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人権に関するデータベース

全国の地方公共団体をはじめ、国、国連関係機関等における人権関係の情報を調べることができます。

研修講義資料

東京会場 講義5 平成24年9月20日(木)

「HIV陽性者と人権」

著者
池上千寿子
寄稿日(掲載日)
2013/02/18



 私は、NPO法人ぷれいす東京を、18年前、1994年につくりました。2012年の5月末まで代表をやっていました。2012年6月から代表をやめて理事になり活動を続けています。
 レジュメにはないのですけど、HIVについてお話しすると、必ず質問をいただくのです。あなたはなぜNPO活動をやっているのですか? 疾患というか病気ということでいきますと、患者さんか家族の人、患者会、家族会とか、そういう人たちが活動するのはよくわかるけれど、そうではないのになぜですかということをよく聞かれます。それは、HIVがあろうとなかろうと、私の問題だと思ったからなのです。まず、なぜそう思ったのだろうということをちょっとお話ししたいと思います。
 皆さん、ご存じと思いますが、エイズは新しく報告された病気ですよね。私が生まれたときはなかったです。ほとんどの皆さんが生まれたときはなかったと思う。生きている途中で出てきた。まあ、新しい病を発見するというのはいつでもあることです。だから、これからだってどんな新しい疾患が発見されて報告されるかわかりません。エイズというのは、最初に報告されたのが1981年で30年前なのですね。まさに30年。エイズ30年という節目でいろいろ盛り上がってほしいのだけど、日本はいろいろなことがあって大変で、エイズはかき消されていまして、関心は本当に薄くなっていますがしっかり広がっているのです。
 実は1982年に私はエイズと出会いました。それはどこかというと、日本ではなかったのです、ハワイ。1982年、私はハワイ大学に行ったのです。何しに行ったのかというと、セックスの勉強。セックスの勉強というと、何じゃい、それって。(笑)セクソロジーというのがあって、一体、雄と雌って何なのよというところから始まりまして、同性が好きだとか異性が好きだとか、ジェンダー・アイデンティティーがどうだとか。人間の性については、意外とわかっていないのです。わかっているようでわかっていない。大体、人間って何?ということでさえ、DNAがわかればすべてがわかるわけではないという話ですから。要するに、性って何だろうみたいなところにとても関心があったのですけど、日本では先生がいないし、性について教えてくれるというか研究できる場所がない。当時、30歳を超えていたのですが、ではどこに行ったらできるのだろうと思ったら、ハワイ大学だと言われたわけです。
 それで、だったら行くしかないなと思って1982年に行って、エイズの最初の報告例は1981年ですから、1年後です。行ったら、どうもアメリカの本土でえらいことが起きているというのです。当時はメールもありません、ネットもありません。でも、情報は入ってくるのです。何が起きているのかといったら、1981年にアメリカの本土で突然、新しい病が出てきて、すごく怖いやつで、若い男性がバタバタ死んでいると、こういうわけです。若い男性が死ぬというのは怖いです。本来、死はもっと先にある人たちにおこるものですね。60も超えてくれば、バタバタと亡くなるような例があってもそんなに慌てふためかない。でも、20代、30代となったら、これからどんどん働いて社会貢献してもらって税金払ってもらってという人たちで、彼らがバタバタ死んでいったら、これは社会的経済的脅威ですね。
 だけど、その脅威に対してなにがおきたか、これが問題なのです。その脅威に対して、さあ、この新しい危機を何とかしなくてはいけないというので、政治家や研究者や医師が駆けつけてきたという対応ではなかった。差別と排除がおきてしまいました。なぜかといったら、バタバタ死ぬ若い人たちが限られていたグループだったからです。まず、男性だった。男性というのは本当だったら、世の中の大事件になるはずです。ところが、限られた一部の男性だったから、一丸となって対応しようというのではなくて、あの人たちの問題で、私たちとは関係ないよとなったのです。その限られたグループは何かといったら、2つあって、血友病の男性とゲイの男性でした。
 そうなるとどうなるかというと、まず、「血友病とゲイの男性がバタバタ死んでいるらしい。じゃあ、とりあえず私には関係ない。我が息子も関係ない。大体、あの人たちは、血友病の人は気の毒。病なんだから。でも、ゲイの人はちょっと違う。何かわけわからない」と。多くの人にとっては、どうでもいいくらいの対応だった。症例が幾つも集まってくると、研究が進められますから、「血友病の男性とゲイの男性に集中してはいるけれど、どうも血液とセックスで感染するウイルスが原因らしい」とわかるわけです。血液とセックスで感染するのなら、インフルエンザウイルスと違います。そばにいたって大丈夫、同じ部屋にいたって大丈夫だよ、ということはわかるわけです。
 だけど、理屈ではわかるのだけど、現実はそうはならなくて、とにかく医療は診療拒否。若い男性が痩せ細って担ぎ込まれると、診てくれない。この人はもうだめ、来ないでください。それから、若い男性が痩せ細ってきたり、あるいは2人で暮らしていると、アパートから追い出される。「あんたたちみたいな人がいるとね、このアパートの評判が落ちちゃうの。出ていってください」というわけです。それから、血友病の少年が、「どうもあの子、病気持っちゃったらしいよ」となると、学校から追い出される。あるいは、「あの一家の1人がどうもそうらしいよ」となったら、これは実際にあった話ですけど、その家が焼き討ちに遭った。
 そういうふうに社会の対応がひどかったのです。若い人がバタバタ死んでいくというのは怖いけど、1983年には原因はウイルスだとわかっているのです。HIVという名前もつきます。ウイルスがわかっているということは、それこそ感染経路がはっきりして、予防の方法もわかる。予防できるかできないかはともかくとして、わかる。そうしたら、冷静に対応できるはずなのに、相変わらず、医療は診療拒否。レストランも入れてくれない。エイズだとわかると、その地域に住めないかもしれないなんていう事態が続いてしまったのです。その情報がハワイにやってきた。
 何とその当時、アメリカ本土では、エイズの患者が出たらハワイに送れ、要するに、自分たちの目に見えるところから離れたところに送っちゃえばいいじゃないか、隔離しろという、そういう案まであったのです。HIVというウイルスがわかって、セックスと血液が感染経路らしいよということがわかったときに、ハワイでは、セクソロジーという、セックスに関係というか興味を持っている人たちが、集まっているわけですから、そうか、これは新しい性感染症じゃないかと理解する。言ってみれば、20世紀の梅毒。梅毒というのは16世紀に地球上をあっという間に覆った当時の新型性病です。新しい性病はつねに出てくる。けれど、どう対応したらいいかは梅毒の歴史から私たちはすでに学んでいるよ、となりました。
 どういうことかといったら、まず、セックスと血液で感染するのだったら、このウイルスは、場所を選ばないということです。アメリカ本土で起きたかもしれないけど、太平洋を渡ってハワイに来るのは時間の問題。もう実際には、患者さんはいるだろう。診断できていないだけかもしれない。それと、もしセックスと血液で感染するのならば、アメリカ本土で起きているようなみっともない差別的対応はしなくていいはずだ。医療は、診療拒否をする必要がない。そんなのはとんでもない話。同じアパートにいてもいい、同じ学校にいてもいい、同じ職場にいてもいい。排除する必要は全くない。でも、排除しないためには、手をこまぬいて見ていたのではだめだ。社会は、それに対して準備をしなきゃいけない。こうなったわけです。
