メニュー

人権に関するデータベース

全国の地方公共団体をはじめ、国、国連関係機関等における人権関係の情報を調べることができます。

研修講義資料

京都会場 講義5 平成25年10月30日(水)

「多文化共生社会の形成と人権啓発 ~外国人住民との共生が開く地域の未来~」

著者
田村 太郎
寄稿日(掲載日)
2014/02/03

 こんにちは。よろしくお願いいたします。
 多文化共生センター大阪というところから参りました田村です。最初に簡単に自己紹介をいたします。今から18年前、阪神・淡路大震災がありました。そのときに被災をされた外国人の方、その中でもとりわけ日本語が分からない、読み書きが分からないという方々のための情報センターを立ち上げまして、それをきっかけにして、多文化共生センターという団体を設立いたしました。気が付けばあっという間の18年でした。

 まず、私がどうしてこういう活動を始めたのかをお話しいたします。
今から20年ぐらい前ですね、1年半ほどですけども、私は日本に暮らしているフィリピン人向けのレンタルビデオ屋さんという仕事をやっていたのです。日本で暮らしているフィリピン人に、フィリピンの映画のビデオを貸すというビデオ屋さんです。これは結構儲かりました。20年前ですから、まだインターネットがなかったころです。全国にフィリピン人は17万人ぐらいいたと思いますが、ほとんどが女性です。フィリピンは大変映画が盛んな国です。しかし、日本のレンタルビデオ屋さんではフィリピン映画のビデオはほとんど扱っていません。ですから、これが儲かるのではないかとビデオ屋さんを始めたのです。
 その仕事をしていて2つ気付いたことがありました。一つはお客さんのしゃべる日本語が変だということです。北海道から沖縄まで全国からフィリピン人女性が私のやっていたビデオ屋さんに電話をしてくるのですが、電話での話し方が「偉そうな男性の方言」なのですね。「新しいビデオがあるか」って、電話がかかってくるのです。住所を聞き取ろうとするのですけれど、分かりにくい。一生懸命聞こうとするのですがどうしても間違えて送ってしまう。宅急便で送っていたのですが、「おい、猫黒いの来ないぞ」。「うちな、田舎だからさ。ゆらパックで送れ」って言われるのです。「ゆらパック?」「あるだろ、郵便局の」「あっ、ゆうパックですね」。「日本語はな、“う”と“ら”が紛らわしいぞ」って怒鳴られるのです。何だろうこの会話は、と思っていたのですが、まあ1か月もそういう仕事をしていると分かったのですね。決して私のお客さんのフィリピン人女性が偉そうなのではなくて、私のお客さんの周りにいる日本人が偉そうなしゃべり方をしているのだということに。そのことがだんだん分かってきまして、これは何だか大変な世界だなと。
 私のお客さんのだいたい半分ぐらいがフィリピンパブで踊っている人で、あと半分は日本人と結婚したフィリピン人女性でした。つまりフィリピンパブに来るお客さんの偉そうな日本語か、配偶者がしゃべる偉そうな日本語を耳で覚えてしゃべっている。そういうことが分かってきたのです。
 外国人を受け入れている日本以外の先進国では、法律に基づいて政府の予算で自国の言葉を外国人に教えています。ボランティアが週1回細々と教えているだけというようなところは、日本くらいです。まさか日本のような発展した国に来て、その国の言葉をプロが教えてくれないなんて思ってもみなかっただろうと思います。来てみたら日本語教室がない。日本語教室に行ってみたら素人が教えている。何だろうこの国は、と驚くわけです。仕方がなく偉そうなお客さんがしゃべっている「新しい焼酎あるか」という言い方を覚えて「ビデオあるか」と言っていたのですね。
 二つめは、悩み事をビデオ屋さんに電話してくるお客さんが結構いることです。「逃げたい」と言われたり、「あのさ、私、妊娠しちゃったの。どうしていいか分からない」、「そんなこと相手の男に聞けば?」というと、相手の男も分からないと言っていると。「どうしたらいいの? 私、お客さんでしょ」と言われたら調べないわけにはいかないですよね。
 つまり相談する先がない。周りにいるのは偉そうな日本人ばかりですから、相談する先がないのです。まあ、今も20年前もあんまり状況は変わってないですね。
