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研修講義資料

京都会場 講義4 平成25年10月30日(水)

「子どもの人権保障について考える ~スクールソーシャルワークと修復的対話の観点から~」

著者
山下 英三郎
寄稿日(掲載日)
2014/02/03

 本日は、子どもの人権について、学校との関係でお話をさせていただきたいと思います。特に、学校の中で、「スクールソーシャルワーク」や「修復的対話」を実践することによって、子どもたちの人権が保障される確率が高くなっていく、というお話しをしたいと思っております。

 

子どもたちの現状

 

子どもたちを取り巻く状況

 まず、子どもの人権の話に入る前に、子どもたちが、いまどういう状況にあるのかということを私なりの観点から述べさせていただきたいと思います。
 子どもたちが生活する環境には、学校、家庭、地域社会があるわけですが、いま、そのいずれにおいても子どもたちの置かれている状況は、あまり安心できるような状況ではありません。学校には、いじめ、体罰、不登校、学級崩壊、校内暴力などの課題があります。また、家庭には、虐待、貧困、DV、離縁などがあり、生活安定度は、かつてに比べると本当に脆弱になっています。地域社会も、孤立、無縁といわれるように、人と人とのつながりが非常に希薄になっている。そういった環境の中で子どもたちが暮らしているわけですから、子どもたちが、生き生きと、すくすくと育つということは、なかなか難しい状況になっていると思います。

在学者数の推移

 ここで少し、子どもたちの在学数の推移を見てみたいと思います。少子化、少子化といわれますが、実際にどれくらい減っているのかということを具体的な数字で見てみましょう。学齢期の子どもたちは、例えば1985(昭和60)年には2,200万人以上いたのですが、2011(平成23)年には1,400万人弱まで減っています。つまり850万人近く減少しているのです。850万人ということは、大変な減り方です。私はモンゴルによく行くのですが、あの国は日本の約4倍の国土面積があるのにもかかわらず人口は300万人弱なのですね。ですから、モンゴルという国が2つ以上なくなってしまうぐらい、日本の子どもたちの数が減っています。
 しかし、子どもの数が減っているのにもかかわらず、子どもたちが直面している問題というのは非常に増えています。例えば不登校の子どもの人数を見てみましょう。1985(昭和60)年頃は児童生徒数がものすごく多かった頃です。団塊の世代の子どもたちが在学している頃でした。その頃の不登校の子どもの数は、3万2千人ぐらいだったのですが、それが2011(平成23)年度には11万7千人です。子どもの数が850万人減っているのにもかかわらず、不登校の子どもたちの数が増えている。この間、スクールカウンセラー制度だとか、適応指導教室だとか、いろいろな対策が取られてきたのにもかかわらず増えているのですね。
 それから、1985(昭和60)年頃は、校内暴力が非常に激しい時期でした。1970年代の終わりぐらいからこの時期にかけては、中学生を中心とした校内暴力が全国の中学校で起きていたのですが、そのころの暴力行為の件数は3千件ちょっとなのですね。それが、2009(平成21)年度には、5万5千件ぐらいに増えている。この間も、生徒指導対策など、いろいろな対策がとられたのですけれど、暴力行為が増えているのです。
 また、1985(昭和60)年頃には、発達障害という言葉はあまり聞いたことがありませんでした。しかし、現在の学校には発達障害の子どもが全体の6%ぐらいはいるのではないかと文部科学省はいっています。とにかく、いまの学校には、様々な課題が噴出しているのです。
 次に、家庭に目を向けてみましょう。家庭の中でも問題が起きています。例えば、児童虐待です。2001(平成13)年度23,274件だった児童虐待が、2010(平成22)年度には55,152件に増えています。
 子どもの数が減っているのだけど、子どもの抱えている問題、直面している問題はずっと増え続けている。この数字を見て、皆さんは、子どもの人権が保障されていると思いますか。私には、この数字を見る限り、子どもの人権が保障されているようには思えません。

権利侵害の様相

 どのような権利侵害があるかというと、例えば学校の中では、いじめ、体罰、過剰指導、それからハラスメント。教員から生徒に対する性的なハラスメントやパワーハラスメントもありますし、不登校など、学ぶ権利が侵害されるような状況もあります。
 家庭の中には虐待の問題がある。虐待とまではいかないのだけれど凶暴なしつけだとか、期待過剰というものもあって、子どもの権利侵害がまかり通っています。
 それから、地域社会の中では経済格差によって権利が制限されている子どもたちがいます。このような権利侵害の実態を見ると、子どもたちが瞳を輝かせて生きるということが、とても難しい時代であるということが言えると思います。