 ハワイでは何が起きたかというと、まず、すごいなと思ったのは、ハワイの一番大きな州立病院の看護師長さんが日系の女性だったのです。その人が、「わかった。アメリカ本土のみっともないことはハワイでは私は起こさない」と宣言しちゃうのです。「どうしてくれるのですか」「ハワイでは、第1号の患者さんから開放病棟で受け入れます」と。隔離もしない。開放病棟で受け入れる。隣のベッドに寝てもらう。医学的にはそれで問題ないはずだ。患者さんが来る前に、そのための準備をします。お医者さんたち、スタッフ、医療従事者、それから、州立病院ですから行政も関係していますね。勉強会、受け入れ準備勉強会をやってしまう。それで、何と、1983年にハワイでは第1号のエイズ患者さんが報告されますが最初から診療拒否ゼロです。
 もう1つ。医療現場はこれでいいけど、社会教育はこれじゃできない。それで、何が起きたかというと、NGOがすぐにできちゃったのです。社会教育するのは、NGOの役割だと。NGOをつくったのが、私と同じ年でゲイの開業医さん、カナダから来た人で大変にすてきな人だったのです。最初、こういうすてきな人たちが中心になってNGOをつくるって、どういうことをやるのだろう、私も一緒にやりたいと思って、手伝ったのですけど、途中でゲイだということがわかって、大変残念でした。(笑)デートの1回ぐらいしたかったのだけど、無理だったのです。その人たちが中心になって、ハワイ大学の専門家とか、私みたいなわけのわからないのがまじって、やろう、やろうというのでNGOができる。それで何をやったかといったら、まず、ホットライン、電話相談です。新しい病気が出たときは、風評被害がおきますね。何が危ないのか、危なくないのかって、混乱して大変なのです。キスはどうか、少しでも血がついたら、ゲイと一緒にご飯食べたら、うつるのですかとか、もう大変なのですね。それは安全、それはちょっと危険かなというようなことを、ちゃんとした情報を提供しなきゃいけない。そこで、電話相談を開設する。
 それから、もしエイズ患者さんが出たら、患者さんが社会から排除されないために、エイズ教育者というのをつくる。これは、学校で性教育をやっていたような人が中心です。新たな性感染としてHIVの情報を加えればいいわけです。このエイズ教育者、AIDS educatorを養成して、職場に派遣する、学校に派遣する、地域社会に派遣する。 そして、HIVのことを説明していくわけです。「隣にいたって大丈夫、そのままでいいのです。排除したり、怖がる必要はありません」とやるわけです。
 それと、患者さんが出たときに、やはり周囲が怖がって、友達がいなくなるとか、家族が離れてしまうとかいろいろありえますから、そういう患者さんたちに対して、安心して話し相手になったりする「バディー」というスタッフをトレーニングして、バディー派遣プログラムというのをつくる。エイズになったって、あなたは一人じゃないよ。最後まで、自分らしく生きていいのだよということですね。そういうことを手助けするバディー──バディーは相棒という意味です──プログラムをつくる。それから、専門家によるカウンセリング・サービスも行う。こういうNGOを、もう83年にはつくっちゃったのです。当時NGOの仲間に言われました。エイズはアメリカ本土が1981年、ハワイが1983年。だとしたら日本には遅くとも1985年だろうね。太平洋のあっち側まで行くのに、そんなに時間かからない。「でも、よかったよね、これだけの時間差があれば、日本だって準備できるね」と言われたのです。そうだなと思って、当時、半年に一回ぐらいは日本に帰って、エイズのためにちゃんと準備したほうがいいですよって言ったら、当時の厚生省の人に言われたのです。「大丈夫です。日本は水際で食いとめます」。新型インフルも、水際で食いとめるとか何とか言っていたけれど、ウイルスは水際で食いとめることはできない。人から人へうつるウイルスは、水際で食いとめるのは不可能なのですけど、やっぱり「水際で食いとめるから大丈夫です」と、こう言うわけです。「いや、それは無理なのですけど」って言ったのだけど、まあ、やっぱり準備できませんでした、日本では1985年に第1号のエイズ患者さんというのが認定されましたが、ニューヨークに住んでいたゲイの男性です。随分おかしな話で、当時もう、血友病で感染している人たちがいるというのは専門家は知っていたのですけど、なぜかそういう人たちは第1号にならなかった。病は政治と絡みます。病は社会的存在です。どのように患者が認定されるのだろうなということも、科学と言うより政治だったりします。
 それで、その2年後、1987年にはエイズパニックという、どうしようもない事態を日本は引き起こしました。要するに、初めての女性患者さんが出たときに、売春者だって決めつけて、遺影を盗み撮りして、マスメディアに公表して、この顔に見覚えのある日本男性は検査を受けろというキャンペーンをした。これは人権上、絶対やってはいけないことです。なおかつ、この話には後日談がありまして、あまり皆さん、ご存じないことですが。この彼女のご遺族は、この報道のために、もちろん住んでいたところにいられなくなりました。お父さんは会社をやめました。日本にエイズを持ち込んだ家族だとなるとこれまでのようには生きていけないということになってしまう。ゲイとか血友病の男性じゃなくて女性ですから、HIVは男と女の間で感染するということになると、問題が違ってくるのですね。
 このとき、遺影を盗み撮りして公表したメディアに対して、もちろん、抗議の声が上がりました。何という人権侵害をするのだと。メディアの人が出てきて、言いました。「なぜ公表したのかには理由があります。これからエイズが日本に本格的に上陸してくる。」本格的という意味は、男と女の間で感染するよということですね。血友病の人やゲイの男はいいのです。本格的に上陸するというときに、「社会全体を守るためには売春婦一人の人権は軽視していい」と、こう言ったのです。これは売春婦だからです。この第1号の女性患者と認定された人が、もし首相の奥さんとか娘だったら、まずこの人は第1号になりません。数字だけで、多分、メディアにリークされません。売春婦だからかまわないと、こうなるのです。
 後日談としては、このご遺族は裁判を起こしました。なぜか。うちの娘は売春者ではない、とんでもない名誉棄損だというわけです。あの状況の中で裁判を起こすのは大変だったと思います。数年かけて、ご遺族は全面勝利したのです。つまり、彼女が売春者だという証拠はどこからも上がらなかった。にもかかわらず、彼女はそうではなかったという、裁判で遺族が勝ちましたよという報道はほとんど出ません。出たって、「あれ、これ、何の裁判だったっけ」というようなものですよね。1987年、第1号の日本人女性患者とされたのは神戸のA子さんというわけで、1987年の神戸エイズパニックというのですけど、その前には、外人差別というのがありました。要するに、アジアの売春者が、アジアのジャパゆきさんと言われた女の人たちが、アジアから日本にエイズを持ってくるのだから、彼女たちを排除すればいいということですね。こういう排除パニックがしっかり起きてしまったのです。
