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人権に関するデータベース

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研修講義資料

広島会場 講義5 平成24年10月18日(木)

「犯罪被害者の人権 成立の過程と今後の課題」

著者
林 良平
寄稿日(掲載日)
2013/02/18



 はじめまして。今日は犯罪被害者の人権ということについてお話しさせていただきたいと思います。
 まず、犯罪被害者の人権というものは、比較的最近にできたものであります。これまで被害者の人権はほとんど顧みられることはありませんでした。犯罪被害者にこの国は人権、権利というものを深く見つめてこなかったと思います。
 刑事司法の中で無視されてきたといいますか、余計なものとして扱われておりました。経済的な補償の問題に関しても、ほとんど何もありませんでした。
 私は、全国犯罪被害者の会(あすの会)の代表ですが、先代は岡村勲という弁護士です。奥様が殺された方ですが、この方が1999年の犯罪被害者の会・設立準備委員会発足以降、12年間先頭に立って引っ張ってこられて、被害者の権利を確立されました。
 2000年に犯罪被害者保護二法という法律ができるまで、犯罪被害者には、裁判がいつ、どこで行われるか教えてもらえませんでした。当然、その判決も教えてもらえませんでした。犯罪被害者保護二法によりようやく、いつどこで裁判があるのかということを被害者・遺族に教えてくれるようになりました。
 皆様方、ぜひ想像してください。自分の奥さん、ご主人が、わが子が、あるいはおじいさん、おばあさんが殺されて、犯人が捕まったら、「ああ、よかったよかった、これで裁判所が正義をきちんと行ってくれる」と期待しますよね。当然の話です。
 ところが、つい十数年前の2000年まで、捕まった犯人がどんな犯人なのか全く教えてくれませんでした。それが日本の司法の現実でありました。
 司法警察の方は犯罪が起こると、犯人を捕まえるために一生懸命になります。それで被害者に対して非常に親身になってくれます。捕まえ、そして検察庁に送検する。その後、警察の方は被害者とは離れてしまいます。マスコミで大きな扱いになった事件の被害者の人たちは、新聞やテレビでいつ裁判があるのかを記事やニュースで、あるいは、新聞記者やテレビの記者の人から日程を知らされた結果、傍聴席にいるということもあります。しかし、新聞にも載らない小さな扱いの事件の被害者というのは、全く無視されておりました。 有名事件の被害者の人たちが傍聴席にいる光景を見ることで、小さな扱いの事件の被害者も傍聴席にいるのだという大きな錯覚を生じさせていたのではないのかと思います。
 私の妻は生きています。妻は出刃包丁で腰のところをズバッと上下に切断されたのです。後遺症がものすごくひどいです。今でも車椅子生活をしております。行政の方でしたらわかると思いますが、私の妻は1種2級です。車椅子がないと生活ができません。痛みがきつく、モルヒネをずっと処方され飲んでいます。モルヒネなしに生きていけない、そのような状態です。医療費は全て自腹です。このことに、ほとんど誰も気づいてくれませんでした。被害者に全く保障がないということを言い始めて、ようやくメディアの人たちが気づいてくれました。「それはおかしいじゃないかと。」「関係のない人間が刺されて、それでなぜ被害者が医療費を自己負担しなければならないかと」
 私の妻は看護師として病院に勤務しておりましたが、犯人の勘違いによって狙われてしまった。ついには解雇され妻の給与はなくなりました。家計は共働きでやっていました。子どもは小学校1年と年長の、2人の男の子がおりました。私は、午前中は病院に勤めながら、午後2時から鍼灸院を、人を雇って開業していました。しかし、結局子育て、妻の介護のために閉業せざるを得なくなりました。収入が思い切り減りましたが、こういうものに関する補償というのも何もありませんでした。
 両親が殺された場合子どもたちがどうなるのか。誰も考えてくれてくれませんでした。親兄弟が引き取って育てるということもあります。施設に入れるにしても、犯罪の加害者側の子どもたちと同居して育てられるという可能性も出てきてしまいます。何の配慮もされてこなかったのが、これまでの日本の現実だということを、どうかご理解いただきたい。

