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研修講義資料

東京会場 講義8 平成30年10月19日(金)

「人権教育における効果的な啓発手法〜教育から学習へのパラダイム転換の試み〜」

著者
中島 吉弘
寄稿日(掲載日)
2019/07/10

【人権教育が必要である】

 桜美林大学の中島吉弘と申します。本日はどうぞよろしくお願いいたします。

 私は1989(平成元)年から人権問題ならびに人権思想について研究し実践をしてきました。本日は大学の教育現場で模索してきた効果的な人権教育の方法や創意工夫、試行錯誤を皆さまにお伝えしたいと思います。参考にしていただければ幸いです。

 はじめに、人権教育の必要性についてお話ししたいと思います。

 日本社会は言うまでもなく、明治維新から150年を経て現在(2018年)に至っているわけです。この間、社会秩序の編成原理であるべき普遍的な人権文化とその善き担い手の育成に向けて、不断の努力を重ねてきたと言えると思います。しかし、その成果の内実については、本当の意味で内外に誇れるものになっているのでしょうか。

 日本社会は、第一次と第二次の世界大戦による未曾有の悲劇を経験しています。そこから、日本国憲法(1947年5月3日施行)が希望の原理として見出されました。この日本国憲法の背景にある二度の世界大戦の惨憺たる悲劇をくりかえさないためにも、私たちは人類普遍の原理である人権の諸理念を遵守する実質的な構成員でなければならない、そう決意したのだと思います。

 しかし一方、21世紀の日本社会と世界社会の現実を見据えて言えば、人権の理念からは大きな隔たりがみられます。また、そうであるからこそ、依然として人権文化の積極的育成と啓発が私たちの大きな課題であり、最大の使命でありつづけていると考えています。

 この課題の解決の鍵となるのは、日本の市民社会の成熟に伴って、国家や政府から相対的に独立して、主体的に考え判断できる人権文化の担い手の育成です。この担い手を私は「善き市民」と呼びたいと思います。この善き市民の育成とその力量の向上こそが、私たちにとって最重要課題であるのだろうと思うのです。

 人々が主権者にふさわしい自己統治能力と人権感覚を我がものとし、その能力とセンスを、他者と分かち合える善き市民へと成熟すること、また、思い込みや偏見に惑わされず、他者から素直に学び、自分の頭で考え、判断して責任をとれる自立した人間になることこそが、人権教育の社会的使命であり核心であると考えます。

【人権教育から人権学習へのパラダイム転換が必要である】

 次に、アジア・太平洋人権教育国際会議で宣言された「21世紀に向けた人権教育の挑戦―人権の普遍的実現をもたらす世紀」(大阪宣言、1998年11月27日)を手がかりにして、私なりに人権教育の手法と人権学習のポイントについてまとめてみました。どのようにしたら人権意識が私たちのものになっていくかという観点からのもので、とても重要な問題提起です。

 人権教育の手法は8つあります。

1 人権侵害の現実から深く学ぶ

人権が侵害されている現実を人権教育の出発点にしていることは注目すべきアプローチです。

2 人権に関する教育・学習(権利行使能力の発達保障)

ここで重視されるのは、人権教育は現実の社会問題と関連づけられなければならないという点です。私の大学の人権教育の実践では、このような見地から教室に閉じこもらないで社会に出て学ぶことを積極的に学生に促しております。

3 抑圧される側の人々のエンパワメントと抑圧する側の人々の自覚、気づきを促す

人権問題はこの双方の人々の自覚や気づきに支えられながら理解された時に、より深いところから改善・解決されていくということだと思います。

4 学習者の視点から教育内容や方法を構築する

学習当事者の関心や必要に応えられるような人権問題をテーマとして絞り込み、学習者の立場を採り入れた学習手法の創意工夫が大切です。

5 相互に対等な関係をめざして参加型の学習を重視する

今日では、ワークショップやグループワークなどのアクティブラーニング手法が開発されて広く実践されております。学習当事者が対等な関係で学び合うというところが、ここでは重要です。