 日本のことはちょっと置いておきますが、私は「セックスと病気が絡むと、人間ってものすごく理屈に合わない行動をとるな」ということにハワイで初めて気がついて、言葉は悪いですけど、すごく刺激的で興味があった。何なのだ、これはと。医者ではないけど、これはおもしろいというか、このテーマは何なのということで、NGOに参加したのですね。だけど、どう考えてもやっぱり、つまり、他人事的な好奇心です。何かおもしろいな、このテーマ。今まで気づかなかったけど、これ「ありね」という感じでしょうか。
 そうこうしているうちに、1985年ごろ、HIVの抗体検査が開発された年です。感染しても自分じゃわからないけど、血液を調べればわかるよという検査です。そのころ、ハワイの病院から電話がかかってきました。日本語しかわからない患者が出たから、すぐ来いというわけです。私に通訳として来いというわけです。私に来いということは、その人はエイズですかと聞いたら、「そうだ」という。「わかった、行きます」と言って行きました。そうしたら、私と同じ年ぐらいの男性の方がベッドで寝ていた。「こんにちは。日本語で話しましょう」と言うとすごくほっとした顔をされました。「僕は一体、何なんですか。いろいろ言っているんだけど、わけわからない。急に具合が悪いんですよ」と言うから、「エイズって聞いたこと、ありますか」「ああ、今騒いでいるあれでしょ。僕は違いますよ」「どうして?」「僕、ゲイじゃないから」。エイズ=ゲイの病というイメージを、もう彼は持っていたのですね。「僕、違うから」「あ、そうなのですか。でもね、今ここに、HIVというウイルスがどうやって入ってくるかという情報を簡単に日本語に訳したから、全部置いていくから、読んでみて質問があったら聞いてください。とにかく、あなたは今、エイズでここにいるのです」と話をしました。
 医師が、感染経路を確かめてほしいという言うわけですね。血液なのかセックスなのか。今は抗体検査があるから、ほかにも検査を呼びかけてみたほうがいい相手がいるかもしれない、こういうわけです。彼に、「このHIVというウイルスは、血液かセックスで入ってくるということ、わかりました?」で、「どうしてあなたに入ったのか、ドクターが知りたいって言っているから、お聞きします。あなたはこの10年間、輸血をしたことがありますか」「ない。入院も初めて。僕は元気だったんです。まだ30代ですよ」。「輸血はないのね。じゃあ、麻薬の回し打ち、しました?」。これは結構、欧米では血液感染経路として多いのです。注射器を共用することによって、それを使っている人の中にHIVを持っている人がいると、その人の血液が注射器に残って次の人に入るかもしれないと、こういうことです。こういうことを言うと、やっぱり蚊でも感染するのかって質問が次に来たりするのですけど、蚊と注射器とは違いますので、大丈夫です。
 で、これをやった? と聞いたら、「僕はもう死ぬのでしょう?」と。当時、薬はありません。「僕はもう死ぬのでしょう? だから、別にあなたに対して格好つけるわけじゃないけど、僕は麻薬はやってない、ヤクはやってない。あれは金がかかるから。僕は今、一生懸命、金をためているんです」こう言うわけです。「じゃあ、セックスですね」という話をしました。HIVは当時は一般的に、体の中に入っても10年間は気づかないかもしれない、10年ぐらいたって発病することが多いみたいだと言われていましたから、「じゃあ、セックスかもしれないですね。この10年、どうでした?」と聞きました。「僕は今、自分がエイズだってことが信じられない」と。なぜかといえば、「この3年間、僕はセックスはしてないんです」と。「そうですか。じゃ、3年前は?」「僕は結婚していました。実は、ちっちゃい子どもがいる。でも、3年前に別れちゃったんです。うまくいかなくなったんです」と。こういう話はよくありますよね。それで、「別れた後、子どもはいないし、寂しいし、つらいし、もう1回、女の人とつき合おうかと思ったこともあるけど、なかなかうまくいかないのです。僕、そんなにもてるタイプじゃないから。だから、今、本当にセックスはないのです。それよりも、息子が18になるまでしっかり養育費払わないとだめだから、それだけはきちんとやりたいと思って、ヤクもやらず、金をためているんです」、こういうわけです。
 こういう話をしたときに、私はHIVがセックスで感染するというのは、自分と無関係でないのだということをはっきり初めて実感したのです。彼と私は、HIVにとってみれば、条件は同じです。同じというか、私のほうがチャンスは多かったのではないか。私にはハワイでつきあっていたパートナーがいました。ハワイに行く前に離婚もしていたのです。離婚後、ハワイでパートナーがいたのです。
 この時代、私たちはエイズという疾患を知りませんし、性病の知識といったら、淋病、梅毒くらいなもので、症状があるからわかるし、治療もできるぐらいの知識です。だから、予防という発想はなかった。毎回、毎回、セックスのときにコンドームを使ってHIVの予防をしていたか。してはいないのです。ということは、HIVからしてみれば、私も彼も条件が全く同じなのです。彼にHIVがあるなら、私にあっても全然おかしくない。でも、なぜか、彼にはある。だけど、私にはない。HIVというのは第一に、感染力がとっても弱い。HIVがある人と1回、予防しないセックスをしたときに、こちら側にHIVが感染する確率はどれくらいか。研究者たちは一生懸命データを出します。当時出ていたデータは1%です。それだけ感染力が弱いのです。例えば、同じ性感染でもB型肝炎とかクラジミアとか淋菌感染は、感染力がもっと強いのです。だから、症状も出やすいというか。HIVは感染力が弱いし、症状も出ない。だけど、来るときは来る。1%とかいうと、「じゃあ、99回は大丈夫なんでしょうか」って。そういう質問がありましたがそういう話ではないのです。確率というのは、そういう理解じゃ困るのです。来るとき自分の免疫力が下がっていれば、1回でも感染するのです。そういう話でしょう。
 だけど、エイズ患者として担ぎ込まれた途端に彼は、性感染らしいとなると、自業自得になるのです。あなたがいけないのだとなる。遊んだのでしょ。あるいは、実はゲイだったのでしょ。自業自得で本人の責任という言われ方をするのは、HIVだけです。だけというと語弊があるかもしれませんが、HIVは特に言われる。血液感染だとお気の毒で、性感染だと自業自得というので、感染経路で分けられちゃう。これ、ものすごくおかしい話です。エイズの人だと聞くと、あの人は一体、どっちの感染なのだろうという詮索が頭を持ち上げてくる。
 だから、このベッドで寝ている彼は、もし彼がエイズだということが周りに知れると、「あ、あの人ってそういう人だったの」みたいな目で見られる。こっちはたまたま、HIVじゃないとなると、何となく、「私は大丈夫、そういう人じゃないの」みたいなことになるって、それはとってもおかしいことだよなということをそのとき初めて発見しました。ウイルスは人を選ばない。感染したりしなかったり、その違いは、その人のせいじゃない。あなたが品行方正だから感染しなかったわけではないということを初めてわかったのです。