 今日は、ビデオを使用して、理解を深めていただきたいと思います。
 最初に5、6分、私の家庭の事件をご紹介します。お手元には新聞記事もあります。
 事件が起きたのは1995年の1月25日。阪神・淡路大震災から8日後でした。新聞、テレビ、メディアは阪神大震災のほうに集中してしまって、事件報道がされませんでした。目撃者はたくさんいたのですが犯人は逃走し、時効が成立しました。
 実は、時効成立直前、別の事件を起こして留置場に入っていた人間の指紋と、犯人の遺留品についていた指紋が一致しました。その男が東京浅草でイザコザを起こし犯人であることを認めました。ですので、私の妻の事件の場合、時効が成立した後に犯人が出てきたという、特異なものでした。
 当然、犯人は逮捕・拘留できないので、犯人に対し民事裁判を起こしました。お手元の新聞記事にはそのことが書かれております。今の経緯は、これから流すビデオを見てくださったらわかると思いますので、とりあえず見ていただきたいと思います。
(ビデオ開始~終了)
 ありがとうございます。大体このような感じで、私たちの事件は経過してきたわけです。
 
 その後、犯人の供述調書は、警察から検察に送られました。そして、時効成立による不起訴という処分が行われたのですが、不起訴処分の書類というのは、被害者には見せられないものなのです。今まで被害者はそのような扱いをされてきました。
 例えば殺人を犯した犯人が自殺したとなると、被疑者死亡で書類送検されますが、被害者遺族が事実を知りたいが故にその書類を見たいと思っても、見ることはできません。私はそのおかしな点を、訴え、開示要求の書面を提出しましたら、ついに最終的に開示してくれました。初めての事だったそうです。皆様が、もし被害者になられたら、先例ができたのできちんと利用してください。被害者の権利が一歩前進したのですから。
 
 あすの会は2000年1月23日総会を経て誕生したわけですが、このときの設立趣意書というのが、お手元の資料にあります。これは、被害者がどれだけ無視されていたかというのがこの趣意書に込められています。「犯罪被害者の権利と被害回復制度の確立を求めて」。この2点が、あすの会結成の一番大きな原点であります。司法における権利と、この日本という国で、国民として生きていく。この2つの権利を求めて立ち上がったわけであります。読みます。
 「犯罪被害者は一生立ち上がれないほどの痛手を受けながら偏見と好奇の目にさらされ、どこからも援助を受けることなく精神的、経済的に苦しみ続けてきました。国が、社会が、犯罪を加害者に対する刑罰の対象としてのみとらえて、犯罪被害者の人権や被害の回復に何の考慮も払わなかったためです。先駆者のご努力により犯罪被害者等給付金支給法が制定され、犯罪被害者を支援する団体も生まれて、ようやく犯罪被害者の権利が社会的関心を集めるようになりました。しかし、犯罪被害者の置かれている現状は国連被害者人権宣言の精神からもほど遠いものです。犯罪が社会から生まれ、誰もが被害者になる可能性がある以上、犯罪被害者に権利を認め、医療と生活への補償や精神的支援など、被害回復のための制度を創設することは国や社会の当然の義務であると考えます。そして犯罪被害者の権利と被害回復制度の確立は被害者自身の問題ですから、支援者の方々に任せるだけでなく、被害者みずからも取り組まなければなりません。そのため、私たち犯罪被害者は犯罪被害者の置かれている理不尽で悲惨な現実を訴え、犯罪被害者の権利、被害回復制度について論じ、国、社会に働きかけ、みずからその確立を目指すため犯罪被害者の会を設立します。全国各地の犯罪被害者が連帯し、犯罪被害者の会のもと、それぞれの抱える苦しみと悲しみを生きる力にかえ、今生きている社会を公正で安心できるものにするため心と力を尽くします」。
 私自身、そしてあすの会には、刑事司法の制度を変え、被害者の生きる権利を保障することで初めて権利が完成するとの思いがあります。被害者と加害者がきちんと法廷の場の中に入り、裁判官によって、まずどちらの意見が正しいのかという判決を下すバランスのある刑事司法の確立。そして、被害者の経済的な補償制度。これらは国がやるべきことです。
 そして次に必要なものが都道府県レベル、市町村レベルの行政の支援です。都道府県レベル、市町村レベルにおける条例制定によって、きちんと公務員の方々がその被害に遭った人たちを、それぞれその条例に基づいた責任あるサービスを行うということが、一番大事なのだと思って下さい。
 しかし、なかなかこれらが進んでいないというのが現状でありまして、ぜひ今日は、皆様方に都道府県レベル、市町村レベルでの条例を早くつくっていただきたい、と言いたくて広島まで来たのであります。
 条例制定に関し、予算問題についてはあまり要らないと思います。犯罪がゼロになれば予算は要らないのです。犯罪が減れば予算は少なくて済む条例なのです。従来の条例とは真逆の条例だと思って、そういう発想で是非考えいただきたいのです。どうぞ全国の市民のためによろしくお願いいたします。
 