6 人権の概念を総合的な手法を通して捉える

政治学、社会政策学、物理学、神学、社会学、生物学、哲学、倫理学、ジャーナリズム等々の様々な専門分野の人たちが、人権問題に学際的・総合的にアプローチしていくことが大切です。

7 人権の普遍化と人権文化形成に向けて人々の創意工夫と想像力を培う

実際に実践するとなると困難が多いのですが、この目標は求めつづけなければなりません。

8 あらゆる学校は人権教育を独自な教科として重視して、カリキュラムに採り入れるべきである

次に、人権学習のポイントです。6つあると考えています。

1 人権問題に気づく

2 人権を侵害されてきた/侵害されている当事者から、人権問題の現実に気づき、差別の歴史、人権の歴史を正しく理解する

つまり人権学習では人権を侵害されてきた/侵害されている当事者から学ぶことが極めて重要です。もちろん、各当事者にはそれぞれの色合い、思いが強くありますので、そういう場合には、歴史研究、様々な差別の実態に関する学術研究の成果というものも含めて学んでいくことが必要不可欠だろうと思います。

3 人権を侵害せず、差別しない側に立つことが、短期的に自己のマイナス(不利益)になろうとも、中長期的には自己のプラス(利益)となることをしっかりと納得する

4 こうした気づきと納得に立脚して、他者を差別しない自己の態度を確立する

5 他者を差別しない自己の態度を実際の行動にあらわしてみる

6 自己の実際の行動を通して、多様な他者と出逢い、連携・協働・連帯をしながら、種々の人権侵害を背後で支え生み出している現在の社会システムの改善や転換に向けた実効性のある提言能力と行動力を養う

【人権学習の論理と構造】

 ここからは、私が考えている人権学習の論理と構造について皆さんにお話したいと思います。これを頭に置きながら教育に関わっていただければというのが私の願いだからです。人権学習にあっては、なによりもまず問題の発見、つまり問いの発見が重要です。問題や問いがないところには、実質的な学習もなく、またその解決もありえないからです。では、どのようにして問題や問いを見出すのでしょうか。

 まず端緒として、人権問題への感性的な≪直観≫が最初に来るだろうと思います。つまり、人権問題に対する無関心、達観、傍観、加担ではなく、対象と一体になる≪直観≫による問題や矛盾の自覚(気づき)を出発点に置くべきだと思います。感性的な≪直観≫をさらに哲学的に掘り下げて表現すれば、≪根源的偶有性≫の自覚と言い換えられると思います。ここに自覚される≪根源的偶有性≫とは、仏教用語で言えば≪自他不二≫ということになります。

 わかりやすく言えば、これは物事(自然や社会の出来事)を他人事のように考えない、ということです。より深めていけば、自他の反転による問題の共有が生まれます。「わたしはあなたであったかもしれない」という根源的偶有性の世界、つまり自他不二の世界からつかみ取られた深い倫理的自覚に支えられた人権や公正・正義の観点からの問題把握が大切です。これがないと、ただかわいそうだと思っても、やがては「とりあえず私の問題ではないから」という傍観や達観に行き着いてしまいます。

 私は、対象と一体になる感性的な直観(ある種の感情移入)による人権問題の把握の先に、対象から離れて観察する科学的な分析を置くべきだと思います。具体的には、個々の社会問題に対する学知(人文・社会・自然諸科学)から、冷静に学ぶことが大切です。最後に、こうした過程を経て人権問題の本質へと認識を深めてゆきます。ここで大切なのは、人権問題の核心にある問題の本質を同定することは、諸学の科学的な分析にも満足しない、という意味です。

 この同定とは現象から実体へ、実体から本質へと私たちの認識を深め、現象や実体を背後から生み出す核心について見極めるという意味です。人権問題の核心にある問題の本質を同定するとは、人権問題の構造的な発生原因の中心にある問題の本質をあえて立証かつ反証可能な仮説として設定することです。ある社会現象の背景には、それを生み出す原因やシステム、メカニズム、法則性(趨勢)が働いている。こうした認識の深まりによって見極められた問題の本質を解消・解決すべく、ある種の理念や価値が選択されて種々の政策が構想されてゆきます。そこに構想される政策はその理念や価値を具体化するための種々の実践において以前より改善された新たな現実が生み出されてゆきます。

