職種が大体偏っている。土木作業が多いですね。それから、正規職員になかなかなれない。そういう限界があります。また、平成18年から厚生労働省と法務省の連携事業で、刑務所出所者等総合就労支援対策事業というものも行われています。
 私は、現在、日本の社会において働く場所というのは、大きく言って2種類あると思っています。第1の職場というものは、障害者の場合は公の職場があります。公の職場というのは、授産施設や福祉事務所や小規模作業所、そういうものがあると思うのです。私は、そういう職場というのは大変重要で、ますます充実させなくてはいけないと思っています。
 しかし、予算の関係で希望にすべて応じられない。そして、働いても1カ月1万円もいかない。そういう状態だと思います。
 第2の職場がある。これは一般企業、でも、この一般企業で障害者の例を見ると、今全従業員のうち1.8%障害者でなければならないという規定がございます。でも、それは日本全体から見ると、1.7%しかいかない。 どうも第1の職場、第2の職場、これだけではどうも不十分、特に刑務所からの出所者については、第1の職場はありません。障害者についてはありますが、刑余者についてはないですね。それで、今現在、活動をしているのは第3の職場づくり、これがないと、どうもうまくいかない。
 第3の職場づくりとは何なのかといえば、レジュメの3に書きましたが、社会的企業ということなのですね。この社会的企業というのは何なのか、わかりやすく言えば、第1の職場と第2の職場のハイブリッド型なのですね。第1の職場のように社会的目的がある。刑務所から出所した人を雇おう、障害者の人を雇用しよう、ニートが働く場所をつくろう、そういう意味では第1の職場だと思っている。
 しかし、これはあくまでもビジネス的な手法である。税金というものを当てにしない。そして、そこでは働くことは生きがいのある仕事をつくっていく、そしてここが重要なのですね。働くとは、何のために働くかと、もちろんお金を得るためもありますが、社会とのつながり、ソーシャルインクルージョンをするためにあるわけですから、その第3の職場に地域住民の人も一緒になって参加する。そこが社会的に第3の職場の重要なところです。
 そういうことができるのかなと、実はイギリスができているのです。イギリスは第3の職場、社会的企業で働いている人は50万人いらっしゃるのです。ちなみに、比較をすると、農業が50万人、社会的企業は農業と同じ。GDP(国内総生産)で言えば、社会的企業は農業の2.5倍、社会的企業のほうは農業よりも上なのですね。日本はまだまだ何もない。これでいいのかな。
 そこで、あるイギリス人に、日本でやるにはどうしたらいいかと相談したら、炭谷さん、それはいいものがある、現在、イギリスではやっているんだということで教えていただいたのは、ソーシャルファームということであります。
 そこで、今から8年前、ドイツやイギリスやイタリアなどソーシャルファームをやっている人たち、代表者の方々を呼んで、勉強会を年に1回やることにしました。今年の1月30日、東京の新霞が関ビルでやりました。
 これはどんなものかというと、資料8-(1)-①で書きましたが、1970年代、北イタリアのトリエステというところで始まりました。トリエステ、大変大きなまちなのですね。古いまちです。そこに有名な精神病院があったのです。その精神病院のお医者さんが入院患者に対して、あなたはこのままずっとここで入院しているよりも、むしろ退院をして、働きながら外来で治療したほうがいいと、それがむしろ健康にもいいし、あなたの人生の生きがいのためにもいいのじゃないかと言われたのですね。
 そこで、自分を雇ってくれるところを探そうとした。でも、どこも雇ってくれない。日本の今と同じだと思うのですね。どこも雇ってくれない。今の日本の場合、精神障害者の就業率はわずか17%しかいっていない。日本、現在でも17%、当時のイタリアも同様の状況だったのだろうと思います。
 そこで、とぼとぼ帰ってお医者さんに言うと、ああ、やっぱりそうだったか、それじゃということで、病院のスタッフと患者さんとが一緒になって始めたのがソーシャルファームの始まりです。この動きはたちまちのうちにドイツや、ギリシャ、それからイギリス、スウェーデン、フィンランド、ノルウェー、それからフランス、ヨーロッパ全体に広がっていきました。
 そして、特色は、このソーシャルファームというのは、先ほど言った第三の職場の中の一つなのですね。
 でも、特色が一つあります。何かといえば、そこは当事者が参加をする。当事者というのは、この場合は精神障害の人だったり、身体の障害の人だったり、刑余者だったり、ニートの若者だったり、こういう当事者の人が働くのが特色なのですね。
 そして、それと同等の関係、ここが重要ですね。同等の関係で、一般の住民の方々が働く。
 そして、ソーシャルファーム法という法律をつくっている国があります。そういう国では、刑務所からの出所者もソーシャルファームの対象になると、もともとソーシャルファームとは精神障害者などの障害者を対象にしていましたが、今では幅広く用いられ、刑余者も対象になるということを明記してあります。例えば、レジュメに書きましたが、イタリア、ポーランド、リトアニア、そういう国ではしっかりと刑余者にも対象になるというふうに感じています。