 今は薬がありますけど、当時、薬がないですから、もう医学的には彼について治療はないのですね。死を待っているのです。そこでNGOの仲間と最後はどうしたいか彼本人に希望を聞きましょうという話になりました。あなた、最後はどうしたいですか、何か希望がありますか。できることなら一緒にかなえましょうというわけです。そうしたら、彼はこう言いました。「僕は日本に帰りたい」。その気持ちわかります。10年前にアメリカで一旗揚げるぞ、ハワイで頑張るぞというので出てきて、頑張ってきて、恋愛をして結婚もして、赤ん坊も生まれた。日本にいるお母さんにとってみたら初孫です。さあ、やっともうこれで一人前になって家族もできて初孫も見せに帰ろうと思っていたら、離婚した。離婚した後はやっぱり1人で帰るというよりは、まず養育費だよなということで、何となく帰りそびれていたのです。「でも、もう僕、死ぬのですよね。HIVのことを勉強するようになって、親より先に死ぬ不幸というのを、どう自分で克服するのか、すごく大変だった。でも、これはもうウイルスの性でしかたがないのだとよくわかったから、自分では納得します。親には許してもらうしかない。最期は、畳の部屋で寝て、おかゆを食べて、痛いの苦しいのって日本語でお母さんに言って、死にたい。母親の顔も見たい」と。
 「質問があるのですが」と彼に言われて、「何?」と言ったら、「成田空港は僕を拒否しませんか」というのです。「大丈夫。それはしないよ。日本はHIVの有無を入国管理では調べない」といったら。「ああ、よかった」と安心していました。けれど次に会ったら、「僕は日本に帰らない」というのです。なぜかときいたら、日本でHIVをちゃんと診てくれる病院を調べたのですが、当時は日本で2つしかなかった。しかも2つとも東京です。1985年当時。彼の母親が住んでいる地方には、エイズを診てくれる病院は1つもなかった。彼は言うのです、「僕が最後のわがままを通して帰ったところで、そこには病院、ないのですよね。そうすると、まだ30代、40にこれから手が届こうかという息子がアメリカに行って10年いないと思ったら、痩せ細って帰ってきて、病院にも入らずに死んだとなったら、言われることはわかっている。あいつはエイズだね。そう言われる。そこには親類もたくさんいる」
 実際に当時日本で配布されていたパンフレットの1つに、「アメリカ帰りの人は危険だ」というのがありました、怖い病が広がっているところから帰ってきた人はやばいぞというわけです。私もこう見られるのかと思いました。だから彼の心配もよくわかりました。「僕は先に死んじゃうから、わがまま通すだけですむのだけど、おふくろが故郷にいられなくなるかもしれない。肩身の狭い思いがするだろう。その二重の親不孝だけはやりたくない。それぐらいだったら、僕はハワイで頑張っていたけど、残念ながら突然車に飛ばされて即死したとなる方がいい。骨になって帰る」と言ったのです。
 彼とこの話をしていたときに、これは本当に他人事ではないなと思いました。というのは、当時、私もハワイに住んでいたけど、もちろん日本に帰る気で、アメリカはご存じのように医療保険が国民健康保険じゃないですから、医療保険には入っていないのです。自分は、短期滞在、要するにいずれ帰る人だし、高い医療保険を払う気もない。で、何を考えていたのかといったら、入院が必要なほどの病気になったら、とにかく、行っていた先がハワイ大学の医学部だったから、ドクターはよく知っている。応急手当だけはしてもらって、とにかく飛行機で日本に飛んで帰って日本で入院すると決めていたのです。そのために必要なのは何? お金でしょ。片道飛行機代を値切らずに変えてすぐにも日本に帰れるお金。それだけあればいい。つまり、サービスは買えると思っていたのです。必要なのは金でしょうと。それは用意していたのです。それが私の保険だと思って。私もやっぱり病気になったら、日本語で話したいし、おかゆが食べたい。そうじゃないと元気にならない。
 ところが、彼はその最後の望みを諦めるというわけです。諦める理由は何なのか。彼自身の理由じゃないわけです。医学的には、医師に帰っていいって言われたのです。帰っちゃいけないという法律もないのです。帰るためのお金もある。なのに何で諦めるのかといったら、帰る先に彼を受け入れる環境がないからです。残される母親が心配な環境だから。こういう環境だと、私も嫌だなと思うわけです。そういう話になってから、私も、大丈夫だから一緒に帰ろうと言えなかったのです。それで、あなたの気持ちは尊重する。じゃあ、帰るのはやめよう、次にしたいことは何かということになりました。そうしたら、彼はこう言いました。「子どもに会いたい」。まだ小さいのに養育費の支払いがストップするわけですね。そうすると、突然支払いがストップしちゃったら、別れた女房は子どもに何て言うかわからないし、子どもは何と思うかといったら、お父ちゃんが僕を捨てたのだと思うだろう。そうじゃないのだ。たった1人の子どもをとっても愛しているし、息子が18歳になるまではどんなことがあっても養育費を払おうと思って頑張ってきた。でも、病気になっちゃって、支払いが突然とまる。本当にごめんねと言って死にたいと言うのです。それは言いたいですよね。でも、それを言うためには、彼はもうベッドの上ですからできませんよね。じゃあ、NGOのスタッフが、あなたの気持ちを別れた彼女と子どもに伝えに行っていいですか。あなたは今こういう状態だということを話していいですかと聞きました。そうしたら、ぜひそうしてくださいというのです。主治医とソーシャルワーカーさんに、彼のこんな希望が出ているのだけどといったら、それはやろうよということになりました。別れた彼女に、実はあなたの元旦那は今エイズで病院にいますと告げました。医学的には、残念ながら今やることがないので、もうじき亡くなります。つまり、養育費もストップします。そのことについて、こういうことを子どもに伝えたいという希望があるのだけど、どうでしょう。
 そうしたら、彼女はびっくりしていました。「あの人はゲイじゃないです」から始まりました。「いやいや、HIVというのはね……」という、そこからまた説明が始まるわけですね。やっぱり何回か会ってから「よくわかった。一緒のアパートで住んだって感染しませんね」、「しません」。「お医者さんがいいって言っているのですね」「言っています」。だったら、可能なときに退院させてくれれば引き取りたい。短期間でも引き取って、子どもと存分に話をしてもらう。やっぱり、子どものたった1人の父親は彼だ。それに、父親のそういう気持ちを伝えておくのはとっても大事で、それは彼にしかできない。そうしたいって言ってくれました。そして、「もしかしたら、私と子どもにもウイルスはあるかもしれない。検査を受けます」というのです。検査をしたら、彼女と子どもはHIVがなかった。
 それを聞いた彼はものすごく喜んで、「HIVは僕でとどまりましたか。それだけでも、とっても気持ちが楽になりました。死ねます」。こういうことで、彼の2番目の望みは果たして、退院してからまた病院に戻って彼は亡くなりました。
 このケースを通して、私はやっぱり、自分が住む社会は、どんな病気であれ、安心して病気を発見して、安心して病気とつき合っていける社会であってほしいと思いました。HIVに限らず何が自分におこるかわかりません。病気と関係ない人なんていません。だから安心できる環境であってほしい。そのためには、やっぱり行政任せもだめ。病気は医療任せ、これもだめ。病気は社会的な問題であって、そういう環境づくりとしての民間活動というのがとても重要だなと思って、ハワイでやったこういうプログラムを日本に持ってきまして、それで、ぷれいす東京を1994年に始めたというわけです。それで、18年たったわけです。
 さあ、皆さんにこれからクイズをだします。私たちが頼まれてよくやる職場研修のプログラムで使っているクイズです。