力の不均衡

 子どもの人権侵害が起こりやすい背景には、もちろん大人と子どもの圧倒的な力の差があります。大人たちは、「子どもたちを守ってやらなくてはいけない、しつけてあげなくてはいけない」と思っていますから、過剰に関与や介入をして、子どもたちの持っている権利を制限してしまう。子どもたちが意見表明をしたり、行動したりすることに対して、「危ない」だとか、「子どもは大人の言うことを聞いていればいいのだ」といった形で制限してしまう。子どもは、身体的にも、知識的にも、経済的にも、あらゆる側面で大人に比べて絶対的な弱者ですから、自分たちの考えや、尊厳をなかなか表現できないのです。大人の側にすれば、権利侵害をしているという自覚などなくても、子どもの側からすれば、権利が制限されたような状況が起こりやすいということです。
 虐待などは、まさにそういう状況です。親は「しつけでやったんだ。虐待なんかじゃない」と言いますが、命を落とさないまでも、大きな怪我につながったりするというようなこともあります。とにかく、子どもたちの権利というものが社会の中で正当に位置づけられていないために、いろいろな人権侵害が起きているのではないかと思います。

権利保障のために

 子どもの人権を保障するために、一つには制度的な保障が必要です。日本が1994(平成6)年に締結した子どもの権利条約を自治体などでも取り入れるところが増えてきています。また、一つには私たちの意識改革が必要です。子どもの権利に対する意識を変えていかなくてはいけない。「子どもは親の言うことを聞いていればいいんだ」といった感覚だと、やはり子どもたちの人権は守れません。
 そこで、学校の中でも、地域社会の中でも人権教育というものが非常に大事になってきます。人が持っている幸せに生きる権利というものを、社会の中で位置づけていくということが必要です。
 しかし、いくら意識改革をしたとしても、人権侵害はいろいろな局面で起きてきます。ゼロになるということはなかなか難しいと思うのですね。そこで、オンブズパーソン制度というものを導入して、子どもたちに人権侵害があった場合にはそれに対する調査をして、提言をするというようなことをやっている地方自治体もあります。また、学校の中で権利侵害があったときに、スクールソーシャルワーカーという人たちが、子どもたちの権利擁護をするという学校もあります。そういう具体的な取組みをしていかないと、いくら制度があっても、意識改革ができても、権利侵害があったときには、子どもの権利を回復したり、保障したりすることが難しいのです。

 

スクールソーシャルワークについて

学齢期の子どもたちの人権保障システム

社会福祉とソーシャルワーク

 それでは次に、私が専門としているスクールソーシャルワークの話をさせていただきます。まず、ソーシャルワークについてです。社会の中にいろんな課題、問題といわれるものがあるわけですが、こういったものをいかに解決して、私たちの生活の質を高めていくかという枠組みを考えるのが社会福祉という領域だと思います。その社会福祉の中でも、制度的に人々の生活をいかに高めるかを考えるのが社会保障です。法律や制度というものを具体的に動かす、実行する方法や、考え方がソーシャルワークというものです。
 ですから、福祉の領域で、社会福祉を実行する人をソーシャルワーカーといいます。ソーシャルワーカーは児童相談所や福祉事務所などにいるわけですが、そういう人を学校の中に配置しようというのが、スクールソーシャルワークなのです。子どもたちの生活の質、また子どもたちの社会福祉を実行するための人材として、学校の中にソーシャルワーカーが入っていくということです。

スクールソーシャルワークとは?

 スクールソーシャルワークというのは、簡単に言いますと、子どもたちが直面している様々な問題に対して教育現場をベースにして、基本的人権の尊重の観点から支援活動を行うシステムということになります。
 基本的姿勢として大切なのは二つ。人間尊重と子どもたちの可能性に焦点を当てることです。一人ひとりの子どもたちの持っている力、可能性に焦点を当てて、それをいかに発揮できるように支援するかというのがソーシャルワークの大きな特徴です。もう一つはエコロジカルな視点が必要です。これは後で御説明します。