 そして、今では1万社以上、ヨーロッパにあります。仕事の種類は、リサイクルや有機農法、ホテル、スーパーマーケット、いろいろとあります。今年の1月30日、北欧の人を呼んで勉強しました。そのときにスウェーデンのソーシャルファーム、ウェイアウト協同組合の人も来てくれました。そうすると、そこでは保護観察中の人たちも就労しているんだということを言っておりました。そこで、Tシャツの印刷やケータリング・サービスをやっています。
 そこで、ヨーロッパに1万社あるならば、人口の比率にして日本はヨーロッパの5分の1とすれば、1万社に対して日本で2,000社つくってもいいんじゃないかということで、今から4年前、私は日本全体に対してみんなでソーシャルファームを2,000社つくろうということで呼びかけたわけです。
 対象者は、今日の研修のテーマである刑務所出所者とともに、障害者の方々、高齢者、難病患者、ニート、引きこもり等の若者など通常の労働市場ではなかなか仕事が見つからない人、そういう人を対象にしている。私は、最低でも2,000万人以上いらっしゃる、そういうふうに思っています。いや、そんな大げさな、2,000万人もいるわけないだろうというふうに言われますが、これは私は最低でも2,000万人と思っています。
 ですから、私が日本で2,000社つくろうと4年前に呼びかけたところ、直ちに反応がありました。
 どんな仕事をやっているのかなということを見ていきたいと思います。
 まず、環境の分野、まず最初に神奈川県の秦野市の弘済学園の例をお話したいと思います。弘済学園、これは福祉の仕事をやっている人であれば、だれでも知っている日本で優れた障害者施設の一つです。国鉄の総裁だった十河さんは、やはり国鉄も社会貢献をしなくちゃいけないということで、神奈川県の山の奥につくられたのが弘済学園です。
 そして、弘済学園では、障害者の施設を経営しているわけですが、そこの保護者の方々が私を今から3年前に訪ねてくれました。いや、炭谷さんが言ってるソーシャルファーム、自分たちも賛成なんだ。自分たちの子供は、優れた障害者施設でお世話になっているが、それだけでは何か物足りないと、できればやはり子供たちに夢を与えたい。そして、できればお金が得られるようにしたいと話しました。そして、始めたのが古本の販売であります。
 また、下のほうに書きました愛知県の西尾市の例ですが、これは実は私のソーシャルファームが始まる前からやっていらっしゃるわけです。御存じの人もいらっしゃると思いますが、ここの榊原豊子さんという養護学校の先生が、自分が学校にいる間はいいんだけども、卒業した後、行くところがないので、家に閉じこもってしまう。それを何とかしたいということで、早期に退職をして、自分の退職金をもとにして障害者の働く場所をつくられた。
 それに感激したトヨタの関連会社であるデンソーが西尾市にありますね。あそこは5,000人働いています。そのデンソーが、それじゃくるみ会を応援してやろうということで、5,000人から出る食堂の食品廃棄物の処理をくるみ会に委託する。くるみ会のほうは、食品の廃棄物として処理料がもらえる。単に処理するだけじゃおもしろくないということで、大変良質の堆肥づくり、コンポストをつくられる。
 そうすると、このコンポストが近所の農家からすれば、大変よかったのですね。そうすると、進んで買ってくれる。いわば処理料金と、それとコンポストの料金が出る。障害者にとって非常によい働き場所に今なっている。これは、実は私がソーシャルファーム運動を始める前からやっているんですね。榊原さんが、いや、炭谷さんがやっていることは、実は私のほうがもっと先にやっていたということで教えていただいたものです。
 そのほか福祉の面でも仕事としてありますし、農業の面、これが一つ非常におもしろいものでございまして、実は愛知県にも去年参ったとき、愛知県の農林部から農業というものをソーシャルファームにどういうふうに使ったらいいか、愛知県の農林部からお話がありましたので、話に参りました。
 その一つの成功例は、埼玉県の飯能市の例です。ここにNPOたんぽぽというのがございます。そこの理事長が私のところにいらっしゃいまして、自分のところでソーシャルファームをやってみたいというお話をいただきました。そこで、始めたのがここに書いてある自然農法といって、いわゆる固定種である自然農法を始めたわけです。
 自然農法というのは何なのか、固定種とは何なのか、農業をやっている人は常識中の常識ですが、現在の日本の畑作は、野菜づくりはほとんどF1の種を使っています。F1の種というのは、メンデルの法則を基にして種会社が人工的につくった種で、キュウリや大根やニンジンなどをつくっているわけです。それでつくらないと、同じ形のものができない。そのために種会社からの人工でつくったF1の種を使っています。日本の農業の99%は、その種を使っています。
