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人権に関するデータベース

全国の地方公共団体をはじめ、国、国連関係機関等における人権関係の情報を調べることができます。

研修講義資料

東京会場 講義8 平成24年9月21日(金)

「外国人の子どもと人権」

著者
小島 祥美
寄稿日(掲載日)
2013/02/18

[配布資料]
2012年9月21日(金)平成24年度人権啓発指導者養成研修会・東京会場 外国人の子どもの人権を考える 資料編
資料①DEAR2011.pdf
資料③在学率及び識字率.pdf
資料④進学率と就職率.pdf

  皆さんこんにちは。愛知から参りました愛知淑徳大学で教員をしております小島と申します。どうぞよろしくお願いいたします。皆さん、お昼召し上がられてちょっと眠くなる時間帯かと思いますが、張り切って頑張ってまいりたいと思います。
 お手元の資料で、93ページをまずはご覧くださいませ。ちょっと眠くなってしまうお時間かなと思ったので、初めに簡単なクイズを皆さんとしてみたいなと思います。お隣にもしいらっしゃる方がいらっしゃいましたら、お話しいただきながら、ご相談いただきながらしていただいても結構です。大学に参りまして、入試センター試験の試験監督をしていたときにたまたま見つけた問題です。
 では、第1問目をごらんください。「問3」と書いてあるのですが、日本地図が4つありますが、「次の図1は、日本に在住する幾つかの国の外国人について、国籍ごとの日本全体に占める男女の割合と、国籍ごとの日本全体に占める都道府県別の割合を上位10都府県について示したものであり、①~④」、これは4つの日本地図ですね、「は国籍がアメリカ合衆国、韓国・朝鮮、フィリピン、ブラジルのいずれかである」。では問題です。ブラジルに該当するものは次の①から④のうち、どれでしょうという問題です。選んでみてください。
 あわせまして、アメリカ合衆国、韓国・朝鮮、フィリピンはどちらに当たるかというのもお考えください。センター入試試験です。高校生が解く問題です。さあ、いかがでしょう、ご近所の方とお話しても結構ですよ。皆さん、①から④のどれがブラジルだと思いますか、そしてどれが韓国・朝鮮やフィリピン、アメリカ合衆国だと思いますか。
 それでは、第2問目に行きたいと思います。日本語指導が必要な児童生徒なのですが、今学校現場の中で、とりわけ公立学校の中で、小・中・高、特別支援学校も含め、日本語がわからない子どもたちがたくさんいます。そうした子どもたちは大体今全国で何人ぐらいいると思いますか。その数字をお書きください。
 そして第3問目が、日本国内には日本の公立学校のみならず外国人学校というのがあるのですが、知っている学校や外国人学校の数などご存じのことがありましたら学校名や学校の種類についてお書きください。
 では2分間でお考えください。行きます、用意、スタート。
 はい、お時間になりました。いかがだったでしょうか。こうした問いに答えるような形で、皆さんと3時までですけれども、外国人の子どもたちの人権を一緒に考えてまいりたいと思います。
 私自身の自己紹介等も兼ねながら、すすめてまいりたいと思います。スライドをご覧ください。
 現在、日本に暮らす外国人住民の状況について示したものがこちらの数になります。昨年末現在ですが、207万8,480人というのが現在外国人登録者数の現状になります。日本全国で最も多いのが中国籍の方で32%、そして第2位が韓国・朝鮮、第3位がブラジル、そしてフィリピン、ペルー、米国という順番になっています。比率でいきますと、ブラジルもフィリピンもほとんど今変わらない状況です。数では1万人と違うのですが、207万人という母数の中で考えるとほとんど比率が変わらないという形で、近年はフィリピンの方が大変増加し、ブラジルの方が少し減っているかな、そのようなところが見ていただけるかと思います。
 このような中で、全国大変に外国人の方たちが多いのですが、とりわけ都道府県別に見ますと、またその特徴も大きく異なります。第1位は今私たちがおります東京都です。第2位が大阪府、そして第3位が私が現在暮らす愛知県で、神奈川、埼玉、千葉と続いていくのですが、やはり関東地域にございます都道府県が多く比率が高いかなというのと、兵庫だったりとか京都だったり、そして福岡だったりします。こうした状況の中ですが、そこでこのセンター入試が出てくるわけですよね。だって入試センター試験になるくらいです。今高校生はこうした外国人住民の現状について学んでいる現状です。皆さん、できましたか。
 では、聞いてみましょう。ブラジルですが、これは見ていただきましたとおり、ブラジルは第3位という現状です。これが①から④のどちらに当たるか、手を挙げていただこうかと思います。①番だと思われた方いらっしゃいますか。②番と思われた方。多いですね。③番と思われた方。④番と思われた方。では、見てまいりましょう。
 この都道府県別のところを見ていくと、特徴的なのが沖縄に丸がついているところがあります。唯一③番だけが沖縄に丸がついています。ここがまず読みとれるとまた大きな部分かなと思います。そうすると③番はどこだと思います?
【受講者】  アメリカ。
【小島】  そう。アメリカ合衆国ですね。ですので、③番です。では、①番、②番、④番です。見ていきますと、④番は関西地域と東京都、関東と、あと九州の一部に丸がついているのが目立つのと、②は私が現在暮らしている愛知県とか、いわゆる東海地域に大きな丸がついている。関東も北関東に丸がついているということ等の違いが見られるかなと思います。そして①番のみが、男女比の比率が大変異なるという部分が大きいですね。そんな特徴が読みとれるとこの問題が解けるというトリックになっていますけれども、どうでしょう、①番。男女比が異なるというのはどちらだと思います? どうでしょう。でも、多分ここら辺は働いている方が多いですよね、きっと。では、どうです?