文科省「SSW(スクールソーシャルワーカー)活用事業」までの道のり

 スクールソーシャルワークは、アメリカでは1906(明治39)年にスタートして、全米で1万数千人を超えるスクールソーシャルワーカーが活動しています。日本では、2008(平成20)年度から文部科学省が「スクールソーシャルワーカー活用事業」というものを導入して、だいたい今900人ぐらいの人たちが活動しているといわれています。文部科学省の事業以外に、自治体で独自予算を組みながら導入するところも結構あるので、全体としては1,000人くらい活動しているのではないでしょうか。
 2005(平成17)年度に大阪府が4~5人導入しました。それが文部科学省の導入につながったのではないかと思います。2000(平成12)年には高知県、香川県、千葉大学の附属小学校が導入しています。1986(昭和61)年から1998(昭和63)年にかけて埼玉県所沢市が、日本で初めてスクールソーシャルワーカーを雇用したのですが、そのときのスクールソーシャルワーカーが私です。そのときは、私一人だったので、日本ではソーシャルワーク制度を根付かせるのはちょっと無理ではないかと周りからいろいろ言われたのですが、私は、子どもたちの最善の利益を実現する、保障するためには、やはり学校の中に入って、子どもたちの側から支える活動が絶対必要だという信念のようなものがあったのです。

対応する事項

 それでは、スクールソーシャルワーカーが対応する事項というものはどのようなことか見ていきましょう。スクールソーシャルワーカーは、対応する事項を特定の問題に限定しません。不登校対応、発達障害の対応と、自治体レベルでは特化しているところもありますが、基本的には問題を特定して関わるということはしません。大きく分けて学校に起因する問題(不登校・いじめ、行動上の問題(非行・発達障がい)、学級崩壊、対家族問題)と、学校外に起因する問題(児童虐待、貧困、家族問題(家族のメンタルヘルス)、多文化関連問題)があります。災害支援にも関わります。
 多文化問題というのは、このようなことです。日本国籍ではない子どもたち、また日本国籍であったとしても両親のいずれかが外国籍であったり、外国出身であったりする子どもがいます。その子どもたちは、葛藤を抱えながら学校生活を送っていることが多いので、そういった子どもたちの支援も行います。ほかに家族の問題などにも関わることがあります。子どもを支えるということは、家族を支えることと切っても切り離せないので。

活動の形態

 活動の形態としては直接支援と、間接支援があります。直接支援というのは、子どもたちに直接関わるという支援の仕方です。間接支援は、例えば学校の教員にソーシャルワークの観点からの助言をする、子どもの問題について様々な機関や組織との連携、調整、仲介やスーパービジョン、さらには資源開発などもしていきます。
 スクールソーシャルワーカーを導入しているところでは、間接支援に重きを置いた活動をしているところもありますし、直接支援に重きを置いた活動をしているところもあります。両方やっているところもありますけども、基本的には直接支援、間接支援の両方をやります。一人の子どもの課題を考えたときに、直接的に支援するということと同時に、例えば周囲の人たちに対する助言をしたり、連携調整をしたりすることによって、子どもの抱える課題が軽くなっていくこともあります。いわゆる包括的な取組なのです。包括的な取組というのはソーシャルワークの特徴です。
 ですから活動の幅に関しても、当然広くなっていきます。子どもたちが中心であることは間違いがないのですけども、家族や学校や地域の諸機関とも関わる。公的であれ、民間であれ関わりをするし、活動の内容も非常に広くなります。
 私が積極的に進めているのはソーシャルワークの中の資源開発というところです。いろいろな支援活動をしていて、「こういうことがないから困る、こういうものがあったらいいのにな」と思った時には、思うだけではなくて実際につくっていくということです。
 登校拒否の子どもたちの中で、私は引きこもりの子どもたちだけを対象にしていたのですが、学校には行けない子どもでも、他の場所であれば行けるという子どももいるわけです。そこで、子どもたちのフリースペースをつくりました。私が80年代に始めたころはフリースペースのことを居場所と言っていましたが、居場所をつくると、地域のいろいろな子どもたちが来る。それから大人も来るし、学齢期過ぎた青年たちも来る、子どもたちが多いときは60人くらい来るようになりました。行政の助成を一切受けないで全部自分たちで運営し23年間続きました。
 孤立している親御さんたちが多かったので、親御さんたちを紹介し合って、セルフヘルプグループ(自助グループ)を組織すると、親御さんたち自身がそこでお互いに支えあい、特に専門家が何かをしなくても、自分たちの力を発揮する。そういう資源開発をするのも、ソーシャルワークの大きな特徴です。

