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人権に関するデータベース

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研修講義資料

東京会場 講義8 平成25年9月5日(木)

「ホームレスの最新動向と支援策のあり方」

著者
垣田 裕介
寄稿日(掲載日)
2013/11/27

◆はじめに

私は、貧困やホームレス、生活保護のことを専門に研究して、15年間ほど北海道から沖縄までいろんな現場を回って調査研究をしてまいりました。

今日は、日頃の調査研究を通して分かったこと、そしてこの国で、この社会で今何が起こっているのかということについて、現場の第一線のことをお話ししたいと思います。

日本における貧困、ホームレスについて、重要なのは事実に基づいて実態を把握することだろうと思います。

今日はまず大きく4つの柱を立てております。まず、貧困、ホームレスというものを見る眼。これは人権に関連するところ、重要なポイントになってくると思います。2つ目には、私が独自に行った調査の結果について。3つ目は日本のホームレスが、今一体どうなっているのかということについてお話しします。

最後に、彼らにどういう支援が必要なのか。仕事さえ提供すればいいのか、それとも生活するアパートやお金だけ渡せばいいのか、いや、それじゃ足りないということをお話ししたいと思います。

 

◆日本の貧困・ホームレスを見る眼

それでは1つ目の柱です。日本の貧困やホームレスを見る視点についてお話ししたいと思います。まず、この国の貧困やホームレスを見る目として重要なのは、日本で起こっている貧困と、例えばアフリカ等々の途上国で起こっている貧困というのは訳が違うということを御認識いただきたいと思います。人間は、貧困になって栄養が摂れないとどうなるか。やせ細ってお腹だけはポコッと出てくる、栄養失調になる、そうした事態は日本でもアフリカでも同じことが起こります。

ただし重要な問題は、日本の場合には体系的な社会保障制度があるにもかかわらず貧困が起きている点です。具体的には餓死も凍死も起こっていますし、生活困窮の末に自殺をされる、社会保障制度、セーフティネットがありながら食べられなくて亡くなっていく、そうした方々が後を絶ちません。

こうした、まさに基本的人権が著しく阻害されたような状況というものがこの国に少なくない量で存在する。これが問題であり、視点として重要だろうと思います。

具体的に貧困というものは多様な姿を取ります。生活保護を受けられる方々の数が増えている。これもまさしく貧困な方が増えているということの証明です。そう言うと、「いや、不正受給者もいるだろう。ベンツに乗っている人もいるだろう」と言われることがあります。生活保護をもらってベンツに乗っている方がいるのかどうか知りませんが、トータルで見ると貧困な方が増えているから生活保護を受ける方が増えているということが言えると思います。失業や派遣切り、倒産、非正規雇用やワーキングプアが増えています。20代、30代の人が、真面目に毎日働くのだけれども、結婚したり子どもを持ったりする生活費がないと、そういったことがこの国では起こっています。失業した人、若い人が貧困になる。これも最近増えてきております。知的障害をお持ちの方や、慢性の疾患を抱えた方、認知症や刑務所を出た方など、路上でよく出会います。

昨年度の自殺者数は、たまたま3万人を超えない数字だということですけれども、自殺者が14年連続で3万人を超えている、こういう先進国は他にありません。

次に皆さんに提起したいことは、貧困というのは、第一義的には食べていくためのお金や物がないという状況です。これは経済的な貧困、困窮と言えます。しかし、お金がないという貧困は、お金がないだけでは済まないのです。お金がないと他の子どもが持っている物を持てなかったり、他の子どもが行っている旅行やレジャーに行けなかったり、他の人ができていることができないのですね。そうなると、友だち同士の話にもついていけませんし、何より心理的、精神的にみじめな気持ちを味わう。子どものときはそれで済むかもしれませんけれども、親になってみて、子どもを持って困窮状態にあるというのは、子どもをこういう目に遭わせているという親の不憫さというものもまた付け加わってきます。

申し上げたいことは、貧困が、お金がない、食べるものがない、そうした物的な貧困が何を引き起こしているかということを考えていただきたいということです。講義のために若干図式化していますけれども、経済的な貧困は次に何を引き起こすかというと、社会的な孤立を引き起こすと言えます。

例えば、結婚式ですとか、お通夜、お葬式に行くときというのは、それなりの格好をしていきますし、手ぶらではもちろん行けません。多少のお金が必要ですよね。

お金がない世帯とか生活保護を受けておられる世帯というのは、そういうときどうしていると思いますか。行かないんですね。行けないんです、お金がないから。

昔の友達の結婚式だったら、まだそれで済むかもしれませんが、家族、親族の不幸ごとのときには、これは大変です。おそらく行けなかったお通夜や告別式の場で、「なんや、裕介、あれだけこのおじさんにお世話になっておいて、顔も出さないのか」と。多分、親族関係はどんどん疎遠になっていくと思うんですよね。