 人権問題を解決する手法、つまり人権理念に基づく政策の構想と実践に最終的に求められているのは市民の当事者能力の育成、言い換えれば主権者である市民の権利行使能力の形成です。要するに、市民の権利行使能力の育成支援とエンパワメントが重要なのです。市民の立場から構想される様々な人権問題の解決策の中から、客観的に妥当かつ実行可能な解決策を練り上げ、合意形成と実践を通して、新しいより善い公正な社会を求めてゆくのです。このようにして生み出された新たな社会の現実に対しては、それをもさらに改善すべきものとして、また新たな問いが立てられ、新たな問題が発見されてゆくのです。要するに、人権問題の感性的直観から諸科学による分析と総合へと進み、さらに人権理念に基づく政策の構想と実践による具体化をあきらめることなく目指しつづけるのです。

【効果的な啓発手法のための模索(事例―1)】

 私が人権問題に関心を持ったのは、オックスフォード・アムネスティ・レクチャー・シリーズの一冊『人権について』(Basic Books、1993年)との出会いでした。この日本語版は、1998(平成10)年、世界人権宣言50周年記念の年に、翻訳出版(共訳)しました。以来、人権の問題は私にとってライフワークになっています。これをきっかけにして、私は教育実践の世界に入るとともに、町田市の公民館での人権講座の担当やアムネスティ・グループ(東京・岡山)での報告や講演を依頼されるようにもなりました。またその頃は中央大学の文学部で非常勤講師をしていた関係から、総合演習という新科目が始まり担当になりました。人権をテーマとするこの演習では、教師はファシリテーターに徹することが求められました。これには当初不慣れで、いろいろ苦労しましたが結果として大成功となりました。

 人権学習を目的とするこの総合演習について説明します。まず、人権問題の大まかなテーマ群をランダムに挙げます。例えば、労働、環境、開発、在日韓国・朝鮮人、被差別部落、いじめ、障がい者、戦争と平和、難民、マイノリティー、貧困、ハンセン病、HIV/エイズ、高齢者、沖縄、アイヌ、種々のヘイトやハラスメント等々です。次いで、これらのテーマ群をとりあげているテキストから学生の興味関心に従って一つのテーマを選択し、選択テーマごとに小グループに分かれ、テキストの要旨を報告してもらいます。その後、報告をしたテーマについてグループ単位でテーマに関連する社会の現場や当事者と連絡を取り、ヒアリングに出るよう促します。

 例えば、ハンセン病問題をとりあげた学生は、東村山市にある国立療養所多磨全生園に実際に行ってある元患者さんに会い、その結果を報告しました。元患者さんから、「上がって、お茶でも飲んでいきなさい」と言われたのに、出されたお茶を飲めなかったそうです。何かものすごく自分に苦悩や不安、恐れがあったのでしょう。涙を流しながらの報告でした。それから思い直して、再び療養所に行き、今度は親しくなってお茶も飲み、話を聞いたと伝えてくれました。このような報告は、レジュメを読んでうまく要約してプレゼンするのとは説得力がまるで違います。

 他には、ホームレスの人たちへの炊き出しの現場報告もありました。学生がホームレスの人たちが炊き出しを待つ当時の上野公園に行き、並んで順番を待ちました。「お前、若いのに苦労しているな」とホームレスの方から慰められたそうです。もちろん人権問題に関する正しい基礎知識を学んでから現場に入りますが、現場を知った上での報告であるため、教室で分かち合われる人権問題への認識のレベルが格段に高くなることがよく分かりました。私にとってこれらの報告は感動的な経験で大きな転換点となりました。