 そういうことに薄々気付いてきたころに阪神・淡路大震災が起きました。その当時、私は伊丹の実家で暮らしていました。ものすごく揺れました。西宮の父の実家は全壊しまして、その土地は今も更地のままです。そのようなわけで震災当日は動けなかったのですけども、翌日ビデオ屋さんに行くと、何と電話がずっと鳴っているのです。
 当時18年前の日本は、公衆電話が街中にたくさんありましたから、日本で暮らしている外国人の方は、テレフォンカードで公衆電話から母国に電話をしていました。覚えていますか、そんな時代がありました。公衆電話というのは、災害時、優先的につながります。ともすれば日本人が一般家庭から電話をかけるよりもつながりやすい状況にあったのです。外国人の方はテレフォンカードを持っていますし、どこに公衆電話があるか分かっていますから、ビデオ屋さんに電話がかかってくるのです。「あ、これは電話がつながるぞ」と思いまして、通訳のできそうな友人、知人に声を掛けて立ち上げたのが「外国人地震情報センター」だったのです。
 立ち上げてみるとどんどん電話かかってくるのですが、半年も経たないうちに震災と関係のない相談がかかってくるようになりました。そこで、これは普段からニーズがある活動なのだと思いまして、1995(平成7)年の10月に「多文化共生センター」に衣替えをしたのです。
 多文化共生センターはその後、東京、京都、大阪、兵庫、広島と広がり、2006年にそれぞれ独立しました。残念ながら広島だけは閉鎖したのですが、他の4つは今も活動しています。私が大阪の代表と東京の理事をしています。地方自治体などがやるようになりましたので、今は電話相談はやっていませんが、大阪では調査・研究や研修、子ども達の学習支援活動を中心に様々な活動を行っています。東京でも子どもの教育がテーマとなっていて、現在はフリースクールが主な活動です。荒川区と新宿区に2校あります。
 この20年、いろいろな形で日本に暮らす外国人とお付き合いをしていますが、最近特に目立つようになったのが、中学生ぐらいの年代で来日する外国人の子どもたちです。20年前の国際結婚の多くはあっせん業者が間にいて、アジアの女性と日本人男性との結婚を仲介していました。その頃はフィリピンや韓国の若い初婚の女性をあっせんしていたのですが、最近日本の国力の低下に伴いまして、若くない初婚でない女性が業者によって仲介され、お子さんを連れてくるようになったのです。すべての国際結婚がそうというわけではないですが、これが実態です。子どもにとってははなはだ迷惑な話で、突然母親が日本人と結婚するといって日本に連れてこられる。それも12歳~13歳です。
 小学校、中学校は就学年齢ですので、就学手続きをすれば学校に入れるわけですけれども、学校に入ったからといって日本語を教えてくれるわけではありません。繰り返しますが、この国には外国人に日本語を教える法律がありません。予算もありません。たまたま熱心な先生に当たれば良いのですが、そうでない場合は迷惑な顔をされます。学校に行くのがつらいです。辞めます。辞めてどうしますか。働くのですね。ちなみに外国籍の児童生徒は辞めてもよいことになっていますので、「退学します」と言ったら「そうですか」と退学させてしまう学校があるのです。
 高校に上がろうと思っても、受験に合格しないと高校には行けません。これが、なかなかハードルが高いのです。中学2年生ぐらいで来日して日本語も分からないのですからそう簡単には高校には合格することができません。
 これはずっと見過ごすわけにはいかないということで、多文化共生センター東京ではフリースクールを7年前に立ち上げました。最初はマンションを借りていたのですが、荒川区の教育委員会から廃校になった小学校の教室を4つ提供していただくことができたため、だいぶ負担が少なくなりました。また、様々な助成財団や企業から寄付をいただきながら、毎年だいたい30人から40人の子どもたちを都立高校に合格させることを目標にして勉強の場を運営しています。
 中国から来たお子さんだと漢字が分かりますので、1年勉強すれば何とか合格するまでは行けます。しかし合格した後が大変で、続かないケースもあるのです。本人にしてみれば、ものすごく努力して定時制高校にやっと合格できたのに、行ってみたらやる気のない生徒ばかりで一緒に通うのがつらいということもあります。もっと大変なのは漢字が分からない国から来た子どもの場合ですね。この子たちは1年ではなかなか追いつかず苦労をしています。こんなことをやっているのが多文化共生センターです。