学校におけるシャルワーカー配置の意義

 そのソーシャルワークを学校の中に配置する意義はどういったところにあるかというと、一つは異なる視点を導入するということです。私たちの社会では、問題を病理としてとらえ、いかに治療するか、取り除くかという考え方が一般的ですが、ソーシャルワークは、むしろ可能性に焦点を当てて、可能性をいかに伸ばしていくかに目を向けるのです。それをストレングス・モデルといいます。それから生態学的な視点、エコロジカルなモデルが入ってくる。これについては後でお話しします。
 現実的には、学校と地域社会と子どもが有機的につながることはなかなか難しいので、ソーシャルワーカーが介在してそれらをつないでいくのです。
 今ソーシャルワーカーが非常に重宝されて、増えつつあるのはそのつなぎの機能が必要とされているからです。例えば、学校と家庭の関係はなかなか微妙で、教師が家庭訪問するのがとても難しいとよく言われます。そこで、ソーシャルワーカーが家庭訪問をしたり、地域の様々な機関を訪問したりするのです。それが家庭にとっても、学校にとっても負担を軽減するという側面があると思います。孤立化、無縁化する社会の中で、人と人とをつなぐ機能というのは非常に大事です。また、子どもの代弁者になるという役目もあります。子どもは圧倒的な弱者ですから、自分の権利侵害に対して、自分で異議申し立てがなかなかできません。そこで、保護者や教員から抑圧されやすく、権利侵害が起こりやすい。そこで、子どもたちの権利擁護のための代弁活動が必要になってくるのです。
 しかし、子どもたちの権利を擁護するということは、子どもを抑圧する側からすると、煙たい存在だと思われやすい。例えば、親のしつけや教員の指導に異議申し立てをしているように受け取られてしまうことがあります。しかし、抗議をするような感じで、対立的に戦闘的なモードでやるのではなくて、平和的な対話をベースにして、それが権利侵害に当たるということを分かっていただくというアプローチです。

SC(スクールカウンセラー)との違い

 スクールソーシャルワーカーの話をすると、「スクールカウンセラーとどう違うんだ」とよく言われます。どちらも横文字で違いがよく分からない。スクールカウンセラーについては、もう定着していると思うのですが、スクールソーシャルワーカーは、何だかよく分からないと言われます。
 スクールカウンセラーや臨床心理士は、人の抱えている問題を、心の中のもつれ、葛藤という形でみていきます。ですから、内面に焦点を当てて、カウンセリングという方法でそのもつれた糸を解きほぐしていくわけです。そのもつれを解決する場所も相談室の中で行われます。つまりインドアで問題解決が図られている。
 それに対してソーシャルワーカーは、子どもたちの問題は彼らを取り巻く環境との関係、外との関係でとらえる。例えば、不登校の場合であれば、子どもの内面に焦点を当てるのではなくて、友達関係、教師との関係、勉強との関係、部活動との関係、いろいろな環境的な要素との関係でとらえます。さらに、関係調整のために、実際に外に出掛けることが多いのでアウトドア志向なのですね。
 ですからスクールカウンセラーはインドア派、スクールソーシャルワーカーはアウトドア派という言い方を私はしています。子どもが抱えている問題に、双方の特性を生かして協働して取り組むことが必要だと思います。例えば、いじめのケースで考えてみましょう。いじめられた子どもはものすごく精神的な傷を受けます。それに対して精神的なケアや内面的なケアが非常に大事になってくるのですが、同時に、いじめた子どもたちとの関わりや、その子を取り巻く友人関係だとか、教師との関係なども関係してくる。それから家族が精神的なダメージを受けたり、また攻撃的になったりすることもあるので、家族関係の調整も必要になってきます。
 ですから、内面的なケアはスクールカウンセラーがやり、周辺の関係調整はソーシャルワーカーがやるといった形で協働することが有効だと思います。

 

子どもとの関わりについて

子どもの人権尊重に向けて

 

