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人権に関するデータベース

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研修講義資料

神戸会場 講義7 平成23年11月17日(木)

「性同一性障害と人権」

著者
虎井 まさ衛
寄稿日(掲載日)
2012/03/28



 虎井まさ衛と申します。よろしくお願いいたします。
 性同一性障害の話を何年かにわたって、いろいろなところでさせていただいているのですが、学校でのカミングアウトが増えてきたということが、去年からさまざまなところで報道されております。それは、去年から報道されているのですが、実際に学校で、あるいは教育委員会の方も巻き込んで、子どもたちのカミングアウトまたは、親からのカミングアウトが行われています。
 一番初めにそれが私の耳に入ったというか、このような子どもがカミングアウトするから、うちの学校で講演会をしてくださいと言われたのが関西某県です。東京や埼玉は、その当時は10年ぐらい前だったのですが、ほとんど無視していたというか、ジェンダーバッシングが非常に厳しい時期でしたので、揉み消しがちでした。去年、報道が起きたのは埼玉で、それから全国の小中学校に対して、文部科学省から性同一性障害の生徒には特別な配慮をしろという通達があったのです。
 それまでは、関東圏のほとんどの自治体では表沙汰にしないという対応でありましたが、結局、同和問題などで非常に教育に人権を絡めてやってくださっているところは、この問題も最初から最後まで無視をせず、まじめにやってくださっており、非常にありがたいと思っております。私が毎年よく行くところが大分と長崎と、それからやはり関西でありまして、東京のほうはあんまりない。あるとしたらやっぱり学校です。うちの学校でもいるのだけれども来て話をしてくれないか、という話があるのです。また、役所関係で呼ばれることは、埼玉と神奈川はとても多いのですが、東京は少ないですね。
 皆様ご存じのように、川崎市役所内で初めて性同一性障害の人たちの専門の窓口をつくりました。非常に先鞭をつけたということで、さまざまなところから参考に、ということで見学しているということは、この生徒さんの親御さんから聞きました。
 それから今年の初旬に、福岡県春日市で性同一性障害のパネル展を3か月ぐらいやってくださったりして、やはり西日本、東でも川崎などでは、ものすごくこのことに関して急進的なものを進めてくださっております。ですので、遅れた東京も何とかやってほしいのですね。
 今日、私は東京から来ました。さらに東京より進んでいるはずであるこの地でお話をさせていただくのですが、時間が短い関係上、法律的なことは触れません。今日の中身というのは、性同一性障害というのは何か、何ぞやということにほとんど終始してしまいます。法律的なことは、ここに入れさせていただいた資料をよく読んでいただくか、あるいはインターネットのサイトにいくらでも調べられるようなものが掲載されておりますのでそちらをご覧いただければと思います。短い時間非常に早口で、しかも口が余り回らない人間なのですが、何とか法律のほうに少しかかるぐらいまでのお話はしたいと思っております。
 まず、少しお話しますが、私はこの性同一性障害の当事者でした。今でもお医者さんに言わせると当事者は何時まで経っても当事者です。つまりホルモン注射は続けていかなければならないからです。個人的には手術が終わって戸籍が変わった時点で、つまり元女性から男性になった時点で、自分が性同一性障害だという気持ちがあまりないのですが、医学的にはまだ当事者であります。23歳まで一応女性の体をしていて、25歳で手術を全部終えて、それで2004年に戸籍も変えて結婚もして今に至ります。
 私は、最初の日本の医療の始まりから、法律の始まりから、すべて見てきました。法律をつくるにあたっては、私も仲間たちと国会議員の間を回って法律をつくる、つくり上がるその瞬間を見てきました。今はもう本当に静かに活動するのみではありますけれども、本当にその当時は、性同一性障害に関する動きをすべて体験してきましたので、そこら辺の話も少しおすそ分けできればと思います。
 そういった私の目から見ると、お配りした配布資料の191ページの図ですが、非常に古めかしいものであります。この後ろに用語解説が書いてありますが、この用語解説も、コメントもちゃんとしたものではありますけれども古めかしいです。もちろん、この図というのは、間違っているものではありません。ただ今は性同一性障害あるいはトランスジェンダーという2つの言い方で集約されることが多く、このように細かく分けることは、研究者あるいはものすごく興味がある方は必要かもわかりませんが、一般の方にはそれほど必要なものではないのです。
 ただ、皆さんも人権に関わっているからにはご存知かと思いますが、性同一性障害という言葉を聞いたときに、同性愛と勘違いをしたような答えをしないように、このように細かく分けて、今日はお話してみようかと思います。
 まず、下の図をご覧ください。下は当事者サイドからの説明図と書いてあるのですが、今はこのように分けることは少ないのです。ただ左側にTVと書いてあります。この用語解説は次のページにありますが、トランスヴェスタイトのことであります。トランスヴェスタイト、ヴェストというのは古い英語やラテン語で衣服のことでありまして、衣服をトランスする。それは何かと言うと、結局異性装ですね。
 例えば、私は余りテレビを見ないのですが、マツコ・デラックスさんとかミッツ-・マングローブさんとか、美輪明宏さんとかいますよね。ああいう方たちは後述のトランスジェンダーではあっても性同一性障害ではありませんで、異性装の人なんですね、女装の人であります。女装の人あるいはゲイ、同性愛の人、ということは自分が男であるということをちゃんとわかっているということなのです。
 中にはとても女性化願望が強い人もおりますし、普通におやじさんをしている人もいます。奧さんもお子さんもいて、先生をやったり警察官をやったりしている、もちろんかたい職業ばかりではないのですが。時々そういった人たちが、女の人の格好をしたりして気を休めるといいますか、開放された気分になって帰ってくる、本来の自分に戻れるようないやしを求めて行うような感じの人が多いですね。
 例えば、一線を画すところでは女装して女性用トイレに入ってのぞいてみるとか、女装して女性の下着を盗んでみるという犯罪がありますが、そういったものとは違います。本当に自分のいやしのためにする。それは、今のところ日本では性同一性障害の診断基準に入っておりません。海外では入っているところがあるのですが、日本では入っておりません。日本と海外の診断基準は少し違うところがありますが、この国では今のところ性同一性障害ということになってはおりません。
 右側にTSとあります。このSはSEXです。身体的性別のことです。
 これはパスポートを持っていらっしゃる方はSEX欄というのがあるからわかると思うのですが、トランスセクシュアル、自分の身体的性別をトランスしたいという人たちがいらっしゃいます。2001年に「3年B組金八先生」第6シリーズで上戸彩ちゃんが性同一性障害の役をやった回をご覧になった方、いらっしゃいますか。(約半分の方が挙手)ありがとうございます。もう古い話なのですが、あの上戸彩ちゃんの役は私がモデルだったと言われています。3年B組金八先生でのお話のように、私は、中学3年生のときにはもう既に手術を決意しておりました。私は今、一応物書きをして暮らしておりまして、図書館に行けば多分2、3冊、私の人権関係の本があるかと思うのですが、それを読んでくださった脚本家の方が、それをもとにいくつかのエピソードを組み立ててくださいました。
 その当時、ちょうど学校でもカミングアウトが増えてきた時期、2001年前後ですね。その当時によく関西から九州のほうの学校に行きました。兵庫、大阪、福岡など、そちらのほうで何校かお話をしました。その当時は、性同一性障害の生徒さんは、みんなの前でさらし者にして「この子はあしたから男として通います」みたいな感じのやり方だったのですが、今はどこの都道府県でも、その生徒の本当に周辺にだけにカミングアウトして、それで別の衣服で通わせるということはひっそりと行われております。一般のPTAの方の知るところでは恐らくないかと思うのですが、人権課の方やあるいは教育委員会の方は、特によくご存じの話だと思います。
 このように、体の性別を変えたいという人たちは何を変えたいかというと、やっぱり女性から男性の人なら乳房、また性器の手術をしたいと思う。ただ非常に誤解があることは、例えばNHK教育の「ハートをつなごう」とか、夕方のニュースの特集とか、あるいは深夜のノンフィクションとかでは脚色のない当事者が出て、自分たちの本音をしゃべっているのですが、はるな愛さんとか、その他の方々が出ているゴールデンタイムでやっている番組というのは、テレビ制作局が言わしているようなものなのですよね、つくりものなのですね。本音でしゃべっているかというと、なかなかそういったことはない。ですので、ああいった人たちがテレビでおもしろおかしくしゃべっていることが本当かというと、かなりの部分はつくられた線にありまして、それを本気にしては本当の性同一性障害の人たちの気持ちは理解できないのです。
 性器の手術をしたいという人たちは、例えば、はるな愛さんは手術をしております。カルーセル麻紀さんも手術をしておりますが、あの人たちのように性同一性障害というのは手術をするのだと思い込んでいる周りの人たちはすごく多いのです。まずそれは疑ってかかったほうがよい考えであります。後からお話ししますが、性同一性障害の中で本当に最後の性器の手術までしたいと思っている人は、ほんの5%ぐらいしかおりませんで、あとの95%の人は別にしなくてもよい。できればしたい、でも別にしなくてもよいと思っていらっしゃいます。