1)日本で暮らす外国人の様子

 現在、全国でだいたい210万人くらいの外国人の方が日本で暮らしています。既にたくさんの外国人の方が地域で暮らしているのです。特にこの20年の間に、日本で暮らす外国人の様子はすっかり変わりました。皆さんが思い描いていることと、これから私がお話することはずいぶん違うと思います。しかし、それが現実です。
 外国人登録者総数は過去ずっと増え続けており、2008(平成20)年までは過去最高を更新していました。2009(平成21)年のリーマンショックで少し減り、その後2011(平成23)年の原発事故で少しずつ減っていきました。厳密にいうと、例えば震災があった2011(平成23)年は5万人減っています。208万人から203万人になりました。しかし、203万人の人は日本で暮らしているのです。報道で「外国人が減りました」といわれると、「半分ぐらい減ったのかな」という印象を受けますが、そんなには減っていないのです。

  

 2012(平成24)年の7月から、新しい在留管理制度になりました。法務省が出しているデータも、2010(平成22)年末までは「外国人登録者総数」だったのですが、2012(平成24)年末のデータからは「在留外国人数」になっています。この制度の変更は結構大きな変化ですが後ほど詳しくお話しします。
大きな傾向としましては、滞在の長期化により、以前は出稼ぎに来ていた人たちが、永住する方向に変化をしています。外国人というといつか帰る人だと思っている日本人が多いわけですが、法的にも永住できる人たちが増えているということです。
 私の友人にインド人で、日本で台湾人と結婚して今神戸で暮らしている人がいます。彼は関西弁がペラペラで、「田村さん、おれは日本好きやしな。ずっとこのまま日本で住もうと思ってるけどな、日本人から言われて嫌な質問が一個だけあんねん。いつ国に帰るんですかって聞かれるねん。何で日本人はいつも、いつ国に帰るんですかって聞くんや。おれは帰らへんわ」と言われるのですね。「そやなあ」と思うわけです。
 決して日本人に悪気はないのです。しかし、どうしても外国人というといつか帰る人だと思い込んでいるところがあるようですが、実際は永住する資格を持つ人が半数もいるのです。
 永住するということは、お子さんを呼び寄せたり、あるいは子どもを産んだり、その子どもが就労したり、本人が高齢者になっていくということです。
 実際、「デイケアセンターに日本語が分からないおじいちゃんが来てるんで、通訳に来てください」という依頼が最近増えています。それが今の日本の実態です。

 「外国人登録者数」や「在留外国人数」は、外国籍の人しか入っていないので、両親のいずれかが外国籍の親から生まれている子どもなど、日本国籍を持っている場合はカウントされていませんから、もっとたくさんのいろいろな文化背景を持つ人が既に日本に暮らしているということになります。
 「平成24年末における国籍・地域別外国人数」を見てみると、中国がトップで、次が韓国、朝鮮、フィリピン、ブラジル、ベトナム、ペルーと続きます。
 日本は、非常に国籍が多様、在留の形態も多様ですね。例えばドイツはトルコ人が多い、フランスだったらアルジェリアから来た人が多い、イギリスも旧植民地であったインド人が多い、アメリカはヒスパニックの人が多い。 日本の場合、中国の人も、フィリピンの人も、ブラジルの人もそこそこいる。こういう状況です。わずか20年ほどの間にどっと増え、他の国よりも短期間に多国籍な状況が生まれたというのが日本の特徴かと思います。

 日本で暮らす外国人の方は、何らかの在留資格を持っていなければならないということになっています。この在留資格は法務省が所轄している入国管理局で取得するわけですけども、出入国管理及び難民認定法という法律で定められています。全国で27種類の在留資格があります。人数でいうと、一番多いのは永住者という資格を持った人が約半分です。永住者には2種類あり、一つは特別永住者。これは18.7%。在日コリアンという人がほとんどですが、台湾の人々も少しいます。次は、特別永住者でない永住者の方です。一般永住者ともいいますが、これが30.8%です。2007(平成19)年に特別永住者よりも一般永住者のほうが多くなり、それ以来どんどん差が開いています。
 この永住者という在留資格は、日本の場合、いきなり取得することはできません。アメリカや、オーストラリアはいきなり永住者資格申請をして抽選で決まります。人数制限があります。アメリカでは一年間に永住者資格を取れる人が何万人と決まっているわけです。昔の映画でグリーンカードが当たったみたいな、そんな話がありますね。あれがアメリカの永住者資格ということになります。日本の場合、他の在留資格で原則として10年以上継続的に日本で暮らしていて、税の納め漏れや犯罪歴がなければ申請すればおおむね認められます。
 これは原則で、日本人の配偶者などは、国籍にもよりますけど5年~7年で永住申請して認められるようになっています。以前は入国管理局の裁量の幅が大きかったのですが、今はガイドラインが示されていて、永住者資格を得るためにはこういう要件を満たしている必要がありますよということを入国管理局がオープンにしています。これが日本の永住者資格の制度です。
 他の在留資格を見てみましょう。留学が次に多く8.9%、その次は定住者8.1%、永住者と、定住者は何が違うのかが良く分かりませんね。定住者というのは、法律上は「法務大臣が定めるもの」としか書いていません。では、今法務大臣はどういう人を定住者として定めているのかといいますと、まずは難民。申請して認められたら定住者になります。次に日系3世とその家族ですね。3世とその家族は定住者として認めようということになりました。
 ですから1990(平成2)年以降、日系ペルー人や、日系ブラジル人が増えました。関西の場合は中国帰国者ですね。おじいちゃんか、おばあちゃんが中国に残留した日本人であれば、孫まで日本にいられるようになったのです。関西の場合は中国の方が定住者資格で増えました。
 1996(平成8)年からは、日本人の子どもを育てている外国人の親も定住者として認められるようになりました。日本人と結婚していないため、「日本人の配偶者等」という在留資格はもらえない人でも、日本人の子どもを育てていれば定住者なのです。以前は不法滞在者といわれたのですが、1996(平成8)年以降は合法的な滞在に切り替えられるようになりました。このように、その時代によって定住者資格の要件は変えられるわけです。法律ではなく、入国管理局の施行規則で変えています。
 例えば難民として日本に来て定住者資格を得て、3年を3回更新すると9年になります。もう1回更新すると12年になりますから、その頃に永住者資格申請をすれば永住として認められるということです。
 次が技能実習7.4%。これは日本の高度な技術を実習するために日本に来る人です。原則として3年間日本の企業で働きます。高度な日本の技術を3年かけて学ぶ、ということになっています。一応高度な技術を習得するという名目にして認めているということですが、例えば白菜を縛る作業とか、日本の高度な牡蠣の殻むきとか、プラスチックをひたすら研磨するとか、現場に行かれるとすぐ分かると思いますけども、これはいわゆる単純労働ではないかと思われるものが多いです。実際採用されている会社の人事の方や社長に伺いましたら、「人がほしいんだけど、これしか制度がないからこれを使っている」と言っていました。他の国からは外国人を安く働かせるための、非常に問題がある制度だと指摘されています。
 次が、家族滞在5.9%。他の在留資格で日本に滞在している人の家族、例えば夫が妻子を連れて日本に留学している場合、妻子は家族滞在です。この方たちは、就労は認められません。次は人文知識・国際業務3.4%。大学を出て例えば通訳として商社で働くといった場合は、人文知識・国際業務ということになります。