 「HIVウイルスに感染してから10年たたないと、エイズは発症しない。マルかバツか?」 皆さん、バツ。もう資料を読んでいますね。(笑)答えがその次のページから書いてあります。はいバツです。さっき、一般的に当時は10年という言い方をしましたね。今、10年とは言わないのです。何年でしょう。短くなったのかな、長くなったのかな。実は両方。短くも長くもなったって、どういうこと?今は、3年から20年というのです。HIVに感染してから、早い人は3年で発症、遅い人は20年たったっても発症しませんよというわけです。これは、エイズはつまり、まだ30年の歴史でしょう。30年の歴史ということは、30年間のデータしかないということですね。だから、これらのデータは今後も変わる可能性があります。30年発症しない人が出てくるかもしれない。40年発症しない人が出てくるかもしれない。実際に、長期未発症者という人はほかの人と一体どこが違うのだろう。遺伝子に違いがあるのでしょうか。研究を一生懸命やっていますが、まだよくわかりません。今はHIVに感染してから早い人は3年、遅い人は長く発症しませんよという状態になっています。
 2番目。「自分で進んでHIV検査を受けて感染に気づく人が、日本では一番多い。」 はい、マルの人。バツの人。もう、この際、みんなバツにしておこう?(笑)そう、これもバツです。日本で自分がHIVを持っているって、どうやってわかるのか? だって、発症するまで症状がなくて自分では気づかないのです。献血でわかる?だけど、皆さん、献血するときにHIVを調べるけど、結果を教えてくれるって言っていますか? 赤十字は、教えないって言っているのです。なぜかというと、HIV検査目的で献血されると怖いからです。先ほど言ったHIVの検査って、HIVに感染してから2カ月ぐらいは結果は陰性になってしまう。つまり、抗体検査なので、HIV抗体が十分にできるまでは、感染していても陽性にならないのです。
 だから、自分で進んで検査を受けるとはどういうことかといったら、今日本では、保健所などが無料で匿名でやってくれます。毎日やっているとは限らないけど、無料、ただ。お金がかからないし、名前も言う必要ない。ここで検査する人たちは、大体、自分はHIVの検査を受けに行くのだと意識して行くわけです。電話をして予約もとって、おたくの保健所は何曜日にやっているのですか、何時ですかっていうことを調べる。会社も休んで行ったりするわけです。地元の検査所では嫌だから、出張したときに出張先の保健所に行く人もいる。どこでもいいのです。それは自分ですすんで検査を受けるわけです。
 今、日本で毎年、HIV感染者エイズ患者さんとして報告されるのは1,500人ぐらいですけど、このうち、自分で保健所に行った、あるいはイベント検査、エイズデーのイベントで検査をよくやっています。ああいうのも自分で「HIV検査受けに行こう」って行くわけです。つまり、保健所、検査所等々ですすんでHIV検査を受けた人は、1,500人のうちの何名か。実は、エイズ動向委員会で統計をとっています。だけど、3割から4割程度。5割超えたことはないのです。ということは、多数派は、自分ですすんでHIV検査を受けてわかった人とはかぎらないということなのです。
 献血でわかる人は、もちろんいます。だけど、そんなに多くない。じゃあ、ほかはどういう場合でしょうか。大体、検査してくれるといったら、どこですか。病院やクリニックでしょ。皆さんは、最近、入院したとか手術したとか、あります?今、かなりの病院では、術前検査というときに、当院では手術の前に必ず必要な検査をいたしますから、これにサインしてくださいと書類に署名することになっています。その中にHIVが入っている。だけど、そのことを知らない人が多いです。もちろん、HIVと書いてあるのです。でも、説明がほとんどない。病院は忙しくてそんな説明はやってないし、大抵、「はい、これ、必要な検査なのですから」って来ますよね。私たちだって、「ああ、そう、必要な検査ならしてください」ってサインしますね。「はい」といってサインする気持ちは何かといったら、検査した結果はどうあれ、この病院でちゃんと面倒見てもらえると思っているわけですね。実際は、そうはならないのです。
 こういう例がありました。急に下血した。これはすぐ診てもらわなきゃいけないので、病院に行ったら、「とにかく内視鏡検査しなきゃいけませんね。」となりました。「当院では、内視鏡検査をする人にはみんな、必要な検査を受けてもらっていますので、サインをお願いします」と書類がきました。その中に、HIVと書いてあった。その人はたまたま、HIVのことに若干関心があって、感染の可能性はありうると思っていました。そこで、お医者さんに聞いたそうです。「ここにHIVってあるけど、もし自分がHIV陽性だったらどうなるのですか」と。期待していた答えは、「大丈夫ですよ。ここで診ますから。必要なら手術もしますよ」と、これを期待していたけれど、返ってきた答えは、「HIV陽性の人には使い捨て器具を使いますから、我々は大丈夫です」でした。「私はどうなるのか」って聞いたのです。でも、彼はその答えを聞いた途端にだめだと思った。HIV陽性者のことは考えていない。実際、彼は陽性と判明してその病院では診えもらえず、拠点病院に回されました。ところが、実際に、後になって冷静になって落ちついて、改めて調べてみたら、最初に検査で排除された病院も拠点病院だった。
HIV陽性者はなかなか日本の病院は診てくれない。HIV診療をするとほかの患者が来なくなるなんていうことを言う。HIVを診てくれる病院というのは、感染管理がちゃんとできているということのあかしなのです。だから、安心なはずなのに、ほかの人が来なくなるとか言うのですね。お客が来なくなるから困るのですみたいなことを言う。それで、厚労省が拠点病院というのをわざわざつくって、HIV診療をすることにしたのです。そしたら今度は拠点病院があるのだから他の病院はHIV陽性者を発見しても診療しなくてもいい、というようなことになってしまった。ところが、拠点病院にあまりにも差があり過ぎて、HIVを診ていない拠点病院というのもあるのです。これを私たちは、「名ばかり拠点病院」と呼んでいます。名ばかり拠点病院では、そこからほかの拠点に回すのです。
 それから妊婦さん。妊婦さんはほとんど100%調べます。母子感染予防のために。だけど、この場合でも行って検査をした産科では診てくれないのです。お産の手伝いをしてくれない。「拠点に行って」となるわけです。拠点病院で産科のあるところは少ないのです。だから、場合によってはとても遠いです。すると、妊娠中のチェックもそっちに行かなきゃいけないのという話ですね。
 これは最近の話です。カップルがいて、子どもが欲しいのに、赤ちゃんができない。不妊治療というのが必要かもしれない。とりあえず、何がいけないのか診てもらおうというので、カップルで産婦人科に行きました。彼女がちょっとした手術をすれば、「妊娠できますよ。大丈夫ですよ」という話になった。じゃあ、その手術というのを何月何日にやりましょうと予約を入れました。で、「当院では術前検査をしてもらっていますので、お願いします、「はい」とサインしました。
 そして、手術予定日の前に、彼女が通勤中に突然、携帯に電話がかかってきたのです。看護師さんからで「あの手術、とりあえずキャンセルです」。びっくりしますね。「どうしてですか。ちゃんと決めたじゃないですか。何か都合悪いのですか。じゃあ、いつですか」と聞いても「私に理由は言えません」と看護師さん。「だったら、だれが理由を教えてくれるのですか」「ドクターです」「ドクター、いますか」「います」となって医師が電話口にでたそうです。「HIVが・・・」。それを聞いた途端、彼女は混乱して、何が何だかわからなくなってしまう。けれども幸い、彼女にはどんなことがあっても話ができる友達がいたのです。あの人には何を言っても大丈夫、とりあえず受けとめてくれるという友達に電話をして、「どうしよう、エイズって、死ぬんだよね」みたいなことだったようなのですが、その友達がぷれいす東京の相談電話番号をたまたま持っていて教えてくれた。そして、ぷれいす東京に本人から電話がかかってきたのです。