 それはなぜかと言いますと、結局性器の手術をして変わるものというのは、性器の形だけなのです。もちろん内臓を摘出するのもございますが、結局は形だけであって、そうしたからといって男らしく女らしくなるわけではない。ひげが生えたり声が変わったり、運動すれば筋肉がつくなど、そういったことは手術で起こることではありません。それは、すべてホルモン投与、ホルモン注射でなるものであります。ここにいらっしゃる女性で、男性になる気がない方でも、ホルモン注射を2本も3本も打てば、ひげが生えて声が変わってしまう人がいます。簡単に変わるのです。一般の若い子どもの思春期の第2次成長も、切手1枚分ぐらいの量のホルモンで変わってくる。本当に、注射をするとどんどん変わります。男性から女性の場合はそれほどでもないのですが、女性から男性は劇的で、声なりひげなり、あるいははげたりなど、そういったことが変わってしまうのです。でしたら、社会的に暮らしていける分でしたら手術をしなくてもいいのではないかという人たちもいるのですね。
 そこで、線を引っ張って、狭義のTGと書いてありますが、これはジェンダーです。かたい言い方をすると文化的、社会的性別ということになります。結局簡単な言い方をすると、周りからどう見えるか、どちらの性別で見られるか、です。例えば、私でしたら男として社会に見られている。女として見られるか、男として見られるか、あるいはどっちでもない人として見られるかということは、ジェンダーをトランスするかどうかは別なのですけど、それがジェンダーであると言った時、一番わかりやすい、とよく学生に言われます。例えば、本当はここの人たちが数がいっぱいなんです、1番多いところ。例えば異性装の人とトランスセクシュアルの人の半分くらいの性別違和感を持っているといった考えをされがちですが、本当はもう少し複雑で、今は細かいローマ字の略語とかはちょっと混乱させてしまうので、言葉で説明しますが、女だとは思えない、けど男だということでもない、あるいは男だとはちょっと思えていない、女だというほど女っぽくないという人もいるのです。あるいは自分は男でも女でもあると思っていたり、男でも女でもないと思っていたり、去年あたりまでは男らしかったが、ことしは違うとか、そういった人たちもいるにはいるのです。
 あるいは、実際にそのように自分の性別を決めつけられたくない、それは社会的性別によってなのですが、そういった人たち。ただ自分は女ではないが男として暮らせれば、社会的にそれが通用すればいいか。あるいは男ではないが女として社会的に通用すればいいのだ。性器の形なんて、それは問題ではないのだ。自分の勝手であって、人が見ているのは自分の外見だけなのだということで、それで手術はしようとしない。手術そのものも何百万もかかりますし、命の危険もありますし、さまざまなことがありますから、生活をしていく性別があれば、別に手術をしなくてもいいのだという人たちが、本当にたくさんいても当たり前かなとだんだん思われてくるのですね。
 手術によって性器の形を変えたからといって、例えば男性から女性の人のほうが体は早く育ちますから、よっぽど育ってから性器の形を変えたからといっても、ごついようにひげが生えているが、だけど男性器がないような人ができてしまう。そうすると、社会的性別が通用しているかどうかというと、なかなか苦しいところもあります。それは本当に手術をしたという自己満足の世界になってしまうので、それは難しいことであり、一人一人の考え方の持ち方で変わってきます。
 ただ、異性装の人とトランスセクシュアルの人は、例えば異性装の人は女性の服装を、男性が女性の服装しているときは女性のジェンダーで扱われたり、あるいは私だったら男のジェンダーで朝から晩まで扱われたりということは共通していて、そういうどこかの時期でジェンダーをトランスしていたいというのが、共通しているのが広義のトランスジェンダーで周りを囲ってあるのです。ただ、それはいつも一口にトランスジェンダーと関係者は言ってしまうのですが、本当はもっともっといろんな人たちがいるにはいるのですね。
 皆さんは人権関係や学校関係など、そのような役所関係に関わっているからには必ず当事者とふれあうところがあったと思うのですが、そのくらい一人一人ばらばらの考えを持っていると思っていただければ、それは非常にありがたいと思います。
 例えば、性同一性障害という言い方一つ、私のトランスジェンダーの友達たちは、いわゆる心を生きるほうの性と身体の性、多様な性としての意識なんだ、ライフスタイルなんだ、だから障害なんて呼んでほしくないんだ、というような人たちはたくさんいるのです。性同一性障害ではない人たちは、そうだ、そうだと言ってくれるのですが、治療を求めている人たちの場合は、性同一性障害という呼称がないと治療が始まらないのです。だから、早く性同一性障害と診断してください、早く性同一性障害と呼んでください、という人たちもたくさんおられます。あるいは、手術は全部終わっても、戸籍が変わっても、外見的な問題などいろんなことで就職ができなかったりするので、性同一性障害ということで障害者手帳を出してほしいのです、という人たちもいるにはいるのです。
 だから、性同一性障害やトランスジェンダーの人の中でも、かなり多様である。自分の性別についても、私男にしか見えないけどどうしても女になるんだ、という人もいれば、私はどう見えても構わないし、どう扱われても構わないんだという人もいるので、ばらばらなんですね。
 だから、一人一人の話を面倒ですが聞いてあげるしかないのです。私は30年間、一人一人聞いていますが、よくもまあ、これだけばらばらな人がいるものだと思ってびっくりしてしまうのです。そのくらい悩みが尽きない、そのくらいばらばらな人たちなのです。
 だから、手術が終わって戸籍が変わればそれでいいのかというと、そのようなものでもないというお話は後で少しする時間があればいいかなとは思っております。それで、上の図をご覧ください。鯉のぼりの目のようですが、山内俊雄著『性転換手術は許されるのか』と書いてありますけども、これは山内俊雄さんというのは日本で初めて性同一性障害の治療や手術を始めてくださった埼玉医科大学の学長さんです。精神科の先生です。多分まだ学長さんをやっていらっしゃると思います。性ではないほうのてんかんの専門の先生です。ここに性転換手術と書いてあるのですが、役所の方にはぜひぜひ、こういう言い方はやめてほしいです。本当は用語解説にもありますけど、性別適合手術という言い方をしていただければ非常にありがたいです。
 性転換というと非常に簡単に考える人がいるのですね。一晩で男が女になる、女が男になる、あるいは非常に簡単な、水族館にそれこそ張り紙がしてありますが、メスばかりいるときは、一匹一番大きいものが性転換してオスになる魚ですとか書いてある場合もありますが、そのようなことを考える人もいるのですが、非常に複雑な道筋を含んでおり、それを踏まえて治療にいくものなのです。複雑な道筋というのはカウンセリングのことなのですが、短い期間で済む人、長い期間かかる人がいます。長い人は本当に10年近くカウンセリングをして、ようやく診断が出る場合もあると思います。
 性転換手術は英語だとsex change operationとなりますが、正しくはsex reassignment surgeryといわれておりまして、直訳すると「性別再適合手術」なのですが、一度も適合していないのに「再」はおかしいということで、日本では「性別適合手術」になりました。
 ただ、この言い方はまだあまり浸透しておりませんで、一応意識の高い記事では使われているのですが、役所なり、あるいは公文書などでは性別適合手術という言い方にしないと、遅れているなという感じがすごくするのです。今はだいたいかたい文書では性別適合手術と書かれております。
 ただ、この山内先生の本は古いもので、その言葉がない当時の本でしたので仕方がないのですが、性別違和症候群ということが最初に書いてあります。これは臨床的には死語かと思われるくらいあまり使わないですが、性同一性障害まではいかない、女の人にやはり多い、自分の性別に違和感を持っている、だけど自分が女だということは仕方のないものだと思っている、というケースに使ったりします。例えば昔ですと、ジェンダー的に弟やお兄さんは門限がないが私だけはあったとか、あるいは親戚が集まったときに、お兄さんや弟は座ってしゃべっているけど私は手伝わされたとか、あるいは痴漢に遭ってしまったとかレイプされてしまったとか、いろいろあります、体のほうですね。そういったことも含めて女であることが嫌でたまらない、不安でしようがない、不幸である。そういったことを非常に考える時期が長かったり、短かったり、浅かったり、深かったりする。でも、男になってまで、この状況を変えようということはまずないのですが。
 性同一性障害ということになりますと、そういったジェンダーの人はもちろんいるのですが、自分の場合はとにかく間違っていて、それを何とかしたいというものが強かったのです。
 一応世界的にみると、女性から男性になる人のほうが、やや数が少ない。日本ではほとんど一緒ではありますが、長い間男性から女性になる人のほうがずっと多かった、もちろんなり方が簡単だという理由もあるのですが。つまり男性のほうが日本では一応優位ではあったが、でもそのようなことはどうでもよくて、社会的に優位かそうじゃないかというのもどうでもよくて、とにかく自分が男であることが間違っている、とどうしても考えてしまって、それで手術に走る人が昔からたくさんいたということなのです。