 「永住者」と「定住者」、「日本人の配偶者等」、「永住者の配偶者等」の4つは、就労の制限がありません。何をして働いても、働かなくてもいい。生活保護も認められます。他の在留資格は日本での活動に制限があります。例えば留学が終わったら帰らなければいけません。技能実習は3年間で日本の高度な技術を学んだら帰らなければいけないということになっています。
 しかし、例えば留学生として日本に来て4年間で大学を出ました。そのあと人文知識・国際業務という在留資格に変更して3年間働きました。そのあと日本人と結婚して2年経ちましたといったらもう10年ですから、永住者申請ができるのです。そして、永住者として認められればどんな仕事に就くこともできますし、離婚しても日本にいることはできます。

2)日本における多文化共生の流れ

 1990(平成2)年に入国管理法が改正され、そこから10年経つと2000(平成12)年です。2000年代に入ってから、毎年約3万人以上の外国人の方が新たに永住者資格を取得しています。毎年3万人です。もう小さな市ぐらいの数だと思いますね。この数はリーマンショックのあった年も増えていますし、原発事故があった2011(平成23)年も増えています。日本で永住者資格を新たに取得して暮らす人は毎年増え続けているのです。
 リーマンショックで一時帰国した人もいましたけれども、やはり生活の本拠は日本にあるということで戻ってきています。
 外国人が永住するようになると、様々な変化が生まれます。市役所を例に挙げると、以前ですと通訳が必要なのはせいぜい健康保険の窓口と教育委員会ぐらいだったのですが、今では固定資産税の課税もしなければなりませんし、埋葬手続きをどうするのかということも多言語対応が必要になってきます。つまり永住者が増えるということは、あらゆる場面で多言語、多文化の対応が必要になってくるということです。
 市役所の職員が、外国人に対して配慮のない対応をしてしまったり、意図したわけではなくとも外国人を排除してしまったり、結果的に人権侵害をしていたという状況になりかねないのです。ちなみに永住者資格を取得するために日本語の能力試験はありませんので、日本語は分からなくても永住者資格は取れます。