そのような、友だち関係、さらに家族、親族関係というものが途切れていくと、次は何が起こってくるのか。貧困の状態から抜け出そうという、頑張ろうという意欲が減退していく。皆さんも、ちょっとつらいときとか、頑張らないといけないというときには、身近な誰かが励ましてくれたり、ときにお尻を叩いてくれたりすることがあろうかと思います。人間関係が貧困になり社会的な孤立状態に陥ると、例えば同僚とか仲間とか友達、家族の助けや励ましがない中で、頑張らなければならない。

お金や物がなく人間関係が途切れていって、一人ぼっちになって相談に乗ってくれる相手もいない中で頑張ろうとしても、頑張れないのではないかなと思うのです。どんどん孤立していって、意欲がどんどん減退していく。

しかし、世間が貧困な方を御覧になるときの目線というのは非常に厳しいですね。金や物を失い、人間関係を失い、意欲までも失ってしまった人たちに対して、世間の人たちは何と言うか。「死ぬ気で頑張れ」と言うわけです。その頑張る気持ちがもう減退しているのだというところに着目する必要があると思います。「いやいや、ハングリー精神でこそ乗り越えられるだろう」という考えもあろうかと思いますけれども、この貧困が引き起こす連鎖というものを逆にたどっていくと、頑張ろうと思えるためには、やはり人間関係が必要で、そして人間関係を保つためには最低限のお金や物が必要なのだということが言えます。ですから、人に甘えず自己責任、自助努力で頑張れということを言うためには、その人に頑張ってもらうための基盤を確保していく必要があると思うのです。食べる物もない、頼れる人もいない、相談する人もいない中で、社会がその人を放置して、とにかく頑張れと言うだけでは展望は開けないのです。

このように、貧困から脱却して生活を再建する上で何が必要かを考えてみますと、くじけそうなときに相談に乗ってもらう相手という存在が必要でしょうし、逆に一歩でも状況が改善されたときに、「頑張っているね」というふうに言ってくれる人が身近に必要です。

例えば、私が小学校のときのことを思い出すと、テストで自分なりにいい点数を取れたときに、家に持って帰ってまず、「お母さん、見て」というふうにお母さんに見せて、「ああ、すごいやん、100点取って」というふうに喜んでもらえると、「いや、僕も頑張ったからね、今回は」みたいなことを言って、それで喜びを実感できたような気がします。

しかし、家に帰っても親がいない、「頑張ったよ」という話を聞いてくれる家族がいない、誰もいないとなると、その子どもというのは、頑張っても報われない。頑張っても誰も喜んでくれない。「頑張ったよ」、「頑張ったね」と、そういうコミュニケーションがないときというのは、果たして喜びを感じられるのかなと思います。目に見えないですけれども、やはり人との関係というのは、人が頑張る上でとても大切なのではないかなと思うのです。

この日本の貧困というものは、貧困な方々の生身の姿はもちろん、その方が貧困に陥った背景も、その人が貧困から抜け出せない理由も見えにくいということ、この点がきわめて重要です。

なぜその人が貧困になったのか。言葉を入れ替えてみると、なぜその人が貧困になっているのか、なぜ40度の熱を出して子どもが「痛い、しんどい」と言っているのに、その親は病院に連れて行けないのか。お金がないからですよね。では、なぜ、そういう状況から抜け出さないのか、抜け出せないのか、そういった事情はとても見えにくいわけです。このように背景や事情が見えにくいからこそ、そこに偏見や差別が生じるのだろうと思います。

とても大事なところなのですけれども、やはり見えにくくて分からないことは、見えにくいから分からないというふうに、そこで留まるのが、良識的な態度ではないかと私は思います。想像で膨らませて、「多分身を持ち崩したんだろう」とか、「多分やる気がないから貧困のままなんだろう」とか、「もっとあのお母さん、こうすればいいのに」とか、その人や家族に会ったこともないのに、勝手に想像したり妄想したり幻想を抱いて、貧困な方々の生活や来歴を語るのは、私はよくないと思っています。

なぜなら、そこにはいつも偏見や差別が付きまとっているからです。また、そういう大人の周りで育つ子どもたちもまた、偏見や差別の目を持つようになってしまうだろうと思うからです。