 性同一性障害というのは、心と体の性別が不一致、あるいはどこかがずれていて、それをどうにかして解消しようと努力をしていくと。つまり診断名でありますので、お医者さんがそうだと言われないと性同一性障害ということは自称にしかならないのです。性同一性障害ということになりますと、治療は意味があります。図の黒い丸がいわゆる性転換症ということで、トランスセクシュアルとほぼ同義であります。
 それで、結局この次にいつも話していることというのは、性同一性障害という人たちはたくさんいるのですが、皆さんはいわゆるニューハーフ、東と西で呼び方が違うのですが、多分ニューハーフという言い方は共通だと思うのですね。ミスダンディの場合というのは、つまり女から男になった人の場合は東と西で呼び方が昔は違っていたのですが、今は果たしてどう違うのかよくわからないのですが、やはり、そういった職業の人たちですね。職業でやっている人たちの居場所はどこにあるのか。結局、職業でニューハーフなどをやっている人というのは性同一性障害の人もいれば、女装の人や同性愛の人、別に何でもないけど職業だから、という人もいますよね。いろんな人たちがいます。ですので、ニューハーフというのはあるカテゴリに分けることができないのです。ただ、今言ったようにちょっとピンと来られたかと思うのですが、同性愛と性同一性障害はわざわざ分けてお話しております。
 私は東京の某大学で、非常勤講師を何年かやっております。大学の授業らしくない内容ですからとても生徒数が多くて、毎週300人近くの生徒に向けて話をしております。そこで、毎年、毎年変わるのではないかと思うのですが、聞いてみると同じような答えが毎年返ってきます。それは95%の人が性同一性障害と同性愛は同じだと思っていた。それが非常に不思議であります。性同一障害という言葉があるということは何年か前から知っているが、それは同性愛と同じものだと思っていて、それで生活に支障がないぐらい自分の人生にかかわってないということが、ちょっとつまんないですけれども。
 性同一性障害というのは結局は、男が好きだから女になりたいよというような人たちが、手術をして女になって男とくっついちゃう話じゃ、まずないのです。男から女になりたい人の4割は男の人はあんまり好きじゃないと、女しか好きにならないと。つまりレズビアンです。私は余り女の人は好きではありませんでして、手術が終わって5年ぐらいたってからかな、初めて女の人と付き合った、30代になってから。それまで別に女の人が好きだとか、SEXしたいとか思ったことは余りないです。だから、自分がレズビアンだと思ったことはないし、自分のことに恋愛を絡めて考えたことはないのです。だから、恋愛の関係で体を変えたいと、まずは考えない人もたくさんいるのだと思っていてほしいです。
 次に、192ページの用語解説を見ていただくと、下から5番目に性指向と書いてあります。性的指向という言葉、これは同性愛の人のキーワードなのです。同性愛の人というのは、今日、この会場に100人いらっしゃるとして、大体3人から10人ぐらいいて、それは全く当たり前にいるはずです。ここで手を挙げてくださいとは言いませんが、必ずいるはずです。それは当たり前なのです。
 そのぐらい大きな数がいらっしゃるので、皆さんが暮らしていらっしゃる町、役所の中の職員さんにもいらっしゃるでしょうし、うちの相談に来る人の中にも何百人、何千人といらっしゃるのでしょうが、その人たちがカミングアウトしているのかというと、そういったことはまずありません。そういったことはないのですが確実におります。周りにそういう人がいると思わないで話をしているということです。あんた何で結婚しないのと、言われる人は、同性愛だとしたらどんなに悲しいかということを少し想像してみてください。
 そのようなこともありまして、性的指向を簡単に言いますと、異性を好きになるか、同性を好きになるか、両方好きになるかということなのですね。だいたいの人は異性を好きになる。少しニュアンスが違うのでは、エーセクシュアル、ア・セクシュアルというものもあります。それは女の人に多いのですが、だれかとパートナーシップを組んでも、性的な接触を一切したくないという人もいるのです。だから愛してはいるのですが、性的なことはしたくないという人もいます。そのようないろんな性的な方向、性欲が向かう方向があるのですが、それは生まれつき同性に向いている人が同性愛なのです。
 性同一性障害の場合は、ここになぜか書いてないので、ぜひメモしていただきたいのですが、キーワードは、「性自認」というもの、自分の性をどう認めるか、自認するかということですね。これは本当に自分の問題であります。自分の心と体の性別がずれているか、あるいは全く逆であるか、そのようなことを考える。例えば、同性愛の人は、小さいころあるいは思春期、だれかを好きになる。だれか自分のほかに人がいて、そのだれかを好きになるという気持ちの動きが、その相手が同性だった場合に、自分は同性愛なんじゃないかと思うわけです。そして、自分を嫌ったり、悩み苦しんだり、あるいはそれはすてきなことだと思う。それはその人の環境によります。
 性同一性障害の場合というのは、特に相手は要らないのです。例えば私の場合などは、幼稚園に行って、女の子がいるところに座らせられるととても不満でした。だって、あっちは自分の行くとこじゃないもんと思ったり、あるいは親戚の人がお人形を買ってくると、何てくだらないものを買ってくるんだと思ったり、自分の持つべきものではないと思っているのですね。周りの扱いと、自分が思っている自分、特に体の部分が違っているということを考えるのですね。
 だから、何かを好きになる、ということから100歩ぐらい手前の問題であって、自分が違っているぞ、どうも周りが思っている自分と自分が思っている自分と、自分の体が全部バラバラだぞということになるのです。恋愛どころの騒ぎじゃないと言ったのはだれかわかんないのですが、本当に恋愛云々の前に、生き物としての価値がおかしなことになってしまうのですね。
 一般的に、どちらであるかということと、どちらの性別が好きになるかということ、その問題がすごくごっちゃにされているのですね。だから某大学でお話をしたときに、そこの大学の先生は、何かファッションみたいな感覚で体を変えているのだと思っていましたと、これはとんでもない話であって、体を変えるということは、非常に命がけであります。ただ、もちろん変えたからといって、それをまたもとに戻すことはできますけど、傷だらけになってしまいますし、全くそんなことをするような、やりたくてやることではない、やっぱりこれも生まれつきによることではあるのです。
 それで、1点だけ少し補足なのですが、性分化疾患というものは、いわゆるインターセックスです。「IS」というドラマがやっていましたね。大阪で橋本秀雄さんがやっていらっしゃるPESFISというインターセックスの団体がありますが、このサイトは詳しい情報が掲載されておりますが、これは本当に性腺と性器の不一致あるいは性染色体のいざこざというか、それはやっぱり今の医学的な概念があって、いろいろ治療もされるのですが、生まれたときの割り当てられた性別と違っていたり、あるいは生まれついたときの性器の形があいまいであって、どちらとも言えなかったりするわけです。私たち性同一性障害の場合というのは、生まれたときの体の形は見た限りでは別に何も変わったところはないのです。性染色体も私は通常女性型です。だから、インターセックスとは同じではないのです。
 そのようにさまざまな性的な形がありますが、その中でも、私たちも、性分化疾患も、同性愛の人も、生まれつきであるということは確かであります。例えば、生まれつきではなく、好きで女装したり、好きでホルモン注射をしたりしても、あるいは差別されるいわれはないのですが、本当は好きでやるわけではないのです。少し長い話になりますが、お話したいと思います。
 
 10年ぐらい前に、私の友達で、すべて手術をした人がいたのですが、戸籍を変えることはまだできない時代でした。だけども自分がどうしようもなくて、何とかして女の体を持ちたかったのです。その人は2m近い身長の上に、ものすごい毛深い人でした。それでもその人は、女の人の格好をして手術を全部して、胸にシリコンを入れて、それに名前を変えるんだということで役所に行きました。そうしたら、そこの窓口に出てきた女の方は、にやにやと見て、「ちょっとお待ちくださいね」とか言って後ろに引っ込んで、しばらくしたら爆笑が起きた。何人かの人はのぞきに来た。その人は本当にでっかくて、ごつい男おばさんに見えるのだけど、本当に気持ちの繊細な人だった。のぞきに来られたその間、本当にもう居場所がなくて、下向いてもじもじしていたところ、10人ぐらい、20人ぐらい、代わる代わる見に来たあげく、どうも大量にコピーをとっている音がする。どうもその人の免許証だったと思うのですが、とっている感じだった。
 結局、そこで名前が変わるわけではないです、やはり家庭裁判所に行かなければなりません。それで、名前を変えるために、このような書類が要りますと、多分書いて渡しただけだと思うのですが、それで、「じゃあ、ちゃんと文書できましたので、何さん持って行ってください。頑張ってくださいね」て、にやにやしながら渡されたそうです。今はそんなことはないと思うのですが、10年前の役所の窓口の対応は非常に嫌ですね。その人は、私に長々とそのメールを打ってきて、私がそれを読んだのが次の朝だったのですが、非常におそい時間に打って、打ってから私がそれを読むまでの間に、首をつって死んでしまいました。
 だから、昔は、そういうことはありました。そういう格好をしている人って、何かおもしろがられたいためにやっているんでしょうね、おもしろがっていいんだよねみたいな感じで対応しても、本当は全然そんなことはないということ、そのときに言いたかったです。現在は、だんだん改善されておりまして、外見がおかしかろうが窓口でにやにやしたり、みんなでのぞきに来たりするような役所の人が減ってきたというのは非常にありがたいと思っています。