 では、どうして210万人も外国人の方が既に暮らしていて、かつ永住する人がこんなに増えたのでしょう。1980年代後半のバブル景気が発端です。その頃、もっと労働者を増やして生産力をあげようという考えから外国人の受け入れ議論が活発化しました。
 結論を言えば、日本政府は、いわゆる単純労働は認めないという閣議決定をしています。いわゆる単純労働は認めず、日本人には置き換えられない仕事のみ外国人を受け入れるという理屈にし、「日系人」、「研修生」、「エンタテナー」を例外的に認めたのです。
 つまり、日本政府は表向き「移民は受け入れません」と言っている、つまりフロントドアは閉まっているのですが、サイドドアが開いている状態なのです。こういう状態を「サイドドア・ポリシー」というのですが、このような政策を取ってしまったがゆえに問題になったことが、大きくいって2つあります。
 一つは国民的合意がないということです。1990(平成2)年の入管法改正では、いわゆる単純労働は認めないということだったのに、なぜか分からないけれど自分の町にブラジル人が増えた、よく分からないけど中国人がたくさん住んでる。このような状況に日本人は疑心暗鬼になっています。これはもう政策が生んだ差別といって良いのではないかと思います。きちんと議論する必要があったのではないかということです。
 もう一つは、受け入れのための制度が整っていない。本来ならば、フロントドアを開ける議論をして、何年後かに外国人の人が来ることが見込まれるのであれば、誰が言葉を教えるか、けがや病気のときの通訳はどうするのか、子どもの学校の通訳はどうするのかを考える。そして、制度を整え人材を育成して予算を付けてから受け入れる。それが日本の場合は、残念ながらサイドドアポリシーですので何も用意をしていない。しかし外国人は増えていく。結果的に日本語は誰も教えてくれないし、病気になっても通訳もつかないという状況になってしまったのです。
 日本に来る外国人たちは、まさか日本のように発達した国が、日本語を教えてくれないとは夢にも思わずにやって来たと思います。来てみたらこのような状態なので驚くわけです。しかも日本人たちは、「日本に来るんだったら日本語の一つも勉強してきたんだろうなあ」と思っている。あまりにも整備されないまま受け入れてしまった。そして、それが20年以上経っても変わらない。結果あちこちで混乱が起こります。地域の方や自治体の方が本当に苦労して通訳をしたり、日本語を教える人を確保したり、何とか頑張ってきた。
 このままではいけないということで、ようやく2005(平成17)年に自治体政策を管轄している総務省が、「多文化共生の推進」を掲げて施策の体系化に取り組みました。同年には「多文化共生推進プラン」の策定を目標に、研究会も設置され、私もメンバーを務めさせていただきました。プランは2006(平成18)年3月に発表され、自治体による取り組みの指針となっています。総務省によると、2005(平成17)年度以降は、地方交付税の交付措置の中に多文化共生の推進も入っているとのことです。
 さらに2006(平成18)年末には内閣官房が、「生活者としての外国人」に関する総合的対応策を発表しました。新たな海外からの受け入れについてはまだ議論がない状況が続いているのですが、すでに日本で暮らしている外国人のことを「生活者としての外国人」と呼び、こういう人たちに対してはしっかり公共サービスを提供しようということを決めたのです。
 そして、2012(平成24)年7月に在留管理制度の見直しがようやくなされました。外国人登録法の廃止と、居住情報等を正確に把握できるような在留管理制度の見直し、入国管理法の再改正、それから住民基本台帳法の改正を行いました。
 住民基本台帳法に基づく住民登録に変わったということは、自治体施策にとっては非常に大きな意味があります。これまで自治体は外国人登録法に基づいて、法務省の機関委任事務として外国人住民の情報を集めていました。外国人登録法の目的は「外国人の管理」です。ですから、例えば外国人登録データを自治体が使って、来年小学校に入学する外国人の子どもの人数を数えようと思ったら、厳密には法律の目的外使用にあたり、議会の承認が必要でした。そのような手続き取らずにやっていた自治体がほとんどだと思います。あるいはまったく外国人の子どもの就学のことは忘れていたという地方自治体も多かった。
 そんな状態だったのですが、2012(平成24)年の7月からは住民基本台帳法に基づいて、自治体が外国人の住民のデータを持つことになりました。この意味はとても大きいです。住民基本台帳法に基づいて外国人の住民データを自治体が持つということは、持っているデータを使って福祉の向上に努めなければならないことになるからです。これはもう全然意味が違います。しかしそれを認識していない自治体の方が多いかもしれません。
 外国人登録法の廃止と住民基本台帳法の改正だけではなくて、入国管理法も改正し、市役所が出していた外国人登録証に替わって入国管理局が在留カードというものを出すことになりました。「在留カードの常時携帯義務はあるし、しかも今までは市役所に行けば外国人登録証をもらえたのに、入国管理局に行かなければならなくなってより不便になった」という人もいるのですが、データをもつ自治体にとっては大きな違いがあるのです。住民基本台帳法に基づいて、自治体が本業として外国人住民の福祉の向上に努めなければならなくなったということなのです。そういう自覚を持って住民基本台帳の仕事をしている人は残念ながらほとんどいないと思いますから、皆さん職場に帰ったらぜひそういう話をしていただきたいと思います。
 「国が方針を示してくれないので地方自治体では何もできない」とおっしゃる方がいるのですがそれは間違っています。国は方針を定めています。2006(平成18)年に「多文化共生推進プラン」を発表し、同年末には「生活者としての外国人」に関する総合的対応策も定めているのです。やるかやらないかは、自治体次第なのです。男女共同参画については法律がありますが、多文化共生は残念ながらまだ法律ではありません。しかし住民基本台帳法の中で外国人も扱えるようになったということは大きな前進かなと思います。今後外国人をさらに受け入れるかどうかの議論はいまだに棚ざらしではありますけれども、今日本にいる外国人に対しての方針を政府は既に定めていますし、予算も少ないながら付くようになったということを、ぜひご記憶いただきたいと思います。