 あすの会のこれまでの活動についてお話し致します。
 2003年2月1日、2日、東京の新宿を第1回の皮切りにして、全国47都道府県の県庁所在地のところで街頭署名を1年かけてやり遂げました。それで、署名が38万を超えた頃、首相官邸のほうから、話を聞かせてくれという申し出がありました。当時の小泉首相と、杉浦正健官房長官と保岡自民党司法制度調査会長が同席され話をしました。25分間でした。私も行かせていただきまして、自分の思いを伝えました。そして岡村元代表が刑事司法におけるおかしな話をずっと説明されて、小泉首相は、じーっと最後まで黙って聞いてはりました20分近くして、「そうか、そんなにひどいのか」と一言。そして、国と自民党できちんと対処しますということを約束していただいたわけであります。これが被害者等基本法成立の「ツルの一声」になったわけであります。
 
 署名活動の後、大阪府堺市市議会が地方自治法99条に基づく意見書を全会一致で決議され、国に提出してくださいました。(被害者の裁判参加と経済的補償制度が必要であるという内容です)このことを聞いて、私たち被害当事者やらねばと活動を始めました。全国展開してゆこうと。
 この資料に2004年3月3日、あすの会は新たな活動を展開し始めたと書いてありますが、3月3日の午後3時、大阪府と京都府と兵庫県でスタートしました。こういうことで、全国で最終的に100を超える意見書が採択されました。
 しかし私たち被害者にとって、こういう活動というのはつらいものでした。
 自治体にもよるのでしょうが、地方の議員さんたちは、被害者問題をご存じない。しかも、たとえばその市議会に5会派あると、5回同じ話をしなければなりません。本当につらい作業でした。
 今お願いしている支援条例は、公務員である前に、一般市民でもある皆様が条例作りに関しては率先してやってほしいと思います。
 全国に市町村レベルの自治体がいくつあるかわかりませんが、被害者がお願いしに行かなければ条例ができないという、そんな低レベルの話で終わってほしくないなと思います。
 
 次のページに、基本法成立時の【あすの会の声明】が書いてあります。私たちあすの会は、犯罪被害者に対する支援を求めるために活動していたわけではありません。
 刑事司法において、きちっと被害者が参画できる刑事司法に変えてくれというということと、この日本という社会の中で、虫けら扱いされていた犯罪被害者がきちんと生活できるような制度をつくってくれと、この2つを求めてきました。基本法をつくるために集まったわけではないし、まして、その基本法が、支援法という性格のものであってはいけない。そういうものは要らないという覚悟を込めてあります。
 大事なことは、支援をされることが目的ではなくて、権利を求めているのだと。
 もし自分が被害者になったとき、これは誰かに支援されて、ありがとうございますと平身低頭して受け入れるような支援の問題ではないということを、ご理解いただきたいと思います。きちんとした権利として確立しておくことが当たり前なのだという私たちの思いも理解していただきたいと思うのであります。
(ビデオ開始~終了)