 次に、1998年から桜美林大学で始めた総合科目「現代社会と人権」を紹介します。ちょうど世界人権宣言50周年、人権教育のための国連10年(1995年~2004年)と重なる時期でした。私たちは非常に情熱的にとりくみました。特定の主題、つまり個々の人権問題を各分野の専門家がそれぞれの立場から分析し、学生と一緒に人権に関する認識を深めるというアプローチ法を採り入れたのです。実際に、いろいろな分野の方に加わっていただきました。倫理学、社会政策学、女性学、教育学、社会哲学・社会倫理学、哲学・思想史、経済学、メディア論、環境社会学、平和学、イスラム学、国際法、ジャーナリズム、物理学、生物学、キリスト教神学などをそれぞれ専門とする教員や、心理カウンセラー、在日外国人、市民活動家、人権活動家などです。この科目を通して、コーディネーター、つまり全体を目配りして、うまく編集をする立場の役割が決定的に重要だということがわかりました。人権学習を企画・編集する担当者は、問題意識がシャープでバランス感覚があり、率先して社会に出て問題を共有できるような人でないと、コーディネーターやファシリテーターとしての役割を果たせないと実感しました。

 このような複数人で担当する科目は、教員が1人ずつリレー講義をする手法(オムニバス方式)が一般的です。しかし、ある1人の教員の授業に他の担当教員も参加し、学生と一緒に受講する手法を私たちは採用しました。質疑応答の時は教員が当日の授業担当教員に学生と一緒になって質問をし、学生を巻き込んでいきます。人権学習で重要なものは学習者本人が持つ当事者感覚です。人権の問題に関しては、座学は基本的に一つのプロセスとしてあっても良いけれども、最終的にはそこから卒業するべきだと思います。当事者感覚を持てるか持てないか、持ってもらえるか持たせられないのかが、成否のわかれめだと思いました。

 理論を実践に落とし込んでいく時に、私はワークショップという手法に注目しました。例えば、手法としてのワークショップについては、「発想転換のススメ(ワークショップ)~公共性の新しいかたち」というテーマで、町田市のある市民団体とコラボするかたちで、その意義を考えたことがあります。

【効果的な啓発手法のための模索(事例―2)】

 大学の授業では、リアクションペーパーとフィードバックがキーワードです。リアクションペーパーとは、講義の終了時に提示する課題について短文を書いてもらうことです。それを私が受け取って、次の授業の時に必ずフィードバックをして学生に戻します。毎回全員分は難しいので、数名を抽出してそれに私が赤字でコメントを入れたものを印刷して配付したり、PDF化したものをディスプレイしたりして、全員に戻します。なるべく重複しないように選ぶと、人数にもよりますが学期中にほぼ全員がフィードバックを受けることになります。自分の書いたものが教室全体に向けて戻されると、やはり当事者意識が刺激され学習意欲が高まりますし、教員のコメントも本人の記憶に残ると思います。つまり、当事者性を効果的に刺激するのです。

 リアクションペーパーの目的・効果についても確認しておきましょう。まず、受動的学習から能動的学習に転換させる効果があります。そして、学習者の当事者性を刺激することで、学習意欲を持続させること、向上させることができます。さらに学習内容の定着率も高められるのです。

 フィードバックにも同じ効果があります。前回の学習内容を再確認する復習機能です。学習内容を相互に知ることで、同一の授業内容に関する解釈の多様性や質問への応答によって、学習者を効果的に刺激することができます。さらに、学生の学習記録にもなります。リアクションペーパーには、学習内容を記録するラーニング・ポートフォリオ(学生の学習業績記録)の機能もあるのです。

 私は個々の学習者の具体的な行動(パフォーマンス)を評価対象としています。個々の具体的な学習行動として、どのようなアクションを実際に起こしたかをリアクションペーパーやレポートなどの証拠資料を示すよう求め、それを事前に公表する評価の基準と手法に従って評価します。成績評価の基礎点については加点・減点方式で数値化し(-5点~+5点)、任意参加のアクティビティについては作成・提出されたワークシートをさらに加点評価します。例えば、大学の内外で開催される人権問題に関連する講演会や映画上映会があると、ワークシート(大学のHPから任意にダウンロードできるレポート書式)を事前に提示して参加を促します。ただし、強制はしませんので、参加しない学生がいます。参加して、ワークシートをきちんと作成して提出したものは成績評価の基礎点に加点(+5点~+10点)をします。こうして得られる成績評価の基礎点と加点の累積点を基にして上位からA・B・C・D・Fの評価を出席回数や基礎評価点を踏まえつつ順次判定していきます。その結果、以前には時折示されていた評価結果への苦情(疑義申し立て)などは出なくなりました。成績評価については、学生の学びのエビデンスが担当者側に全部ありますし、学生側にもおなじエビデンスが保存されているからです。