 それに対してNPOたんぽぽでは、昔からある種、つまり伝統的にその土地に合う固定種を使ってやりました。ですから、固定種ですから、大変強い。無農薬、無肥料でやる。そういう形で農業を始めました。そこでは約6名の精神障害の方、長期の失業者中の若者が働いています。
 そして、今では大体月に6万円、農業で6万円というのは、大変多いわけですね。でも、それだけじゃなかなか黒字経営ができません。今年の夏も暑いですが、なかなかよく経営が、なかなか回りません。
 そこで、今年の1月の下旬から、そこでとれた野菜を使ってイタリアンレストラン「旬菜カフェたんぽぽ」というレストランを開業いたしました。これは単に野菜としてだけ売ると、余り付加価値がつかない。それをイタリアンレストランで料理をして、サラダバー、新鮮な普通のスーパーでとれる野菜ではなくて、まさに固定種で、自然農法でつくった野菜だと、それを売りにしました。
 次のページですが、サービス業とあります。これは刑余者のために既にあって、姫路市の門口さんは、まさに刑務所から出所した人のための支援活動をやっています。私が役人やっていたとき、彼は障害者や、老人の施設をつくっていたのです。
 それで、彼が来たとき、いや、刑余者の対策、これをしっかりやらなくちゃいけないのだがなと言ったら、彼は目を輝かせて、いや、炭谷さん、それこそ自分がやりたかったのだよと言ってくれました。
 それで、彼は3年前から白鳥城という城の建築を始めました。姫路には姫路城という白鷺城があります。それに対抗して白鳥城をつくろうと、いや、そんな今どきテーマパークでもうかるのかなと思ったのですんですが、80歳を過ぎた門口さんは、まあ心配ない。ちゃんとうまくやるからと言ってやりました。
 そして、去年の4月にオープンいたしました。そこは単なるテーマパークで使うのではなく、そこで働く人が刑務所から出所した人、ホームレス、障害者、そういう人たちが働く、そういう場所となっています。ちょうど昨日、僕のところに、門口さんがうまくいっていますよという手紙を送ってくれました。これが白鳥城の写真です。ソーシャルファームとして刑余者の仕事の場づくりとして役に立っているのではないかなと思っています。
 そして、ちょっとここで話題が変わりますが、刑余者については、私は福祉との連携というのが大変重要だと思うのです。だって、刑余者の人たちというのは高齢者が多い、知的障害者が多い、これはまさに福祉の得意とするところなのです。それが日本では進まない。地方自治体が余り関心を持っていない。刑余者、あれは法務省がやるのだという関心しか持っていらっしゃらないのじゃないかなと思います。
 下のほうに書きましたが、平成21年度に大阪府の人権協会が調査をいたしました。大阪を中心にして1,686の社会福祉施設に対して刑務所出所者を受け入れているかどうか、それを紹介しました。
 まず、びっくりするのが、回収率が非常に低い。14.8%、だから、そもそも回答もしてくれない。関心もなく握りつぶされる。こんなものうちは関係ないよということで、回答さえしてくれない。そして、受け入れた実績があるのは12しかない。これが日本の今の福祉の関係者の実情です。
 次のページですが、日本の社会事業、社会福祉は何から始まったかと言うと、留岡幸助、山室軍平、原胤昭、彼らが日本の社会福祉の先達者なのですが、まず、刑務所の出所者に対する支援を真っ先に始めたのです。まさに福祉の原点のはずです。
 私は、済生会の理事長になってから、やはりこれはやらなくてはいけないのだというふうに強調してまいりました。我々済生会は、日本最大の医療福祉団体ですが、多分に世界最大の医療福祉団体であります。今年で100周年を迎えました。
 そして、済生会の本来の使命というのは、593年に大阪の四天王寺の中でできた聖徳太子の施薬院や悲田院の思想を原点にしています。長年皇室によって支えていただいているわけです。とすれば、このような出所者に対し、だれが最初にやったかといえば、持統天皇が真っ先にやっていらっしゃいます。
 そう考えれば、私ども済生会がやらずしてだれがやるのか。済生会がやろうじゃないかということでやりました。我々の紋章は、なでしこの紋章を使って
 いるので「なでしこプラン」と称していますが、昨年度から法務省と連携をしながら、これをやっています。大分県は去年から、また今年から福井県済生会、富山県の済生会が地域生活定着支援センター、刑務所からの出所者の支援をしているのですが、そのセンターの事業をやっています。相当の実績を上げています。
 また、埼玉県、栃木県、大阪などの病院では、更生保護施設の入所者について健康診断や医療面をやっています。
 このように今日は刑務所からの出所者の人権問題についてお話をしました。日本には数多くの人権問題がたくさんあります。障害者の問題、またニートや引きこもりの問題、そういう問題もたくさんあるわけです。
 そして、そういう中での刑余者の問題も大変深刻な問題で、私は、これがどのように解決できるか、これが人権問題、人権対策の試金石になればというふうに考えている次第です。
 以上で私の話しを終わらせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。(拍手)