 現在、外国人住民が直面している課題の多くは、日本に外国人が多く暮らしているのにもかかわらず、日本社会の側の法制度の不備や社会資源の不足、市民の認識が変わっていないことが大きな課題です。具体的にいうと、まずコミュニケーションに関する課題が挙げられます。例えば外国人が日本語を習得する機会がほとんどありません。皆さんの地域で日本語教室はありますか。あるとして週何回何時間やっていますか、誰が教えていますか、何人学習していますか。残念ながら学習者のニーズに対応した日本語教室は少ないのです。通訳や翻訳のサービスも少ないです。皆さんの市役所で通訳を置いていますか。置いていても1年の嘱託契約で時給がとても安い。このような状態では優秀な人ほど去っていきます。こんなことやっていてはだめだと思います。
 次に生活に関するものです。きちんと情報が伝わっておりませんので結果として健康保険や年金の加入率が低い。本人が入った認識がないまま登録だけされていて、「滞納者が多い」などと言われています。例えば多文化共生センター大阪では以前、大阪市からの委託で大阪市内の外国人に調査をしましたが、在日コリアン以外の新しく来た外国人の方の健康保険加入率は70%、年金加入率は50%でした。永住化の傾向があってみなさん高齢化していきますから、今後年金がもらえない外国人高齢者が増えることが予想されます。
 1983(昭和58)年まで、外国人は国民年金に加入できませんでした。そのため、在日コリアンの高齢者の方で年金の支払い要件が満たされずに無年金になった方もいますが、新しく来た外国人の方も年金を払っていない人がたくさんいます。結果的に無年金になり、今後は生活保護申請をすることになる可能性が高い。年金窓口の人に、「何で来日したときにきちんと説明しておかなかったのですか」と聞くと、「どうせ本国に帰るから年金はいらないだろうと思った」という返事でした。
 日本は明治時代、南米大陸にたくさん移民を送り出してきました。最初の南米大陸への移民はペルーです。労働者の派遣期間は4年だったのですが4年で帰ってきた人は一人もいません。そんな歴史を持っているのにもかかわらず、日本に来た外国人に対しては、「一時滞在だろうから年金はいらないだろうと思ってしまった」ということですね。結果的に、無年金の外国人高齢者がこれから増えていきます。
 他にも問題があります。文部科学省が外国人の子どもは就学義務がないと言ってしまっているので、子どもたちの就学確認ができておらず不就学の児童生徒がたくさんいます。不登校というのは学籍があって行かない子どものことをいいますが、不就学というのは学籍もない子どものことをいいます。
 本当は、就学義務はあるのです。日本は国際人権規約にも加入していますし、子どもの権利条約も加入しているので、本来、日本政府はすべての就学年齢にある子どもに初等教育を提供しなければならないのです。これらの条約の原文を読むと「義務教育を提供しなさい」とも読めるのですが、政府の日本語訳を見ますと「初等教育を義務的なものとする」と書いてあります。(児童の権利条約28条)
自治体で外国人登録データを元にアンケートなどを行うと、1割から2割が「宛先不明」で戻ってきます。外国人は帰国時に外国人登録証を空港などで返納しますので、帰国した場合は自治体にその情報が届きますから、元の住所にはいなくても、日本のどこかで暮らしていると考えられます。その中に就学年齢の子どももいて、結果として就学状況が把握されていない子どもが18%ぐらいいます。
 実際に文部科学省が2005(平成17)年と2006(平成18)年に11の自治体に委託をして調査したデータでも、同じくらいの数字が「居所不明」となっています。就学状況が確認できたのは80%ちょっと。就学状況が不明という子どもが17%。居所がわかって本人が就学していないことが確認できたのが1.1%でした。しかし、「不明」の17%の子どもたちは不就学としてカウントされていません。
 さらに、学校に行ってない子どもに、「学校に行ってないときに何をしていますか」と質問をしたところ、「仕事やアルバイトをしている」と答えた子どもが20%です。その数字を在日ブラジル人の就学年齢の子どもに掛け合わせたところ、ブラジル人だけでも少なくとも当時1,000人から2,000人の子どもが働いている計算になりました。
 日本国内で児童労働が増えているのです。日本での児童労働は、内部通報と労働災害で明るみに出ることが多いです。みなさんは、児童労働というとアフリカでカカオの栽培を強制的にさせられている子どもを想像するかもしれませんが日本国内でも児童労働が増えているのです
。  また、外国人の方は雇用が不安定で災害にも不慣れです。こんなにしょっちゅう地震や台風が来る国は他にはあまりないですから、みなさんびっくりします。
 日本の場合は、サイドドアポリシーで外国人が増えたため外国人と地域住民との接点がないのです。仕事も、他の国では移民の仕事といえばサービス業が多いですから、普段の生活の中で違う国の人と接することが多い。ヨーロッパもアメリカもそうです。ところが日本の場合は日本人と外国人が共存する場所が少ない。ですから普段の生活の中で外国人が増えているという実感がないのです。しかも時々新聞やテレビで出てくる外国人は、何か悪いことをして捕まったケースなど悪い面ばかりが報道されるため、外国人に対して良い印象を持たない日本人が増える結果になっています。
 重要なことは、外国人が日本に来たから問題が起こっているのではないということです。外国人が多く暮らしているのにもかかわらず、法制度が不備であり社会資源が不足していることが問題なのです。このことはぜひ広く市民に啓発していただきたいと思います。サイドドアを開けたのは日本です。外国人に来てくださいと言っておいて、何の準備もしていなかったこちらが「ごめんなさい」というのが、この課題に対するものの見方ではないかと思います。
 残念ながら、最近、外国人が来たから問題が起きたのだという偏見が渦巻いています。ヘイトスピーチという言葉を聞いたことがあると思います。ヘイトっていうのは憎悪ですね。スピーチは発言だけではありません。例えば絵を描いたり、文字で憎悪を表現したり、これもヘイトスピーチに入ります。民族や国籍、性、宗教などの属性を特定し、差別や排除の意図をもって誹謗中傷する、暴力的・差別的行為を扇動する言動のことをいいます。
 最近、在日コリアンの排斥や外国人への差別的行為を繰り返す団体行動が激化していて、インターネットの普及もあって急速に拡散しています。人種差別撤廃条約では人種差別的扇動を「違法であるものとして禁止する」としており、イギリス、フランス、ドイツなどではヘイトスピーチは犯罪とされ法的な規制があります。しかし日本では、政府が1995(平成7)年に人種差別撤廃条約に加入したにもかかわらず、国内法がないために野放し状態になっているのです。
以前、浜松で宝石屋さんに入ったブラジル人女性が、「外国人お断り」という紙を出されて「出ていけ」と言われた。それが防犯カメラに全部映っていて人種差別撤廃条約における違法行為であると認められた裁判がありました。最近では、京都にある朝鮮学校に対して街宣車を回して授業を妨害した団体が、裁判を起こされたというケースがあります。先日、京都地裁で、こうした行為を違法と認める判決が出ました。いま、東京でいうと新大久保、大阪だと鶴橋など、在日コリアンの方が多いところでヘイトスピーチが盛んに行われています。今回の判決が覆されずに、ヘイトスピーチは違法であるというような流れが続けば良いなと思っています。
 人権啓発の観点でいいますと、ヘイトスピーチを行う人がいたとしても、共感を呼ばないような地域での関係性づくりをしっかりやっていくということが重要ですね。いくら法律ができたからといって、ヘイトスピーチはなくなるものではありません。現にヨーロッパがそうです。法律はありますけれどもヘイトスピーチもあります。法的根拠があってヘイトスピーチを取り締まれるということは非常に重要なのですけれども、やはり地域での地道な人権啓発活動が大事ではないかと思います。
 ところで、外国人が増えたら治安は悪くなるのでしょうか? 日本で暮らす外国人はずっと増え続けていますが、外国人の検挙人数は2005(平成17)年をピークに減り続けています。警察庁のデータをみても外国人が増えると犯罪者が増えるということは嘘だということが分かります。では、どうして人々がそう思ってしまうのでしょうか。もう少し私たちが、しっかりと事実に基づいた啓発活動をしないといけないのではないかなと思います。