【受講者】  ①番はフィリピン。
【小島】  フィリピン、そうですね。そして②番や④番の違いが、関西地域に多いのと、東海地域に多いという違いなのですが、こちらはどう思いますか。そうです、関西地域に多く暮らしていらっしゃるのが韓国・朝鮮の方々です。そして②番が、そう、ブラジルとなっております。今こうしたことを時事問題とあわせて、外国人住民の現状を高校生たちは学んできているという現状なのです。
 こちら、2005年度の外国人登録を使われてつくられた入試センター試験ですので、少し現状とは異なってきているところはありますが、このように都道府県の違いがあるのです。
 そうした中で、私自身、今愛知県内にある大学に勤務しているのですが、もともとは埼玉県にある公立小学校に赴任しました。20歳のときでした。そのときに初めて日本語の分からない外国人児童生徒と出会いました。私はこちらの東京で育ち、同級生には韓国・朝鮮の方、在日コリアンの方が多いなかで育ちました。中学、高校は私立のミッションスクールに入ったこともありまして、コリアンの同級生たちは本名を名乗って学校に通っているという環境でした。同級生にそうしたいろいろな背景を持っている子たちがいるというのは自然でした。
 学校現場で東南アジアや南米にルーツを持つ子どもたちと出会い、大きなショックを得ました。彼らたちはインドシナ難民の子たち、ベトナム出身の子どもたちだったのです。
 当時は彼は小学校2年生だったのですが、彼とベトナムの話をしたいと思っていろいろする中で、ベトちゃん・ドクちゃんの話をしたのです。ベトちゃん・ドクちゃんは皆さんご存じでいらっしゃいますよね。ベトちゃん・ドクちゃんの話をしたときに、小学校2年生のラム君が、「うーん」ってこう言ったのです。私の説明が悪いかな、伝え方が悪かったかな、日本語での会話がなかなか難しいなかでしたので分かりにくいかなっと思っていたときに、彼がこう言ったのです。「先生が言うベトちゃん・ドクちゃんはわからないけれども、自分の周りにそうした子どもがたくさんいた」と彼は言ったのです。枯れ葉剤の影響によってベトちゃん・ドクちゃん、そうした子どもたちがベトナムにはたくさんいた、ということを彼は私に一生懸命伝えようとしたのです。まず一番初めの私のショックでした。
 その後、編入学してきたのがブラジル出身の男子児童でした。「俺、日系。俺、日系。」とすぐ言うのです。「俺、日系」ってよくわからなくて、彼の家庭訪問をしたときに、俺のじいちゃんが日本からブラジルに渡っていった話というのを、彼が写真でいろいろ見せてくれたとき、やっと分かったのです。高校の時にちょっとだけ勉強したなという記憶が彼の話の中から、うわあ、この子孫なのか、その状況に置かれた人たちが今南米から日本に来ていらっしゃるのかということを知りました。次のショックでした。
 児童と共に暮らしていくなかで、彼らたちがなぜ日本に来たのか、そしてどんな生活をしているのかというのを彼らの保護者たちから教えてもらう中で、彼らから先生と呼ばれている自分が大変情けなくなったのです。全く子どもたちのことを知らない私が先生と呼ばれるだけの資格はほんとうにあるのか。勉強不足と人間としての未熟さも感じ、それでまずはこの子どもたちのことをもっと知りたいと思いました。日本と外国とのつながりをもっと自分自身勉強したいと思い、大学受験をしました。それで教員をやめまして、大学生になってから一人旅に出ました。南米の一人旅にも出ました。
 どうしてそんな彼ら外国人の方たちが多くなったかというと、1989年に大きく日本の法律が変わったのです。その理由は、当時の日本はバブルの時代でしたので、労働力不足を補うためです。戦前戦後、大変経済的に厳しかった日本の中で日本から海外に行かれた、そして南米に行かれた方たちがまた日本に帰ってきてもらって日本で働いてもらえればその労働力が補えるのではないかという考えのなかでこの法律が改正されました。日本で就労できる環境にがらっとかわったのです。
 とりわけ今までは学校現場のなかで外国人児童生徒というと、在日コリアンが多かったんですが、この法改正以降、コリアン以外の外国人児童生徒が増加しました。増加することによって一番困ったのは、想定外の学校現場でした。日本は労働力、つまり働いてくれる人が欲しかった。しかし彼らたちは皆さん家族で来日されたのです。そこで慌てて時の文部省は、91年から学校現場で日本語指導が必要な子どもたちは何人いるのかという調査が実施されるわけです。
 さあ、どうでしょう、皆さん、2問目の回答ですが、どのぐらいと書かれたでしょうか。今は2年に1度しか調査がされなくなり、最新が2010年の状況です。2万8,511人という状況になっています。約3万人の子どもたちが学校現場の中で頑張って日本語と格闘しながら勉強しているのです。一番現在多いのが、私が暮らしている愛知県なのですが、5,600人強になっています。そして第2位が神奈川、第3位が今私たちがいる東京都になります。
 ここにいろいろな色の違いが見えるのですが、こちら東京都、私たちが今いる東京ですが、東京はこの青が多いですよね。そして大阪などの関西地域も青が多いんですが、青が何を示しているかというと、児童生徒の母語を示します。青は中国語を示しています。そして先ほど第1問目で解いていただきましたブラジル人が多く暮らす東海地域、またこちらが一部北関東もピンクが多いですね。このピンクはポルトガル語を示しています。ですので、外国人住民の方たちが多い現状の中で、そして都道府県によって外国人住民の居住状況が偏在化している中で、こうした日本語指導が必要な子どもたちの言語も、その特徴別に異なるという現状です。こちらの詳細は文部科学省のホームページにございますので、また詳しくごらんいただけたらと思います。
少しでも外国人の子どもたちのことを知りたいと思い、世界の一人旅に出ました。南米に旅をしているときに多くの海外の方たちに、今、日本が大変だよね、日本には震災があるって大変だよね、という話が聞かれました。もちろん阪神・淡路大震災震災があったことは十分知っていながらも、私は関東で育ったことから関わるきっかけを持っていませんでした。日本人として恥ずかしいなと思い、帰国後はすぐに神戸に行きました。そして神戸で被災された外国人住民を支援する団体のボランティアに参加しました。