 いわゆる性同一性障害、トランスジェンダー、そういった人たちが、なぜ外見的に通用しないときもあるとわかっていても、そういったことをする気になるのかという話を少しします。原因論というのはまだ定まっていなくて、しかも定まったからといって、当事者の治療に役立つわけじゃないので、あんまり役には立たないのですが、生まれつきだということがよくわかるので、聞いていただければと思うのです。
 まだ80年代、このときは環境説が言われたのですね。環境説あるいは養育説なのですが。今回これが大学の授業だと、ほとんど手が挙がらないのですが、今日の皆さんは、そんな若い方ばかりじゃない。多分、もしかしたら手が挙がるかと思うのですが、「ベルサイユのばら」を知っている人。──さすがです、ありがとうございます。これがジェネレーションギャップです。大学の講義だとだれも挙がらなかった。大学生ぐらいの年代だと全く挙がりませんでした。
 知っていると仮定してお話をしますと、ジャルジェ将軍という男の人がいて、その将軍は息子が欲しかった。だけど、次から次へと女ばっかり生まれてしまい、とうとう最後であろうという子もやっぱり娘であった。その子をじゃ、仕方がないから男として育てようということで、オスカルと名前をつけて育てた。非常に男らしく育ちましたとさ、そこだけなのですが。そのオスカルは、漫画の中では女性の自認を持ったままだったのですが、そういうふうに実際の性別から違う自認のような育て方をした、環境で育てた場合に、性同一性障害になりやすいのではないかということを80年代はよく言っていた。
 ところが、90年代になると、どうも脳の性分化のアクシデントということが言われました。脳の性分化というのはだれにでもあること。特に男はこれがなかったら男にならないですね。脳の性分化のアクシデント、ここにアクシデントがあるから問題であるというわけなのですが。
 最初、人間の胎児はお母さんのお腹の中にいるときはどちらも体は女性様なんですね。そうすると男の性染色体を持つと睾丸ができる。睾丸ができると体が男だというわけなのですが、体の性別が決まってから心の性別というのは脳全体ではなくて、分界条床核という小さな性別をつかさどるところがあり、詳しくないのですがそこの神経細胞の数により、性別が違う。体の性別ができてから一週間あるのですが、睾丸から男性ホルモンが出て脳の仕組みが男になる。そうすると体も心も男として出てくる。それが一般的な男性ということなのですが、睾丸から男性ホルモンが出ました、けれども届かなかったり、染め損なっちゃったりすると、体は男だけど気持ちは、考え方は女性のまま出てくる。それは性同一性障害なのじゃないかということをオランダの先生方がおっしゃったのです。
 それで、ここは2000年代になると、今度はスウェーデンの研究者が出たのです。この研究者は、脳の性分化のアクシデントを起こしやすい遺伝子を持っている人がいるのだと。そうすると、じゃあ性同一性障害の究極の原因というのは遺伝子じゃないかということを言い出した。2008年、ここでオーストラリアの研究者たちが、男性から女性の当事者の遺伝子を突きとめたのです、とうとうね。
 それで今年、これは報道が小さかったのですが、ハワイ大学のミルトン・ダイアモンド博士という非常に日本や大阪が好きな先生がいて、その人が双子の研究をやっていて。例えば、皆さん、おすぎとピーコさんってご存じだと思うのですが、性同一性障害ではなく同性愛の人たちですが、彼らのように片方がゲイであると、もう片方もゲイである場合もある。
 ところがダイアモンド博士の研究によると、皆さんも例えば双子の方もいらっしゃるでしょうし、双子の親御さんもいらっしゃるかわかりませんけども、二卵性双生児というのはきょうだいが一度に生まれたようなもので、遺伝情報も同じではないんですけども、一卵性双生児というのは、例えば、たっちさんとかおすぎとピーコさんとかを見てわかるように、顔もそっくりだし、遺伝情報も似ているし、どちらかがどこかが痛くなると、気分的にかもしれませんがもう片方も痛くなったりするのですが。あのように、一卵性双生児のように遺伝情報が同じ場合というのは、片方がトランスジェンダーだと、もう片方もそうであるという確率がだいたい約50%いるんだと。これは私よくわからないんですけど、科学的に見るとかなり高い数字になっているのですね。
 だいたいそうすると、やはり性同一性障害とかトランスジェンダーというのは、脳の性分化のアクシデントもそうかもわからないけども、遺伝子から来るんだなということがだんだんはっきりしてきたんですね。長いこと研究してきて、今ここに至るんですけれども。
 最初、まだ環境説あるいは脳の性分化のアクシデントというと、母親が責められました。母親がそういうふうに育てたんだと。だいたい母親がその当時は子どもを育てましたから、そのように言われました。脳の性分化がどうとかというと、「おまえが妊娠中に変な薬を飲んだんだろう」とか言われていたのですが、遺伝子ということになると、とうとうお父さんのほうにも責任が回ってきたので、余りお母さんは責められなくなりまた。それは非常にいいことなのですが、さらにいいことには当事者は生まれる前から、そういうふうに生まれつくように仕組みができていることだと、だんだんはっきりしてきたのです。
 だから結局、それは性の表現という非常に語りづらいところに「障害」--と言いますと嫌がる人が多いので伝え方も難しいので、個人的な見解として聞いていただきたいのですが、これが例えば手とか足とか、あるいは形状とか内臓の病気であったら、生まれつきそういうところに障害があるのだよということになったら、だれも差別はしないと思うのです。出たところが性同一性だったからといって、差別されるいわれはないと思われます。 実際に本当にその人たちは、例えば私も、あまり時間がないのでお話できるかわかりませんが、非常に命がけでした。手術をしたら死ぬかと思いました。私は3回手術をしました。おもしろおかしくやるものではないのです。したくても、絶対したいと思ってやるわけじゃないのですが、したくもなくてやる治療して、それで周りに差別されりゃ、本当に踏んだりけったりなわけなのです。
 でも、それをしなければ、何とかやっていけない人たちもいるということで、こうやってお話をさせていただく機会がふえてきたので、「性同一性障害です」「だからどうしたの」ということになってはきたのですけども、非常にありがたいと思っています。性同一性障害、だからどうしたのと言った人たちは、自分の人生に関係がないと思っている時にそのように言いがちではあるとしても、淡々としてくれることはありがたいです、まあ、同性愛と区別してくれればいいなと思うのです。
 これから自分のお話を少ししようと思います。
 自分は来月誕生日なのですが、1963年に生まれました。随分前なので、今の性同一性障害の人たちとは格段の差がありますが、その当時は「性同一性障害」という言葉はありませんでした。性同一性障害という言葉ができたのは、1996年の埼玉医科大が、この年表に出ていますかね、七月に、この先に公的治療を始める発表をし、その時に性同一性障害という呼称を使いました。そのときの記者会見で一般に向けて確定した感じがします。それまではいろいろな言われ方がされていて、例えば昔の本だと確実に出ているのは、変性症、このような言われ方がされておりましたが、私が赤ん坊のころ、こういった言葉すらなかったです。
 例えば「おかま」という言葉、あれは差別用語なので、本当は人権関係で口が裂けても使っちゃいけないと思うのですが、おかまとかホモ、レズという短縮な言い方は非常にばかにした言い方であるので、当事者同士でしゃべるのならいいのですが、周りの人が使っていい言葉ではないと思います。言われていい気持ちがする人はまずいない、使われても全然構わないわよという人もいるのでしょうが、とても傷つく人がたくさんいるので、人を傷つけたくないと思う人だったら、それを使うべきではない。そしておかまという言葉、本当は江戸時代の言葉で「阿釜」、肛門のことなのですが、それで男性同性愛者のことを指していたのです。今、女性的に見える男性全般を指すのですが、そのように言葉も変わって生きます、先の我々の手術の呼び方もそうですが。よい方向に変わっていってくれるとよいのですが。 私の母はとても流産しやすいということで、私の前に3人、後に2人流産しておりまして、それでどうしても1人だけでも子どもが欲しいということで、私が4人目だったのですけど、お腹に入っていたときに、お腹が何か丸く張っている感じがすれば女の子、四角く張っている感じがすれば男の子だと昔から言われていたらしいですね。うちの母はどうも、どうも四角く張っている感じがする、だからうちのお父さんのためにも息子なら産まなきゃと思ったらしく・・・・この考えもまたどんなものかと思いますが。
 近くの女性の産婦人科さんがいたのですが、そこに行って、何とかしてもう流産しないですませたいというようなことを泣きながら訴えて、その先生も「欧米では使用禁止だけど日本ではまだ使えるような防止剤があるから使いますか、ききますよ」と言ってくれたのです。そうしたらうちの母が、「何で欧米では使用禁止なんですか」と聞いたところ、「胎児が女児だとしたら男性化する危険性があるんだ、それが欧米では論文としてかなり、たくさん出ているから使われないんだ」ということを教えてくれたそうです。
 ところが、うちの母は四角く張っているから男だと思い込んでしまっていて、「先生構いません、男にじゃ、それを使ったらどうなりますか」、「かなり乱暴な子になるでしょう」、「いや構いません、先生使ってください」、ということで、かなり使って出たらこうなったのです。