私の出身は大阪ですが、子どものときは難波や梅田の地下街を歩いていますと、ホームレスの方々が寝ておられる訳ですね。それを見た子どもたちが「なんであんな所に寝ているの」と聞くと、その親は「見たらダメよ」とか、「あんなふうにならないように勉強しなさいね」みたいな、ひどいことを言う訳ですね。やはり、詳しくその方の状況を知らないのに、そういうことを言うのはよくないというふうに思うのです。

 

◆ホームレスの生活実態と課題 ―大分市における独自調査から

そこで、これから大分をフィールドにして、実際にホームレスになった人というのはどういう事情でそうなったのかということを見ていただきたいと思います。

2年前に私は、大分市のホームレスの生活実態調査を1冊の本にまとめました。『地方都市のホームレス』というタイトルです。私は大阪で30年近く生まれ育って、そして大分大学に着任しました。それまでは東京、大阪、福岡、札幌など、比較的大きな規模の都市でホームレスの調査研究をしてまいりました。ブルーシートのテントをめくって、「こんにちは」と言って話を伺う。お一人から2、3時間かけて事情を聞いたりするわけです。そうしないと彼らのことが分からないからそうしてきました。

そして、10年前に大分大学に着任しまして、大分でもホームレスの研究をしようと思ったのですが、ブルーシートのテントを、私は大分では見たことがありません。東京や大阪は、野宿者が、多いときで1万人を超えていたような地域です。大分市の場合は、50、60人、その程度なのです。野宿者が多い地域では、テントや小屋がたくさん見られるのですけれども、少ない地域ではなかなかテントを張れません。自治体が張らせてくれないからです。

仮に私が今から野宿者になって東京でテントを張ったとしても、ひと張ぐらいテントが増えたくらいでは光景はそれほど変わりません。それが大分でテントを張ろうものならこれは一大事です。テントがあるとないとでは大違いですね。しかし、大分にもホームレス、若しくはホームレスになるくらい生活がしんどい方はおられるだろうと思って、野宿者の方を探して、朝昼晩あちこち歩き回ってみました。しかし、あえなく頓挫いたしました。彼らがどこにいるのか分からなかったのです。

それまで、東京やら大阪で調査をしていたときは、大都市の大規模公園でホームレス調査をしました。数を数える場合には、テントの数を数えてから、その次にテントの中に何人の人がいるかということを数えるわけです。行政の中には、テントの数だけでホームレスの数をカウントしている自治体も少なくないのですけれども、これでは正確な数はカウントできません。テントの中に二人暮らし、三人暮らしの場合があるからです。大阪の公園で野宿者調査をしたときに、テントの中から9歳のランドセルを背負った女の子が出てきたことがありました。9歳の女の子でも、その家族にお金がなければ家に住むことができなくなるのです。

ホームレスの数をカウントするというのはとても難しくて、正確には、「あなたはホームレスですか」と聞くしかないのですね。「いや、そんなこと聞くのは失礼でしょう」と言う方もおられますが、彼らの実態を把握して、彼らが何を求めているのかということを考える上では、それは欠かせない作業です。しかし、駅でたくさんの人に片っ端から聞いていくわけにもいきませんので、さあ、どうやって調査をしようかということで、いろいろ考えてみました。

そこで、ホームレス支援のボランティアの活動に加わりました。駅前でカレーやおむすびや風邪薬などを配るような活動に参加をすることで、それを必要とするホームレスの方々とやっと出会えたわけです。食事を求めて来られる方々、話を聞いてほしい、相談に乗ってほしいというホームレスの方々、いろんな方にお会いするようになり、「ああ、彼らはここにいたのか」ということがようやく分かりました。百貨店の前のベンチや路上で寝ておられる方もいましたし、公園で寝ておられる方もいました。

大分駅前のベンチは、ベンチがぼろいわりには手すりがきれいなのですね。これは、公園で寝かさないようにするため新たに手すりを設置したからです。しかし、手すりをつけることによって、ホームレスの数は減りません。彼らは別の所に移動するだけです。どこに移動するか。真横に移動するだけです。もう最後はここしかないのですね。地べたで寝ます。いや、本当に寝ています。段ボールを敷いたりして、そのまま寝ます。

いま皆さんがおられる東京の公共空間を、ぜひこういう点を意識して御覧になってみてください。まず、横になって寝られるようなベンチは、ほとんど大都市には存在しません。地べたも、おしゃれな石畳みたいになっていて、ボコボコしていて、見る分にはおしゃれだけれども、寝てみるとメチャクチャ痛いというようなことになっていたりします。どこまで地方自治体や公園管理者側の意図が働いているのかどうか分からないですけれども、実際にホームレスの方々が増えてきてから駅の公園や公共空間の在り方というのは変わってきたように思います。