 神戸で活動を続けるなかで1998年、学校に行っていない外国人の子どもに出会いました。それは大きな震災があって、そうしたことによって外国人の子どもたちが学校に行けていないのか、そんなふうに思っていました。そうではなく、外国人の子どもたちは就学義務の対象じゃないというのをそこで初めて知りました。当時神戸市さんや兵庫県さんとNGOという立場ではいろいろな形で活動を一緒にしていきながらも、外国人の子どもたち、とりわけ就学義務の対象ではない子どもたちに対しての支援では協力を得ることが全くできていない状況でした。なかなか支援体制がつくれないというのが神戸や兵庫県の大きな課題としてありました。なぜならば、就学義務の対象ではないことによって、外国人の子どもたちがこの地域に何人暮らしていて、そのうち何人が学校に行っているのかという実態が、行政上全く把握されていなかったのです。それが98年の神戸です。目の前にいる外国人の子どもたち、地域住民に対しての就学保証というところは、社会から見えない子どものために全く対応されていなかったのです。こうした子どもたちを何とか社会から「見える」ようにしたい、全ての子どもたちが学校に行けるような施策につくっていけないのだろうか、そんな願いをずっと持っていました。神戸市や兵庫県、そしてお隣の大阪、いろいろなところにお願いに行きました。外国人の子どもたちの実態調査をやりたい、協力してほしい、そういうお話をしたのですが、どこの行政さんに言っても相手にされませんでした。「国がやっていないこと、就学義務の対象でない子どもたちに対して行政はできない」と、どこへ行っても断られました。それで神戸でのボランティアネットワーク等を活用しながら、そうした調査をやりたい、そうしたことに協力してくれる地域はないだろうかというのをいろいろなところにお願いしました。そうしましたら、今日岐阜県の方がお見えでいらっしゃると伺っていますが、そうです。岐阜県にある可児市という市の方々が私の話を聞いてくださったのです。
 先ほど見ていただきましたとおり、東海地域にはブラジル国籍者が多く、岐阜県可児市も同様にブラジル国籍者が多く暮らすという地域でした。当時の私は神戸でNGOの活動をしながら、あわせて大学院に行って勉強していました。はじめて可児市へ伺ったときには、大学院の一学生としてお話をさせていただきながら、何とか外国人の子どもたちの実態調査をしたいというのを約30分プレゼンテーションさせていただきました。そうしましたところ、可児市の当時の担当課長さんが、「あなたの話を大変興味深く聞かせていただきました、可児市は全面的に協力しましょう」と言って手を差し伸べてくださったのです。2002年のことです。神戸で98年に学校に行っていない子どもたちに出会い、何とか改善したいと思ってやっと4年後の可児市との出会いでした。
 可児市との出会いは、これは運命的な出会いだと思い、すぐ可児市に引っ越しました。そして可児市に住みながら、可児市に暮らす小学校1年生から中学3年生に相当する全ての外国人住民の家々を訪問するということをしました。ちょうど私はこのとき29歳だったのですが、30歳を目前として自分の人生をここでかけようと思い、新たな気持ちで可児市に引っ越したわけです。
 可児市は、ちょうど愛知県と岐阜県の県境にある町です。約10万人の都市でして、現在外国人住民数は5,000人強です。ブラジル国籍者が一番多いですが、可児市近辺はかつては炭坑の町であったこともあり、在日コリアンの方も多く暮らす街でもあります。かつては朝鮮学校も近郊にありました。また近年はフィリピン国籍者が増加しています。そんな地域なのですが、せっかく全家庭訪問するのであるならば、せっかく神戸で多言語の情報とか電話相談等もやっていましたので、外国人の方たちに相談対応等をしながらそこでの方たちの声を聞きながら、子どもたちの実際調査をやっていくということをしたのです。
 当初の調査の予定は1年間の予定だったのですが、可児市からもう1年ぜひやってほしいということで、2年越しになりました。その間で外国人住民がどう動き、子どもたちの就学がどう変動しているのか、そして町がどんなふうに変わっているのかを詳細に分析していきました。
 調査からわかったことがいっぱいあったのですが省略し、本日は子どもの就学については大きく分けてわかった3つについてお話しします。
 1つは多様な就学状況にあるということがわかりました。外国人の子どもたちが学校に行っているといっても、決して日本の公立学校のみならず私立、私学に行っている子ども、障がいを持つ子どもが通う今は特別支援学校と言われていますが、当時は養護学校ですね、日本の学校に通っている子どものみならず、外国人学校に行っている子どもたちも多かった。ブラジル政府が認可したブラジル学校のみならず、朝鮮学校、インターナショナルスクールなどの外国人学校に通っている子どもたちも多いことがわかりました。だから、学校に通っているといっても大変多様であるということがわかりました。
 2つ目です。不就学、学校に行っていなかった子たちがやっぱりいました。それは決して日本語ができる、できないじゃない。日本国籍を持っているか持っていないかによって完全に区分されているのだというのがわかりました。私は全国籍の子どもたちにこだわったのです。当初、岐阜県や可児市はこの実態調査の対象に在日コリアンを含めることはふさわしくないじゃないかと言われました。ですが、文部科学省の通達では在留資格や、身分、国籍では就学を区分するようなことは一切書かれていない。ですので、全ての外国籍の子どもたちを調査対象にしなければ、やはり外国人の子どもたちの実態はわからないと思ったので、初めてやるのであるならば全ての子どもたちを対象にしようと思い、全国籍にこだわりました。その結果、在日コリアンのなかでも不就学者がいました。そのことは在日コリアンのコミュニティーはご存じでいらっしゃいました。調査を実施する前に、民団や総連の方々にも調査をすることをお話しし、その意義をお話しした中での協力を得て調査したものですから、結果がわかったときには「自分たちは実は知っていたのだけれどもね」と言われました。