子どもの側から考える

 次に子どもとの関わりについてお話ししたいと思います。
 大人たちは、よく、「今の子どもたちはコミュニケーションが下手だ、学力が低下した、社会性がない、モラルがない」という言い方をしますが、それは大人の基準であって、子どもたちの基準とは違います。それなのに大人の基準のほうが正しいとされますから、子どもたちは常に敗者になってしまいます。例えば、子どもたちの学力低下がよくいわれますけれども、情報機器の扱いなどは子どもたちの方が大人よりはるかによく知っています。大人より秀でた部分をたくさん持っているのだけれど、子どもたちは、正当に自分たちの考えを表明する力が少ないために、大人から押さえつけられているような感覚を持ちやすいのだと思います。「大人は分かってくれない、信じられない、汚い」となってしまいます。いじめについて、なかなか大人に相談しないというのも、こういう感覚を日常的に子どもたちが持っているからではないでしょうか。
 こういう状況が続くというのは非常に良くないと思いますね。大人と子どもの関係にとっても良くないし、子どもたちの生活の質という意味からも良くない。大事なことは、大人たちが子どもたちに誠実に向き合う、真摯に耳を傾けることだと思います。その前提になるのは、個人の人格を尊重するということです。
 私が、スクールソーシャルワーカーを1980年代の半ばぐらいから始めたきっかけをお話しします。当時、全国で多くの中学生たちがいろいろな暴力行動に走っていました。学校の中で窓ガラス何十枚も割ったり、教師に暴力をふるったり、校舎の中をバイクで乗りまわすようなことをやっていた。私は、そういうニュースを見るたびに非常に違和感にとらわれたのです。何故かというと、子どもたちがいかに傍若無人で、無軌道であるか、また、親のしつけがなってないか、そればかりが取り上げられ、“子どもバッシング”が非常に激しかったからです。
 子どもたちが全国でこんな行動をしている背景には、それなりの理由や根拠があるだろうと思ったわけです。その理由を知るためには、まず子どもたちの声に耳を傾けることが必要ではないかと考えていた時に、たまたまアメリカにはスクールソーシャルワーカーという人たちがいて、子どもの側に立っていろいろなサポートをしているという話を聞いたのです。日本でも絶対そういう制度が必要になるだろうと思ってアメリカに行き、スクールソーシャルワークの勉強をして日本に帰って来ました。

活動における枠組み

 子どもの言い分に耳を傾けるということは、子どもの言うがまま、なすがままにするということではありません。だめなことはだめだし、受け入れられることは受け入れることが、大切です。それがとにかく人権保障のまず第一歩ではないでしょうか。
 何か問題があると、私たちは指導をしたり、懲戒を加えたり、教育をして問題を取り除こうとするわけです。何か腫瘍があると手術して取り除くようなものです。これを病理モデル、医学モデル、診断モデルといったりするのですが、常にこのやり方だといろいろな問題が起きてきます。不登校の問題でも、問題を全部個人に還元化してしまうと、個人が努力すればいい、で終わってしまうのですね。それではやはり問題の根本的な解決にはなりません。例えば、罪を犯した人に対して、鬼畜にも劣る行為だとか、人間としてあるまじき行為だとか言うことがあります。そして、究極の場合はその人を社会から排除し、命を奪ってしまうわけですね。しかし、犯罪者の行動の背景には、いろいろな事情や要因がある。そこを見ていく必要があると思うのです。
 ソーシャルワークでは、ここでエコロジカル・モデルという言葉が出てきます。エコロジカル・モデルというのは、環境の影響を非常に重視するということです。環境から人が影響を受けることもあるし、人が環境に影響を与えることもある。循環的に影響しあうことを交互交流というのですが、人間と環境の関係は、循環的な交流をしているというふうにとらえるのです。
 ですから、何か問題があった場合は、循環的な交流が不適合状態になってきたと言います。あなたが悪いだとか、こっちが問題だとか、そういうことではなくて、この関係がどのようにうまくいっていないかということを見るわけです。
 環境というのはいろいろな要素がありますので、不適合状態がいろいろなところで起きてくる可能性があるわけです。ソーシャルワーカーたちは不適合状態に着目して、家族や地域に関わっていくため、極めて対象とする範囲が広いのです。
 それでは、どのように解決するのかというと、一つは個人の力を高めていくという方法があります。そして、もう一つは環境に働きかけて適合状態を作り出していく方法です。しかし、環境のほうが圧倒的に強くて、個人の力をいくら高めてもなかなか問題を解決できないときもあります。虐待の問題などがそれに当たると思います。ですから、そういう場合は、環境としての、例えば親や家族に働きかける必要があるわけです。
 ソーシャルワークの中の大事なところは、人にも焦点を当てるし、環境にも焦点を当てるというところです。一つ一つのケースでは人に力点を置く場合もあるでしょう。また環境調整のほうに力点を置く場合もありますけれど、とにかく常に両方を見ながらやるというところが特徴なのです。環境というのはエコロジーです。私たちの生態系ですね。生態系との関係で問題解決を考えるので、エコロジカル・モデルだとか、生態学的視点といわれています。私たちは、子どもの心のケアだけではなくて、家族のケアや地域のケア、友人関係のケアも含めて見ていく必要があるのです。