ここで、具体的な数字を御覧いただきたいと思います。大分市内のホームレスは、国の公式の数値では、2009(平成21)年に23人と報告されていました。厚生労働省が毎年日本中の地方自治体に、おたくの自治体にホームレスの人が何人いるか数えて報告を上げてくださいと依頼を出しています。そして全国の地方自治体の数を集計した結果をもって、厚生労働省は何年に日本には野宿者が何人いるということを発表しているわけです。

私が実際に支援活動携わりながら、ホームレスの方々の人数を数えると、大分市内には56人いました。公式統計の倍以上ですね。これは、それほど彼らの数を数えることが難しいことを表しています。支援現場に入ったからこそ彼らの存在が見えたということです。

さて、いくつかポイントを絞って、彼らの特徴について御報告したいと思います。まず、大分市で私が出会った56人のホームレスの方々は、なぜホームレスになったのか。大半は失業と住居喪失が背景にあることが分かりました。仕事を失って、そして収入が途絶えて、家賃を払えなくなって、若しくは日雇い派遣の寮や飯場を追い出されて住む所を失ってホームレスになった。大半がこういうパターンでした。

特に私が調査をした2008(平成20)年から2009(平成21)年の1年間は、例のリーマンショック後の派遣切りの大ブームのときでした。特に大分は有名なカメラのメーカーが随分派遣の方を雇っていて、少なくない方々が派遣切りに遭いました。九州の中で派遣切りが最も多かった県は、大分県だったのですね。それだけ大分の産業が派遣労働者をたくさん雇用し、そして首を切ったということが、路上から見るとよく分かりました。地方の産業の盛衰に左右される形で、一番立場の弱い方が影響を受ける。それが路上にダイレクトに現れてきたということができます。

さらに、住居喪失に至るまでの間に、どのような環境で育っていたのだろうということについてもインタビューしてみました。実は、彼らは生まれ育った環境で社会的な不利といわれるものを抱えてきたということが明らかになりました。彼ら56人のうち、4分の1は一人親世帯出身です。いわゆる母子世帯、父子世帯です。もちろん、母子世帯や父子世帯に生まれると貧困になるとかホームレスになるという直線的な話ではありません。しかし、一般的に見て一人親世帯というのは、その子どもが育つプロセス、生活環境において、やはり不利を抱えるのだろうと思います。事実、彼ら56人の半分以上が、最終学歴が中卒(高校中退を含む)です。これは日本全国のどこの路上でも同様です。いまの日本の高校進学率は100%近いですね。95%を超えています。一方で路上におられる方々というのは、半分以上が最終学歴中卒の方々です。これはものすごいギャップですね。

こうした、一般的に不利と言われる環境や学歴を持って社会に出た彼らは、なかなか安定的な雇用につけずに経済的な不利、不安定な中で過ごしてこられたわけです。

私の本の特徴は、彼らの日常生活について、少し詳しく調査研究した点にあります。彼らは日々何を食べているのだろうということを直接聞いてみました。とても関心があるけれども、なかなか聞きづらいところです。大方が、パン屋さんとか弁当屋さんの売れ残りですとか、駅で人から弁当をもらったり、カップラーメンをもらったりしたことがありますと答えた方もおられました。

コンビニの売れ残りの弁当などは、いろいろな方が拾って食べておられました。忘れられないのは、和歌山にホームレスの調査に行ったときのことです。ホームレス生活をされていた方が、アパートに転居されたので、「それはよかったですね」と言いながら話を聞かせてもらっていました。しかし、野宿からアパートに上がれたときというのはとても生活が不安定なのですね。彼はちょうど御飯時で、私にもコンビニの弁当をふるまってくれました。「1つは僕が食べるから、1つは兄ちゃん、どうぞ」と言って下さったのですね。「これ、どうしたんですか」「いやいや、拾ってきたんや」と言うのですね。パッと日付を見ると、もう賞味期限が切れているわけですよ。「これ、食べて大丈夫かな」と思いながらも、「まあ火が通っているし大丈夫だろう」と思って、いただきました。

そういうふうにして空腹をしのいでこられた元ホームレスの方というのは日本に数多くいらっしゃったと思います。しかしいまは状況が変わったようで、ごみの分別が最近とても厳しくなっていますから、コンビニも売れ残ったお弁当をプラスチックの容器と、お弁当の中身とに分けて捨てるようになったようで、お弁当を拾いに行っても、とても食べられるような状態ではないと聞きました。

そういう環境の中で、彼らは何を食べて生きているかというと、もう背に腹を変えられない状況に陥ります。私が大分で出会った野宿者、ホームレスの方の56人のうち実に10人が野宿中に万引きで逮捕されています。刑務所で服役したという方、コンビニで食糧を万引きして逮捕されて、更生保護施設に入所している若しくは執行猶予になって釈放されたとか、いろいろな方がおられます。60代の男性でしたけれども、おにぎりと魚肉ソーセージの万引きが見つかって逮捕されて執行猶予中という人がいました。