 どうも、よく聞いてみると、HIV検査はしたけど、スクリーニング検査の段階で、確認検査はまだしていないようなのです。スクリーニング検査して確認検査してから、陽性告知をするのが原則です。陽性告知は対面であり電話ではやってはいけないことになっています。当たり前です。だから、それはどうも、疑陽性ではないかと思われる。疑陽性なんて言われたってわからない人がほとんどですね。とにかく、きちんと医師に話を聞いたほうがいいよということになって、それで、カップルで行きました。やっぱり、まだ確認していないが、陽性の可能性があるという段階ということでした。検査前にそのような説明はなかったし電話で急にHIVといわれたら動転しますね。HIV陽性の可能性はあると言われた2人は、彼女が陽性だった場合、どうしようと準備をします。すごく仲のよいしっかりしたカップルで、何があっても一緒に生きていこう、となった。確認検査の結果はいつ出ますから聞きに来てくださいというので、また二人で予定を入れました。そうしたら、前の晩になって、病院から電話がかかってきて、「明日、来なくていい」。2人で会社の休みをとっていたからびっくりして、「何で来なくていいのですか。明日は大事な話でしょう」。そうしたら、「陰性だったからいいです」。
 これが現実に起きていることです。陰性だからいいというのは、陰性だったのだから別にもう来なくても、手術のセッティングも電話ですればいいでしょうと医療側は考えたのだと思います。わざわざ明日来なくていいからという親切のつもりだと思います。最初に手術日のキャンセルというのも、こういうことは早目に教えておいたほうがいいと思うのでという気持ちだったろうと思います。だけど、受けた側はそうは受けとれないわけです。結局、このカップルが強く感じたのは、あの検査はだれのための何の検査だったのか? そういう感じです。別の病院を探したいということになったわけです。
 そういうわけで、日本ではある日突然、HIV検査をうけて陽性と言われて混乱したり診療を拒否される人が少なくないのです。問題は、ここで職場をやめちゃう人もいることです。もう自分は終わりだと思って。HIVについての適切な情報を持っている人はそんなに多くないのです。今、仕事をやめちゃうと、再就職が難しいです。何でやめたのっていう話になりますね。そうすると、どうなるの?働けなければ生活保護です。年齢が比較的若いですから、薬を飲めば元気です。十分働けるのだけど、働けない。これは本人はもちろん社会にとってももったいない話ですね。
 次の質問です。「5割以上の陽性者は、職場にカミングアウトしているか?」 カミングアウトしてというのは、自分はHIVを持っていることを職場のだれかに知らせている、ということです。わかってもらっていた方が通院にも便利でしょう。はい、マルかバツか。はい。もうみなさんバツですね。はい、バツです。私たちの調査では、これはデータがあります。職場で誰かしらに言っている人は、26%しかいない。4人に1人。4人に3人は言ってないのです。言ってないというのはどういうことかといったら、わからないようにして通院しているし、わからないようにして薬を飲んでいるということですね。これは短期間なら大抵できますよね。1週間なら、だれにも言わないで毎日職場で薬も飲める。でも、期限がないとなると、これはめちゃくちゃ難しい。隠しているということ自体が、本人のストレスになるのですね。何かいけないことをしているような。でも、これって言ったらまずいだろうなと予測、想像するからいえないのです。
 次の質問。
「HIV陽性者が紙で手を切った場合、その血液に触れても感染しない。」
マルかバツか。マル。はい。これだけマルです。
 最後の質問です。
「現在でも、エイズで亡くなる人は多い。」
はい、マルかバツか。バツです。
1997年から抗ウイルス剤が使用されるようになり、毎日飲めば、ウイルスが増えるのを抑えて、免疫が下がるのを抑える。だから、治るわけじゃないけど、HIVに感染してもエイズは発症しないという可能性が出てきて、そういう人が増えているのです。だから、早期発見して、早期治療につなげましょうということになります。
 さあ、ちょっとデータを見てみましょう。HIV感染者報告。2008年、ここがピークなのです。2009年にちょっと下がって、以降は横ばい傾向です。報告数は1,500人と言ったのは、HIV感染者とエイズ患者の合計の報告です。ここで注意していただきたいのは、HIV感染者とエイズ患者がわけて報告されているけれど、この違いは何ですしょうか?エイズ患者さんというのはHIV感染で報告されてからエイズの発症にいたった人なのでしょうか? 実は違うのです。重篤な状態で病院に担ぎ込まれ、薬を投与しても効かないのでおかしいなと思ったら免疫がほとんどゼロだった。もしかして、HIV感染かと思って調べてみたら、そうだったということす。エイズ患者報告数というのは、わかったときには既に発症状態だったという人です。だから、HIV感染を前から知っていてエイズになった人ではありません。
 このエイズ患者としてわかる人が右上がりに増えているわけです。400人を超えました。この患者400人と感染者の1,100人を足すと1,500人となります。この400人を超えた、患者報告の世代を見てみますと、20歳未満はさすがに少ない。20代、30代、40代、50代、60代、あらゆる世代ですね。HIV感染も高齢者問題になっていくでしょう。高齢化していくけれど、受け入れてくれる介護施設はあるのでしょうか、喫緊の課題です。
 HIV感染者という報告は、感染はしているがまだ発症していないという人たちです。だから、こういう人たちは、必要に応じて薬で治療を始めると、エイズにはならないで済むという人たちなのです。ずっと当たり前のように働けるし、学校も行けるし、結婚もできるし、子どもも産めます。今、日本での母子感染率は2%以下です。
 病変死亡例という報告もあります。これはHIV感染からエイズを発症して死んだ人の報告ということです。90年代後半から減っているでしょう。これは、HIV感染がわかったら、薬の治療が始まるから、そこからエイズを発症して死ぬ人は減ったのです。だから、HIVを持ったとしても、HIVと長くつき合って生きてゆく時代なのだという事です。
 ここで、手記を3つ紹介します。HIVを持って、HIVとともに生きている人の手記です。
「何げない一言」。K.T.さん。
「夏休み、マッサージをしてくれるというのでお願いすると、私の肩にかかった髪をどけながら、彼女は笑って言うのです。『悪い病気を持っていないから安心してね』。いただき物の和菓子を食べていたときのこと。『甘いな。おまえにやるよ。俺はエイズじゃないから大丈夫だよ』。そんなことではうつらないのに。その人たちにとって、病気を持っていないこと、エイズでないことが、人を安心させる代名詞になってしまっているのでしょうか。HIVは、血液、精液、膣分泌液から感染するのであって、肌が触れあったり同じ食べ物を食べたりしてうつるものではありません。私は感染経路の知識がありながらも、人ごとのような気がしていて、彼との行為でコンドームを使わずに感染したのです。これは、人を愛して愛される限り、だれがかかってもおかしくない病気なのです。皆さん一人一人がよく考えてみてください。もし、あなたの職場の女子事務員が私だったとしたら、あなたはどういう態度をとりますか」。