行動の意味を理解する

 ソーシャルワーク活動で一番大事にしたいことは、一人一人が持っている可能性を信じるということです。「だめだ」とつい言ってしまいがちなのですけれど、どんな人にも、どんなときでも可能性をいかに感知するか、察知するかが非常に大事になってくると思います。
 人は問題点を指摘されるより、自分の持っている良さに気づいたときに初めて変わることができるとよく言われますが、その通りではないでしょうか。欠点や問題点は、問題を抱えている当事者もよく分かっているのですから、人から指摘を受けると「また言われた。やっぱりだめなんだ」と、思ってしまう。それではなかなか良い方向に向かう道筋が見えません。しかし、可能性のようなものを提示いくと、緊張感だとか、抑圧感だとか、そういったものが解きほぐされて、本来持っている力を伸ばしていくことができます。
 子どもたちの問題行動といわれるものには、いろいろなものがあります。例えば、嘘をついたり、物事にきちんと取り組まずに逃げてばかりいたり、しかし、それらの行動というのは、様々な抑圧から自分の身を守るための防衛反応だということを覚えておいてください。そこのところをやはり理解しておく必要があると思うのです。自分自身の状態が非常に不安定なので、嘘ついてしまったり、だましてみたり、人に罪をなすりつけたりする。
 ですから、問題行動を責めても、その子にとってはあまり意味がないと思います。マイナスな行動を止めたいのであれば、その子が安心できる環境をつくることが大切です。そして、その子の自己評価や尊厳を高めることが大事になってくるのです。満足している子や安定している子どもは、ネガティブな行動はしないわけですから。
 子どもがマイナスな行動をとるということは、防衛機制(=ディフェンスメカニズム)と大いに関係があります。人は不安定な状態、危機状態に追いやられると、様々な防衛反応をします。フロイトという精神分析の大家の娘アンナ・フロイトが専門的に研究した分野ですが、10の特徴的な事柄があると言われています。それらは、以下の通りです。
(1)退却 (2)否定 (3)抑圧 (4)退行 (5)反動形式 (6)投射 (7)感情転移 (8)合理化 (9)昇華 (10)同一化
 人間のマイナスな行動の背景には、不安があるということを理解すると、人をいたずらに否定的に見ないで済むと思います。否定的な行動をとる人は、その人自身が不安のため、ワーッとかみついたり、何か苦情を言ってきたりするのだと理解すると、対応もずいぶん変わってくると思います。

子どもの人権を尊重するには

 子どもたちの人権を尊重するためには、子どもの話を聞くこと、それから年齢は違うけれども人間として対等だという見方が必要です。子どもたちが、きちんと人として扱ってくれたと感じるような対応ですね。
 大人と子どもであっても、一人の人間として関係を構築していくことが必要です。子どもたちとの関係が非常に築きにくいのは、説得したり、説教したり、子どもは大人の言うこと聞いていればいいのだと言ったり、情報をすぐ漏らしてしまったり、世間の常識を押しつけたりすると、やはり子どもとの関係は築きにくいと思います。

 

修復的対話について

問題の背景

 それでは、次に修復的対話についてお話ししようと思います。
 子どもたちに問題が生じたとき、特にいじめなどの対人関係のトラブルの場合、子どもたちが問題の当事者であるのにもかかわらず、大人たちは問題を取り上げてしまいます。いじめた子といじめられた子を切り離して、別個に対応していくわけです。例えば、被害を受けた子に対してはカウンセリングをやり、加害者に対しては叱責懲戒をするといった具合です。これが非常にまずいのではないかと思います。この両者は、同じ地域社会、学校の中で生きていくわけです。そこで分断してしまうと、結局その関係が切れたままになっていく。世の中が無縁化して、人の関係が希薄な時代の中で、何かあると関係を断ち切ってしまうのでは、さらに無縁化を促進してしまう。それでは、コミュニケーションやネットワークを弱くしてしまうことになると思うのです。