 また、ゲスト講師の導入にも極めて高い啓発効果があります。人権問題を語る上で、当事者、あるいは当事者に寄り添い支援している方は非常に高い啓発力を持ち、受講者に対する大きな影響力があります。例えば、全15回の講義の中に1人か2人お呼びします。大学の外へ出て行きますと、様々な分野の方と知り合う機会があります。そういう時に、是非、しかるべき機会に講師としてお招きしたい旨の声を掛けておきますと、大体、受けてくださることが多いのです。

 次に紹介する手法は、参加型の授業展開です。例えば、大学祭の時のトークショーです。学生が企画者で、他に先生方や卒業生が加わります。「スマートフォンを使うかどうか」のような日常的な問題等をとりあげたイベントです。まず、学生司会の下で行われるゲストとのトークショーがあり、その後に参加者たちを小グループに分け、提起されたテーマをめぐってグループ討論をします。そして、それぞれのグループの成果を短くまとめて発表し、それらを模造紙に貼り付けて参加者全員が分かち合うという方法です。

 また、インパクトのある効果的な動画を導入する人権の授業も行っています。従来はVTRやDVDを活用しましたが、最近は著作権の問題に配慮しながらYouTube上の動画の一部を使うことが多いです。あるいは、NHKのETVなどを約10分~15分部分上映して、まず問題の所在についての感性的な直観を学生に促します。次いで感性的に直観された内容を順次分析して、種々のエレメントに分けていきます。例えば、脳死・臓器移植問題を扱う場合、臓器移植法成立当時や同法が改正された当時の報道特集番組や新聞記事、学術研究書などを手がかりにして脳死問題を分析していきます。その際、脳死判定はどのような基準に従って具体的にどうやるのかを研究文献を手がかりにして細かく確認し伝えます。このように改正臓器移植法ができる前後の論点を整理し、最後に臓器移植と脳死判定をめぐる問題が私たちに問いかけているものは何か、そしてその問いに私たちはどう応答するのかを考えていきます。実際に放映された臓器摘出シーンの映像の一部も事前に予告した上で見てもらいます。その際、臓器摘出シーンを見ないという選択肢も用意しておきます。そこから受ける印象は、頭で覚えている、記憶している、文字の上で観念的に理解している臓器移植の世界とはだいぶ違います。脳死を人の死であることを受け入れ、免疫抑制剤を一生涯飲み続け、他の副作用も受け容れて生きることの意味を個々人の生命の尊厳と自己決定の問題として、つまり人権の問題として考えます。人権に関するインパクトのある授業展開には、視覚的な動画映像といったものが導入としてとても大きな効果を発揮します。

 しかし、授業のテーマと密接にかかわる動画にはその内容を事前に厳選するとともに上映のタイミングが重要です。私は授業の冒頭に導入として10分程度上映しますが、それ以上上映が長くなると寝てしまう人が出てきます。また上映が短すぎても効果が得られない。それから、授業の中半や後半に上映する方が効果のある場合もあります。部屋の明るさも、スクリーンがよく見えるように暗くすると何%かは確実に睡魔に襲われます。そういうことも含めて、受講者の生理現象や集中度をつねに注意しながら学習効果の高い授業展開を心がけることがポイントです。