 彼女は、職場で言っていないのですね、自分がHIVを持っているよと。今どきの職場では、俺はエイズじゃないよなんていうのは、あまり出てこないと思う。そういう意味では、もうエイズは古いのです。忘れられているというか。でも、実態は大して変わってないです。つまり、今、職場にエイズの人はいない、周りにいない、家庭にはいない、学校にはいないというのが前提になっちゃって世の中が動いています。なぜ前提になるのかといったら、だって周りでだれも、実は自分はねって言わないから。言えないから。言えないから、いないことになり、いなければ見えない、とこうなります。いないことになっているし、見えないから、突然あなたはHIV陽性だって告知をされたときに、全くイメージがつかめないです。薬があって元気に生きているよっていう人が目の前にいないから。「HIV=エイズ=死? もうだめ? 会社やめよう、だれにも言えない、閉じこもろう」みたいなことになりかねません。
 病気って、モデルが出てくると、イメージが変わりますね。ガンも私が若いころはとっても人に言えなかった。今は有名人の方が、実は私も、実は私もって、どんどん言い出すようになった。こんなに元気ですよという本もいっぱい出ている。そうすると、「あなた、○○ガンです」って言われたとき、「でも、あの人は頑張っているな。大丈夫だろう」みたいな感じをつかみやすい。でも、HIVはまだそれがない。
 ある日本の会社で、HIVの人が働いている。周りのみんなも知っている。まったく問題はなく大丈夫。会社で何も特別なことをする必要はないのです。会社でセックスをするわけじゃないでしょ。血液を浴びるわけじゃないでしょ。関係ないですよね。治療していて元気なのだから。それで、それをぜひ、テレビで取り上げようとなりました。これは素晴らしいモデル例になりうるのだから。で、本人も、会社の人事の人も、「いいですよ。テレビで言いますよ。目隠しなしで。顔出ししますよ」と言ってくれたのですね。そうしたら、何か特別なことをしなきゃとか、何か配慮しなきゃいけないのではないのかと考えて周りでつくっちゃっている垣根を一目で取っ払えるのではないか。話がすすんでいったら、最後にドタキャンになる。ドタキャンしたのはその会社の広報でした。我が社はそういうことで有名になりたくないというわけです。HIVはあまりにもネガティブイメージが張りついちゃって、そういうことで有名になることは会社のイメージをアップすることにつながらないというのです。これはとっても難しいですね。どういう状態の人であれ、能力に応じて働きやすい職場だというのは、いいイメージじゃないですか。これから高齢者だって働いていこうというときに、疾患系は何も持っていない高齢者なんていませんよ。あれは隠さなきゃ、これを隠さなきゃというのでは、ちょっと困りませんか。
 予防が難しいというのも、性感染症のネックですね。インフルエンザだったら、「手洗い、うがい、マスク」ってみんなで連呼する。だけど、性感染となると自己責任という言葉が先に来ちゃって、あんたが悪いのよって言われて、「さあ、コンドーム」という話にならない。学校で教えてくれないのです。寝た子を起こすから言うなと、こういうことになる。だから、予防が難しい。HIVは感染経路が簡単だから、予防方法は簡単なのだけど、実行が難しいという極端な例ですね。
 次の手記です。
「あしたももっといい日」
「朝、6時に起きて、お弁当と朝ご飯をつくり、娘と一緒に朝食。娘を小学校に送り出し、朝の番組の占いを見てから会社に行く。運転中は大好きな音楽と一緒。会社に着いたら、まず自分と同じ部署の人たちの机をふいて、それから仕事。お昼休みは同僚とお弁当を食べながらおしゃべり。たまにコーヒーをいれたり、おやつを食べたりして、忙しいときには残業もしてきた。母が用意してくれた夕食を娘と一緒にいただいて、みんなで今日一日の話をする。宿題を手伝ってあげて本も読んだり、テレビやビデオを見たりして夜を過ごし、娘と一緒にお風呂に。『今日はいい一日だったね。あしたももっといい日だね』と言い合ってベッドに入る。幸せ。こういう毎日がとっても幸せ。10年余り前に感染がわかってしばらくは、感染をしていない人以上に幸せにならないと、プラスマイナスゼロにならないような気がしていた。それほどHIVは私にとってネガティブなものだった。今は、HIVはただのHIV。私は私。毎日、大好きな人たちと一緒に過ごし、大好きな仕事をして、大好きなことをいっぱい楽しむ。自分らしくいられるっていいな」。

 お母さんですね。こういうお母さんたちの気がかりは、子どもに自分の感染のことをいつ、どう言うかです。母親は毎日薬を飲んでいるから、何か悪いというのはわかっている。定期的に病院にも行くしね。子どもにHIVだと言ったときに、たとえば子どもがぽろっと学校で「うちのお母さん、HIV」って言ったらどうなるだろうかというところが心配になります。自分のせいで子どもがいじめに遭わないか。あの子も感染しているのではないか、同じクラスは嫌だなどと保護者が騒がないだろうか。あるいは、あの家はエイズなんだということで子どもが迷惑をこうむのではないかといろいろ考えてしまう。これも職場と同じで環境の問題といえるでしょう。HIV感染だろうがなんだろうが「あ、そうだったの。通院も大変だね。じゃあ、何か手伝ってあげようか」といってもらえるようであれば何も問題ないですよね。そういう環境づくりがとても必要だということです。
 3つ目の手記です。
「ダンデライオンズ」。
「本当にいろいろなことがあったけど、今は結構、幸せかな。HIVという単純な事実を事実として受け入れる。たったそれだけのことのために何年もかけてしまったけど、それでよかったのかもしれない。その経験があって、今の僕がいるわけだから。でも、家族にはすごくきつかったんだろうな。母親には、僕がHIV陽性だということも、ゲイだということも、すべて打ち明けました。僕1人で2つの秘密を抱えていられなかったんだ。いつでも無条件に優しい母が、一度だけ声を震わせて言ったことがある。『孫は諦めたから。もう気にしなくていいから。同性愛だとか、ゲイだとか、お母さんには何が何だかよくわからない。そんなことはどうでもいい。あなたが健康で幸せなのがお母さんの唯一の願いなの。だから、1つだけ約束してちょうだい。私、親より先に死ぬような親不孝だけは絶対にしないと。それだけは許しませんから』。僕は、幸せになるために生まれてきたはずだし、それだけを願っている人もいるのだから、多少、時間がかかってもいいから、もう一度、自分の人生を始めてみようって、そう思った。今、僕には大好きな人がそばにいる。彼もまた、パートナーがHIV陽性だという単純な事実を事実として受け入れるようにしてくれている。時間がかかってもいいよ。僕だって、そうだったんだから。世の中、そんなに強い人ばっかりじゃないって知っているし、それでいいと思っているから」。

 この人もとても元気で働いていて、お母さんと一緒に旅行にも行って、とても仲がいいのです。
 カラーの資料をお見せします。皆さんの手元の資料はモノクロですが、1枚紙。折るとA4で4ページになります。 これは、ここに書いてあるホームページ(http://www.chiiki-shien.jp/)からダウンロードして、幾らでも印刷して使ってください。これは、ぷれいす東京が厚生労働省の研究班として調査した結果を示した資料です。タイトルは「職場とHIV/エイズ‐治療の進歩と働く陽性者‐」。HIV陽性の人が差別されることなく、就労差別もされずに、HIV感染を理由に解雇されることもなく、能力に応じて元気に働ける環境づくりに役立ててもらうためにつくったものです。研修や勉強会で必要だなと思うときには幾らでもダウンロードして使ってください。