ファミリーレストランで無銭飲食をして逮捕されるという、そういうおじさんもおられました。そんなことが路上で起こっています。

大分刑務所は、初めて刑務所に入る方が対象になっていて、男性専用で1200人の定員です。この刑務所の特徴は、バリアフリー対応なのです。実際に刑務所の中を見学させてもらうと、障害者、高齢者も随分おられました。トイレやシャワーを見てみると、本当に障害者の介護施設みたいな感じでした。個室の前に「きざみ食」などと書かれているのですね。おそらく、刑務所におられるということを認識されていない方も随分おられるのではないかなというふうに思いました。社会の中の貧困とか困窮という問題が、刑務所を通してもよく見えると思います。

生活に困った方が、いわば路上に落ちてこられたり、刑務所に入るような事態に陥ったり、この国には社会保障制度がありながら、なぜこういうことが生じるのでしょうか。

ここで、皆さんに生活保護のことを考えていただきたいと思います。これから挙げるのは、大分市役所へ生活保護の申請をした方から直接聞いた話です。同じようなことは、全国の福祉事務所で起こっていると指摘されてきました。

1つ目の事例です。30代の男性がお一人で役所に生活保護の相談に行くと、「家がないと生活保護って無理なんですよ」と役所の人に対応されたそうです。これは生活保護法違反です。生活保護の申請は、家がなくても外国人でも誰でもできます。役所は、申請を受け付けた上で、申請した人がどれだけお金を持っているか、家族がどういう状態なのかなど、いろいろ調査をした結果、生活保護を支給するかどうかを決定します。申請の段階で振り分けをするということは、やってはならないことなのです。そのように、生活保護制度を運用するうえでの実施要領に書かれています。

2つ目は50代の男性の方です。この方は、「住所がない人は生活保護の申請はできないんですよ」と言われたそうです。これも違法です。3つ目は80代の認知症のおじいちゃんでした。この方、2回も行っておられます。「生活保護を利用したい」と役所に申し出たところ、「先に住む所を見つけてきてから申請してください」というふうに言われたそうです。これも違法です。

日本が、社会保障や生活保護という制度を持ちながら、貧困が絶えない、増え続ける理由には、そのセーフティネットや制度が法律の趣旨通り運用されていないということにも理由があるのではないかと思います。

そこで、私が携わった、もう一つの支援団体は、食べるものや薬や着るものを配るだけではなくて、生活保護の運用の状況を改善してもらう必要があるだろうということで、「ちゃんと法律通りに、定められたルール通りに生活保護を運用してください」と、大分市役所の福祉事務所長の所に行って申し入れをしました。そして、その場に新聞社とテレビ局をたくさん呼んで、取材していただきました。この後、随分環境が変わりましたので、その点ではよかったと思っています。

 

◆日本のホームレスの最新動向と支援策の方針

ここからは、日本のホームレスの最新動向をお伝えするとともに、国がどういう支援策を取ろうとしているのかということを、ごく簡単に御報告します。

これまで私は、皆さんの前で、ホームレスという言葉も使いながら野宿者という言葉も使ってきました。皆さんが、もしそれでも混乱されなかったとすれば、ことは簡単です。「ホームレスって野宿者のことだろう」というふうに一般的に思われているからなのです。

日本におけるホームレスの定義というのは、実は他の先進諸国と違います。日本にはホームレス自立支援法という法律があって、ホームレスというのは、すなわち野宿生活者のことを指します。

しかし、専門家の研究ですとか、あるいは欧米諸国では、ホームレスというのは野宿生活者も含めますが、それだけではありません。不安定な居住状態にある人たちも含めて先進各国ではホームレスと呼んでいます。不安定な居住状態、つまり、日本でいえばネットカフェ難民のような状態も入ります。それから、ファーストフード店で夜中過ごしておられる方々やドメスティック・バイオレンス(DV)に遭っている人、さらに、大家さんから「もう家賃払ってくれないんだったら、今月中に出て行ってください」と、そういう局面にある方も、諸外国ではホームレスと呼ばれるのです。それはなぜかというと、とてもじゃないけれど、安全で安定した居住状態ではないからです。

ホームというのは、本来的には安定的で安全な居住環境のことを指すいう理解を前提にすると、このように広い概念になるのです。ですから、アメリカやイギリスでホームレスが何十万人と聞いて、「え、そんなに路上で寝ているの」と思わないでください。このような、多様な居住形態におられる方も含めて、何十万人のホームレスがいるということが伝えられているわけです。