 これから私の授業展開の基本的なパターンを紹介します。まず前回のフィードバックを行います。次いで当日の授業のアウトラインを説明し、導入として10分程度の動画を上映して、問題の感性的な直観を促します。そのうえで、図表や写真などを採り入れたハンドアウトを上映しながらレクチャーして分析を展開します。こうした直観と分析からの学習を経た後に、ランダムに割り振られた小グループに分かれて、各自が当日学んだ内容を自身の言葉で他者にわかるように表現する作業課題にとりくみ、その成果をリアクションペーパーに10分程でまとめて提出し、終了します。このような小テストを兼ねるリアクションペーパーへの応答が、また次回の講義の冒頭でフィードバックされる。このような手法を基本パターンにして反復しながら学習内容を深めてゆきます。

【効果的な啓発手法のための模索(事例―3)】

 こういう教育手法や創意工夫を傍証するものに、ラーニングピラミッドがあります。アメリカのナショナル・トレーニング・ラボラトリーズというところが一つの仮説として示しているものです。学習してから半年後に、学んだ内容を学生がどの程度記憶しているか、その平均学習定着率を教育手法ごとに測定した結果だといわれています。講義の場合は半年後に5%しか残っていない。読書の場合は10%で、視聴覚の場合は20%、そして実演を行うと30%です。グループ討論の場合は50%、自ら体験する場合は75%が残ります。なんと、学んだことを他人に教えると90%が定着するそうです。ただ、これはあまり真に受けないほうがいいのかもしれませんし、他人に教えれば学びになるという単純なものではありません。基礎となる学びを自分の中で蓄積した上で外に出力しないと、間違いのある知識をどんどん自己増殖させてしまう人がいます。「人権とは、何だと思う?」と質問したら、「公共の福祉」のことだと答えた人さえいました。まず、人権に関する正しい基礎知識をしっかり理解してほしいと思いました。

 現在、日本の高等教育の世界ではカナダのクィーンズ大学で開発されたICE(アイス)モデルが話題になっています。このICEモデルとは、Ideas(基礎知識)、Connections(つながり)、Extensions(応用)からなる三つのエレメントを有機的に関連づけて捉え、問題発見・問題解決型の能動的な主体的学習を形成するための評価と学習の手法のことです。はじめのアイディアとは学校で教える基礎知識のことです。つながりとは、学生が学んだ基礎知識相互の結びつきや知識と自己との関連性を内発的・能動的につかみ理解することです。応用とは、学生が学んだ基礎知識やつながりを手がかりとして、自己が発見した問題の解決のためにそれらを活用することです。

 ICE(アイス)モデルに立脚する学習は、このような3つのエレメントがつねに有機的に連動するような内発的な学びを重視するものです。あくまでも学習は学習者にとって意味のあるように展開されるべきだという考え方です。もちろん、学習者は放任状態に置かれるべきではありません。学習者に学習上の誤りや誤認があれば、必要に応じて教師が適宜介入・指導して修正すべきです。こういう主体的な学びという手法を人権教育に積極的に採り入れてみてはどうでしょうか。その時にこそ、従来の知識の啓発・注入型の人権教育は問題発見・問題解決型の内発的な人権学習へと、パラダイムが転換してゆくように私には思われます。こうしたパラダイムの転換が未だになされていないとすれば、それはなぜなのでしょうか。明治維新から150年を経ている今日、私たちは、ここで今一度、近代日本における市民社会育成の意味と教育の使命について、根本からとらえ直し、パラダイムを転換させるべきでしょう。

【まとめ】

 今日の話をまとめます。人類社会が数知れない受難の歴史と悲劇の経験からつかみ取った希望の原理、叡智、根源的道徳性、普遍的原理である《人権》という考え方に対する尊重と擁護の意義をしっかりと深く理解・自覚・体現し、これを人類共通の普遍的文化として担い支えつづけ、未来の世代に向けてさらに継承し、創造的に発展させてゆくには、教育する側と教育される側という従来の(つまり「国家が個人の利益を保護するために課す、自己決定権に関する制約」としてのパターナリズムの立場からなされる)人権教育パラダイムから、多様な学習当事者の《主体性》や《内発性》に深く根を下ろした人権学習パラダイムへの転換が必要であり不可欠である。これが私の結論になります。