子ども不在(排除)の対応

 いじめの場合、子どもたちが当事者なので、子どもたち自身がきちんと解決力を発揮するようにもっていく必要があると思います。当事者は解決をする力を持っているのです。大人が分断してしまっては解決にはならないですね。子どもたちは、いじめの問題を大人に相談すると、さらにいじめがひどくなってしまうと言うことがありますが、それは当事者である子どもたちを排除した形で大人たちが対応するからだと思います。子どもたちの真意を聞くと、大人の対応はかけ離れていたりするわけです。
 最初に、子どもたちの数が減っているのにもかかわらず問題は増えていると言いましたが、要するに、大人の対応が子どもたちのニーズに合っていないのです。いろいろな対応や対策がなされているのだけれども、子どもたちの声を聞かないで、大人の観点、大人の価値基準で勝手に判断してしまうため、ズレが生じてくる。ですから、できるだけ子どもたちの考えや意見を汲み取りながらやっていくことが大事だと思います。

子ども(当事者)主体の対応

 もう一つは、子ども自身が解決のプロセスに参加するということが大切です。自分たちの問題なのですから、自分たちが参加するということ。子どもたちが声を上げる場を保障するということが大事だと思います。これは大人ができることです。いじめの場合は、いじめた子といじめられた子の対話を模索していく。当事者同士が解決できるように制度として保障していくことが大切ですし、それを実際に実行していく存在が必要だということです。私は、これをスクールソーシャルワーカーがやれればいいと思っているのです。
 例えば、いじめの場合でも、従来は大人が一方的に両者を切り離してしまい、加害者に対して責任を追及する。なぜいじめたのだとか、もう学校に来るなとか、規則を違反したことに対して焦点を当てて、懲戒処分にしたり、謝罪を強要してきました。本人が謝りたいと思っているかどうか分からないのに謝らせてしまう。反対に、いじめられた子に対して、「いじめた子は謝ったのだからもう許せ」といったことを言ったりする。
 このように、過去に衝突が起きたことに対して焦点を当てるというのが従来のやり方でした。これは二度と同じことを繰り返さないようにするというところに焦点を当てた対応なのですけれど、子どもたちの内面とずれています。強要されたり、隔離されたり、自分たちが何の力もない存在としてみなされることによって、子どもたちには無力感だけが残っていくことになると思うのです。
 一方、修復的なアプローチというのは、双方向的です。大人と子ども、子ども同士がお互いに関わるということです。このアプローチは、関係を再構築していくというところに焦点を当てている。現在の関係をいかに立て直していくかということですね。しかし、起きたことを無視するということではなくて、どういうことがあったかを重視して、それに対してお互いにどのような責任をとっていくかを模索していくのです。そのために当事者双方が対話をする必要があります。その結果、謝罪やゆるしが自発的に出てくればいい。これらは強制するものではないのです。今後、どのように当事者が生活をしていくかというところに焦点を当てたアプローチなのですね。

修復的アプローチの系譜

 この修復的対話というアプローチは、もともと伝統的な社会におけるトラブル解決方法としてあったものです。世界各地であったようです。例えば、ネイティブアメリカンの人たちは、トラブルがあったときに平和的に話し合いをすることを、「ピースメイキング」といっています。ハワイの先住民は、「ホ・オポノポノ」といいます。物事を適正にするという意味です。ニュージーランドのマオリ族の人たちも話し合いをします。
 トラブルがあっても相手を否定せずに、対立している者同士でも相手を尊重して話し合いをするということをやってきているのです。
 こういう伝統的なトラブル解決方法が、アパルトヘイト廃止後の真実和解委員会や、現在世界各地の民族紛争の解決手段として取り入れています。国連はこの修復的アプローチを非常に強調していて、それが学校や地域社会に広がりつつあるということです。

修復的司法(RJ)の定義

 修復的対話とは、修復的司法を応用したものです。修復的司法を英語にすると“Restorative Justice”というのですね。ですからここではRJと言いますが、RJの定義とは「個人あるいは集団が受けた傷を癒し、事態を望ましい状態に戻すこと」です。全面解決ということではなくて、この辺だったらいいだろうというところまで持っていくために、問題に関係がある人たちが参加して話し合うわけです。問題の当事者だけでなく、関係がある人たち、例えばいじめの場合は、いじめた子、いじめられた子だけではなくて、いじめた子やいじめられた子の友達だとか、親だとか、そのときによってメンバー構成が変わるのですけども、周囲の人たちも参加して話し合うのです。なぜかというと、その出来事によって影響を受けるのは当事者だけではないからです。関係者が参加して、損害やニーズ、責任や義務について、今後どのようにしていったら良いか、未来思考で模索する。