この言葉の違いをなぜここで問題にしているかと言いますと、どういう定義を取るかによって、対策の取りかたが違うからです。日本の場合は、野宿生活に陥ってから「さあ、何かしようか」という組み立て方になるわけですが、欧米の場合はそうではありません。ネットカフェとかファーストフード店で過ごしている人たちも含めてホームレスですから、彼らが野宿生活に陥らないために、どう予防するかということも政策の範囲に入ってくるのです。

日本でもこれまで、欧米のように野宿生活に陥らないための政策が必要ではないかと問題提起されてきました。厚生労働省が発表している日本の野宿生活者数というのは、10年前に初めて発表したときには2万5000人を上回っていた。そのときでさえ、私たちフィールドで調査をしていた者は、「いや、この2、3倍はいるだろう」というふうに推測をしておりました。私たちは、把握しにくい野宿生活者がたくさんいるということを知っていたからです。

それが最新の調査の結果(2013(平成25)年1月に発表された、2012(平成24)年の時点のホームレスの数)では9,500人に減っている。3分の1にまで減っているわけですね。

それは、「ああ、よかった、よかった」と言えるのかもしれませんが、コアにある野宿生活をしている人の数はたしかに減りつつあったとしても、問題はその周りにいる人たちなのです。ネットカフェやカプセルホテル、ファーストフード店、そういうところで寝起きしている方々の数というのは、おそらく増えているのではないかというふうに見られています。

おそらくと言葉を濁しているのは、実はそういう人の数を誰も正確につかんでいないからです。ネットカフェやファーストフード店で寝ている人がすべてホームレスかというと、多分そうじゃない。終電を逃したり、酔っ払ってそのまま寝ているサラリーマンや学生もいるでしょう。ですから、正確な数は分からないのですけれども、いま政策の焦点は、野宿生活者にどういう支援が必要かという点とともに、その周りにいる広い意味でのホームレスの人たちに対して、どういう実態把握や支援をする必要があるのかという点にも目が向けられつつあります。

野宿をしている人が、例えば自立支援センターという施設に入ったり、生活保護を受けてアパートに入ることができた場合であっても、そこでの生活がうまくできなくて、また野宿に戻ってしまうことがよくあります。現に、昨年も一昨年も路上でホームレスの調査をしていますと、これで野宿は何回目という方が少なくありませんでした。ですから、こうした周辺のところに視野を広げて対策を取ることが重要になってくるわけです。

日本の野宿生活者の方々の実態は、10年間の傾向で大きな違いというのはそんなに出てはいません。大半が男性です。平均年齢がだいたい50代後半のところで推移していて、最近は若干高齢化している。野宿に至った理由は、やはり仕事が減ったとか、倒産、失業というものが最も多い。その他、病気や障害、特に知的障害、精神障害、これは医者が障害だというふうに認定していないいわゆる障害のボーダーというものも含まれます。さらに低学歴。このような困難や不利を抱えた方々が一定数おられるということが明らかになっています。その上で、国が、今年7月にホームレスに対する基本方針というものを出しました。アフターケアによる再野宿化の防止ということです。野宿生活をしていた人が施設やアパートに住むようになった後のアフターケアですね。その後もその生活が安定的に持続するようにケアすることによって再野宿化を防ぐことが政策的な焦点になってきています。

以上、日本のホームレスの最新動向や国の政策的な焦点を簡単にまとめた上で、最後の柱として、では日本のホームレスや、生活困窮者の方々に対する支援策のありかたは、どのようなものが考えられるのかということについて話題を移したいと思います。

 

◆ホームレス・生活困窮者の支援策のあり方 ―伴走型支援の理念と試み

まず皆さんにお聞きします。いわゆる現役世代の稼働年齢にあるホームレスや生活困窮者の方々は、就労機会さえ確保されれば、直ちに就労して安定的な生活を送ることができると思いますか。よく「生活に困っているなら仕事を提供したらいいじゃないか」と言われることがありますが、仕事さえあったらそれでよいのでしょうか。

実際に支援現場で稼働年齢のホームレス、生活困窮者の方々にお聞きすると、例えば、うつ病とか、アスペルガーなどの精神疾患や、知的障害を持っている方々が一定数おられます。その中には医師の診断や行政による障害の認定を受けていない方々も含まれます。

その他にも就労や日常生活のスキルを十分持たない方もおられます。職場へ行って、職場の人に挨拶をすることができない方、月給をもらっても計画的にお金を使うことができない方、お薬を1日3回食後にきちんと飲むことができない方、ゴミを決められた曜日に出せない方、そのような方々が、社会的に孤立している方の中にはけっこうおられます。つまり、こういう方々は、一人では安定して働き日常生活を送ることが相当に困難です。このようなことが支援現場で随分見られます。