 結局、胎児は一応女性ではあったのです。だけども、黄体ホルモン、男性ホルモンの働きをするものは、へその緒を通じて脳に回って、それで脳の成分からアクシデントを起こして云々という話なんかじゃないかと、私アメリカで手術をしたのですけど、アメリカの先生はそうおっしゃっていました。日本で埼玉医科大の手術が始まったときも、その先生たちに聞いたのですが、そうおっしゃっていました。オランダの先生たちにもわざわざ英文手紙を出してうかがったのですが、お返事にはやっぱりそのように言われたので、私の場合はそうだったのだろうなと思います。遺伝子かどうかわかりませんけどね。性染色体は一応XYと女性型ではあったのですけども、でも結局はそのように出てきてみたら非常に毛深いと、生理が1年に1回あるかないかと。それで非常に肩幅が広くて、母親の出てくるところにひっかかっちゃったり、いろんなことがあって変わった子どもでした。
 ところが、その論文についてなのですが、その薬を使った母親と子どもというのは、いずれ胎児がどちらにしろ、とても体が弱るというようなことは日本でも知られていて、母親は非常に体が弱ってしまう。私も非常に体の弱い子で、それで本ばっかり読んでいたのですね。もし今だったらゲーマーになっていたかもわかりませんけど本しかなかったので、本ばっかりもう月に何百冊と読んでいまして、それが高じて作家というか、本を書く人になったのですけども、本当に本ばっかり読んでいた体の弱い病気の子どもでした。外で遊べなかったのです。一人っ子、みんな流産されちゃった、きょうだいもいなかったので、1人でだれもいない部屋で朝から晩まで本を読んで、親といるのはご飯食べるときだけみたいな感じで、後はお医者さんに行っているときみたいな感じだったので、静かに暮らしていた病気の子で、大抵男性になりたいとかという場合は男の子とむちゃくちゃ暴れ回っている場合が多いんですけど、私は全くそれができなかったのですね。
 ところが不思議なことに、2歳半ぐらいから母親の証言をもとに、私はもうちょっと幼稚園ぐらいからしか記憶がないのですけど、男の子の体になるんだと言い始めたと。「ああ、まあちゃんはお兄ちゃんになって、お父さんになって、おじいちゃんになるんだ」と言っていたらしいのですね。私はなぜそんなこと言ったか、全然記憶がないのですが、でもそれを言い出したのは2歳半ぐらい、そのことをずっと本気にしていまして、大人になっていって男のしるしが生えてくるから、その時に男の子の服を着ればいいのだろうから、それまでは母親が出した服を普通に着て、普通に暮らして。
 ところが、今は恐らくもう少し早いかと思うのですけど、私が小学校5年生の4月だったかな、女子生徒だけ講堂に集められて、養護教諭の方がつくった紙芝居を見せられたのです、いわゆる性教育、初潮教育。いわゆる生理が来たらどうしましょうと、そういう話ですね。それをまだ男の体はしてないからしぶしぶついて行って、みんなで聞いて、38年前の性教育ですから全くなんか、ふっと笑いそうな中身だったので、今考えてみればですね。おしべとめしべの話で、その養護教諭の方がつくった白黒の紙芝居、模造紙のでっかいのでつくった紙芝居で、今のようなハイテク機器で見せるようなこともなく。
 例えば皆さんは、性教育に関わるようなことがあったら、ぜひぜひ同性を好きになる子もいるのですとか、心と体の性別が食い違っている子もいます、どんなに違っていても、みんな同じ仲間なのですということを少しでも言っていただければ非常にありがたいです。そのときの性教育のときは本当に女の子に向けての話で、「お母さんになる大事な体だから、給食は全部残さず食べて」とかそんな話なのです。
 それをぼうっと見ていて、1枚だけ色がついた絵が出てきました。それを見たときに本当に非常に悪いショックを受けました。その1枚は成人男性の横向きの裸の体のシルエットで、その横に横向きの成人女性の裸のシルエットが描かれていたのです。それを説明して養護教員の先生が、「あんた方女の子はお母さんになる大事な体だから、おっぱいはこういうふうに出てて、体は丸くなっていって云々」ということを言うわけなのですが、私はそれを見るまで自分は、大人になったら男の体になっていくものだと、今はそうじゃないけどそういう人たちもいるんだって、はっきり思い込んでいたんですね。ところが、その絵を見た途端に、自分が大人になったら大人の女の人になるしかないんだということが急にわかって、それでとてもがっかりして、何も手につかなくなっちゃったのです、3日間ぐらい。
 それで、先ほど来言っているように、トランスヴェスタイト、トランスジェンダー、トランスセクシュアル、いろんな人たちがいます。その人たちが、そこの時点でとどまっているかというとそうではなくて、トランスヴェスタイトがトランスセクシュアルになったり、トランスセクシュアルの人が手術をあきらめたり、いろんなことがあり、一直線に道を突き進んでない人もいるのですね。私はしかし一直線で、まさに1番重症というか、そういうタイプなのですが、本当にそれを見たときに、奈落の底へ突き落とされた気がしまして。数日間は何もかも一切手につきませんでした。
 それで、今回また、たくさん手が挙がるかと思うのですが、カルーセル麻紀さんご存じですか。ありがとうございます。年齢もありますが地域もありますもんね。そういうようなことがあって、ではあんまり解説は詳しくしませんが、カルーセル麻紀さんが手術をして帰ってきたのがそのときだったのですね。それで、私がテレビを何げなくつけてみたら、麻紀さんが出ていて、それで「ちょん切ってきちゃったのよ、カサブランカでね」みたいなことを言っているわけです。そのときは3日前と違って非常にうれしいショックを受けまして、この人は男から女で海外で手術をしたけど自分はまだ10歳だから、自分がこの人の年になるころには、国内で女から男にできるかもしれないから、だったら自分はお金をためてなればいいんだ。男の体に自然にならないんだったら手術をしてなっちゃえばいいんだ、と決意をして。
 それからお金をちまちま、1日30円のお小遣いをためることから始めて、笛を吹いて聞かせて大人から10円、20円もらい、お年玉を全部ためて。それで本当に10歳のときから全く何の買い食いもせず、そのためにだけお金をためて、服も買わず、友達づきあいもせず、それで大学を卒業して4日後にアメリカに行って治療を始めたのですけども。
 でも、その小学校5年生のときの絵を見て気がついたのはなぜかと言うと、自分がもう小学校4年生の終わりぐらいに既に、小さい頃からあまり外で遊べなかったので肥満児だったんですね。それで胸も出てきた。でも、それはお相撲さんと同じで脂肪だろうと思っていて、やせたらしぼむだろうとあまり気にしないようにしていたんですけど、やっぱり気になって横向きに、おっぱいのところを鏡で毎晩映して見ていたんですね。その形とそのシルエットの胸がとてもよく似ていたので、それではっと思ったのですけども、でも結局本当はそれからが、第二次性徴の始まりでとても辛かったのですが。今回非常に皆さん熱心なので、目をつむっている人は少ないのですが、ここでちょっと目をつむって、ちょっとの間だけつむって、想像してみてください。それで今、皆さんは寒くなってきましたから長袖、長ズボンの人が多いかと思いますが、自分の服の下に魚のうろこが生えてしまっているみたいなことを想像してみてください。魚鱗癬という難病がありますけど、そういったものではなくて、本当に自分の体の大きさに相応した大きいうろこが生えてきた。つまり半魚人になってしまったみたいな。それで服の下ですから外からみたらわからない、ただ、つり革つかまろうとして手を伸ばしたときに袖から出てしまうのではないか、あるいは階段を駆け上がったときに、自分のその足のうろこともも引きなり、あるいは何かがすれ合って、自分でうろこが生えていることは如実にわかってしまう。あるいはだれかを好きになって、いざというときも、肌を合わすことは全くためらわれるし、プールも入れないし、温泉に入れないし、公衆浴場も入れない。いろんなこともできない、人前で着がえることすらできない。
 やっぱり性同一性障害の問題というのは、私は今だったら言えるんですけど、こだわりの問題だと思うのですね。だから自分の声はおかしいということを非常に、本当はそうでもないのにこだわり抜いてしまって、水の中でしゃべるような声しか出ないみたいなふうに思っていて、それで周りの人は聞いても全然おかしいとは思わないけども、自分としては変な声しか出ないと思っていて、人前でしゃべらなかったりと--もう目を開いていただいて結構なんですけど--そのように自分の体が気持ち悪いんだ、自分の声が変なんだということを思い抜いちゃうのですね。絶対その思いを変えない。思いを変えないというか、自然とそう思わせられちゃうんですね。
 そう思ってしまって、実際には性同一性障害の人は、自分は男の体、女の体に生まれついているということについて自覚はあります。だから自分が、適切な言葉かどうかわかりませんけど、いわゆる五体満足であることもよくわかっていますけれど、そういった本来なら問題がないであろう体に生まれていることを知っていて、それが気持ち悪いとか奇怪だかというふうに思うのは、本当に罰当たりではないかということもたいていの人は思うのですね。だけど、どうも当初の気持ちがぬぐい去ることはできないままにきてしまう。
 それで、先ほど言ったようなカミングアウトがとても増えている。そういった子どもたちはカミングアウトできる子とできない子と、やっぱりいろんな種類ありますから、学校だけではない、職場でもおります。私の知っている人で役所に勤めている人はたくさんいます。たいてい入ってからカミングアウトするのですね。結局その友達の言い分を伝えますと、なかなか首にならないから入った、ということなんですね。もちろん仕事もちゃんとしていたら、同性愛であろうと性同一性障害であろうと、そういったセクシュアル何とかということで首にされるようなところではないからとてもありがたいということで、役所を選ぶ方がとても多いんですね。それで、役場にそういったことをカミングアウトする。でも、そうするとやっぱり周りの人は混乱してしまって、私の話を参考にしてみたいと依頼していただいたりというようなことを今まで30件ぐらいありました。