 ここで、データをちょっと見てみましょう。HIV陽性者のうち、働いている人の割合は73%。4人に3人は働いている。25歳でHIVとわかったHIV陽性者の平均余命は38.9年。25歳で約40年あるということは、今のところ、65歳までだということですね。でもこの数値は、毎年上がっていきます。エイズが発見されてまだ30年ですから短期間のデータしかまだありません。40年たてば10年のびるかもしれません。いずれ、寿命までHIVとつきあって生きるという話になるだろうというのが、専門家たちの見解です。それぐらい、薬の開発は盛んにおこなわれています。ただ、ワクチンの開発はとても難しいようです、残念ながら。だから、HIVは上手につき合っていくウイルスなのです。
 働くHIV陽性者のうち、職場のだれかに病名を伝えている人は26%、4人に1人しかいない。4人に3人は伝えていない。ふだん、健康上の問題で仕事に影響を感じない人は86%。元気ですよということです。大部分のHIV陽性の人は、自分がHIVを持っているとわかっていて、ちゃんと医療とかかわっていれば健康ですということです。健康維持には、定期的な通院と規則正しい服薬が大切。月1回か2か月に1回ぐらい通院している人が多いようです。
 問題なのは、この抗HIV薬、とても高いのです。自費だと月20万円くらいする。初任給が飛びます。年間200万。日本は幸い、健康保険がきくけれど健康保険を使いにくい人がいるのです。健康保険を使うとHIV感染がばれるから嫌だという人で薬を飲まないという選択をする人もいます。たとえば学生さん。健康保険は親の保険にはいっている。保険証は各人にきますが保険の使用記録は世帯宛にきます。医療機関の名前と日付と金額が書いてある。そうですね。なぜか、あれは世帯主に来るのです。私も母と同居して介護しているのですけど。母親は後期高齢者保険で、私は国民健保なのに。何で国民健保のデータ報告が、後期高齢者保険の母宛なのかって電話したのですけど、そういうことになっています、としかこたえてもらえなかったのです。
 つまり、急に○○病院でこんなにお金がかかったと書いてある、別にHIVとは書いてないけど。となったら、家族がみたら話になるでしょう。「どうしたの? 元気そうだけど。何、これ」。それは困るという場合、医師に「薬を始めましょう」と言われても、即答はできない。もう少し待っていたらもっと安くていい薬ができるかもしれない。それまで服薬はやめておこう、という選択をする人もいるわけです。だから、本人の考え方、家庭環境、いろいろですよね。HIV陽性者は障害者手帳も申請できますが、薬や福祉制度を利用することによって、HIV感染という個人情報が流出しかねない、というおそれを強くもてば、薬や制度を使えなくなります。つまり医療も制度、もだれもが安心して使える環境が整備されていないと問題の解決にはならないということです。
 私たちの調査によるとHIV陽性の人の多くは、週5日、35時間以上働いている。就労者は当たり前ですが、あらゆる職場にいます。HIVは人を選びませんから、仕事も選ばないので、あらゆるところにいます。医療従事者の中にも、もちろんいます。HIVは肝炎ウイルスより感染力は弱いのですから肝炎の感染管理ができているのなら、診療しても全く問題ないのです。だけど、なぜかHIVだというと、歯科はほとんど拒否します。透析をやってくれる医療機関もとっても少ない。これからHIV陽性者はどんどん高齢化します。薬の副作用でも腎臓をやられることがあるので透析は増えるばかり。でもその受け入れ準備が日本はまだできていません。
 介護施設もそうです。HIV陽性者だとわかっていて受け入れてくれるかどうか、今のところ難しい。なぜか。利用者にHIV、エイズの人がいるとなるとほかの利用者や家族が嫌がるのではとおそれるからです。介護をしている側の人でHIVを持っている人、これも少なくありません。当然、いますよね。そういう人たちが職場で言いたくても言えない。あそこの介護職員の中にHIVの人がいるらしいとなると利用者や他の職員が逃げてしまうのではないかという不安を施設側がもったりします。実はその介護職者が、職場の上司に、自分のことをわかってもらって働きたいから、自分はHIVを持っている、通院して薬を飲んでいますよと職場で言いたいと言ったら、施設長にとめられたという相談もありました。どこからどう情報が漏れて、どう利用されるかわからない。黙っていろというわけですね。同じ悩みを抱えている人たちのミーティングをつくろうということで、介護職者の会合というプログラムもはじめました。看護職の会合もあります。
 こういうことが増えていくと思うのです。だから、なるべくいろいろな人に現状を知っていただいて、HIV陽性者がとなりにいても同僚にいてもあたりまえ、治療は必要だけど生活は仕事には問題ないよねという感じになってほしいのです。
 ということで、「HIV陽性者と人権」というテーマでお話をさせていただきました。一言でいえば、誰もが安心して病を発見して、安心して病とつき合える環境をつくっていきたい。一緒にやっていきましょう。こういうことでございます。ありがとうございました。
質疑応答
【受講者】  大変、今まで知らなかったことをいろいろ教えていただきまして、ありがとうございます。それで、私どもはいろいろ人権相談を受ける仕事をしているのですけれども、あらゆる相談が来るのです。それで、もちろん、私どもでどうしようもできない相談は、専門機関を紹介するという形で応じているのですけれども、きょうのお話ですと、例えば、HIVに感染してしまった、あるいは、そのおそれがあるというような相談を受けた場合に、じゃあ、病院に行きなさいという話には当然なるのですけれども、どこの病院に行ってもいいという状況ではないような印象を受けたのですが。そういった、きちんと対応してくれる病院の情報みたいなのは、どこかで押さえていらっしゃるのでしょうか。ぷれいす東京さんに聞けば、わかるのでしょうか。
【池上】  拠点病院は、リストがあります。それから、ブロック拠点病院というのがあって、日本をブロックに分けて、そこのトップがブロック拠点病院でさらに中核拠点病院というのもあります。それらのデータはありますが、どこの病院がどこまでやってくれるかという詳しい情報は、ありません。それは、それぞれの病院からデータをもらわないとわかりません。例えば、某拠点病院は、内科はやってくれるけど眼科は診てくれないとか。そういう他科連携というのができているところもあれば、できていないところもある。あるいは、とっても丁寧に診てくれる医師がいるところと、いないところがある。評判のいい医師が転院すると患者もいっしょに転院したりしてしまうこともあります。医療機関の名前や数よりやはり現場にだれがいてどうやってくれるのか、人の問題だと感じます。
 地域で陽性者にどの病院を紹介しているのかということは、地域の保健所に聞くのが一番です。地域の保健所は、保健所で陽性者が出た場合に紹介すべき拠点病院のリストを持っているはずで、もっと詳しい情報を持っているかもしれません。私たちは首都圏で活動しているので、首都圏の拠点病院についてはかなり情報をもっていると思います。あと、HIV陽性の人とパートナーや家族のためには0120の相談番号があります(0120-02-8341)。厚生労働省の委託でぷれいす東京の専任スタッフが電話相談や対面相談を実施しています。エイズ予防財団のホームページ(http://www.jfap.or.jp/)には全国のNGOのリストがあります。是非、活用してみてください。よろしいですか。
【受講者】  ありがとうございました。