ですから、このような複合的な困難や孤立というものに対応するためには、仕事ももちろん大事だけれども、それ以外の領域も含めた支援の枠組みが必要なのではないかということを考え始め、昨年度に厚生労働省の補助金を受けて、実際に北九州市内でモデル事業を行ってみました。

北九州市役所の生活保護担当の方々に、生活保護を受けている18人の若者をご紹介いただいて、その人たちに対して行政やNPO、企業、カウンセラーなどと連携をして、いろいろな支援を試験的に行い、何が足りていないのか、どのような支援が必要なのか、仕事といってもどういう仕事が効果的なのか、必要とされているのかということを考えてみるという事業です。

このモデル事業は、複合的な多様な困難を持っている方々にどういう支援が必要かを知る目的の事業でしたから、多様な困難をお持ちの方々を福祉事務所から紹介していただきました。10年間引きこもりの30代の男性、父親から虐待を受けて福祉施設に入所していたことがあり、精神疾患の恐れがある方、パニック障害で外出が困難な方、野宿経験があるという若者もいました。20年間働いていない40代の方は、未就労期間が長くて精神的課題もある。児童福祉施設の入所経験がある20代の女性、元夫から脅迫の被害に現在も遭っているという方、アスペルガー症候群の方、そして社会不安障害を持っていて電車とかバスに乗れない方、それから、何かトラウマ的な過去があって、人の目を見て話すのがとても怖い、不安を感じるという方、いじめを経験したり、DVの被害に遭ったり、もろもろの方がおられました。彼らの学歴をみると、18人うち6割の方が中学卒業程度ということが分かりました。

今の日本の福祉や支援制度は、困ったことを自分で自覚し、そしてそれを解決してくれる窓口に自分で行って、自分で利用して、必要なくなったら利用をやめるというふうになっていますが、このような、電車やバスに乗れない、履歴書の書き方が分からないという方々を、ハローワークに連れていって仕事を紹介するだけでは彼らの生活や就労はままなりません。

支援対象者の方は、いろいろな問題を抱えている方が多くて、自分で何に困っているのかが分からない方がけっこうおられるのです。ですから、誰かが寄り添って、そのときに必要なサービスにつなげては戻し、つなげては戻すという、そういう支援の枠組みが必要なのではないかということです。

そこで、私たちは、いま北九州を中心にモデル事業をしながら、この伴走的支援というものがホームレスや困窮者支援の領域で必要なのではないかということを提唱しています。つまり、生活に困っている人に対して支援者が伴走する。一緒に寄り添い相談に乗りながら、この人たちにどういうニーズがあるのかアセスメントをし、その人が抱えている課題や困難をきちんと仕分け、この対象者の方が必要とされているサービスや施設や資源を提供する。

例えば、これは親と子どもに置き換えたら分かりやすいのかなと思います。子どもが小学校でいじめられているようだということが分かると、親は多分、学校の先生に相談すると思うのですね。「うちの子どもが、いじめられているそうだけれども、学校の方ではどのように把握しているのですか。何か対策を取ってもらえませんか」と。つまり、ずっと子どもに寄り添っているのですね。そのときに、「もっとこうしようか、どうしようか、これでもうまくいかないね」っていうことを一緒に悩みながら、考えながら、次の作戦を考えていると思います。そこで、困窮者支援においても、こういう個別的で包括的、いろんな種類のサービスを受けられるような、そういう枠組みが必要なのだろうと思うわけです。

さらに、仮にハローワークに一緒に行って、仕事先が見つかったとしても、それで「就職おめでとう、さようなら」ではなくて、その後も「ちゃんと働けている? 続いている?」と気にかけ、アフターフォローするような伴走者が必要なのではないかなということを考えてきました。そこで、今回のモデル事業でそれをモデル的にやってみたということです。

例えば今回のモデル事業の18人の若年者に対して、就労支援も生活支援もしますという事業計画を立てました。やはり働ける方には働いてもらうということを前提にしていますので、いろんな研修を行いました。ビジネスマナーの研修は、「人前に出たら帽子を取るんですよ」、「サングラスは、外しなさいよ」と、そういうレベルから始めました。そして、履歴書の書き方や面接の練習をし、ハローワークにも同行する。また、実際に協力企業のもとで訓練的に働いてもらう。そういう職場体験型の研修も行いましたし、東日本大震災の被災地に行って、生きる意味や働く意味というものを考えてもらうという時間も持ちました。