 そして3つ目。不就学の理由とその背景なのですが、大変驚きました。就学の実態調査は、この2年間で同じ調査を時期を変えて3回やりました。その結果、外国人学校に行っている子どもたちというのは全体に対して大体比率がほとんど変わらなかった中で、日本の学校に行っている子どもたち、特に公立小中学校ですが、そこに通う子どもたちの比率がどんどん下がっていったのです。不就学の子どもたちがそれに伴って増加していった。実は、不就学の子どもたちというのは1回目の調査の時には学校に行っていたのだけれども、2回目の時期を変えて半年後には学校をやめてしまっている。この時期には学校に行ったのだけれども、この時期には学校をやめてしまっているという状況でした。つまり会った時点では不就学ではあるのだけれども、その子たちが実は就学歴があり、そしてその子どもたちは日本の学校、日本の公立学校、とりわけ日本の公立中学校からのドロップアウト率が圧倒的に高かったのです。私が2年間いる間に見る見るうちに子どもたちがどんどん学校をやめていくのです。もうその状況は、大変見ていて苦しかったです。
 多くの研究者が当時書かれていた論文には、日本の学校には大変いじめが多いという話が多かったので、私は不就学の子どもたちというのが学校をやめる理由は学校のいじめかと思っていました。でも、子どもたちと2年間一緒に対話しながらいろいろな話を聞き、また保護者とも一緒にする中で、彼らはいじめということが決定的な学校をやめた理由じゃないのです。そう、彼らは、将来が見えなかったのです。自分の未来が見えなかったのです。そして自分の評価をされなかったことに対してやる気をうせていったことが最大の理由でした。
 私は、「頑張れば中学校卒業したら日本の高校だって行ける、そして高校を出て大学だって行ける、自分がやりたいという夢に向かって進んでいくことが日本の中ではできるよ」という話を何度も子どもたちにしました。でも子どもたちは私に言うのです。「おまえが言っていることはうそだ、うそだ」と言うのです。「自分の周りにいる大人を見てみろよ、自分のお父さん、お母さん、おじさん、おばさん、知っている外国人の人たちみんなあそこの工場で働いている。年齢さえごまかせばそういう工場で働けるのなら、わざわざわからない勉強をして、そして学校でおまえはこんなものができないのか、こんなこともできないのかと言われながら学校に行く意味があるのか」と子どもたちが言うのです。子どもたちは自分が知っている大人というのは、みんなある一定の職業についていて、その職業でしか見えない。自分も年齢さえごまかせればそこの職業で働けるので、勉強なんかする意味がないじゃないかというのが子どもたちの言い分でした。当時は子どもたち13歳、14歳、15歳、みんな働いていました。中には妊娠している子どももいました。そう、彼らは将来がもう見えないのです。保護者たちも未来をこうしたいと思っても、その意向に、自分の希望とは、その就労状況は、環境は異なっているのです。自分で選択できない、自分の未来を築けない状況に置かれているのです。
 こうした状況に子どもたちは置かれているなかで学習意欲がうせてしまっていました。もちろん学校現場の中では通訳の先生がいたりといろいろな形でサポートされています。だけれども、取り出し授業、自分の在籍クラスじゃないところで一生懸命先生が勉強を教えてくれる、今日小学校1年生の漢字を覚えた、小学校2年生の漢字を覚えたといっても、中学校は中間テスト、期末テスト、その中で評価される中で、自分の学習したことが一生懸命日本語教室で勉強してもそのことが評価されない。幾ら頑張っても成績がゼロだったり5点だったり数点だったり。中には通信簿等が評価できないということで斜線になってしまっていて、その中で子どもたち自身はどんどんやる気を失い、それで学校をやめてしたのです。就学義務の対象ではないということにより、彼らたちは就労しているという状況でした。
 こんな状況を調査データとして可視化することができました。2年間の可児での暮らしが終わろうとした中で、市長にどうしても学校現場を見てほしいと思いました。可児の町がどんなふうになっているのか、2年間私が見たことは一体何だったのかというのをご報告できるような場が欲しいなと思いました。こうした想いを市長が理解下さり、可児市長と1日デートをする時間をいただきました。小学校に行ったり、中学校に行ったり、保育園や外国人学校などご一緒するなかで私が実際に見たことをお話ししました。現場の先生方の声も直接お伝えできる場もあわせて創りました。そうしましたら、市長から不就学ゼロという宣言が出ました。それによって2005年度から調査で培った協働が連携となって実践がスタートしました。
 その中で可児市のプロジェクトが始まっていくのですが、その中で私は可児市の教育委員会に配属され、私自身がこのプロジェクトを動かしていくという立場になっていきます。そして嬉しいことに文部科学省では翌年からは外国人の子どもたちの就学実態調査というのが国の施策として始まりました。ですので、大分これ以後不就学の子どもたちに対しての施策は少しずつですが、もちろん課題はたくさんあるのですが、進みつつもあります。ですので、岐阜県や可児市の方々には私は大変感謝していますし、そのときにご協力いただいた外国人コミュニティーの方たちにも大変感謝しています。
 そうした可児市の実態調査の中で出会った中で、こんな子がいました。6歳の時に日本に来日して、1年生から4年生まで日本の公立学校に行った。そして10歳でブラジルに帰国した。13歳で日本に帰ってきた。現在18歳で就学義務の年齢は超えてしまっている中で、彼女は学校に行きたいと言ったのです。日本の学校は行っていないしブラジルでも学校に行っていなかった。この子は日本でもブラジルでも学校に行ったことがない、義務教育を終えていませんので、「ああ、だったら夜中(やちゅう)に行くといいよ」と私は話をしたのです。夜中、じゃあ調べておくねという話をしたのです。