基本的なルール

 その話し合いには、ファシリテーターという人がいて、中立的な立場で話をうまく進行させていきます。この修復的対話やRJのベースになるのは、参加者全員に対する敬意です。敬意をベースにして関係者が参加する。対立している同士がお互いに敬意を抱くというところが一番難しいと思います。例えば、いじめた子に対し、いじめられた子が敬意を抱くということになるとなかなか難しい。それは急にはできないので、事前の準備がものすごく必要になってきます。
 ファシリテーターが事前に準備をして、少なくとも攻撃をし合わないような形に持っていった上での対面です。そこには、ルールがあります。お互いを尊重するということを重視し、相手の話をよく聞く。そして相手を非難しない。発言したくないときはしなくてもよい。そういうことが非常に大事にされています。

対話の意義

 次は、修復的対話をすることの意義です。
 被害を受けた側にすると、被害について語ることによって癒しがもたらされるといわれています。被害者は、なぜ自分が被害に遭ったのか、どうして相手は加害行為をしたのか、そして、自分が被害を受けたことに対して自分自身どのように感じたのかを言葉にすることが癒しにつながるといわれています。また、謝罪を受けた場合には癒しがもたらされるということは、日本の研究でも、海外の研究でもよく言われています。
 それでは、いじめた子どもにとってはどのような意義があるのでしょうか。いじめた子は、自分の加害行為の影響を知ることになります。例えば、いじめた子は、「遊びでやった」だとか、「ほんの軽い気持ちでやっただけだ」とよく言うのですが、対話を通して、軽い気持ちでやったことが相手にどれだけ大きなダメージを与えたかを知ることになります。さらには、いじめた相手だけではなくて、友達や親にまで影響を与えたことを知ることになりますから、自分のやった行為の重さを知り、反省する気持ちを生み出しやすくなるといわれています。

対話を実践する方法

 修復的対話では、お互いを尊重するということがルールになっているので、加害者側の子どもであっても全否定されません。自尊心を保つことができるという点が大きいと思います。加害者側の子どもの自尊心をズタズタにしてしまうと、怒りだとか、憎しみが温存されて、その憎しみや怒りがまた違った形で攻撃行動として表れます。暴力の再生産や、暴力の連鎖を食い止めることを念頭におくことが大切なのです。
 また、被害者と加害者の子どもの関係を憎しみ合ったままにしておくのではなくて、話し合いをすることによって、いつか関係を再構築できるのではないかという可能性のようなものを担保しておくことができます。
 ここでは、参加者全員が発言をする機会を与えられます。話し合いをする場合、とかく発言する人が偏りがちになるので、全員に発言の機会を保証するためにトーキングピースという道具を使います。トーキングピースとは、昔ネイティブアメリカンの人たちが使っていたものなのですが、何か物を回すのですね。象徴的なもので、例えばボールでもいい。それを持った人だけが話すことができるというやり方をします。
 深刻なケースの場合は簡単にはできないかもしれませんが、普段からこのような対話をすることが重要です。日常の生活の中で、お互いを尊重する、人の話を聞く、そういったことをよくやっておくことが、いじめの予防になっていくのではないでしょうか。
 私たちの地域社会が分断され、孤立化、無縁化が進んでいることが私たちの生活を非常に厳しいものにしているのですから、学校や地域社会で対話の場をつくっていくことに意味があると思います。フラットな状態で尊重しながら話をすることで、職場だとか、地域の人間関係が非常に穏やかなものになっていくのではないかと思うのです。

 

修復的対話の適用可能性

 ソーシャルワークと修復的対話の考え方は重なるところが多いです。しかし、修復的対話のほうはより広くいろいろなところに提供できるので、可能性みたいなものを感じているところです。
 私たちの幸福感を阻害する一つの大きな要因は対人関係の不調です。この対人関係の不調をどうにかできれば、私たちの生きづらさも、子どもたちの生きづらさも、少しはいい方向に転換していけるのではないかと思って修復的対話を広めていきたいと思っています。それは、結局、子どもたちの人権を保障する一つの具体的な方法でもあるというふうに思うのですね。
 今日は、スクールソーシャルワークと修復的対話の2つのテーマについてお話ししました。私の話が少しでも皆さんの中に落ちてくれればありがたいなと思いつつ、私の話を終わらせていただきたいと思います。どうもご清聴ありがとうございました。