 とにかく学校だけではなくて、役所だけではなくて、いろんなところでカミングアウトする人たちがふえてきますね。そうすると人権課などでも、もしかしたらそういった会社や企業の人は、学校の人は学校の教育委員会までいくかもわかりません、あらゆるところから相談に来るかもわからないで、そのときにぜひ適切な指導をしてあげてください。
 そのように性同一性障害の人が、学校に行っている場合というのは、一番ひどいのは、地震の避難所などもある程度そうなんですけど、どうしても男と女で分かれていますから、今は混合名簿だったりするところも多いのでまだいいのですけど、例えば体育。それから修学旅行もそうですし、音楽。声を出すのがだめだから、自分の声が嫌だと思ったら、声を出して歌わなければならない、あるいは音読させられるというのは拷問です。それからトイレ、それからいろんなことがありますね。今家庭科と技術は一緒にやっているかと思うのですが、そういった男女で分かれているところ、いろんなところ回って、「君」とか「ちゃん」で呼び分けちゃっている先生もいるかもわかんないですし、いろんなことがあって、どうしても男と女と分かれていて、その間に関する人のことはあんまり考えてくれません。
 非常に悪いのは制服です。寒いところだったら女子がズボンをはくところもあるかもわかりませんが、制服が嫌で学校に行かないとか、引きこもっちゃった。あるいはリストカットを繰り返して私が知っている中学生は、手首から肩まで傷だらけです。そういったことになってしまうとか、あるいは何も言わずに自殺しちゃう、そういった子どもたち。あるいは大人もそうなのですが、そういった人がとても少なくはないんですね。
 ただ、そういった人たちは普段言わないで、自分で悩んでいて、それで日記なんかも書かないでいると何で死んだか全然わからないのですが、そういった原因不明の若い自殺者たちの10%ぐらいはそうした悩みだろうということは、割と常識だというようなことはよく聞かされました。皆さんの周りで、何でかわからないけどあいつ自殺しちゃったんだというような人がいたら、ちょっと考えてみていただくといいかもわかんないんですけど、それをやりがちなのは子どもなのです。
 だから、子どもたちに正しい性同一性障害のあり方というか、それでもいいんだよ、あなたはそれでもいていいんだよみたいな声がけができたら、本当にすてきだなと思います。とは言え、あなたはそのままでいいんだよという言い方も、また難しいですね。そういう人たちは、そのままでいたくないから苦しいのです。だから結局望んでいる方向を別にあきらめなくていいんだよ、みたいなことを言えることが非常にありがたいなと思うのです。
 ただ、そうは言っても、私も学校は制服がありました、今もありますけども。ただ昔だったら病気でもない限りは学校に行かされました。私が高校3年のときに初めて「登校拒否」という言葉ができたというのが聞かされたのですね、今は「不登校」なんですけど。高校3年になるまでは、そういった概念があまりなかったのです。だから病気でもない限り首根っこつかまえて、もう学校に連れて行かれましたが、だから絶対に自分がスカートの制服は嫌だから学校に行きません、ということはまず言わなかったのです。それで、自分は毎朝女装の覚悟でした、これは戦闘服なのだと思いながら学校に行きました。でも、そのように戦闘中である覚悟ができたらまだよかったのですが、一番わかりやすいのは大学時代かと思うので、少し大学時代の話をしようかと思うのですが。
 まず、大学時代はもう今とあんまり外見は変わりません。流産防止剤のおかげで男性ホルモンはとても強かったので、口の周りにふさふさと産毛が生えていた。いつもGパンにTシャツで。だから、男子のトイレに入ってもだれも変だと思わなかったぐらいなのですが、でもいろいろ苦労がありまして、まず朝起きると目をあける必要がありません。窓をあける必要がありません。真っ黒の中で、前の晩に用意しておいた服を順番に着る。なぜ目をあけないかというと、自分の体を見たくないからですね。
 次に、トイレに入る。トイレに入っても目をあけないようにするのは、性器を見たくないからで、触りたくもなく、ろくにふきもしないで出てきちゃう。シャワーに入る、シャワーも今だからカミングアウトしますけど、あんまり入りませんでした。自分の体を見たくないから、たまに入る。入ったときも、触ると、ふかふか感とか形がわかるので、ただあびるだけでこすりません。
 それで、さあ実は一番の問題は、私非常に巨乳だったのです。それが個人的に嫌でしようがなかったのですが、107センチをどう隠すかということで、今はそれを隠すシャツがあるのですが、その当時はお呼びもつかなかったので、結局さらしを巻いていたのですが、1回や2回巻くだけでは全然ふかふか感が消えないので、7周、8周巻いたのです。ぎりぎりと巻きまして、上着を着ればそんなことないのですが、服の薄い夏が問題なのです。結局は炎天下に巻いて外に出ます。炎天下におったら、何かを巻いていることをわからないように薄いランニングなんかを着て、Tシャツを着る。だから結局30度、32度という太陽が照っているのに、前と後ろで大体30枚ぐらいの厚さになっている。
 それで大学に行き、私は作家になりたかったので国文科の授業がすごく好きで、ほとんどさぼらなかったのですが、それからバイトに行き、2か所ぐらい行かないとお金がたまらなかったので2か所に行っていたのですが、バイトに行っても帰るぐらいになると汗だくだくで、本当は舌を出して歩いていても間に合わないぐらいで、もうふらふらしてしまって、日射病でうずくまったり倒れたりしちゃうんですね。そうすると通りがかりの人が「坊や、どうしたの」と声をかけてくれる。ところが、「何ともありません」と言えばいいんですけど、何ともあるのですが、「何ともありません」と言えばいいのですが、声を出したらもっとずっと高い声だったので、坊やじゃないと思われちゃうかもしれないと思うから声を出しませんでした。
 それで、金八先生をごらんになった方は、上戸彩さんがやった役の子が、お父さん役が仮面ライダー1号の藤岡弘で、「おまえは俺の娘なんだ」ということで胸をつかむ場面があるんですけれども。胸をつかまれたときに、上戸彩ちゃんが「きゃあ」と叫んだんですね。叫んじゃって、女性の叫び声をあげたのが嫌だということで、うちに走って帰ったかして、チーズフォンデュの串か、うろ覚えなのですが、それをのどの中にびしゃっと刺しちゃったわけでありまして、TBSにかなり抗議がいったそうなんですね、やり過ぎじゃないかということで。ところが、それは私の友達が本当にやったことで、それを小山内美江子先生、脚本家の方が改良したエピソードなのです。
 私の友達は、焼き鳥屋さんの金串を2本盗んでいって、のどちんこの裏をがりがり削ったんです。それで3日ぐらいはしゃべろうとすると血が出てきたと言っていましたけども、4日目ぐらいですごい声で電話がかかってきて、「虎ちゃん、とうとう声が変わったよ」とすごいざらざら声でかかってきて、非常にうらやましかったです。
 私はとても耳鼻咽喉系が弱いばかりか心臓も何もかも弱いところがあるので、そういったことはできませんでした。それでいつも小さいメモを持って歩いて、「病気があるのですけど何ともありません」と書いて見せているわけですね。実際そのように自分の知らない人相手には全く口をききませんで、電話も1回もとりませんで。だから本当に口をきく相手というのは、日に数回ですね。もちろんお金もないから、何か買って飲むということもしませんし、大学の時代は考えてみたら本当に暗かったです。うちからバイトに、バイトから帰ってうちに着く、うちに着くと父と母がいる。ほかにきょうだいがいません。父もやはり私が、皆さん娘がいる方は考えてみるとわかるのですが、余りにも男っぽいのをとても気に入らなくて、大正時代の人でもう死んじゃっているのですが、「強姦されてこい」と、一発やられちゃえば女らしくなるだろうということで、よく夜の道に出されました。
 それだけでもって、手術が終わって帰ってきたときも、「俺より1秒でもいいから早く死ね」と毎日言っていましたけど、でも父は、何か言い方がわからなかったのですね。コミュニケーションの取り方がわからないという、そういう年代でもあったし、そういう性格でもあったし、多分母親のようなコミュニケーション方法を知っていれば、もっとこう俺はこう思っていた、おまえはそういうところはどうなんだというような話し合いができたと思うのですが、とうとう死ぬまで、そういった話し合いは一度もできなかった。ただ、やるせなかったんだろうなというのは思います。
 ただ、そのようにし、夜道に出されて、夜道でぼうっと待っていると、母親が裏から呼んでくれて、「性別なんかどっちでもいいから、風邪を引かないほうが大事なんだから」と言ってくれて、部屋に戻る。
 仕事に関しては、当時、トランスジェンダーは実際には元の性別を明かした水商売しか働けないという時代であったわけです。私は絶対それは嫌だということで、水商売嫌いなのではなくて、そういったこと、もと女だということを言うのが嫌だったんですね。だから絶対に自分がなりたい職業につくんだということで小説家を目指していて、小説をいっぱい書いて、それでそれを投稿していました。大学時代はずっとです。だから、家に帰ると、疲れているので1枚ぐらいしか書けないんですけど、原稿を書く。原稿を書いている間の短いときと、それから布団に入って寝ているときの短い間だけが気が休まるのです。そして、割といろんなことがあって、いわゆる不眠症になってしまうわけですね。