 夜間中学って一体何かというと、お手元の資料の資料編をごらんください。公立中学校夜間学級の名前です。こちらを見ていただけばおわかりいただけるかと思うのですが、前身は夜間小学校だった。そしてその夜間小学校というのはかつて在日コリアンの方々の学び場として大変大きな役割をしたというのがおわかりいただけるかと思います。お手元の資料の94ページもあわせてごらんください。夜間中学の状況なのですが、全国に35校あります。そしてごらんいただきますとわかりますとおり、約8割強が外国籍生徒です。つまり、かつての夜間小学校と同様、夜間中学は現在外国人の生徒にとって大変大きな学び場であるということがここからごらんいただけるかと思います。でも、見ていただきますとわかりますとおり、夜中は限定された地域にしかないのです。私は夜中というのは全国にあるのだと思っていました。ですので、可児でこの子どもに出会ったときに夜中に行くといいよと気軽に言ってしまいました。調べたところ、東海地域には1校もないのです。つまり義務教育を終えていない子どもたちがもう一度やり直ししたい、再チャレンジしたいと思ったときに行く場所が全国に平等に保障されていないのです。学び直しができないのです。そうした実態も可児の調査を行うなかで初めて知りました。
 夜間中学はこの法令上にありますとおり、市町村の教育委員会の設置でできるというのが内容です。この裁量なのですけが、でもまだまだ実際は少ないというのが現状です。
 そうなったときに外国人の子どもの学習権というのは一体どうなっていってしまうのだろうと考えました。お手元の資料③をご覧ください。文部科学省の資料です。日本は小学校、初等教育、中等教育、高等教育、大変に在学率が高いというのはこの表を見ていただいてもわかるかと思います。ですので、識字率というものはカウントされていないというのが現状ですよね。識字率とは一体何かというと、またちょっとあっちこっち行ってしまうんですが、ちょっと前に戻っていただきまして、資料の「識字率とは」をご覧ください。国立国会図書館の引用です。「ある国、地域における識字者の割合のことです。識字者の定義は様々で、読み書きの技能習得(読み書き能力)を意味することもあれば、自分の名前を書くことができるか否かで判断することもあります。識字率は国の経済・社会の発展に大きく関与しており、開発途上国では国際協力等により非識字を克服するよう努めています」と書いてあります。日本では、と書いてありますが、近年、非識字者数に関する公的調査は行われていないというのが現状なのです。
 私が可児で出会った彼女は、自分の母語であってもそして日本語であっても、話すことはできるのですが、自分の考えをまとめて文章に書くこと、それをポルトガル語や日本語で書くということはできない彼女でした。その彼女がもう一回学校に行きたいんだ、もう一回学びたいんだと言ったときに、これだけ今格差があるのです。学び直しができる、できないというのが地域によって大きく関係しているというのが現状です。
 そうした中で、少しでもこういう方たち、とりわけ夜間中学の実践がもっと多くの方たちに知ってもらえる場づくりができたらいいなと思い、学生たちと一緒に大阪に行きました。それがお手元の新聞記事になるのですが、ちょうど行ったときの夜間中学、とりわけ今日は夜間中学等の設置されていない地域からもお見えでいらっしゃると伺っておりますので、夜間中学というものがどういうものなのかというのをごらんいただくといいかなと思って映像等持ってきましたので、少しごらんください。
 こちらの学校は東大阪市にある夜間中学です。午後5時25分から8時50分まで行われています。訪問した日は、音楽、給食の通常の時間割授業を見学し、その後夜間中学に通っている生徒さんと本学の学生と交流会を行いました。そして全生徒の中で最年長の学生さんと生徒会長からメッセージをこのときいただいたので、そのVTRもあわせてごらんください。
(VTR)
 またちょっと可児の話に戻ります。全家庭の訪問調査に行ったので、全部の外国人住民を私は知っています。2005年度から可児市の教育委員会で私が働くようになってから、「小島が今教育委員会にいるらしい」ということで、いろいろな人たちの相談が教育委員会に届くようになりました。その中で、あるフィリピンの家族から相談がありました。滋賀の方がいらしたらごめんなさいですが、16歳のフィリピンの子どもについての相談でした。その子が来日して滋賀県に住んでいるが、16歳で日本の学校に入りたいと言ったけれどもそんな半端な年だったら日本の中学校も入れない、日本の高校にも入れない、あなたはどこでも学べないと教育委員会に言われたということで、その家族の方からの相談がありました。学習歴を聞いたところ、初等教育はフィリピンは6年間なのですが、それは修了しているという証明書がありました。また、フィリピンは4年間の中等教育なのですが、それは3年間終わっているという証明がありました。ですので、これは合わせると6と3足すと9年間になるので、日本の中学校には入学できないけれども、日本の高校の受験資格はあるのです。早速に岐阜県の教育委員会に相談しまして受験資格を確認していただいたところ、「受験資格あり」と判断され、翌年に岐阜県立高校に入学しました。頑張って日本語を一生懸命勉強して、彼は高校を卒業し正社員として今県内のある企業で働いております。
 また、他の青年です。16歳から来日したブラジル国籍者ですが、彼も高校1年生を終えての来日でした。彼の場合は、残念ながらブラジルでの就学歴が9年を満たしていなかったこともあって、夜間中学という手もあるのですが、夜間中学は残念ながら東海地域にありませんので、中卒認定試験というのを受験して高校受験資格を得ていきました。これが今夜間中学等のない地域の置かれている状況です。
 お手元の冊子の94ページで中卒試験のことを紹介しました。文部科学省が行っている1年に1回の中卒認定試験なのですが、これが99年から法律が大きく改正されて受験資格が拡大し、外国人住民も受験できるようになったのです。そのことによって、ここですと第4号になるのですが、15歳になる者で日本国籍を有しない者が受験できるようになりました。彼も、英・国・数・理・社5教科を受験しましたが、1年目は3教科しか合格できなかったのですが、2年目に残りの2教科を受けて合格し、高校の受験資格を得ました。それによって高校に入学して卒業して、そして京都にある大学に入学して、今年の4月に卒業して京都で就職して働いております。