3)多文化共生の世界的潮流

 最後に、少し世界の潮流の話をしてまとめに入りたいと思います。それでは他の国はどのような状況なのかみていきましょう。
 まずヨーロッパですね。ヨーロッパはこれまで移民の受け入れを積極的行ってきました。特に、1970年代以降に移民政策を導入した北欧の国々はそのような傾向がありました。冷戦が終わってからはEU地域が拡大しています。ルーマニアやポーランドは、いまはEUの中にあります。以前はポーランドからイギリスに働きに行くことはできませんでしたが、今はEU域内労働者ですから多くのポーランド人が出稼ぎに行っています。前回のロンドンでオリンピックの競技場の建設に従事していたのは主にポーランド人だといわれています。
 しかし、現在のヨーロッパはできるだけヨーロッパ以外からの移民を受け入れないようにしています。つい最近もシリア難民がイタリアやスペインを目指して船に乗って行ったのですが、イタリアやスペインは難民を入れたくないので厳重な警備を敷きました。そのために秘かに入国しようとした人々が、途中で船が沈没して300人ぐらいの人がいっぺんに死んでしまったということがありました。
 もう一つ、ヨーロッパはこれまで多文化主義をとっている国が多くありました。例えばドイツでは、ドイツに来たトルコ人にドイツ語を教えるのは同化政策になると言っていたのですが、トルコ人が教育を受けられなければドイツ人とトルコ人の格差が拡大してしまうため、2000年代に入ってから社会統合政策に力を入れるようになりました。言葉を教えることと文化的に同化させることは別である、言葉は生活する上で不可欠なものであるからトルコ人にもドイツ語をしっかり教えましょうということになったのです。そして法律を整えています。
 例えばオランダでしたら、オランダに永住希望の人で一定程度のオランダ語を知らない者に対しては、国と自治体が負担をして無料でオランダ語の教育を600時間、社会知識の教育を50時間学べるプログラムを提供しています。ドイツは少しお金を取っていますけれども法律に基づいてきちんとした体系的な授業を提供しているということです。