 それで、大抵私の友達なんかでも、若い子でも年とっている人でも、非常にうつ傾向の人が多いです。私はおかげさまで打ち込めるもの、書き物という、そういったものがあったので何とかなったのですけども、そういう傾向の一歩前で不眠症だったのです。だから短い時間しか眠れずに、ようやく鶏が泣いて目が覚めると、また昨日みたいな一日を過ごすのかなと思って暗かったんですけど、それは大学時代の4年間、それを考えてみたら、そういうときにつくったお金、そのときに勉強した、ラジオにかじりついて勉強した英語力、そのときに書いた原稿は、ほとんど今もあるので、今思えばそのときは暗かったけど、あれがなかったら今もないんですね。だから、ある意味感謝はしているのです。
 そこを抜けて、それでとうとうアメリカに行き、手術を始めて、それでいろいろ詳しい話になってしまうと時間がなくなってしまうのですが、最初はカウンセリングを何とかかんとか英語でやりました。それで突破して、注射を始め、胸の手術をし、1回日本に帰ってきて、それで2年ぐらい働いてからまた下の手術のためにスタンフォード大学の医学部へ行って、子宮、卵巣摘出とペニス、睾丸形成ということをして帰ってきたのです。航空運賃と宿泊費を含めて全部で600万かかり、それが女性から男性の場合は、男性から女性の場合の3倍かかるのですね。その手術も3回以上行う。男性から女性の場合は大抵1回で終わるんですけれども、それぐらい。しかも男性の場合、形成した性器は、形成した女性器の300倍ぐらい見ばえがしないんですね。それが非常にどうかなと思うのですけど。
 ただ、女性から男性の場合は、特にホルモン注射だけで男として通用しやすくなる。男性から女性の場合は元々の体のときに背が高くなり過ぎちゃったり、あるいはごつくなり過ぎちゃったりする場合というのは、手術しても外見的に通用するのが難しい人も中には出てきてしまうのですが、そういったようないろんなフィフティ・フィフティがあったりするのですが、それでも何とか自分がここまでと思うところまでやりおおせて、帰ってきます。
 それで結局皆さんは、もしかしたらこの中でトランスジェンダーの人がいらっしゃるかもわかりませんけど、こちらは関西なり九州なり、いろんなところでお話をして、来月は大分でするんですけども、いろんなところでお話をすると必ず自分もそうだという人がいるんですね。役所の人もいるし、聞きにきてくれた女性の人、学生さんもいるのですが、もしかしたら皆さんの中にもいらっしゃるかもわからないのですが、でもいらっしゃらないと仮定してお話をすると、自分の心と体と、それから法律上の性別が一致している人たち。そうやって生まれてきて、別に疑いを持つ必要もなかった人たちだと思うんですけど、それが一般的でありますが。私たちは、みんなそれはバラバラか、どこかずれているのです。そうすると非常に不安になります。だから波の上に何か、全く周りに何もなくて、板1枚で浮いているような感じがするんですね。
 ところが、その心と体の性別を合わせたと、もちろんそれは変な話ペニスもつくりものですし、生殖の技術もありませんから形を合わせただけなのですけども。そうすると、普通の格好をした船に乗ったような、それぐらいの安心感は持てるんですね。これで何とかもしかしたら次に陸地にたどり着けるかもしれないぐらいの話と思っていたのです。それが本当に安心でしたね。
 いつも不安がありました。お金はその当時はクレジットカードで払えなかったので、600万、どんと最初に現金で出さなきゃならん、それを何とか出せた。借金もしました。
 それから、とても体が弱かったので、3回も手術をしたのですが、3回とも目が覚めたらこの世じゃないかもしれないと思っておりましたが、何とかこの世にたどり着いておれた。
 それから、3つ目の安心は、やっぱり心と体の性別が一致している、皆さんが生まれつきであるその状態に近づけたということなんですね。それはものすごい安心感であって、だから生まれたときから心と体の性別が一致している人って、こんなに安心で幸せですばらしいんだというふうに思いました、25のときだったんですけど。
 本当は心と体の性別が一致しているだけで死ぬほど幸せでいいんじゃないかと思ったんですけど、その点に25歳という若い時点で気がつけただけでも、人生については得だったと思います。ただ、そこでやっぱり一つだけ欠けているのは、一つとは言えないかもわかりませんけど、大きく欠けていたのは法律上の性別の話なんですね。
 それで、なかなか時間が少なくなってきたのですが、10分ぐらいで話を終えて、最後の5分ぐらいは質疑応答ということにしたいと思うんですが。法律上の性別は、いわゆる外見の性別と異なっていると、どこが不都合かということなのですが。結局は、まず物語仕立てにしておきながら、ちょっとぱらぱらと法律だけ説明していきます。
 まず私は、手術して帰ってきた。次の手術代をためるまでに働かなきゃならなかったのですが、正社員になることはできませんでした。外見上の性別と書類上の性別が違ったからです。今でもそうです。正社員になるということは、私たちが戸籍上の性別が変わってない限りは非常に難しいことであります。
 例えば、皆さんが面接採用官になった人がいるかもわかんないですけど、そういったときに、全く同じところに住んでいて、同じ能力を持った人がAさん、Bさんがいて、全く同じだけどAさんは性同一性障害、これから手術ですという場合は、多分Aさんははじくと思うんですね。私だったらはじくと思うのです。なぜかというと、手術のとき長く休んでしまうからです。しかも、これは誤解なのですが、ホルモン注射でものすごく心に浮き沈みができるんじゃないかということで、はじく人もいるのですけど、それは人によりまして、全然浮き沈みがない人もいるのであります。ホルモン注射してあっても、全く性同一性障害ではなくとも浮き沈みがある人がいるのと同じように。それはあんまり関係ないんですが、ただ休む時間のことを考えると、はじかれる人が多かったんですね。正社員になれることは、まず難しい。50社、100社受けてだめって当たり前です。だからたいていバイトをするしかないのですが。
 でも、バイトも、社会人の場合は、私が住んでいるところだけではないと思うのですが、身分証を出せと、写真のついた身分証を2種類出せとかいうところもあるにはあるのですね。そういった身分証には私たちの場合は、運転免許証は、皆さんご存じのように性別が書いてありません。写真がついてちょうどいいんですけども、でも免許証を持ってない場合というのは一体何を出せというのかということになっちゃって、パスポートは性別も書いてある。だからバイトもなかなか難しい。だからまあ学生はその限りではないかもしれませんが、社会人として生活をしていくのは我々は本当に戸籍が変わってない限りは大変なんですね。
 それから、当時は結婚はできない。例えば何十年、私が知っているスズキさんとしましょうか、スズキさんは20年以上ある1人の女性と暮らして共同生活をしていますが、だけどスズキさんがまだ戸籍上男性でないときには結婚はできませんでした。スズキさんは働いて、その奧さんは専業主婦をしていたときもあったんですが、だけど同性同士だということでできませんでした。それで、同性婚だ、同性同士で結婚できるかといったら結婚すると聞いたら、スズキさんは嫌だと言いました。私もそれは同意見ですね。
 やっぱり同性ではなくて、男と女なのだ私たちは、という意見なんですね、私やスズキさんは。そんなことより結婚するほうが大事だから、同性婚かそれに準じる法律をつくってくれという当事者、トランスジェンダーの人もいるので、みんなが同じ意見かといったら、またそれバラバラになっちゃうのです。そのようにいずれにしろ、今のところ日本では、戸籍上の性別が変わらない限り結婚はできません。
 それからもう一つは、私の女性から男性への手術をした友達の一人は、胃がんだったのですが、手術をしたから胃がんになったわけではもちろんなくて、おじいさんも、おかあさんも、胃がんなんです。何か遺伝があるのかもわかりません、ただ同じようなものずっと食べていたこともあるかもわかりませんが。みんなの症状そっくりだったということで、それで病院に行きなよとみんなで勧めたんだけども、その当時まだ戸籍上の性別が変わってなくて、保険証の性別も女性のままで、病院に行くことがためらわれた。結局、もし本当にがんだとしたら、当時は保険証のまま女性病棟の入院になってしまうので。今だったら工夫してくれるのですが、十何年前ですから工夫してもらえなかった。女性病棟に入院するぐらいだったら、そのほうが辛い、だから漢方薬とか酵素などでずっと自分でやってきたんですけど、でもやっぱり、結局は死んでしまいました。
 それは医者に行かない自分のこだわりが悪いというのも私はよくわかっていて、私も首に塊ができて、まだありますが、それができたときに悪いものかもしれないけど保険証の性別は変わってなかったので、医者には絶対に行くまいということで、行かないまんま今に至って、今は保険証変わったら行けるんですけど、友人のお医者さんに聞いたら、脂の固まりだから心配しなくてよしと言われて。もし、これが悪いものだったら、今ごろここでしゃべっているのは、ほかの人かもしれない。それより医者に行けなかった、あるいは今でも医者に行けない人もいるのだということを記憶にお留めください。それは、その人のこだわりが悪いのですけど。
 後もう1つ、その人のこだわりとしてすまされないこととしては、人権の点では皆さんは欧米などのほうが盛んである、進んでいる、欧米に見習おうみたいなことはある程度あるかと思うんですけども。たいていはそういうこともあるのですが、セクシュアル・マイノリティーに関しては、なかなかそうはいかないですね。