 この中卒認定試験というのが、今この学齢を超過した子どもたちにとって大きな役割を果たしています。これは文部科学省からいただいたものなのですが、出願者、受験者、合格者数全て今増加している状況です。とりわけ中卒試験の受験者の比較として、第4号、先ほど申しました外国人住民の受験率が一番アップしているというのが現状です。学齢を超過した子どもたち、いわゆる日本の中学校に入りたいのだけれども入れないという子どもたちに対して、この中卒認定試験は大変大きな役割を各地域で担っていることがおわかりいただけるかと思います。
 今年の2月でしたか、東京都の教育委員会が都内にある夜間中学に対して、日本語を学べる期間を1年しか設けないという意見を出したことで、全国に波紋を呼び、かかわる教員や支援者を中心に署名活動等が行われたことは記憶に新しいですよね。
 今外国人の子どもの就学保障にかかわる人権で最も大きな課題は、高校の在り方ではないかと思います。昨年度ですが、私、全47都道府県と高校を持っている13の政令都市の教育委員会の計60都市に調査をお願いし、実態把握を致しました。もしかしたら、私が調査をお願いした自治体関係者の方々が本日いらっしゃるかもしれません、その節はご協力いただきありがとうございました。外国人の子どもたちを対象にした高校の入学選抜だったり入試制度がどうなっているかだったり、外国人学校卒業者の公立高校への受験資格の扱いというのが、全然どうなっているかが今わからないという現状だったので、それを知りたいと思い、調査をさせていただきました。その結果、50の教育委員会さんから回答を得ることができました。残念ながら10の教育委員会からは得ることができませんでした。もしこちらの方がいらっしゃいましたら残念ですけど、埼玉県ですとか名古屋市、福岡市からはご協力いただけませんでした。
 逆に言えば、多くの方たち、教育委員会の方、先生方等、部署等にご協力いただいてその実態等を把握できました。その結果、外国人生徒に対する入学者選抜ですとか特別措置というのは、都道府県によってまったく異なることがわかりました。例えば、受験対応としてある自治体では受験の時間数が延長になったりですとか、日本語の辞書を持ち込んだり自分の母語の辞書を持ち込んだりも可能だったり、また漢字にルビを振ってくださるという支援があったりですとか、作文についても面接についても自分の母語で対応いただけたりなど、都道府県によってまったく高校受験対応は異なることがわかりました。高校受験の在り方は都道府県の裁量ですので、方針が自治体により全く異なるんだということがわかりました。とりわけ外国人学校の中等部の卒業者にかかわる日本の公立高校の入学者選抜の出願の扱いについては、ほとんどの場合認められていないというのが現状だということがわかりました。
 なぜこうした調査を実施したかといいますと、いわゆる「高校無償化」の開始によって外国人学校に通っていた子どもたちで日本の公立高校に入学したいという希望者が増えているからです。とりわけ、その後の学び直しにも大きく関係しています。条件つきではありますが、外国人学校の高等部から大学に入学するという道は、一部制限はあるなかでほぼ認められています。ですけれども、この外国人学校から日本の公立高校に入学するという道は、地域によってまったく異なるというのが現状です。ですので、都道府県の皆様方にこちらを改善していただけるような働きをしていただきたいと希望致します。
 といいますのも、岐阜県可児市で調査を行ったときにブラジル国籍者が多かったのですが、このブラジル国籍者の就学を比較すると日本の学校と外国人学校と不就学と分かれるなか、外国人学校に行っている子どもたちの比率が大変高いこともわかりました。お手元の資料の新聞記事のほうをご覧いただけますでしょうか。東京新聞記事なのですが、「『高校相当』外国人学校7割無償化対象外」と書いてあります。この当時、日本国内に外国人学校が多種多様あることがおわかりいただけるかと思います。ブラジル学校、朝鮮学校、中華学校、韓国学校、インターナショナルスクール等がある中で、ブラジル学校は最も多いことが分かります。
 このブラジル学校に通う子どもの現状について最後にお話し致します。このブラジル学校に通っている子どもたちの出生ですが、ごらんいただきますとわかりますとおり、もちろんブラジル生まれの子どもたちも多い中で、日本生まれの子どもたちだっているのです。ですので、出生地はあまり関係ないということがおわかりいただけるかと思います。外国人学校に行っているからといってずっと外国人学校なのかといったらそうでもなく、公立学校から転校してきた子どもたちもかなりいる、4割近くいるというのがおわかりいただけるかと思います。また、日本での在住年数なのですが、かなり長い方も多いというのがおわかりいただけるかと思います。つまり、学習歴だったりとか出生だったりとか在住年数というのを問わず、外国人住民にとって外国人学校は大切な場所であるというのがおわかりいただけるかと思います。
 可児での調査で、「なぜ外国人学校を選択したのか」を全保護者に伺いました。そうしましたら5つの理由が出てきました。1つは、一番初めに申しましたとおり、保護者が不安定な就労状況であるというところから、保護者の就労状況に学校自身が対応してくださるという状況です。自分たち自身が夜勤になったり昼勤になったり、またあるときには土・日に急きょ出勤しなければならないという就労状況がころころ変わる中で、それに対して学校が対応していただけるというところで学校を選択したということ。そして2番目が、子どもの将来のために継続して学習できる環境。自分たちが日本にいたいと思っても、自分たちが帰らざるを得ない状況に置かれてしまうという状況の中で、日本にいても本国の学習が継続して勉強できるような環境を持てること。そして3点目が家庭内の壁。どうしても日本に住んでいる中で、日本の公立学校に通っていく中で、子どもと保護者とが会話ができなくなってしまうこと。自分たちの母語で親子間の会話ができなくなってしまうという問題があり、保護者の方たちの悲痛な叫びとしてこの問題についてはたくさん声がありました。4点目が、保護者自身が日本の学校を知らないことによって大変不安であるという中での外国人学校を選択したこと。5点目が、子どもの学習や友人関係などを理由に、日本の学校の中でなかなかやっていけなかったという子どもたち自身のセーフティーネットとして機能していること。