 私たちは、刑事司法を本当に長い道のりで変えてきました。しかし、この被害者の問題が、これで終了かというと、そうではありません。それに付随する部分で改良していかなければならないものがまだまだたくさん残っています。
 たとえ話をしてみます。沖縄で先日婦女暴行がありましたが、例えば今日のこの開場は広島ですから、広島出身の娘さんがたまたま沖縄に行って、米軍基地の誰かによって殺されたとします。すると裁判が行われるのは沖縄です。広島から沖縄の往復交通費、宿泊代など、すべて被害者が自己負担しているのです。加害者は現地の留置場へ入って、そこから国の費用で移動するだけで費用負担はありません。
 裁判日程が1ヶ月で15回行われる事になったとしてみましょう。沖縄まで往復5万円の飛行機代が必要だとすれば45万円になります。宿泊費も必要になります。この費用をどうすれば良いのでしょう。いきなり犯罪に巻き込まれた上に、このようなお金まで負担させられる。それが被害者の実態なのです。
 そしてもう一つ大きな問題があります。公判前整理手続というものです。裁判が始まる前に検察と弁護側と裁判官の3者が公判での証拠等を整理する仕組みです。ここに被害者は参加できないのです。基本法に認められた権利を無視したものだと思っています。このような課題が残されていることも併せてご理解くださいますようお願いする次第です。 今まで、私たちは署名活動をやったり、政府に働きかけたり、いろいろなことをして制度を変えてきたのですが、本当は過去の被害当事者である私達のためのものではなく、これから被害に遭ってしまう人達のための権利確立のために活動してきた訳です。
 この権利は、国民全体のものなのですから、いまだに被害に遭ってない人たちが、ちょっとでもいいから活動を行って、制度改革をしてほしいと期待しているのです。
 この被害者支援は、民間団体レベルで行える性質のものではないのです。一般市民の中で身近なところは、基本的には市町村の行政レベルです。そこの窓口に行ったらワンストップで、シームレスな支援ができるように、そういう制度にして頂きたい。
 今後、被害者支援を地方行政でも取り組んでいただく方向で、今日のこの研修会がきっかけになればありがたいかなと思います。何もしないというのは不作為であるというぐらいの気持ちで臨んでいただきたいなと思っております。
 皆さん方の質問を受ける時間を設けますので、これで終わりたいと思いますが、お手元の資料には、「犯罪被害者支援の過去・現在・未来」という冊子に寄稿した、私の書面があります。今日の話と次の課題は何かということをまとめた資料でございます。
 万が一皆さんの家族が事件に遭ったら、どうできるかということが、一番大事かと思いますので、ぜひ読んでいただければと思います。今日はほんとうにご清聴ありがとうございました。
質疑応答
【質問】 先ほど、条例化のお話の中で、堺の話もされていましたが、そのほかで、何かそういう動きとかはありますでしょうか。
【林】  私たちも、よく把握していないのですが、今、100を超えるぐらい条例が全国でできていると思います。全国でいくつ自治体があるのかわからないのですが、早くやってほしいなと思います。今、神戸市が動いておりまして、来年の2月には制度をつくりたいという形で動いています。神戸市も全国で一番いいものをつくりたいと言っています。ですので、どういう条例をつくるのか、神戸市がつくった条例と、堺市の条例を参考にして、つくってもらえたら、非常にうれしいかなと思います。摂津市も、結構いいものができていると思います。
 犯罪被害者をちゃんと受けてくれる窓口が首長部局にあればいいと思っているのです。私たちの時代には警察の窓口もなかった。警察での被害者窓口は、交通事故の人相手であり、殺人事件等の被害者たちは区役所に行ってくれと言われました。そこで、区役所に行くと、区役所の方から、それは警察の仕事でしょと、たらい回しにされていたのです。ですので、私は、被害者が何もしなくても、警察や行政のほうから連絡がくるシステムがあれば、と願っています。
 
 どうもありがとうございました。