 次にアジアに目を転じてみましょう。アジアの中でも東アジア周辺はこれから人口が減っていきます。特に日中韓は、人口が減少し少子高齢化が激しくなっていきます。
 このままでは危機的な状況だということで、韓国は2007(平成19)年に多文化国家への転換を図ると表明して法律を整えました。今韓国に行くと、200以上の自治体で多文化センターという建物を建て韓国語を無料で教えています。韓国は2006(平成18)年まで日本の入国管理法をほとんどコピーした政策をとってきたのですが、それを捨て多文化国家に転換を図ろうとしています。韓国の学者や市長さんたちに、「なぜ法律を変えたのですか」と聞いたところ、「いろんな国の状況を調べてみたら、このまま日本のまねをしていると国が滅びるということがよく分かったから」と言われました。「早く日本も変えたほうがいいですよ」と言われて、おっしゃるとおりですと思いました。中国も今移民の法制化を検討中です。中国は広いですから、例えば広東省は省政府が独自にアフリカからの労働者受け入れを決め、既に受け入れを開始しています。広州に行くとアフリカの方が街中にたくさんいます。中国の場合は最大受け入れ規模は1億人ということです。
 実は日本が一番厳しい状況なのですが、この3つの国の中で何も考えてないように見えるのが日本です。かなり危機的な状況ですね。
東南アジアも視野に入れると、フィリピン、ベトナム、インドネシアはまだ人口が増えていますが、香港、台湾、シンガポール、韓国は既に外国人受け入れに積極的な政策を取っています。日本と中国はこれからです。本来ならばアジア全体で、アジアの人口変動にどのように対処していくべきなのか考えなければいけないと思いますが、そういうことを考える枠組みができていないため、結果的にアジア以外の地域に人がどんどん流出している。フィリピンの人から、「日本に行くぐらいだったらカナダに行きたい」とストレートに言われたりするとすごく残念ですね。アジアで初めて介護保険制度を導入したのは日本です。その日本が、例えばアジア全体の介護をどうするのかという視点で提言できれば良いと思うのですが、そういう努力をしていない。このままだとアジア全体が不幸な状況に陥ってしまいそうな気がしています。
 今の日本の地域社会には、中国からの技能実習生や留学生等で支えられている産業が結構あるのですね。東京でも深夜のコンビニの従業員は中国人留学生がほとんどではないでしょうか。しかし、いずれ中国から日本へは来なくなります。なぜかというと中国の生産年齢人口のピークは2015(平成27)年で、それ以降はよその国に人を送り出す余力がなくなるからです。すると皆さんの地域の農業、水産加工業、製造業はどうなると思いますか。先日、富山県に行ってきたのですが、中国人の技能実習生がたくさんいて新幹線の工事をしていました。ちなみに新幹線の車両は兵庫県でつくっているのですが、そこで車両をつくっているのはブラジル人です。日本はこれまではサイドドアでごまかしながら、外国人の力を借りてなんとか地域や経済を維持してきたのですが、早くフロントドアを開けないと手遅れになってしまうのではないかと私は思っています。

 これから多文化共生について、次の2つの視点から地域をよく点検していただきたいと思います。
一つは、あってはならない違いをなくすという視点です。日本語が分からないというだけで、外国人に大切な情報が届かないということがないようにしていただきたい。そのためには日本語習得の支援や、就学や就労などのサポートをしっかりやる、あるいは多言語でのコミュニケーションをすることも重要です。
 二つ目は、違いを大切にする社会をつくっていくという視点です。外国人へのサポートも重要なのですが、地域全体を視野に入れた啓発や異文化理解、コミュニケーションのための研修をしっかりやる必要があると思います。

 外国人の方が地域に根付いて積極的に活躍している例もあります。外国人が弱くて、人権が侵害されていて、つらい立場だという一面もあるのですが、逆に行きづまった地域を打開してくれる新しい視点を持った、地域にとってかけがえない宝だという事例もたくさんあるのです。
皆さんの地域でも活躍している外国人の方々がいらっしゃると思いますから、是非そういう人たちと一緒に地域づくりを進めていただきたいと思います。まず地域で暮らしている外国人の実際の様子を知ってそれを地域住民に伝えてください。日本には、既に200万人を超える外国人の方がいて、約半分は永住する資格があるのです。それも毎年3万人~4万人ずつ増えている。このことを伝えていただきたいと思います。外国人にとって暮らしやすい地域というのは、本当は日本人にとっても暮らしやすいはずです。
 地域に求められる取り組みについては、2006(平成18)年3月に多文化共生推進プランが総務省から出ていますから、それを見てください。やるかやらないかと議論している暇はもうありません。一刻も早く外国人の方々の人権状況の改善に努めていただきたいですし、外国人の方と一緒に地域の明るい未来を築くことに邁進(まいしん)していただきたいと思います。人権啓発というものは決して人権を侵害されている人だけのためにやることではありません。地域の未来のためにやることではないかなと思います。
 御清聴ありがとうございました。