このような研修を通して、18名の人たちにどういう職業適性があるのかも含めて見極め、3つのグループに分けて支援の見通しを検討しました。1つ目は、訓練的な就労を通して一般就労を目指すグループ。2つ目は、一般就労はちょっとしんどいけれども、障害者の作業所で行うような福祉的就労を目指すグループ。3つ目は、働くことそのものが、いまはちょっと難しいというグループ。

具体的に4つのケースを御紹介をして、最後にまとめをして終わりたいと思います。

4つのケースのうちの一つは、「この人は、一般就労に行けるんじゃないかな」と思った20代の女性です。実際にこの方は研修を受けて求職をして、レジ打ちのアルバイトに就くことができました。彼女にとってのその後の目標は、その仕事を続けて日常生活を安定的に送ることです。しかし、それを実現するためには彼女一人の力ではしんどいだろうなという課題が見えてきました。この方は精神科受診が必要なのですね。そして服薬管理や金銭管理が必要な方なのです。ですから一般就労の後も、体調面や生活面への継続的な配慮をしなくてはなりません。実際、働き始めると、ストレスを抱えたり、職場でコミュニケーションがうまくいかず症状が悪化する方がおられるので、様々な問題が出てくるようになったときに、就労後もアフターフォローするような支援や人の存在が必要だろうと思います。もしもそれがなかったら、どこかでこの方は、レジ打ちのアルバイトも失ってしまうかもしれません。働き続けるためにサポートが必要だということです。

2つ目は、最初は福祉的就労を目標にした方でしたが、途中から「一般就労にいけるんじゃないかな」という見立てに変わった方です。アスペルガー症候群の方ですが、周りがサポートを固めて、就労先の協力があれば、就労のモチベーションもあるし働くことができるのではないかなというケースです。

3つ目は、作業所での福祉的就労を目指そうと見立てをしたのですけれども、それより前に日常生活の環境を整えるほうが先だな、となった方でした。引きこもりで知的障害をお持ちなのではないかなと思われる方です。伴走型支援の効果というのは、一定期間同じ時間を過ごすことによって、「この人、知的障害を持っているのでは」というようなニーズや困難が分かってくるのですね。1回きりの面談では分からないようなことが、伴走型で支援をすると、「ちょっとここが課題かな、ここがしんどいのかな」ということが分かってくる。伴走することで新たに分かった問題に、伴走しているからこそ、その時々に必要な支援をコーディネートできるということです。

最後のケースは、20代の女性で、当初から、「日常生活重視で行こう」と見立てをした方です。うつ病を抱えていて、リストカットを繰り返しています。そして人との対面が苦手で、目を合わせてしゃべることがとても苦手です。精神科にかかっていますけれども、自分で決められた時間に精神科に通院することができません。前の晩に処方されている睡眠等の薬を飲むと、次の日の朝に起きられないのです。そして、生活リズムが乱れてしまって、このモデル事業で行った研修にも来ることがなかなかできませんでした。リストカットをして支援員が駆けつけるという事態も起こったケースです。この方の場合には、「働ける年齢でしょう。だから仕事して頑張ってください」というわけにはいきません。まず、生命や生活の安全を優先して、周りが見守って、その基盤を確保した上で、この方にとって可能なゴールを目指すことが大事なのかなと考えさせられたケースです。

 

◆まとめ

全体をまとめますと、貧困やホームレス、それから最後にあったような生活困窮者や生活保護受給者の実態というものは、とても見えにくいものです。先ほど御紹介した4つのケースのように、見た目や履歴書の上では、バリバリ働けるように見える若者たちでも、彼女ら彼らが抱えている問題というのは、目で見て分かるものではありませんでした。そして、彼らがそういった貧困や生活保護から抜け出せない理由や事情も言いにくいということがよく分かりました。ですから、事実に基づいた理解というものが偏見や差別の解消にとって必要なのだろうということを、改めて皆様方にお伝えしたいと思います。

まとめの2つ目です。今日の日本のホームレスは、野宿生活だけではなくて、ネットカフェ難民等々も含めた多様な形をとっています。生活に困った方々の数や実態を把握するのは難しいのですが、やはり早期に発見して早期に支援に入るということが重要だろうと思います。

3つ目、最後です。ホームレスや生活困窮者の中には、なかなか目に見えにくい疾病や障害を抱えた方々が一定の割合で存在します。しかも、日本の多くの困窮者は、一人ぼっちになってしまっている。そういった方々は、自分がどのような課題を抱えていて、どういう支援が必要なのかということがよく分かっていません。そうした困難やニーズを見極めるためにも、当事者に伴走するような支援の枠組みというものが有効だろうということが、このモデル事業を通しても分かったということです。