 以上から、外国人学校はコミュニティーにとって大変大切な場所であることがおわかりいただけるかと思います。しかしながら、日本ではまだ学校としてみなされていないと学校が多いというのが現状です。特に、ブラジル人学校のみならずほかの外国人学校もそうですが、日本の公立学校ですと、日本の公教育で守られているこれらの制度のなかで、とりわけこの学校保健安全法ですね、健康診断や子どもたちの健康の安全等を保証していく、そうした法律ですが、それが外国人学校は対象外なのです。各種学校という都道府県が認可している学校もありますが、それを得たとしてもこの子どもの保健安全については実は野放し状況になっています。つまり、外国人学校に通っている子どもたちのなかには一度も健診を受けたことがないという子たちもいるのです。どんなに日本社会で結核云々とか対策等されていても、外国人学校に通っている子どもたちは一切されていないのです。こうした子どもたちをどう考えながら、地域福祉の在り方を考えていくのかというのも大きな課題ではないのかなと思います。
 こうした背景から、少しでもこの外国人学校の子どもと学校保健というのを考えられるようなことがしたいなと思い、愛知県さん、そして岐阜県さんのご協力をいただいて、私自身外国人学校の先生と一緒に学校健診を行っていくことにも取り組んでいます。外国人学校の多くある地域では、ボランティアの方や地域の保健所の方々等が力を合わせてボランティアで学校健診を実施されている地域もあります。例えば群馬県や静岡県です。日本の学校健診のよさは、学校の先生が児童の現状を把握し、それをチェックし、子どもの健康を学校と家庭と地域と3者となって守っていく、そうしたところをつくっていくというのが日本の学校保健の大きいところじゃないのかなと思うので、その日本の学校健診の良さを何とかブラジル学校の中で一緒にできたらいいなと思い、岐阜県さんと愛知県さんの協力を得て学校健診を試みました。それが次のスライドです。
 試みた内容は、日本の学校教育制度、学校保健活動というのを外国人学校の先生に知ってもらって、それを理解してもらいながら、外国人学校の先生が実際に子どもたちに健診を行うという内容です。お手元の資料の東愛知新聞をごらんください。これは愛知県で実施したものですが、今年の2月に実施したものです。ブラジル学校は2月からスタートし12月で終わるという学校制度なので、新学期の2月に実施しました。外国人学校の先生たちに健診等のやり方をお伝えし、研修会を実施し、そし同地域内にある、公立小中学校から体重計や身長計の測量計などの機材をお借りし、それで先生たち自らが行っていくというやり方です。検尿ですとか検便とかいわゆる検査の分析等の費用がかかる分については、普通であるならば税金等で補助されるべきなのですが、外国人学校の子どもについてはその対象外ですので自費になります。自費であるがどうしようかという話をしたときに、やはり保護者の方たちが自費でもやりたいと。自分たち個人負担でも、費用を負担しても学校ではやりたいということでしたので、費用を自己負担していただき実施いたしました。
 実施後に保護者のアンケートをとりました。その中で、1点、費用負担をしても実施の希望有無についてお話ししたいと思います。岐阜県では100人の子どもを対象に、愛知県では104人の方を対象に実施後の子どもたちの保護者に聞いたのですが、大多数の保護者が今後も希望するという回答でした。希望しないと言われた方たちについては、やはり自分たちがここで希望するというふうに答えてしまうと、全部が全部自分たちでやっていくことになってしまうので、ここで希望しないと書いて行政の方たちに自分たちの健康を守ってくれるようなそんな地域をつくってほしいという願いを込めて、しないにしますという回答でした。つまり、皆さん全員が希望するという回答だったのです。ですので、保護者自身は費用負担してでもやっぱり学校健診をしてほしい、自分たちの健康を守ってくれるような、そうした地域づくりをしてほしいというのを強く願っていらっしゃることがわかりました。そのこともお願いできたらと思い、つけ加えさせていただきます。
 どんなことをしたかというと、学校健診のやり方等をポルトガル語と日本語で説明しました。これは全く日本の小学校、中学校で実施されている保健の先生や担任の先生が実施されているのと全く同じものです。こんな形で先生たちにやり方を覚えてもらい、この機材等の使い方を見てもらう。機材等についても、公立学校の機材等を使っていますし、2月というのは日本の公立学校ではほとんど使わない時期でもあったので、どちらの地域についても、愛知県についても岐阜県についても、快く地域の公立小中学校は機材等無償で貸してくださいました。ですので、実費がかかったのは、検査費用のみでした。こちらはブラジル人学校が保護者に対して健診にかかわるお知らせです。700円費用負担してほしいというお便り文を自分たちで記載し、徴収した文書です。当日はこんな形でブラジル人学校の先生たちが実施していきました。こんな大きいお姉ちゃんたちが小さい子どもたちの対応をしている姿も見られました。地域の中で外国人学校の子どもたちの教育のみならず、健康についてもぜひ保障されるような仕組みというのを都道府県さんの中で築き上げていただきたいなと願います。