 例えばアメリカなどで暮らしていたときに感じましたが、法律の点とか役所の方とか、あるいはお医者さんとか、そういった実際の生活で制度を整えてくれる人は、私たちにとても優しいというか、ちゃんとした仕事をしてくれるのです。例えば、窓口でにやにや笑って自殺させるとか、そんなことは全くないのです。ただ一般市民の人は、非常に我々に厳しい人たちが多くて、それもだんだん変わってきましたけれども、だんだん変わってきたから、ことしニューヨークで同性婚が通って、とてもたくさんの人が同性婚をしました。だけどだんだん変わってきたとはいえ、だけども日本の市民のほうが優しい、差別に差があるんですね。
 例えば、それでもいいじゃんと済ませてくれるのは日本の人たちで、例えば皆さんが居酒屋にいて、男らしいおばさんが入って、逆だな、おばさんみたいに見えるけど、どうも男らしい人が入ってきて、みんな、にやにや、ひそひそするかわかんないけど、そのうち自分のテーブルに呼んで一緒にしゃべって笑っちゃうかもわからない。そういう配慮は日本には一応あります。それは歌舞伎や宝塚で培ってきた部分だけではなくて、昔からそういったところはあったのですね。明治初期に同性愛や女装を禁じる法律が文明開化に伴い出てきたのですが、それまではそんなことは大手を振っておりまして、わざわざ法律で禁じなければならないほど、大手を振っていたんですね。ところが、欧米の場合を聞いたら、細かく言えばまた別の話になりますけど、宗教的なこともありまして割とだめな一般市民の人は、我々に対して冷酷な差別犯罪を向けてきまして、例えばクラブに行って踊っているところに、非常に男っぽい女の子が入ってきた。逆に女の格好をしているけどどうしても男の人が行ったりすると、全く何の関係もない人たちが、その人に敵意を向けてしまって、トイレに連れ込んで殴ったり、けったり、刺したり、撃ったりしちゃうのですね。あるいはそういったことをしたあげく、羊のさくに鉄条網へぐるぐるつり下げたりとか、あるいは池に投げ込んだりとか、そういったことをするのが時々あって、昔は1か月に1人ぐらいは被害にあっていました。それもだんだん減ってきたのはいいことだと思いますが、でも日本よりもずっと厳しい。
 だから欧米の人たちの一部は、新宿2丁目という街が東京にありまして、世界で一番ゲイの店が多い街なのですが、そこに来たときには「パラダイスだ、街行く人が自分たちに石を投げないじゃないか」とすごく喜ぶことがあるのです。
 だからいろんな点では、日本はなかなかこういったセクシュアルマイノリティーに対して、東京はまた難しいのですが、そういうものに対して開けてくれるところじゃないかなと気がすごくするんですね。
 一応来年の1月15日、皆さん若い人じゃないとご存じだと思うのですが、1月15日は昔成人式、今は動きますけど、昔はこの日が成人式だったのですね。今年、この日は休みであるのでやっぱり成人式なんですけど、そこにLGBT成人式をやることになっています。レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダーの成人式ということで、私もそうなのですが、振袖など着たいと思いませんでしたし、成人式は欠席してしまった。ところがそのように、あのとき着たかった振袖、あのとき着たかった袴、そういったものを着て集まろうじゃないか。あるいはめでたい嬉しい式なのに、自分の恋愛話をみんなのようにすることができなかった、同性愛だったから、という苦い思い出をもつ人々もいるわけです。年齢関係なくみんなで集まろう、と。セクシュアル・マイノリティーもマジョリティーもみんなで、と。
 
 発起人は早稲田大学を中心とした各大学の学生なのですが、関西、九州とか北海道とか、いろんな人たちが旗上げをしています。松山のいわゆるLGBTの団体なんかも非常に頑張ってやっているので、皆さんがもし目に触れたり、何か要望するなり、あるいはそういった書類が回ってきたら、非常に好意的にしてあげてくださればとてもありがたいと思います。
 たいていこういうことを東京でやると、珍しくないので報道もされないようですね。インターネットかなんかでちょっと流れて終わってしまうのですが、でもそういったことは常に全国同時多発的にやろうということで今彼らは、私などは本当にながめているだけなのですが、セクシュアル・マイノリティー、当事者でない人たち、当事者である人たちがみんな一緒になってやろうと。日本を昔のように大らかな国にしようと、頑張っています。
 あるいは避難所に行くと、それだけでなくてもつらい思いをしている当事者の人たちが、トランスジェンダーどころじゃないだろうみたいなことを言われたり、自分でもそう思ったりして、通常の忍耐にまた忍耐を重ねる。そういったこともないように、いわゆる工夫をしていこうじゃないかということを当事者なりに考えて。100人ほども国会議員の間を回って法律をつくったように、今も当事者たちはそれぞれ役所に要望することは今すごく考えている、全国的にですね。
 だから、これからとにかく人権課とか男女共同参画、そういったところにはこういった話がどんどんふえてくるかと思うので、今日は聞いていただいたお話をちょっとでも参考にしていただいて、柔軟に対応していただければ非常にありがたいと思います。
 今日、時間がぎりぎりになってしまったのですが、これから質疑応答に移りたいと思いますので、もし皆さんの前で聞きづらいことがあったら紙で書いて回していただいてもよいので、よろしくお願いいたします。
 
(質疑応答)
 ○きょうお配りいただいている資料の中の記事だったと思うんですけども、朝日新聞の嫡出子を認定してもらえなかった分は、これは後どのような経緯をたどったのかと思いまして。
 ○(虎井まさ衛) これは後は、後も先もほとんど経緯をたどってなくて、これは一応その当時は、やめちゃった女性、法務大臣の名前が出てきませんが、その人は「わかりました、やりましょう」と言ってくれたのですけど、それからやめてしまって、それ以来棚上げなのです。全然進んでいないですね。
 よい投げかけをありがとうございます。これは本当に窓口で起こった話なのです。これ何ページですか。
 ○200ページと思います。
 ○(虎井まさ衛) 200ページ。ちょっとごらんください。「性同一性障害、性別変えた夫の子、嫡出子と認めず」当時の新聞記事の引用ですけども、これは皆さん、私が言うようなことじゃなくて、皆さんとうにご存じだと思うのですが、いわゆる一般的な男性、私が言うときはバイオ男性といいますが、バイオ男性と一般的な女性が夫婦になりました。いわゆる一般的な夫婦。そのバイオ男性の精子ではないものを使って女性が人工授精で子どもを産みました。その2人が来て役所の窓口に来て届け出をしたら、「おめでとうございます」ということで、その2人の子どもにされると思うんですけども。そのときにバイオ男性は、「僕の精子じゃありませんよ」と言ったら、その2人の子どもにされないんですよね。だけど、それは言わないから受理されると。
 我々のような、私いわゆるトランス男性、トランス男性ともう1人は今の奧さんがいるのですが、その奧さんがだれかの精子で子どもを産み、私が一緒に行って、何もいわないまま届け出を出しました。ところが役所の窓口では、私がトランス男性だから、それはあなたの精子ではないから認めませんということを言ってくる。それがここに書いてある。なぜそれがわかってしまうかと言うと、戸籍上に、あえて法律番号は言わないんですけども、身分事項として法律番号何々と書いてある。それを見ると役所の人はわかってしまうのです。それは今のところ、永久に消えないものでありまして、それが書いてある限り、私たちのようなものはですね、夫にはなれるんですけど、お父さんにはなれない。それは何とかならないのか、今一生懸命やっている人たちがいるんですけど。
 私たちは別に、私と私の奧さんは、もう年が、子どもを持とうとは思わないのですが、まだ若い人たちは、何とか子どもを持ちたいということで、その200ページ、201ページのように法務省にどんどん働きかけをしているんですけれども。なかなか難しくて、働きかけをしている人たちも直接はしているんですけれども、全く暖簾に腕押しみたいなことしか聞かれないんですね。
 これは逆に、非常に難しいと思うのですが、それができる方向を知っていたら、教えていただけたらなと思うんですね。役所の窓口で、これこれこういうふうに法務省に言ってくれたら後はこうなりますよと。そういうふうに言ってくれたらありがたいんですけど、まず難しいと思います。
 それで、そのうち、200ページの最後のところをご覧ください。性同一性障害学会理事長大島俊之、九州国際大大学院法学研究科長勤務と書いてあるけど、この方は神戸の人なんですね。私も20年以上よく知っていて、きょうは時間がないのでお会いもせず帰ってしまうのですが、本当に当事者思いの方で、性同一性障害の研究の第一人者です。
 この方が新聞記事に話されていることには、生まれた子と遺伝的な関係がない点では、Aさんも人工授精で子を設けたほかの多くの人も同じである、過去に女だったという事実をもとに嫡出子と認めないのはどういうものか。性同一性障害への差別だと話している。
 もちろん他の国では、例えばニューヨークなどでは同性婚が認められたということは、男と男の間に子どもの養子をとってもいいわけですし、そういったことをもともとやっているところも国や州によってあるんですね。それが大問題になりましたということは今まで聞いたことはないので、日本でもそのように同性愛の方々の法的権利も認められるべきですし、今問題になっている、性同一性障害の人とパートナーで法的に夫婦となっている人々へ、人工授精により子どもをもつことぐらい認めてもらって、別にだれかに不都合があるかどうかというとこなんですね。それをよく考えていただけたら、非常にありがたいかなというふうに思います。