 最後ですが、フォトストーリーというお話をしたいと思います。お手元の資料の「日本で暮らす外国人の子に自信を 異国の悩み・夢写真に刻む」という新聞記事です。可児で働かせていただいて、その後、各地いろいろな地域に行かせていただきましたけれども、すごく可児の学びの中で各地域の方々に参考になるといわれたのが、彼らたちにやっぱり自信を持たせることなのです。可児の学びの中で外国人の子どもたちが不就学ゼロを目指して取り組みをする中で、彼らたちに一番やってよかったことは、彼らのアイデンティティーだったりとかバックグラウンドだったりとか、彼らたちの持っているものというのを認めることでした。そのことが彼らたちの自信につながり、そして将来の決定に大きくつながりました。自分が自分を認められるようになってくると、どんどん個人の能力は開花していくのですよね。可児のみならずほかの地域、今は三重県さんや長野県さんやほかの地域に一緒にさせてもらっているのですが、そこの地域でも皆さん同じようにおっしゃいます。日本語を覚えるとか何かの漢字を覚えることももちろん大切ですが、あわせて、自分がどういう人間なのか、そして自分がこれからどう進んでいきたいのかを考える場づくりも大切であることを学びました。
 その具体的な実践の1つがこのフォトストーリーというものです。どんなものかというと、ゼミ生などの大学生達と一緒に外国人家庭の家にホームステイしたりしながら、その中で若者、いわゆる同世代の者同士が対話をし、いろいろな無駄話等をする中で、外国人の子どもや家族の想いだったり考えというものを可視化し、発信していくというものです。子どもたちの想いというものを表現する場の一つの方法として地域の方たちとご協力いただきながら実践するワークショップです。少しその様子をごらんいただけたらと思います。

(VTR/子どもの作品2本、保護者の作品1本)

 こんなことをしながら、少しでも地域の方たちに同じ町に住んでいる外国人住民の思いというのを知ってもらおうと思い実施しています。最近は他地域からご依頼いただきまして、広島だったり静岡だったり、また三重でもこんな活動が広まっています。
 最後の、残りあと10分なんですが、今外国人の子どもたちにとってとりわけ将来を考える場づくりというのはすごく大切なのかなと思います。ぜひ皆さん方にお願いしたいのが、今皆様方のいらっしゃる地域の中にも、そうした大学だったり高校だったりがあるかと思うのです。そうした中で、オープンキャンパスですとか学校を公開するというようなイベント等をされている地域が多くあるかと思うんです。ぜひそうした場づくりを外国人住民の方たちにご紹介ください。というのも、残念ながら保護者の方々、本国で学校に行けなかったりとか行きたくとも行けなかったという方たちも多くて、子どもたちに自分たち以上の教育を受けてほしいと望んでいらっしゃるのだけれども、それを与えられるだけの材料だったりとか資料等だったりとか、ましてや国境を越えて今住んでいる中で、なかなか今後の国の事情がわからなかったりということで悩んでいる方たちが多くいらっしゃいます。ごみをこういうふうに捨てなさいとか騒音でうるさいのですとかということについてはすごく多言語でいろいろと行政さんにはあるんですが、うれしい、ハッピーな情報は見当たらないので、そういうハッピーな情報がもっと外国人住民に伝わるような対応にもご協力いただきたいです。
 本学では多言語でのオープンキャンパスというのを地域の国際交流協会さんとコラボしながら行っているのですが、毎年こんな形でたくさんの方たちがお見えになってくださいます。子どもたちよりかは保護者の方たちのほうが大変喜ばれるのです。子どもたちにどんな可能性を示せるかという一つの材料になっているようです。
 こうした活動をしていると多く言われるのが、いずれ帰る人たちに何でこの人たちをサポートしていかなければいけないのだろうかと。帰るのだったら帰国することを考えていってそちらの勉強をしたほうがいいんじゃないかという声が伺えたりすることが多いのですが、一つの参考としてこんな子どもがいますよというのをご紹介です。
 彼女は4歳の時にペルーから来日して、小学校、中学校は日本の公立学校に進み、保護者の都合でその後帰国しました。そのことに対していろいろ本人は納得いかなかった部分も多かったのですが、ペルーに帰国して6年が経過した今の彼女の状況です。こちらもVTRです。これはある旅行会社さんの天空都市マチュピチュを中心に旅する案内ビデオです。皆さんマチュピチュはご存じでしょうか。地球の反対側である南米ペルーにあります、世界遺産の一つですね。マチュピチュやナスカの地上絵があるペルーですが、そちらの両方の紹介をしているVTRです。
(VTR)
 ペルーに帰った後に、やっぱり自分は日本の高校に行きたかった、日本にずっといたかったという思いが強く、自分の現実がなかなか受けとめられないという時期もありました。けれども、彼女の中で日本とペルーをつなげるようなそんな仕事がしたいと思うようになったのです。ペルーには観光ガイドという国家資格があるのです。その資格等を持っている人でないとペルーでは観光ガイドができません。それを彼女は頑張って取得しました。今現在、見ていただきましたとおり、日本の旅行会社さんなどと契約をしながら、彼女はペルーで日本語でガイドをしています。日本でいっぱいサポートしてもらった人たちへの恩返しだと言って彼女はそこで頑張って活動しています。ぜひ、こんなような働き方というのがある、つまり日本にいる中で、もしかしたらいつか帰ってしまう子どもがいるかもしれない、でもここで学んだことはきっと彼らたちにとっていつかどういう形かわからないけれども、いろいろなところで日本と彼らの国々をつなぐ、そんなかけ橋になる人材育成の一つであると解釈をしていただけたらと願います。
 彼女にガイドしてもらいながら私はマチュピチュへ行ったのですが、彼女のガイドはすごいのです。何がすごいかといいますと、そこに日本の社会で学んだ学習をきちんと入れているのですね。この時代は日本ではこういう時代でしたよねというのをぱっと入れるのです。ですから、一気に観光の人たちが、あ、そうだよね、その時代はそういう時代かというのがわかるわけです。いろんな形で学びは生きていることを実感しました。
 お時間になりました。あと残り5分ですが、最後にご質問等を受けて終わりにしたいなと思います。長時間ありがとうございました。